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北の隠れ里
5 呪い石の村
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《ロワクレス視点》
「あの、兄さん?」
おずおずとした声が、今にも暴走しようとする私に水を差した。赤く染まった視界が晴れて、ひょろっとした三十過ぎの日焼けした男の顔が目に入る。防寒用に来ているコートはだいぶ擦り切れ古ぼけている。
「ひょっとして、黒い髪の子供の知り合いとか?」
「ああ、そうだ。シュンを見かけたのか?」
男のコートの首元を掴んで詰問してしまう。男はさあっと顔を青ざめ、気絶しそうになった。慌てて掴んだ手の力を緩める。
「あ、あの、俺、そこで店広げている行商人なんだけどさ」
男が指さす方向を見ると、確かに箱の中に芋だのカボチャなどの冬に備える食料が積まれていた。
「黒い髪の子って珍しいなって見てたんだ。そしたらさ、隣で店広げていた男がその子に話しかけて。急にその子が崩れるように倒れてさ。男がその子を抱えて、仲間らしい男が急いで店片付けてさ。あっという間に行っちまってさ。ちょっと変だなあって気になってたんだよね」
シュンは連れ去られたのか? 私の心臓がぎゅっと締め付けられる。
「ああ、俺も見たよ」
すると俺も、俺もと話を耳にして目撃者が集まりだした。黒髪のシュンは珍しいので、けっこう注目されていたらしい。
「シュンは私の大事な伴侶なんだ。教えてくれ。連れ去った男は何者なんだ?」
「ありゃ、そうだったのかい。そりゃ、心配だな」
声を掛けてくれた男が同情するように眉を下げる。土地の者らしい壮年の男が質問に答えてくれた。
「あれは呪い石売り屋だよ。時々、村にやって来て店を開くんだ。たいてい市が立つ時に来て小麦やなんやら買い込んでいくんだよ」
「呪い石?」
「黒夜石って石なんだがね。連中が住んでいる山でしか採れない石で。その石目当てに来る商人もいるんだよ。そこそこ高額で売れるらしい」
そういえば、女たちもそんなような話をしていたな。結婚式には祝いとして祝福を込めて花嫁に贈ることもあるらしい。一方で、不幸を呼びたいライバルには呪いをつけて渡すとか。怖いな、女は。
『呪いや祝福がーほんとうに効くのかどうかーわからないけどおー。でも、この辺りではけっこう本気で信じられてるのよおー。ただー、純度が高くてー大きな結晶はー本当―に呪術具として使えるってー話よおー』
化粧の濃い娘がバチバチと垂れ目を瞬きしながら甘えた口調で薀蓄を披露していた。
その時は、魔石の一種かもしれないと思いながら聞き流してしまっていた。
「その石が採れるというところは、ここから近いのか? そいつらはそこに住んでいるんだろ?」
「あんた、行く気かい? ここよりもっと北部の山の中で、険しいところだって話だよ? もうじき雪も降りだすし。雪が降ったら、山から出られなくなるよ」
村人が心配してくれたが、私の決心が変わるはずがない。
「シュンが捕らわれているのだ。どんなところだろうと、私は行く」
「おお、男だねえ。そういう奴、嫌いじゃないよ」
おおーっと感動したらしい男たちが、呪い石の一族の話や山道のことやら、知っている限りを我も我もと喋りだした。
宿の支払いと飲み代やら飯代やらいろいろ増えた超過分をきれいに支払い、クロムの轡をとって村の北側の出口に向かった。
クロムは分厚い毛皮を鞣した防寒用のマントを被り、いよいよ凍りそうになったら腹や脚も覆えるようにしてある。顔も凍らないよう毛皮の面当てを着ける厳重ぶりだ。
私もこれまでの毛皮のコートのほかにこの辺りに棲息しているという雪熊の毛皮で作られたマントをクロムの背に載せてある。非常に保温性が高い優れた防寒着だ。
これらはみんな、村の男たちや露天商の男たちから用意しろとやんやと助言され、気のいい村の商人が蔵に秘蔵していた品を引っ張り出してきたものだ。
「がんばれよー!」
「死ぬなよー!」
「必ず連れ帰ってこいよー!」
彼らの応援の声を背にクロムに騎乗すると腹を一蹴りして、私は雪に白く輝く北の最果ての山奥に向かって駆けた。
村を出ると、たちまち深い森に入り、斜面も険しい急な坂道になる。葉を落とした木々や針葉樹が立ち並ぶ森は、やがて低木になり、斜面に張り付く灌木になり、その姿もまばらになった。
氷を含んだような身を切る風がびゅうびゅうと音を立てて吹き付ける。体温を保つために巻き付けた布で口と鼻を覆った。
呪いの石の民は定期的に山を下りて村へと来ているようで、獣道のような細いものだが、それでも道らしきものが続く。草が覆い、苔が生え、石が転がる悪路を、クロムが慎重な足取りで踏んでいく。
何度も心で呼んでも、とうとうシュンからは何も返って来ない。多彩な異能を持つシュンにしては珍しい。異能が発現できない結界にでも閉ざされているのか。それとも、それすらもできない状態に陥っているのか?
