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第四章(最終編)悠久の時を越えて

6 女官たちの噂

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 《ある一女官視点》

「あら、それはネルバ女王様のお食事ですの?」

 奥宮へと続く渡り回廊をワゴンを押して行く奥女官の姿を目にして、思わず声をかけてしまった。

「ええ」

 奥女官は言葉少なく肯定した。

「まあ、お珍しい。これまでは表宮でお召し上がりでしたのに」

 そういえば、お昼食も奥宮で取られたと小耳に挟んだと思い出す。ワゴンに乗せられたお食事に、あら? と首を傾げた。

「たいそうな量ですわね。女王様はそんなにお召し上がりなさっていたかしら? まるで二、三人分はありそうですわね」

 だが、奥女官は曖昧に微笑んで、何も言わずに渡り回廊を行ってしまった。

 今日は、誰か奥宮にお客人でも招いているのかしら? と首を振り振り踝を返すと、横から手が出て通路の柱の陰へ引き込まれた。


「きゃ」

 声を上げかけて相手を見れば、同僚の女官である。彼女は怖い顔をして口元に人差し指を立てた。

「あなたはここに勤め始めてまだ短いから心得が浅いのでしょうが、長く務めたかったら、奥のことを滅多に詮索してはだめよ」
「詮索って……」
「あの奥女官は女王様のお乳母様の娘で、お小さい頃から傍にいらっしゃる忠義者ですのよ。口も堅くて、女王様の信頼が一番厚い女官なのよ。私たちが入れないような特別のお部屋にも立ち入ることができるただ一人の方よ。だから、何も教えてなんかもらえないわよ」

 私は口に手を当てて震えあがった。そんな凄い女官様だったなんて。つい気軽に話しかけてしまったわ。
 青い顔をした私に、同僚の先輩が安心させるように囁いた。

「大丈夫よ。アオコさんは優しい方だから。これが女官長だったらお説教だし、意地の悪いウルエさんだったらたいへんだったけど」

 それから、内緒話をするように、声を潜めてにっと悪い顔で続けた。

「で、で、何を聞いてたの? 何か奥のことで気が付いたことあったんでしょ?」

 私は呆れたように同僚の顔を見つめたが、そこはそれ、噂好きは女のサガだ。私も声をさらに潜めて囁いた。

「お食事の量がどう見たって女王様御一人分にしては、すっごく多いなあって」
「やっぱりー? 夕べ、夜遅くに、衣装部へ男物の衣装を用意するよう指示があったらしいのよ」
「へえ? よく知ってるのねえ」
「そこは、それよ。噂は女官の間を駆け巡るのよ。今朝のご出社も普段よりごゆっくりだったし。ね。これってもう、決まりじゃない?」
「女王様に、お、おと……。隠し男?」
「言い寄る男性は山ほどいたけど、とうとう誰も奥にはお入れになられなかった女王様が……。ついに! うふふふー」
「まだ決まったわけでは。でも、女王様もやっぱり女性でしたのねー。むふふふー」




 少し遅めの夕食を宰相様のために執務室に届ける担当になった私は、室内に声を掛けて扉を開いてくれた警護の兵にお辞儀をしてワゴンを押しながら中に入った。
 回り番で宮内のいろいろな仕事を担当する一般女官である私も、何度かこの部屋に食事を届けている。大抵は女王様もご一緒のことが多く、遅くまで執務をされている姿に頭が下がる思いがした。

 だが、今夜は女王様のお姿はなかった。会議や近隣の勢力の有力者方とのご会食でもなく、私的に夕食を召し上がることがほとんど無い女王様には珍しいことだった。
 私の問いたげな視線に気づいたのか、宰相様が苦笑した。

「ネルバ女王はもう奥の自室に戻られた。お食事もそちらで召し上がられるだろう。私はこれをもう少し終わらせてから、食事にする。そちらに置いておいてくれ」
「はい」

 執務室の奥にあるテーブルに食事を並べ、羹は冷めないように蓋ごと布袋を被せた。ワゴンを邪魔にならないよう部屋の隅に寄せ、宰相様に頭を下げる。

「後で下げに参ります」

 宰相様は書面に目を向けたまま僅かに頷いた。


 静かに扉を閉め、まだ仕事があるようなのに女王様が部屋に下がるのはお珍しいと思った。やはり、いい人がお部屋に居るという噂は本当なのかもしれない。

 女官の間で――それは本当に女官だけの間の密かで不思議な連絡網による共通伝達機構なのだが――今最もホットな噂だった。

 宮内の女官は宮内の全てに関わり網羅する。その目を逃れることは不可能なのだ。寝具の交換、衣服の替え、食事の上げ下げ、お茶の一つとってもそれらの動きは、全て女官のもとへ集積されていく。
 その結果、いくら女王様が隠そうと、奥女官のアオコさんが黙っていようとも、女王様のご自室の秘密の奥に男が少なくとも一人いることは、女官たちの間で明白な事実となっていた。
 そして、女王様の振る舞いを見れば、その男が女王様にとって特別なお方らしいということも。


 内心にまにましながらも表面は澄ました顔を取り繕いつつ通路を進んだところで、向こうから小太りの男がせかせかした足取りで来るのが見えた。

 私は直ぐに通路の隅に寄り、腰を折り頭を下げて男が過ぎ去るのを待った。青や緑の華やかな生地に金糸銀糸の刺繍を施した派手な袍を自慢げに身に着けたクワイ様だ。
 女王様の従兄殿なので、玉の輿を狙う一部の女官たちには受けがいい。彼女たちに言わせれば、金と身分があって御しやすい理想的な相手らしい。
 私は裕福でなくとも、愛のある結婚がいい。

 早く行けと念じていると、下げた目の前に金茶の布織りの履が止まった。『げげっ』と女官らしくない声を内心上げてしまった。
 しげしげと見られているらしい。腰を折って顔を覗こうとまでする。私はますます頭を下げた。

「許す。顔を上げろ」

 クワイ様の命令で仕方なく、いやいや表を上げると、肉付きの良い丸い顔の中にある薄茶色の細長い目と合ってしまった。

「新人か? 若いなあ」

 好色な視線がいやらしい。鳥肌が全身に立った。

「若い娘もいいよな。十六か? 名前は?」
「……ホシミでございます」
「そうか。覚えておいてやる。光栄に思え」

 ――直ぐに忘れてほしいです!

 内心で叫ぶ。一部の計算高い女官たちの所為ですっかり勘違い男に出来上がっている。

「もっと話していたいが、今日は用がある。また、今度な」

 本人は爽やかだと思っているらしい笑顔を振りまいて、執務室のほうへ去ってくれた。私はほっとしてそそくさとその場を立ち去るべく歩き出した。
 その背後で、開けっ放しの執務室からクワイ様の叫びが上がった。

「ええ?! ネルバはまた、いないのか! もう、奥へ戻った? 俺と夕食を約束していたはずだろう!」
「あなたが一方的におっしゃっていただけですので……」

 宰相様が応対する声を聴き流しながら、私は騒がしい一画をさっさと後にした。
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