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番外編

マリッジ狂騒曲 その一

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 《シュン視点》

 テスニアのはるか遠く、浸食された自然の海橋を渡って海峡を越える。テスニア王国人にとっては未踏の地だ。そこでは多種多様の人種が暮らしていた。その割に、方言はあっても基本言語はどこでも同じだ。これは助かる。こんなところも異世界なんだと納得してしまう。

 異世界の常識は俺にとっての非常識。俺の常識は異世界では非常識。もはやこれで納得するしかないというのが、最近の心境だ。魔法がある時点で、俺の常識はもう通用しないって解ってたんだけどな。それでも、時々俺の常識が顔を出し、「ちがーう! うそだー!」と叫んで髪をぐしゃぐしゃに掻きむしってしまう。
 すると、ロワクレスが笑って俺の髪を優しく撫でて直してくれるんだ。大人だよな。

 南に下ると、湿地帯に出た。ロワクレスの世界は地球と比べると比較的寒冷だが、この辺りまで緯度が下がるとさすがに気温も高くなる。沼から出る湿気でむわっと蒸し暑い。

 湿地の周囲は森林が広がり、地面と同じ高さの水面の川がゆるりと流れる。湿地帯には背の高い葦や茅が一面を覆い、大小の沼が点在していた。その上をいろいろな鳥が集い舞っている。
 底なしの穴がどこに開いているか分からず、俺たちは林と湿地帯の間の土の上を慎重に行く。ゆっくり歩くクロムの蹄の音も湿った苔に吸収されて柔らかい。


 やがて高床式の住居が立ち並ぶ集落が見えてきた。近づくと茅で屋根を葺いた木や葦造りの家と家の間を板で繋いで通路のようになっている。二十数軒ほどの水上集落だ。

 その板の端に座って、男が長い棒を構えていた。糸らしきものが垂れているところを見ると、釣りでもしているのかもしれない。だが、糸が垂れている場所は水面ではなく泥地だった。
 簡易な半そでと短いズボンを着ている男の肌は緑色がかっている。髪は茶色で頭頂部で一本にまとめていた。鼻が低く広がって顔が平たい。こちらに気づいて向けた赤い両目の間も異様に離れていた。

「おう! こんちは!」

 男は明るい声で気さくに声をかけて来た。

「邪魔をする」

 ロワクレスが馬から降りて男に返した。

「何してるんだ?」

 俺もクロムから降りて声をかけた。

「何って、見ての通り、釣り……おわ!」

 言葉の途中で男が持っている釣り竿が大きくしなった。引っ張られてそのまま前つのめりに身体が傾く。
 落ちる! テレキネシスを発動しようとした俺に、ロワクレスが「待て」と止めた。

 既にロワクレスは地面と集落の間に渡してある板を踏み台に身を躍らせ、階段を飛び越えて板面の上に立っていた。板端から半分以上身を落としながらも釣り竿を手放さない男の肩を掴んで、板面の方に引き摺り倒す。
 まだしなって泥面に引っ張られている釣り竿を掴み、両手でぐいっと引き寄せた。
 
 俺はばれないように加減しながら、男が落ちるのをテレキネシスで防いでいたが、ロワクレスの動きに合わせて獲物を上げるのを手伝う。泥の上に顔を出したそれは大きな口をした平べったい顔の魚だった。
 それが持ち上がるにつれ現れくる、とんでもない大きさに呆れた。人の背丈ほどはありそうだ。地球のタイに巨大ナマズがいたが、それよりでかい。頭から長い胴体までぶっくりと膨らんで太く、尾は小さい。ナマズとアンコウを混ぜたような不細工で愛嬌のある顔をした魚だ。

 泥にまみれた巨大な魚を目にして、引きあげたロワクレスが驚きにポカンとした顔をする。ロワクレスの珍しい表情を思いがけなくゲットだぜ。
 テレキネシスがなかったら、男は泥地に落ちていただろうし、釣り竿も折れただろう。それほどの大きさだ。
 糸の先でびちびちと暴れる魚をどうしようと思ったが、板面でひっくり返っている男の上へどびしゃんと落としてやった。
 ――あんたが釣ったんだ。責任とれよな。

「うひょーお!」

 男は泥だらけになりながら、それでも魚をがっしりと抱きしめるように両腕で抑えた。魚は男より大きかった。重いだろうに、寝転がったままえへえへと嬉しそうに笑っている。

 この騒ぎに家々から住人が顔を出す。
 ロワクレスにひょこっとお辞儀をして、男の周りに集まりだした。みんな緑色の肌に離れた目と平べったい顔をしている。頭頂で縛った髪は茶色で、目は赤い。ここの種族の特徴なのだろう。

