継ぎはぎ模様のアーヤ

霜月 幽

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第一章 教会

2 初めてのお風呂

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 《初めてのお風呂》

 アーヤが拾われた所はカソタ村の教会で、慈愛の神ルキュスを奉っている。ルキュス神は黄金の髪と目を持つ美しい人間で逞しい黄金の毛の獣の足と、背には黄金の鳥の羽を持つ。三種族の祖であり世界を作ったとされ、あまねく世界中で信仰されていた。

 パムたちが暮らす木造の教会は本館のL字型平屋建ての他に、後から建てられた西の小さな二階建ての棟がある。南の正面玄関からは礼拝堂へと続くささやかなホールがあり、礼拝堂の屋根には時刻や緊急を告げる小さな鐘楼もある。
 礼拝堂の奥に神父室があり、その先に食堂と厨房。続く北の棟と西の離れの棟が小さい教会の全てだった。

  そこは孤児院も兼ね、北と西の棟に子供部屋が割り当てられている。子供たちは生まれて間もない子から七歳ぐらいまでが暮らしている。六、七歳になるとどこかに働き口を探して外に出る。教会はそれほどに大きくないし、ベッドの数は限られているからだ。それでも身寄りのない子供たちが次々と預けられた。


 教会は老齢の神父ガルシャと若い見習い神父のマニの二人で経営している。ガルシャは焦げ茶のタヌキ耳の神父で、この村の者だ。地方の神殿で修行して、神父として村へ戻り、それからずっと教会を守ってきた。

 最近、ガルシャの加齢で腰の痛みが強くなり、子供の世話や細々とした雑用は、五年前に来た見習いのマニ一人の手にほぼ全て掛かるようになっていた。
 だからマニはとても忙しく、年長の子たちが小さい子の世話をしたり、雑事のお手伝いをしている。今、ここには十二人の子供たちがいた。その中でも、アーヤはとびっきりの小さい子供だった。


 
 アーヤが一人でお風呂に入るにはまだ無理なので、見習い神父のマニが入れることになった。

「アーヤ。お風呂に入ろう」
「おぶろ? おふろ、なあに?」

 お風呂も知らないアーヤに、マニの涙腺が綻びる。これまで、どんな暮らしをしてきたのだろう?

「身体をきれいに洗うんだよ」
「舐《にゃ》める、きれい、なりゅ。 かあしゃ、舐《にゃ》め、りゅ」

 アーヤはお母さんを思い出して、耳がへにょっと倒れ目がうるうるとしてきた。アーヤの大きな緑の目がじんわりと潤んできたのを見て、マニはアーヤを抱き上げる。

「僕がアーヤを入れてあげるからね」

 西棟にある風呂場の脱衣所でアーヤのスモックとパンツを脱がしてあげた。
 まだ幼いアーヤは背中やお腹からずっと足まで毛皮に覆われている。小さい身体から体温が奪われないように保護されているのだ。黒と赤茶の二色に染め分かれた髪は肩ほどの長さだった。

 マニも服を脱ぐと、アーヤが目を見張った。

「マニしゃ、毛にゃい?」

 マニのすべすべの茶色っぽい肌色のお腹に、アーヤがペタペタと手を伸ばした。マニは尻尾と耳こそ茶色の毛皮だったが、他は人間の男の体とほとんど変わらない。

「成長するに従ってだんだんと毛皮の部分が減ってきて、大人になると耳と尻尾とかだけになるんだよ」
「アーヤ、も? アーヤ、にゃりゅ?」
「そうだよ。獣人はみんなそうなんだよ。代わりに、獣の姿に変身できるようになる。そうすると、ずっと強い能力が発揮できるんだ。ただ、変身するには力が必要だから大人にならないとできるようにならないんだよ」

 ――ふーん、不思議。人間のようになるのに、獣の姿に戻るの?

