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第二十七話 闇の世界

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 リリムの華奢な肉体を破壊しようと、拳を握りしめ振りかぶる。大岩おも一撃で砕けるだろう破壊力を秘めたそれは、リリムの双剣によって軽く受け流され、お返しとばかりにレンの皮膚を切り裂かれてしまう。
 こんなことを数百回は繰り返しただろうか。

「レン様もうやめてください! それ以上は出血で死んでします……っ!」

「――だそうだよ。まあ、諦めたところで、殺されるのが少し早くなるだけなんだけどね」

 リリムの言う通りレンがどうにかしなければ皆殺しになるのは間違いない。
 だから、どれだけ傷つけられようとも、拳を振り上げることをやめるわけにはいかないのだ。

「――ハア……ハア……くっそ……なんで当たらない……!」

「そりゃそうだよ。どれだけ強力な肉体を持っていても、力任せに暴れるだけじゃ称号持ちには通用しない。強者との戦いにおいて必要なのは圧倒的なパワーじゃない。洗練された技術だよ」

 リリムは余裕の笑みを浮かべながら、今のレンに足りないモノが何かを教える。
 そんなことを言われたところで、転生して二週間ほどのレンにはどうすることもできない。中身はただの一般サラリーマンだ。武術の経験なんて当然ない。
 転生直後にアリスを襲っていた賊を倒し、蛇魔じゃまの迷宮で魔物を倒し、しまいには迷宮の主まで倒した。
 レンは自惚れていた。もしかしたら自分はかなり強いんじゃないかと、誰が相手であろうと自分なら勝てるんじゃないかと、そう勘違いをしていた。だがリリムと戦って分かった。 
 今のレンでは本物の異世界の猛者相手には通用しない。アリスを、仲間を守ることができない。

「だからって諦めるわけには――――?」

 再び拳を握り、リリムに挑もうとするが、意図せずにその場に膝を付いてしまう。

 血を失い過ぎたのだ。最初に切られた傷は徐々に塞がってきているが、塞がる前に次々と切り傷が体中に付けられていたので、全身から出血しながら戦っていた。
 その結果、体に血がいきわたらなくなり、遂には動けなくなってしまったのだ。

「……そろそろ限界な様だね。仕方ない。じゃあ今日のところはこれで終わりにしようかな。楽しかったよお兄ちゃん」

「……クソ、動けよ、動いてくれよおおおおお……!!」

「さようなら」

 リリムは双剣を振り上げ、レンに止めを刺そうと振りかぶる。
 だが、いくら待ってもレンに命の終わりが来る事は無かった。。

「――――ゲホッゲホ…………!!?」

「――な、嘘だろ!! アリス!!!? アリスぅぅううう!!!!」

 自分の死を待っていたレンの耳に、クレアの絶叫とアリスが激しく咳き込む音が聞こえる。

 レンは失血で霞む目で何が起こったのか確認しようとアリスの方に視線を向ける。
 するとそこには胴体を剣で貫かれ、大量の血を吐きながら地面に倒れるアリスの姿があった。