 クロムにはこの近くにいろと言いおいて、俺も集落へ向かう。地面と集落の高床式の板面を繋ぐものは丸太の上に板を乗せた浮き橋だった。雨などで水位が変化しても対応できるように工夫されている。
 グラグラと不安定な板の上を渡り、板の階段を上がってロワクレスのそばへ行った。通路のように板が張り巡らされており、中央には広場さえある。周囲に豊富にある木材をうまく利用して、湿原の上に村を作っていた。

 釣り上げた魚はさすがに記録的な大物だったらしい。

「よくもこんだけ大きいの釣ったもんだね」
「主じゃないのか?」
「よその人に手伝わせて申し訳なかったのう」
「うへへへへ」
「うへへじゃないよ! ちゃんとお礼言ったのかい?」

 集まった住人たちが魚を囲んでわいのわいの騒いでいる。男が太った大きな女にべしっと頭を小突かれて、ロワクレスにペコペコ頭を下げた。
 明らかによそ者だとわかるだろう俺たちに対し、なかなかフレンドリーだ。

「今日はこの魚でお祝いだよ。あんたらも食べてっておくれよ」

 太った女がテキパキと周りの男たちに指図しながら、俺たちに声をかけてきた。

「泊るところ? ああ、気にしないで。サワタ、あんたが迷惑かけたんだ。あんたんとこで泊めてやんな」
「ああ、いいよ。俺んちに案内するから、ついてきな」

 魚を釣った男はサワタと言うらしい。二つ隣の家だった。家の横に置いてある大きなかめから、備えてある柄杓で水を汲むと、頭からざぶざぶと被って泥を流す。そして濡れたまま家の中に入った。気温が高いので、直に乾いてしまうのだろう。

「お客人、狭いけど好きにしていていいから」

 床や壁は板と葦を組み合わせて、通気性がいい。茅葺きの屋根も風を通し、家の中は涼しくて快適だった。草を編んだ敷物があるだけで、広くはない小屋の中はあまり物がない。どこの家も同じようなものらしい。

「サワタ殿。私たちのような見知らぬ者を気軽に招き入れて大丈夫なのか?」

 ロワクレスが気づかわしげに訊いた。あまりにも警戒心がなさすぎると、俺も思う。

「なんだ? あんたら、俺たちに何か害意でもあるんか? 悪いことしようと思ってるのか?」
「いや。そんなことは思っていないが」
「なら、いいじゃないか。気にするなよ。こんな辺鄙な所にわざわざ争いに来る物好きなんかいないしさ。盗まれるものもない。それより、はるばるここまで足を運んでくれたんだ。歓待するのは当然だろう? 兄弟」

 サワタはガハガハと笑った。その開けっ広げな笑いに、俺たちも釣られて笑ってしまう。見た目は変わっているけれど、すごく気持ちの真っ直ぐな純朴な人々だ。


「あんたら、運がいいぜ。今日はヤタとセリタの結婚式なんだ。それで、祝いの魚を釣ってたんだけどな。あんたらのおかげで、豪華料理が出せるよ。一緒に祝ってくれ」

 部屋の隅の箱から洗いざらしの服を一組出して着替えながら、サワタが俺たちを振り向きつつ誘ってくれる。

「それはめでたい。私もみんなに訊きたいことがあるので、邪魔させてもらおう」
「訊きたいことって?」

 それで、ロワクレスが古代呪文が書かれている石の断片を取り出して見せた。

「こういうものや、或いはここに描かれているような文字や模様をこの辺りで見たことはないだろうか?」

 サワタは断片を手に取ってしげしげと眺めていたが、ややあって首を横に振りながら返してきた。

「俺は見たことないなあ。だいたいこの辺りでは、何でもみんな沈むか埋もれちまうからな。古いものは残っていないんだよ。まあ、ほかの連中にも聞いてみるよ」
「助かる。雑作をかける」
「いいって、いいって」

 ひらひらと手を振って笑うサワタを見て、ほんとうにここの連中はいい奴だと感慨深い。擦れていないんだな。

 サワタについて一緒に広場へ行くと、住民のほとんどが集まっているらしく賑やかに喋りながら、先ほどの魚を解体しては鍋に放り込んでいた。皮や不要な内臓は板の隙間から下の泥地に落としていく。泥地に棲む魚たちが後始末をしてくれるらしい。

 井戸は太い竹のような中空の長い筒を板に開けた穴から下に突き通したものだった。泥地より深く通っているとのことで、そこからふんだんに水が湧き出す。

「どこでも、この筒をぶっ差して、水魔法を唱えりゃいいんだ」

 広場に転がしてある長い筒を手に取って教えてくれる。水源が豊富だとわかってるけどさ。インスタント水道なんだな。異世界って便利だ。
 ロワクレスがサワタからその水魔法の呪文を教わっていた。