 しきりにこてんこてんと首を傾げるアーヤを抱っこして、マニは風呂場の戸を開けた。

「びゃ!」

 アーヤが浴槽を見てびくんと身体を強張らせた。初めて見て驚いたのだろうと、マニは宥めるように背中をとんとんと叩きながら、木製の小さな椅子に座らせる。

 抱いた腕から離れようとしない手を引きはがして、浴槽から桶で汲んだ湯をざぶりとアーヤの肩から掛けた。

「ギャー!!!!!!!」

 物凄い悲鳴が風呂場に響き渡った。


 食事の後片付けや寝る準備をしていた子供たちは、時ならぬ悲鳴にびっくりした。

「なに? なに?」
「誰か殺されてるの?」
「怖いよー!」

 小さい子は泣きだした。大きい子たちが声のしたと思われる風呂場の方へ駆けて行く。風呂場の戸を開けた彼らは、唖然と立ち止まった。


 裸のマニが風呂場の洗い場に膝をついてアーヤを落とさないように押さえている。
 アーヤはぎゃあぎゃあ泣き叫び、足でマニの顔を全力で蹴飛ばしていた。全身の毛も長い尻尾も目いっぱい逆立っている。
 アーヤは自分の体勢も考えずにそっくり返って、ひたすら逃げようと暴れていた。これで、マニが手を離したら、洗い場の固い床に落ちて大怪我をするだろう。

「や! や! はーなーちーてー!」
「危ない! 落ち着いて! アーヤ!」

「どうしたの? マニ神父?」
「なにやってるの?」

 驚いて訊く年長の子に、困った顔のマニが答えた。

「お風呂を嫌がって。お湯を掛けたら、この騒ぎなんだよ」
「や! 水、や! こわい! や!」

 暴れるアーヤを年長の子供たちが後ろから押さえ、マニはアーヤを懐にしっかりと抱き直した。

「怖くないよ。お風呂は気持ちいいんだよ?」
「や! ぬれる、や! 良く、にゃい! や!」
「大丈夫。お湯は温かいから。ね、僕と一緒に入れば、怖くないよ」

「マニ兄さんと一緒なら大丈夫でしょ? アーヤ、入ってごらん」
「身体がきれいになるよ。汚れてたら、だれも遊んでくれないよ」
「小さいパムだって、お風呂大好きなんだよ。パムに笑われるよ」

 子供たちも口々に宥めに掛かる。アーヤが涙でぐしゃぐしゃになった顔を向けた。

「パム、入りゅ?」
「パムも入るよ。だから、大丈夫だよ。入ってごらん」

 アーヤが暴れるのを止めた。それで、マニはアーヤを抱っこしたまま、そろりと浴槽に足を入れる。
  それを見て、またアーヤが「びぎゃああ!」と泣き出した。

「怖くないよ」
「大丈夫、大丈夫」
「アーヤ、えらいね。お利口、お利口」

 みんなが口々に声をかけて宥めた。アーヤがいくら暴れても、マニが力強い腕で拘束しているので身動きもできない。
 ふにふにと泣きべそをかきながら、とうとうアーヤはマニと一緒にお湯にとぷんと浸かった。

「うぎゃあ! うぎゃ、ぎゃ……、にゃ? にゃあ?」

 悲鳴を上げていたアーヤが次第に声を落として静かになった。じんわりと湯の温かさが身に馴染んできたのだろう。やがて、ほっこりと笑う。
 それを見て、ほっとした年長組の子供たちはお手伝いの続きを再開すべく風呂場を出て行った。


「マニしゃ、お風呂、ぬくぬく、ふわーっ、ね? それで、それで、ぽかぽか、しゅゆ、ね?」

 楽しそうにお湯の表面を手で何度も叩く仕草をするアーヤに、マニはくすくす笑って密かに悶えていた。


 お風呂から上がってタオルでごしごしと拭いてもらうと、アーヤの毛皮はふわふわと軽くなった。

 それが嬉しくて、たったっと風呂場から駆け出して行くアーヤを、腰にタオルを巻いただけのマニが洗いざらしのパンツを手に追いかけていくのが日常的な光景になった。
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