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間章1

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 間章1

       1

 三人は、ぽっかりと宙に浮く黒色の階段を延々と上っていた。幅は狭く、皆で並ぶと間の通行が難しくなるほどである。進行方向、斜め上を見ても終わりは見えず、階段はどこまでも続くかのように思われた。
 周囲は一面、おどろおどろしい黒色や紫色のグラデーションで満ちており、何かが蠢くかのようにぐにゃぐにゃと、ひっきりなしに色が移り変わっていた。頭上には血のような赤の星々が見られ、時折、雷のような光がはるか遠くで轟音を鳴らしている。地獄もかくやといった風景に、三人の切迫感は否応なしに高まっていた。
「気ぃ引き締めろよ、おめぇら。俺らがやらなきゃ掛け値なしに世界が終わる。責任重大ってやつだ。『ヘマやって負けちまいました』じゃあ、済ますこたぁできねえぜ」
 三人の中央に位置する柔道着姿の男が、刺すような笑みとともに不穏な調子で呼びかけた。
 男の名はアギト=ダンクレー。真っ黒な短髪は自然な感じで立っており、顔付きは掘りの深いものである。
 やや細い目と顎にだけ短く生やした髭は粗野な印象だが、整った顔立ちの男前であった。長身で堅牢な体躯は、筋肉ではちきれんばかりである。
「ええ、そうね。この世界に初めて来たときは、まさかこんなことになるとは思わなかった。あの通告を聞いたときは、正直目の前が真っ暗になった思いだった」
 右端を歩くルカ=ヴァランは、言葉を切って自らの身体に目を遣った。胸部のみを完全に覆った布製の胸当てと、青のコルダォン(腰から膝下まで垂らした帯)の付いた白の長ズボン。破れてこそいないものカポエイラの衣服はこれまでの戦いでぼろぼろで、ところどころに血が付いていた。
「おうおう、なんだその意味深な視線は。『あらやだ、高貴なる私の美貌が傷で台無しだわ』ってか。確かにあんたは美人だが、いけねえよなぁ。時と場合は選んでもらわねえと。カポエイラ界のホープも、所詮は一人のうら若き乙女だっつぅてわけだ」
 破顔したアギトは、ルカの身体に視線を向けてきた。だがその眼差しに嫌らしさはなく、試しに言ってみた、といったような口振りだった。
「ちょっとアギトさん。年頃の女性に失礼ですよ。いくら恐怖心を紛らわしたいからって、何を言ってもいいってわけじゃあないでしょ。言葉の乱れは心の乱れ。ですよね、ルカさん」
 気安い言葉の後に、左端を行く者がひょこっと顔を前に出した。ルカに向ける視線は柔和なもので、穏やかな笑みを浮かべていた。
 青年、いや外見的には少年という表現がふさわしい者の名は、ハクヤ=ゼロルド。テコンドーの使い手であり、白色の道着に黒い帯といった出で立ちだった。
 頭頂部がアギトの肩の高さと、身長は少し低めである。だが身体付きにはか弱い感じはなく、立ち居振る舞いはしなやかで力に満ちていた。
 丸めの顔は眉がやや太く、ぱっちりとした目と相俟って温和で優しげで涼しげな雰囲気である。
「ああん? 俺がびびってるだぁ? ずいぶん面白い冗談だよなぁ。だいたいてめえははなっから気に入らなかったんだ。テコンドーの正装だか何だか知らんが、服、被せてきてんじゃねえよ」
 野暮ったい語調のアギトは、自分の左腕をちょんちょんとつつきつつハクヤを見据えた。確かに二人の服装は、誰が見ても似通っている。
(まったくこの二人は。この期に及んで言い争いだなんて)ルカは呆れを抱きつつ、肩にかかろうかという長さの亜麻色の髪をふわっと後ろにやった。すうっと息を吸い込んで、精神を整える。
「さあて、そろそろ切り替えましょうか。私は、私たちは勝つ。勝って未来を作る。ただそれだけ」
 自信を込めた言葉が暗黒の世界に響いた。すると数秒後、五歩ほど先に何かが出現し始めた。三人がぴたりと立ち止まると、やがて黒一色の扉が姿を現した。幅は階段の倍ほどで、高さはアギトの三倍近くあった。
 アギトが右の掌で触れると、扉は音もなく開いた。ルカは二人とともに扉をくぐり、内部の空間に目を遣った。
 中は円形の部屋だった。直径は、歩幅にして三十歩程か。天井はなく、頭上では数多の星々が邪悪な輝きを見せている。
 壁は天井同様、石が敷き詰められており、等間隔に松明の炎が燃えていた。だが周囲をほんのり照らすだけで、そこはかとなく暗い雰囲気だった。
 ルカが様子を確認し終えるや否や、部屋の中心から黒みがかった透明の光が差し込んできた。しばらくして、人の形をした何かが光と同じルートで降りてくる。
「……そう来たかよ。三対一仕様の特注品ってか」あざける風な調子でアギトが呟いた。絶句するルカは、「それ」を注視する。
「それ」は、一般的な女性の身長を有するルカと同程度の背丈だった。胸から膝は、黒色の革の鎧で覆われている。ただ異常なのは、肩から伸びる顔と両手だった。
 鎧と同色の兜を被る顔は三面。どれもがいかめしい骸骨のもので、目の部分には不気味な赤色の光が宿っている。
 毒々しい紫色の腕は六本。その全てがルカの脚ほどの太さで、剣、槍、斧、片手弓、ブーメランと、それぞれが異なる装備をしていた。腕の一本は徒手で、怪しげに開閉を繰り返している。
「当然わかってるだろうけど、こいつはただの手下の『魔臣まじん』よ! 見てくれは異様でも、こんな前座の糞野郎に手間暇かけてなんかいられない! 即行で終わらせる!」
 ぴしりと叫んだルカは、すぐさまジンガ(カポエイラの基本ステップ)で接近を開始した。他の二人も、おのおの構えを取った。