「ここの連中は赤ん坊でもできるぜ」

 このカマヌ村や周辺の湿原地帯に伝承される魔法らしい。しかし、ここほど水源に恵まれていなくても、地下水を管一本で湧き出せるなら、非常に重宝な魔法だ。


 あちこち段差の多い通路だが、広場は平らな板床になっている。そこにみんな思い思いに座り込んで、お茶を飲んだりしながら寛いでいた。
 その広場の中で一段高くなっている場所に、若い男が二人並んでいた。ほぼ同じくらいの年ぐらいで、一人はサワタのような普通の体格の男で、もう一人は上にも横にも大きく太った体格の良い男だ。二人は互いを嬉しそうに見つめ合ったり、そばに来て声をかける住人に愛想よく応えたりしている。

 俺の視線を辿って、世話好きそうな大きな身体の中年の男が教えてくれた。ちょっとおばさんっぽい雰囲気の人だ。

「あの二人が、今日の主役さ。花婿と花嫁さね」
「男同士に見えるんだけど?」
「当たり前だよ。たいがいは男と男で番うもんじゃないかね」
「え?」

 俺の驚きに、大男は不思議そうな顔をした。

「あんたんとこは違うのかい? あんたらは夫婦なんだろ?」
「え? ええ……、まあ……、そう、ですけど……」

 俺は赤面する。すると、年を取った男が助けてくれた。

「この辺りはそれが当たり前だけど、中には男同士は夫婦になれないところもあるんじゃよ」
「へー。変わってるね。それじゃ、子供が少なくなって滅んじゃうんじゃないかい?」
「へ?」

 わからないって顔の俺たちに、老人が説明してくれた。

「見たらわかるだろうけど、ここには女がほとんどいないじゃろ。この村は五十人ほどじゃが、女は三人。そのうちの一人は先のないお婆で、一人は一か月の赤ん坊じゃ。昔から男と女の比率はそんなもんじゃな」

 それでは絶滅するな。種族が存続できる割合じゃない。

「だから、男同士で番った時は、片方が雌化して子供を産めるようになるんじゃよ。ここいらではずっと昔からそうやってきたんじゃ」

 衝撃の事実! そう言えば地球でも、性転換できる生き物がいたっけな。もともと比率はオスのほうが高かったけど、個体数が激減したり環境が大きく変わったりして種族の存続が危ない時に性転換できる奴が。魚とかカエルだったっけ?

「ほう、男同士で子供ができるのか」

 隣でロワクレスが食いついてきた。やっぱり、俺たちの子供が欲しいのかな? 欲しいんだろうな。俺も、ロワクレスの子供なら、産んでもいいかもしれないってくらいには思っているもんな。

「あんただったら、丈夫な子供ができそうだな」

 老人がロワクレスの逞しい筋肉を見て頷いている。サワタがふいに訊いてきた。

「あんたら、もしかして、まだ結婚式やってないのか? 男同士だと結婚できないところもあるって話だろ?」
「ああ。身も心も実質、夫婦なんだがな」
「ちょ……、ロワ! そんな堂々と、あからさまに……」

 俺は恥ずかしくて、ロワクレスの服を引っ張った。だが、彼は平然とサワタたちと会話を進めていく。

「それなら、これも何かの縁だ。一緒に結婚式をあげたらいい。俺たちが証人になるよ」
「そうか。面倒をかけるが、宜しく頼む」

 あれよあれよと話がまとまって、ロワクレスが嬉しそうに俺に告げた。

「良かったな。晴れて夫婦になれるぞ」

 満面の笑みを浮かべるロワクレスを見たら、俺はもう頷くしかなかった。

「その、やっぱり花嫁衣裳とか着るのか?」

 俺が恐る恐る訊くと、当然だとサワタが首を振った。

「一生に一度の晴れ姿だからな。ほら、セリタたちも仕度しに行くよ。あんたらも一緒に行って仕度してくるといい」
「服は貸してやるから心配するな。もともと婚礼衣装は村の共有で使ってるんだ」

 お節介好きそうな中年大男が立ち上がった。

「サワタ、花婿のほうを連れて行ってやれ。花嫁さんは俺が連れて行くよ」

 そして、大男がロワクレスに手を差し伸べた。

「え?」

 唖然と固まるロワクレス。大男もサワタも老人も至極当然という顔をしている。

「わ、私なのか? 私が花嫁?」
「当たり前だろ? その体格なら、いい子供が産めるぞ」

 俺はまたしても、顔を引き攣らせるロワクレスという珍しい絵をゲットした。 
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