筆談による恋愛小説

ちちまる

文字の大きさ
上 下
5 / 5

言葉なき愛の手紙

しおりを挟む

高校三年生の春、私が彼と出会ったのは、新学期が始まったばかりのことだった。桜の花びらが舞い散る校庭に、初めての登校の緊張感が漂っていた。教室の後ろの席に座った新しい転校生、彼の名前は直也。彼の端正な顔立ちと、どこか寂しげな目が印象的だった。

直也はクラスの誰とも話さず、授業中も一人で静かにノートに向かっていた。私は、彼の存在が気になって仕方なかった。ある日、彼が筆談をしているのを見かけた。彼が耳が聞こえないことを知った瞬間、私の胸は高鳴った。彼と話してみたい、そんな思いが湧き上がったのだ。

放課後、図書室で彼が一人で本を読んでいるのを見つけ、私は思い切って話しかけた。

「こんにちは、直也君。私は美咲。筆談って、どうやるの?」

直也は驚いたように顔を上げたが、すぐに微笑んでノートを差し出してくれた。「こんにちは、美咲さん。こうやって文字を書くんだ。」

それからというもの、私たちの間には一冊のノートが存在するようになった。授業中、休み時間、放課後、いつでもそのノートを使って会話を交わした。直也の書く文字は丁寧で、美しく、彼の心をそのまま映し出しているようだった。

「今日はどうだった?」

「数学の授業が難しかった。でも、美咲さんと話せて嬉しかった。」

彼の文字は誠実で、読むたびに彼の思いが伝わってきた。次第に私たちの会話は深まり、互いの夢や悩みを共有するようになった。

「美咲さんは将来何になりたい?」

「私は翻訳家になりたいの。世界中の人と繋がりたいから。」

「素敵だね。僕は音楽が好きだから、何か音楽に関わる仕事がしたい。」

直也の夢を聞いて、私は胸が熱くなった。彼の耳が聞こえないことを知っているからこそ、彼の夢がどれだけ大切か分かる。そんな彼を、私は尊敬していた。

季節は巡り、夏がやってきた。私たちは毎日のように直也と過ごし、その度に彼への気持ちが深まっていった。ある日、放課後の図書室で直也がノートを差し出してきた。

「今日は特別な日だから、ここで待ってて。」

彼の言葉に胸が高鳴った。何が特別なのだろう? 期待と不安が入り混じる中、私は待った。

やがて、直也が戻ってきた。手には大きな紙袋を持っている。袋から取り出したのは、美しいレターセットだった。

「これを君に。」

直也の手渡してくれたレターセットには、手紙と封筒が入っていた。手紙を開くと、直也の綺麗な文字が並んでいた。

「君に伝えたいことがある。君と出会ってから、毎日が楽しくなった。君のおかげで、自分に自信が持てるようになった。だから、君に感謝の気持ちを伝えたくて、この手紙を書いた。」

涙がこぼれそうになった。直也の気持ちが痛いほど伝わってくる。

「直也、ありがとう。私も、君と出会えて本当に良かった。」

私たちは手紙を通じて、さらに深く繋がった気がした。互いの心の中を覗き込むような、そんな感覚だった。

夏休みも終わりに近づき、秋の風が吹き始めた頃、直也から突然の知らせがあった。

「美咲、僕、転校することになった。」

青天の霹靂だった。直也がいなくなるなんて、考えもしなかった。私たちは別々の道を歩むことになるのだ。

「どうして、直也?」

「父の仕事の都合で、遠くの町に引っ越すことになったんだ。美咲、君と過ごした時間は一生の宝物だよ。」

涙が止まらなかった。直也の手を握り締め、私は一言も言葉が出てこなかった。

「でも、僕たちの絆はずっと続くよ。手紙を書き続けよう。」

そう言って、直也は私にもう一度レターセットを渡してくれた。

別れの日、駅のホームで私たちは最後の手紙を交換した。直也の手紙には、こう書かれていた。

「美咲、君がいる限り、僕はどこにいても頑張れる。だから、これからも手紙を書いて、君のことを忘れない。」

私は涙を拭き、直也の手を握り返した。

「直也、ありがとう。私も、ずっと手紙を書くよ。君がいる限り、私も頑張れる。」

列車が発車する音が鳴り響き、直也が去って行く。その背中を見送りながら、私は心の中で誓った。彼との絆を大切にし、手紙を通じていつまでも繋がり続けることを。

それから何年も経ち、私は翻訳家として働いている。直也とは手紙を通じて連絡を取り合い、お互いの夢を応援し合った。彼は音楽の道を進み、成功を収めていた。

ある日、仕事が終わって自宅に戻ると、一通の手紙が届いていた。差出人は直也だった。

「美咲、久しぶりだね。今度、久々に会えないかな? 君と話したいことがたくさんあるんだ。」

心が躍った。手紙を書き続けてきた彼と、再び会えるなんて。私はすぐに返事を書いた。

「もちろん、直也。会えるのを楽しみにしているよ。」

約束の日、私たちは再び駅で会った。直也は少し大人びて、けれど変わらない優しい笑顔を浮かべていた。

「美咲、久しぶり。」

「直也、元気そうだね。」

私たちは再会の喜びを分かち合い、話が尽きることはなかった。過去の思い出や、今の生活、お互いの夢について。手紙を通じて繋がっていた私たちは、まるで昨日の続きのように自然に話し始めた。

夕暮れの公園を歩きながら、直也がふと立ち止まった。

「美咲、君に伝えたいことがあるんだ。」

胸が高鳴った。直也の真剣な表情に、私も緊張してしまった。

「美咲、君と過ごした時間は、本当に宝物だった。君のおかげで、自分を信じることができた。だから、これからもずっと一緒にいたいんだ。」

直也の言葉に、涙が溢れた。彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。

「私も、直也。ずっと君と一緒にいたい。」

その言葉を聞いて、直也は静かに微笑み、私の手を握り締めた。

それから、私たちは一緒に未来を歩むことを決めた。筆談を通じて築いた絆は、どんな困難も乗り越える力を与えてくれると信じている。

静寂の中で交わした恋文は、私たちの心を永遠に繋ぎ続ける。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

思い出のカタチ

ちちまる
青春
一話完結の短編小説です

鼻にピーナッツを詰めて飛ばす

ちちまる
青春
鼻にピーナッツを詰めて飛ばす一話完結の短編小説です。

スイカの種を遠くまで飛ばす小説

ちちまる
恋愛
スイカの種を遠くまで飛ばすを題材にした一話完結の短編小説です。

キンキンに冷えたビール

ちちまる
青春
キンキンに冷えたビールを題材にした一話完結の短編小説です。

王様ゲーム

ちちまる
恋愛
王様ゲームを題材にした一話完結の短編小説です。

ASMRの囁き

ちちまる
青春
ASMRを題材にした一話完結の短編小説です。

ツンデレの恋愛小説

ちちまる
恋愛
ツンデレが描く恋愛小説です。 一話完結の短編小説です。

料理の恋愛小説

ちちまる
恋愛
料理を題材にした一話完結の恋愛小説です。

処理中です...