継ぎはぎ模様のアーヤ

霜月 幽

文字の大きさ
上 下
61 / 81
第三章 王都

12 ビーにゃはへたれ?

しおりを挟む
 《ビーにゃはへたれ?》

「…………」

 腕の中ですやすやと気持ちよさそうに寝息を立てる三毛猫のアーヤを、ビートは言葉もなく見下ろした。
 訊きたいこと、言いたいことがたくさんあったのに、見事に寝落ちされるという展開に、がっくりと肩を下げる。

 片手に納まるくらいに小さかったアーヤは、しっかりとした重みとともに鮮やかな存在感で腕の中にあった。
 もう小さい子供とは言えない。ふわりとした柔らかい二色の髪は肩ほどの長さに整えられている。その中から三角のネコ耳が飛び出していた。
 黒と白と赤茶の三毛だったが、赤茶の茶色が抜けて綺麗な朱色になっている。白地の毛皮に黒と朱色が映えてとても綺麗だった。
 大きなエメラルドグリーンの目を閉じている黒いまつ毛は長く、幼い膨らみが取れた輪郭は美しい曲線を描く。控えめな鼻も小さな口も、全てとても愛らしく美しかった。
 アーヤは美しい少年へと成長して、ビートの腕の中に帰って来た。



 保護の対象で可愛いと思っていた感情が、トラセンタ屋敷で成長したアーヤを目にした瞬間、恋情であったのだと悟った。己の気持ちを自覚したとたん、アーヤが眩しくてこれまでのように気軽に触れなくなった。そのくせ、自分だけのものにしたいという激しい独占欲にも駆られる。自分で自分の感情を持て余し、対処できずに困惑した。
 その一方で、愛するアーヤを自分の欲で拘束してはいけないとも思う。アーヤにはいつも幸せに笑っていて欲しかった。

 だから。

 母王妃たちへの挨拶の時に、アーヤが自分の傍にありたいとはっきり答えてくれた時、震えそうなほど嬉しかった。アーヤも自分と同じように、一緒にいたいと思ってくれていたのかと、幸せでいっぱいになった。まるで、生涯の誓いのように聞こえてしまった。

 それをもう一度、アーヤの口から確かめたいと思っていたのに。

 ビートは恨めし気にアーヤの寝顔を眺めると、ため息をついてアーヤを抱き上げたまま立ち上がった。少なくとも、安心して眠れるほどには信頼してくれているということだ。男としてこの信頼に応えなくてはならないだろう。




 翌日、ぐっすりと眠っていたアーヤがビートの腕の中でゆっくりと瞼を上げた。窓のカーテンから漏れ零れる朝日に翠色の大きな瞳がきらきらと輝く。嬉しそうに微笑むアーヤを眺めたビートは、今こそ想いを告げる時だと口を開きかけた。
 だが、それより早く、アーヤのお腹がぐううと盛大な音を立てた。耳をへにゃりと垂らしてアーヤが訴える。

「お腹すいた……」

 そう言えば、昨夜、アーヤはまともに夕食も食べずに眠ってしまった。余程疲れていたのだろう。せっつくようにまたアーヤのお腹の虫がぐううきゅるると鳴く。アーヤらしいと言えばアーヤらしい。

「よし。朝飯を食べに行こう」

 ビートは笑いながら起き上がった。



 朝食用の部屋は朝日が入る東がわにある。各自ばらばらに取ることも多いため、夕食用の部屋よりずっと小ぶりで装飾も少ない簡素な設えだ。そこへ向かう道中、すれ違う人々の視線がアーヤに向けられるのを、ビートは意識していた。
 以前は可愛いと幼子を愛でる微笑ましい視線であったが、今はその中に色めいた熱い関心が混じっている。ビートはそれらの視線からアーヤを隠すように身を寄せ、アーヤと繋いだ手に力を込めた。
 アーヤはそんなビートの気持ちも知らず、四年間いた間に顔見知りになった騎士や文官に出会う度に、特上の笑顔で「おはようございます!」と挨拶している。彼らからにっこりと挨拶を返されて、嬉しそうにえへへと笑うアーヤを抱え込んで走り出したい衝動を、ビートは必死に堪えていた。

