継ぎはぎ模様のアーヤ

霜月 幽

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第二章 境界の砦

32 戻ってきた日常

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 《戻ってきた日常》

 朝食を取りに食堂に入ると、既に食べ始めている騎士や職員たちが並ぶ横をアーヤはてこてこと小走りに駆けて行った。
 原則どこに座ってもいいのだが、何となく習慣で、ビートはいつも食堂の一番奥にあるテーブルで食事をしている。二列に並んだ長いテーブルにコの字のように置かれた正面テーブルのところだ。
 そこに二席椅子が置かれてあるが、一つの椅子の横に階段付きのお子様椅子があった。

 アーヤはその椅子によじよじとよじ登って座面に落ち着く。すると、アーヤにちょうど良い高さにテーブルの面がくる。
 嬉しそうに座ってテーブルをぱしぱし叩いているアーヤを見下ろしながら、

「いつの間に……」

 と、ビートは渋面で呟いた。これではアーヤを膝抱っこで食べさせる必要がなくなってしまった。

「マックしゃが作ってくれたにょ。アーヤ専用なにょ!」

 満面の笑顔で申告するのを聞きながら、ビートは斜め横のテーブルに座って食事をしていたマックを睨んだ。睨まれたマックはヒックとパンを喉に詰まらせ、水で流し込むやそそくさと食事を済ませて席を立って行った。


 テーブルに置かれたパン篭からアーヤの皿にパンを乗せたり、ベーコンを取り分けてやったり、「これも美味いぞ」とフォークで刺したソーセージを口元に持って行ったりと、ビートはアーヤの世話を焼く。

 そろそろ周囲も見慣れてきた光景が戻って来ていた。周囲の人々は何も言わず、さりげなく視線を外す。厨房の係りもアーヤの分を当然のようにビートの手元に置いて行く。
 アメリアがその様子を見ながらぐふぐふと音を漏らす口元を押さえて、一人楽しそうだった。




 整ってはいるが強面のいい歳の男が幼いネコ耳の子供に手ずから飯を食わせるという視覚の暴力から食堂の面々を解放させて、ビートはアーヤを診療室に連れて行った。

 アーヤがイヌ耳の子供を心配したからだ。
 イヌ耳の子は長くひどい扱いを受けてきたものか全身の衰弱と栄養失調で診療室にいた。


 ビートはイヌ耳の子と笑顔で会話するアーヤを眺めながら、イヌ耳の子の今後の処し方を思う。
 オオカミ耳族の頭であるカシムと銀色キツネのキシールがどんなに頑張っても、毛色に対する偏見が無くなっていくにはかなりの時間、年数が十年単位で掛かるだろう。
 このイヌ耳の子が健康になっても西アゴートの街に放りだせば、また逆戻りになってしまうのだろう。それはアーヤや王都の病院にいるウサ耳のパムにも同じだった。

 まだ話し足りなさそうなアーヤは治療室主任のアメリアに追い出された。イヌ耳の子を疲れさせてはいけない。
 ちょっとしょんぼりと耳と尻尾をへたらせたアーヤを、通行管理事務所へと連れて行く。事務員もそこに順番を待っていた商人たちも、アーヤの姿を見てわっと歓喜の声を上げた。
 みんなの笑顔に迎えられ、アーヤも嬉しくてぴょんぴょん跳ねて、全身で喜びを表現する。

「さあさあ、待っていたのよ! アーヤちゃん!」

 事務のお姉さんに手を引っ張られて、窓口の小さな机の前に座るアーヤの姿を見届けて、ビートは廊下をハドリー司令官の執務室へと向かった。





「ふむ、そうか」

 ハドリー大佐は長身の若者を椅子から見上げた。目の前の執務机には未だ山ほどの書類が乱雑に積まれている。
 あれほど処理したはずなのに、この状況はどうしたわけなのか? と、ビートは内心首を傾げた。捌いても捌いても、変わらぬように見える大佐の机の上は七不思議現象の一つに違いない。

「カシムたちが始める国造りを後押ししてやる必要があります。そのためには王都に戻らねばならない」
「第二王子に戻るのだね。陛下もお喜びになることだろう」

 ハドリー大佐の言葉に、ビートは盛大に顔を顰めた(本人はそのつもり)。ハドリーには悪人面がいっそう凶暴になったように見えるだけだ。

 ――ほんと、王子様には見えないよなあ。そこらの軍人崩れよりよっぽど質の悪い奴に見える面だ。造作が整っているだけに、凶悪さが半端ねえ。

 内心の呟きを押し込めて、ハドリーはにこやかに言葉を続けてきた。

「新しい副官を寄越せと督促せねばならんな。それまでは、せめて少しでも片付けていってくれ。そっちの執務室に運ばせておくよ」

 退去に伴う引継ぎや残務整理で忙しくなることを見据えて、ハドリーに先手を打たれたビートだった。



 ***


 晩飯を終えて部屋に戻る頃には、アーヤはすっかり眠くなっていた。今日も元気一杯管理事務所のお手伝いをしたのだろう。入浴するのが精一杯で、湯船で眠って溺れてしまわないように、ビートがアーヤを抱えて入れるのはもう当然の行動だった。
 湯船が砦の騎士向けに深くできているうえに、湯で温まって気持ち良くなったアーヤはもうこっくりこっくりと舟を漕ぎ始めている。

「眠るなら、ベッドに移ってからにしろ」
「むにゅー」

 ビートの気分は乳母か保育所の保母さんだ。

 うつらうつらしているアーヤにパジャマ代わりのシャツを後ろ前に着せて、前合わせの隙間から尻尾を出す。柔らかい綿のビートのシャツの裾がまくれて獣人用の白いパンツのお尻が覗いた。裾を直して、濡れた頭をタオルでごしごし拭ってやる。

「よし、いいぞ」

 へにょっとした耳の頭をぽんと撫でるように叩いてやると、アーヤはぱたぱたと裸足で駆けて行った。
 隅に作ってある自分の巣に行くのだろうと目で追っていると、アーヤは大きなベッドの上によじ登るとシーツと毛布の間に潜り込むようにして丸くなった。

 思いがけないアーヤの行動にビートが目を丸くしている間に、アーヤはビートの枕を抱え込む。すんすんと匂いを嗅いで、不満そうに「うにゃあ」と鳴いた。

「匂い、無い……」

 悲しそうな呟き声が聞こえてくる。

 ――匂い? 俺の匂いか?

 枕は留守の間にきれいに洗われているだろう。自分の匂いのする枕を抱いて寝ていたのか? そう考えると、ビートは胸がざわざわとくすぐったい思いでいっぱいになった。

 ――それって、嬉しすぎるだろ?

 トゲトゲネズミのように全身の毛を逆立てて警戒していたアーヤが、やっと自分を受け入れてくれたらしい。


 だらしなく相好を崩して、ビートはベッドのアーヤの隣に滑り込んだ。
 すんすんと鼻を鳴らしたアーヤは躊躇いなくビートにくっついてきた。それをそっと胸に抱え込むように身を添わせる。

「ビーにゃあ」

 ふにゃあと顔を蕩けさせて、アーヤが安心したように笑った。アーヤの高い体温で、ビートもぬくぬくと身体も心も温もっていく。

 アーヤの世話はもう他の誰にも任せたくないと思いつつ、ビートはとろりと眠りに入りかけたアーヤの耳に告げた。

「俺は王都に帰る。お前も一緒に行こう。パムも待っているぞ」
「ぱみゅう……、むにゃ」

 分かっているのかいないのか、アーヤはむにゃむにゃと何か呟きながら寝入ってしまった。
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