「お兄ちゃん、今自分が殺されると思ったでしょ? ふふ、安心していいよ! お兄ちゃんは殺さないことにしたから!」

 アリスを刺した時に付いたのか、自身の頬に付いた返り血を指で拭い、それを舌で舐めながら狂人は楽し気に笑った。



~~~



 理解できない。どうしてレンが生かされて、アリスだけが死ななければならなかったのか。
 なぜ、リリムという怪物がこんなところに居て、レンたちの前に現れたのか。

 いや、ここは異世界だ。どこでどんな化け物が居ようとおかしくはないのだろう。
 そもそもレンがトラップにかからなければ、悪魔大蛇デビルバイパーを早い段階で倒し、リリムに出会うこともなく、二人を連れここから脱出できていた。

 いや、違う。こんな危険な場所に初めから来るべきではなかったのだ。アリスだけなら冒険者になれた。金を稼ぐだけなら、アリスが依頼を受けレンが手伝う。それで良かった。

 違う。冒険者なんてならなくても、レンの身体能力をもってしてなら、いくらでも仕事はあった筈だ。アリスだって治癒魔法が使える。あれは希少な魔法らしいから、医者の様な事をして金を稼ぐ事もできた筈だ。

 違う。レンが強ければ、相手が誰であろうと力でねじ伏せることができれば、アリスをこんな形で死なせる事はなかった。

 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う――――――――――

『そんなことを考えても娘はどうにもならないぞ』

  レンは自問自答を繰り返し、後悔と自責の念の中に囚われる。
 不意に静寂を破るように声がかけられる。

『……誰だ、お前は』

 顔を上げ声のする方に目を向けると、そこには顔の部分が闇で覆われた人物が、無い筈の目でこちらを睥睨しながら立っていた。声に聞き覚えはないが、男の声だ。
 
『俺が誰かなんてそんなことはどうだっていいだろ。どうせ今のお前には俺を認識する事すらできないのだからな』

『……ここはどこだ……俺は死んだのか? まさか……あの世か?』

 ダンジョンの洞窟内ではない。真っ暗だ。黒より黒に見えるこの空間は、レンには闇そのものの様にも見えた。

『お前はまだ死んじゃいない。ここはお前の心の中……精神? いや、魂の方がわかりやすいか? 要するに、生物なら誰でも持っている身体の奥底にある場所だ』

『――意味が分からない。心なのか精神なのか魂なのかどれなんだ』

『細かい事は気にするな。人間の言語ではこの場所を表すのは難しいんだよ』

『……俺の精神の中っていうなら、なんでお前は人の精神の中に居るんだよ』

『こっちにも事情があるのだよ。だが、安心しろ。悪いようにはしない。というか俺からできることは何もないんだがな。今俺がお前に干渉できているのは、お前が自分でこの場所に来たからだ』

『自分でここに来た? 違う。俺は気付いたらここに居たんだ』

 レンは何もしていない。アリスが剣で貫かれ血の池に沈んだ瞬間、レンは生きることも、抗うことも放棄し、その場でうずくまることしかできずにいたのだから。

『お前は女が殺されて、自責の念に駆られ、心の奥底に自らの意識をうずめたのさ。
 ったく、軟弱な野郎だよ』

『…………そうだ。俺が、俺が弱いせいで、アリスを死なせてしまったんだ……』

  責められても何も言い返すことはできない。全てはレンの弱さと愚かな判断によって招いた結果だ。悔やんでも悔やみきれない。
 これじゃ前世で朝比奈が殺された時と一緒ではないか。何が贖罪だ。笑わせるな。何も守れてないじゃないか。

『違う。俺が軟弱だって言ってるのは、お前の精神だ。仲間が殺されたなら、復讐しようとは思わないのか? かたきを討とうとは思わないのか?』 

『……復讐したらアリスは戻るのか?』

 これは答えが欲しくて訊いた訳ではない。答えなど知っている上で訊いたのだ。
 前世で両親が殺されたときも復讐しようなどとは微塵も思わなかった。復讐したところで何も変わらないからだ。死んだ人間が戻ってくる事は無い。復讐など無意味だ。今もその考えは変わらない。

『……確かに死んだ人間は生き返らない。お前の居た世界と同じだ。だが、俺が言ってるのはそういうことじゃない。復讐でも何でもいい。お前に戦う意思はまだあるのかって訊いてるんだ』

『アリスが死んだ今、俺に何をしろって言うんだ!? 戦う意思!? そんなものあるわけないだろ!! 俺は何をやってもダメなんだ!! 結局、同じ過ちを繰り返した!! 何の意味も無い!!』

 戦う意思を問われ、レンは激高する。これ以上戦って何になるというのか。人間じゃ化け物には勝てない。それは今レン自身が一番身に染みて分かっていること。分からされたことだ。

『お前が戦わないなら、金髪の女も死ぬぞ』

『――無理だ。俺には誰も守れない。また、目の前で殺される。昔からそうなんだ。俺じゃ大切な人を守れない』

『……やれやれ、そんなんじゃこの先が思いやられるぜ――ちっ……もう時間がないな。
 おい、小僧、よく聞け』

 顔の見えない男がレンの胸倉を掴み、存在しない目で睨みつける。

『お前の心が折れようが砕けようが、お前はこの先戦うことをやめるな。絶対にだ。誰のためでもない自分のために戦い続けろ』

『なに勝手なこと言って――』

『お前が戦い続ける限り、運命はお前を最果てへ導き続ける。お前はそこに辿り着かなきゃならないんだ。何が犠牲になったとしてもな。そのためにお前は今ここに居る』

 男の言っていることがレンには理解できずにただただ困惑する。
 
『そして、今回のこの敗北を忘れるな。お前がこの先誰かに負けることは、この”龍神”がゆるさん』

 龍神を名乗る男はそれだけ言うと、レンを暗闇に突き飛ばした。
 同時に世界がひび割れ音を立てながら崩壊し始める。

『ハッ……どうやら、まだ望みはあった様だな』

 男がなにかに気付くとレンに背を向け、崩壊する世界を歩みだす。

『できればやりたくなかったが、仕方ない。今回だけはお前らを救ってやるよ』

 男が何かを言い残すと同時に、闇の世界は完全に崩壊した。
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