「殿下は、また一段と凶悪な顔つきになられましたね。アーヤちゃんはあんなに可愛いのに」
「殿下はますます怖くなっていますね。余程たいへんなお仕事だったのでしょうなあ」
「それにしても、アーヤちゃんは大きくなりましたなあ」
「獣人の成長って、著しいですね。お綺麗になって。細身ながらしなやかで、愛らしさが倍増してますねえ」
「あれでは、凶悪な魔物に捕まった麗人の図にしか見えませんねえ」

 通り過ぎた廊下では、そんな会話があちらこちらでぼそぼそと囁かれていたことをビートは知らない。



 朝食の部屋の大きな窓はテラスに向かって開かれ、レースのカーテンを揺らめかせて、瑞々しい新緑の風が穏やかに流れてくる。優しい春の淡い色合いの花々が朝日の中に煌めいていた。

「陛下、おはようございます。王妃様、おはようございます。皆様、おはようございます」

 アーヤが礼儀正しい仕草で挨拶を述べた。

「お帰り、アーヤ。もう、家族同様なのだから、そんなに堅苦しくしなくていいのだよ。いつものように、気楽に甘えておくれ」

 父王が穏やかに目を細めて、アーヤを愛しそうに眺めた。
 従者がアーヤに席に着くよう、椅子を勧める。二年前の幼児用の腰高椅子ではなく、それでもアーヤの背丈に合わせた椅子が用意されていた。

 優しく声を掛けてくれる王妃や王太子妃たちに応えながら、アーヤは嬉しげに耳と鼻をピクピクさせて椅子に座ってテーブルを見つめる。
 その隣の椅子にビートも座った。
 もうアーヤはビートの膝に座らなくても、一人で食事ができた。フォークやナイフも上手に使い、所作も美しい。スープも零すことなく上手に飲める。テーブルに並べられた食事の数々に目をきらきらさせて全神経を向けて、一生懸命食べているアーヤを、ビートは少し寂しい気持ちで眺めていた。

 先に食事を済ませた陛下たちが席を立った。アーヤはまだせっせと食事中だ。その隣で食後のお茶を飲んでいたビートに、父王がすっと歩み寄った。

「アーヤは綺麗になったな。しっかり捕まえておかないと、他に攫われるぞ」
「なっ!」

 振り返ったビートに、にまにま笑顔を向けて父王はさっさと出て行った。すると、母王妃が扇で口元を隠して呆れたように告げて行く。

「その様子では、申し込みどころか告白もまだのようね」

 口をぱくぱくさせているビートを尻目に王妃もドレスの裾を捌いて去って行く。その背後にぬっとアルフレッド王太子が忍び寄った。

「お前のその顔は見掛け倒しか」

 やれやれと頭を振りながら出て行く兄の後姿を唖然と見ていると、コーデリアが蔑みの口調で、

「へたれ……」

 と、一言投げかけて行く。ジョアンナが困ったように会釈してその後を追った。

 ――なんなんだ! 何だってんだ! あいつら!

 ビートは羞恥に身震いして、叫びだしそうだった。給仕をするためにその場に控えていた従者たちは、第二王子の凶暴なしかめっ面に「この世の終わりか?」と、震え上がった。

 何も知らないアーヤは、デザートのフルーツが乗ったケーキを手に取り二つに割ると、ビートに差し出す。

「ビーにゃ。これ、とってもおいしいの。ビーにゃ、半分こ」

 途端に甘く崩れる第二王子の顔に、精神崩壊を起こした給仕係りたちがばたばたと倒れる事態が生じた。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜

楠ノ木雫
恋愛
 病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。  病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。  元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!  でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について

はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。 第12回BL大賞奨励賞、読んでくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!

処理中です...