       2

 三つ顔の魔臣は、腕の一つに持つ欧風の剣を振り下ろした。ブウンと風を切る音がして、鋭い斬撃がルカに迫る。一メートル弱とリーチは長く、後ろに飛んでは避けきれない。
 即断したルカは左に側転。身を起こすと向きを変え、左足を後ろにやった。素早く身体を倒し、ぐっとベンサォン(押し出すキック)を見舞う。
 するとルカの蹴りを、紅蓮の炎が追随した。反応できない魔臣の腹に、炎のキックが命中する。魔臣はぐらりと姿勢を崩すも、返す刀で槍を突き込んできた。ルカはすかさずバク転で距離を取る。
 ルカの念武術サイコアーツ、「紅蓮演舞ブレイズダンス」は、カポエイラの蹴撃に炎の属性を付加する能力である。大技であるほど炎は大きく、近接攻撃時ほどの威力はないが飛び道具としても用いることができた。
「ほー、今のを食らってあの程度のダメージかよ。先が思いやられるぜぇ。手下でこれじゃあ親玉殿はどんな怪物なんだっつの」
 なぜかのんきにアギトが感嘆を零した。
(敵に関心してる場合?)ルカは呆れつつ、再び攻撃に移るべくジンガを再開する。
 だがその瞬間、魔臣が唯一何も持たない手を大きく頭上に掲げた。ぐるぐるとゆっくり二回転させると、両目の赤色がギラリと光を増した。
 すぐに口から、不気味で毒々しい低音の唸りが発せられ始める。お経のようではあるが、ルカ達には理解のできない禍々しい言語だった。
「いけない! あれを止めなきゃ!」切羽詰まったハクヤの叫びの直後、頭上の血赤色の星の一つが、魔臣の瞳に呼応するかのように輝いた。
 疾風のごとく駆け抜けたハクヤが、魔臣の一歩手前でダンッと踏み込んだ。鉛直上向きに逆足を上げてきて、水平一直線に脚を伸ばす。
 ヨプチャチルギ(横蹴り)が魔臣の頭に飛ぶと、わずかに遅れて黒い影も同じ軌道を描いた。魔臣の頭から、ゴガッと鈍い音が二度する。
 ハクヤの念武術サイコアーツは「幻影追随ドッペルストライク」。テコンドーの技による攻撃時、実体の蹴りに一瞬遅れて幻の脚が従いていく力であり、大概の場面で攻撃を二回当てられる効果があった。
 とてつもない急加速の後、魔臣の後頭部が地面と激突した。追撃すべく接近するルカは、地に伏す魔臣の邪悪で愉快げな笑みを目にした。
 やがて遠くから、大きな物体が空を切る音がし始めた。ルカが視線を遣ると、先ほど鈍く光った星が徐々に大きさを増していっていた。
「こいつ!」焦燥に駆られるルカは、前方に大きく跳躍。左掌を地面について、斜め回転で宙返りする。渾身のアウーシバータ(前方宙返り踵落とし)だった。
 しかし魔臣に命中する寸前、ルカの視界は白一色に塗りつぶされた。
 わずかに遅れて、耳をつんざくような爆音。ルカは凄まじい勢いで吹き飛ばされた。ノーバウンドで円形の部屋の壁に激突する。
「がはっ!」一瞬ルカは呼吸が止まり、受け身も取れずに地面に落下した。全身を鈍い激痛が支配しており、頭にも脈動するかのような違和感が生じていた。
(立たなきゃ。立ってあいつを……)
 無理矢理に己を奮い立たせつつ、ルカはどうにか顔を上げた。ハクヤはルカと同様、壁の近くで倒れ伏している。だがルカの視界の端で、一人の男が魔臣と相対していた。