考えるほどにどんどん悪い想像ばかりが逞しくなっていってしまう。
呪い石は一種の魔動石に似たものなのだろう。それを使えば魔術のようなこともできると聞いた。例えば、昏倒させるような。意思を奪ったり、動きを封じたりすることもできるのかもしれない。
シュンが危機的な状況にあって、今この瞬間にも私の助けを待っているに違いない。私の心は焦りと不安で大きく乱れた。
「ぶるるる」
クロムが鼻を鳴らして、闇に落ちようとする私の思考を中断させた。
「ああ、すまないな。クロム」
首筋を手でとんとんと叩いて、大丈夫だと安心させる。
『ロワが考えているよりずっと、クロムは俺たちの感情を読んでいるよ』
シュンが以前言っていた言葉を思い出す。
「きっと、シュンを助け出そう」
私が声をかけると、クロムも
「ヒヒヒン」
と嘶いて武者震いのように首をぶるると振った。心強い相棒に励まされた私は、手綱を持つ手に力を込めた。
「あの、兄さん?」
おずおずとした声が、今にも暴走しようとする私に水を差した。赤く染まった視界が晴れて、ひょろっとした三十過ぎの日焼けした男の顔が目に入る。防寒用に来ているコートはだいぶ擦り切れ古ぼけている。
「ひょっとして、黒い髪の子供の知り合いとか?」
「ああ、そうだ。シュンを見かけたのか?」
男のコートの首元を掴んで詰問してしまう。男はさあっと顔を青ざめ、気絶しそうになった。慌てて掴んだ手の力を緩める。
「あ、あの、俺、そこで店広げている行商人なんだけどさ」
男が指さす方向を見ると、確かに箱の中に芋だのカボチャなどの冬に備える食料が積まれていた。
「黒い髪の子って珍しいなって見てたんだ。そしたらさ、隣で店広げていた男がその子に話しかけて。急にその子が崩れるように倒れてさ。男がその子を抱えて、仲間らしい男が急いで店片付けてさ。あっという間に行っちまってさ。ちょっと変だなあって気になってたんだよね」
シュンは連れ去られたのか? 私の心臓がぎゅっと締め付けられる。
「ああ、俺も見たよ」
すると俺も、俺もと話を耳にして目撃者が集まりだした。黒髪のシュンは珍しいので、けっこう注目されていたらしい。
「シュンは私の大事な伴侶なんだ。教えてくれ。連れ去った男は何者なんだ?」
「ありゃ、そうだったのかい。そりゃ、心配だな」
声を掛けてくれた男が同情するように眉を下げる。土地の者らしい壮年の男が質問に答えてくれた。
「あれは呪い石売り屋だよ。時々、村にやって来て店を開くんだ。たいてい市が立つ時に来て小麦やなんやら買い込んでいくんだよ」
「呪い石?」
「黒夜石って石なんだがね。連中が住んでいる山でしか採れない石で。その石目当てに来る商人もいるんだよ。そこそこ高額で売れるらしい」
そういえば、女たちもそんなような話をしていたな。結婚式には祝いとして祝福を込めて花嫁に贈ることもあるらしい。一方で、不幸を呼びたいライバルには呪いをつけて渡すとか。怖いな、女は。
『呪いや祝福がーほんとうに効くのかどうかーわからないけどおー。でも、この辺りではけっこう本気で信じられてるのよおー。ただー、純度が高くてー大きな結晶はー本当―に呪術具として使えるってー話よおー』
化粧の濃い娘がバチバチと垂れ目を瞬きしながら甘えた口調で薀蓄を披露していた。
その時は、魔石の一種かもしれないと思いながら聞き流してしまっていた。
「その石が採れるというところは、ここから近いのか? そいつらはそこに住んでいるんだろ?」
「あんた、行く気かい? ここよりもっと北部の山の中で、険しいところだって話だよ? もうじき雪も降りだすし。雪が降ったら、山から出られなくなるよ」
村人が心配してくれたが、私の決心が変わるはずがない。
「シュンが捕らわれているのだ。どんなところだろうと、私は行く」
「おお、男だねえ。そういう奴、嫌いじゃないよ」
おおーっと感動したらしい男たちが、呪い石の一族の話や山道のことやら、知っている限りを我も我もと喋りだした。
宿の支払いと飲み代やら飯代やらいろいろ増えた超過分をきれいに支払い、クロムの轡をとって村の北側の出口に向かった。
クロムは分厚い毛皮を鞣した防寒用のマントを被り、いよいよ凍りそうになったら腹や脚も覆えるようにしてある。顔も凍らないよう毛皮の面当てを着ける厳重ぶりだ。
私もこれまでの毛皮のコートのほかにこの辺りに棲息しているという雪熊の毛皮で作られたマントをクロムの背に載せてある。非常に保温性が高い優れた防寒着だ。
これらはみんな、村の男たちや露天商の男たちから用意しろとやんやと助言され、気のいい村の商人が蔵に秘蔵していた品を引っ張り出してきたものだ。
「がんばれよー!」
「死ぬなよー!」
「必ず連れ帰ってこいよー!」
彼らの応援の声を背にクロムに騎乗すると腹を一蹴りして、私は雪に白く輝く北の最果ての山奥に向かって駆けた。
村を出ると、たちまち深い森に入り、斜面も険しい急な坂道になる。葉を落とした木々や針葉樹が立ち並ぶ森は、やがて低木になり、斜面に張り付く灌木になり、その姿もまばらになった。
氷を含んだような身を切る風がびゅうびゅうと音を立てて吹き付ける。体温を保つために巻き付けた布で口と鼻を覆った。
呪いの石の民は定期的に山を下りて村へと来ているようで、獣道のような細いものだが、それでも道らしきものが続く。草が覆い、苔が生え、石が転がる悪路を、クロムが慎重な足取りで踏んでいく。
何度も心で呼んでも、とうとうシュンからは何も返って来ない。多彩な異能を持つシュンにしては珍しい。異能が発現できない結界にでも閉ざされているのか。それとも、それすらもできない状態に陥っているのか?
考えるほどにどんどん悪い想像ばかりが逞しくなっていってしまう。
呪い石は一種の魔動石に似たものなのだろう。それを使えば魔術のようなこともできると聞いた。例えば、昏倒させるような。意思を奪ったり、動きを封じたりすることもできるのかもしれない。
シュンが危機的な状況にあって、今この瞬間にも私の助けを待っているに違いない。私の心は焦りと不安で大きく乱れた。
「ぶるるる」
クロムが鼻を鳴らして、闇に落ちようとする私の思考を中断させた。
「ああ、すまないな。クロム」
首筋を手でとんとんと叩いて、大丈夫だと安心させる。
『ロワが考えているよりずっと、クロムは俺たちの感情を読んでいるよ』
シュンが以前言っていた言葉を思い出す。
「きっと、シュンを助け出そう」
私が声をかけると、クロムも
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