 アギトだった。敵意と決意に満ちた表情で、魔臣を鋭く睨んでいる。
 大ダメージゆえか若干頼りない動きだが、ゆらゆらとした柔道の構えとともに魔臣を牽制していた。
 威嚇するような視線をアギトに向けたかと思うと、魔臣はおもむろにブーメランを振りかぶった。と同時に、別の腕で持つ片手弓を引く。
 二つの飛び道具がアギトへと飛来する。しかしアギトは、サイドステップで躱すと一気に魔臣に肉薄した。両手で魔臣の胴を掴むと、斜め上へと持ち上げる。
 魔臣の身体は半円の軌道を描き、恐るべき速度で地面にぶつかった。明らかに通常の裏投げが出せる威力ではない。
 アギトの念武術サイコアーツは「無双引力メテオグラヴィティ」。身体の中心から半径一メートルの空間の重力を、五〇から一五〇パーセントまで変化させられる能力である。
 魔臣は、頭から落ちて仰向けで横たわった。
 すかさずアギトは魔臣に近づき、巧みにポジションを取った。二の腕を首へと持って行き、逆の手とは握手する形で固定。自らのほうへ魔臣を引いて、全力で首を締め付ける。起死回生の裸締めだった。
 六本の腕で魔臣が暴れる。斧や槍がアギトの顔を掠めるが、アギトはひるまない。
 五秒、十秒。やがて魔臣の動きが弱まり、完全に意識が落ちた。
 敵の気絶を見届けたアギトは、技を解いて立ち上がった。面持ちは苦しげだが、やりきったかのようなすがすがしい雰囲気を漂わせていた。
「アギト様、完・全・勝・利。悪辣なる化け物を完膚なきまで叩きのめしたってやつだ。皆の衆、好きなだけ讃えてもらって構わんぜ」
 尊大な調子の勝利宣言とともに、アギトはサムズアップした。
 ルカは痛みをこらえてどうにか起き上がった。やがてハクヤも、苦しそうではあるが起立した。
「ほんと助かりました。でもどうやって、さっきの攻撃を凌いだんですか?」ハクヤは興味深げにアギトに問うた。
「おめえらしからぬ質問だな。まあいい、教えてやんよ。答えは簡単。無双引力メテオグラヴィティで、奴の放った流星の重力を半分にしたってわけだ。W=mgh、エネルギーは質量と高さだけでなく、重力に比例する。そいつが弱けりゃあ威力もがた落ち。っとまあこんな調子よ」
 自慢げなアギトに、ハクヤは瞳を輝かす。
「おお、賢い! そんな利用法もあるんですね。いやー、さすがはアギトさん。冴えてる冴えてる」
「……IQ180の天才格闘家に言われても素直に喜べねえな。ってかおめえ、わかってやってんだろ?」
 興奮を見せながらどこか軽薄なハクヤに、アギトは言葉を濁した。面持ちは不審げなような、苦々しいものだった。
 茶番に辟易のルカは、パンパンと両手を叩いて気を引いた。
「アギトさんはお手柄でした。心の底から感謝してます。ハクヤも、あの追撃は追撃は効果的だった。でもしょーもない言い争いはそこまで。次が『本番』よ」
 ルカはびしりと場を閉めると、二人の表情は真剣さの中に沈鬱を混ぜたようなものになった。
 進行方向に視線を向けたルカだったが、数秒の後、視界から部屋の壁が消失した。最終決戦の地へと三人は誘われたのだった。
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