上 下
147 / 219
番外編 クジラの恋詩

クジラの恋詩 その三 ロワクレスとブルナグム

しおりを挟む
 《ロワクレス視点》

 あれは、私が騎士隊に入隊したばかりの十七歳の時だった。ブルナグムは同じ騎士隊の五年先輩で二十歳。十五歳の時に騎士見習いで入隊したらしい。
 新入隊員は私を含めて五人。その歓迎会を町の酒場で開いてくれた。私にとっては迷惑以外の何ものでもなかったのだが。

 あの頃から既にブルナグムは身体がでかくて、陽気な男で、考えなしのお調子者だった。
 主役であるはずの新人を差し置いてガブガブと水のように酒を飲んだ挙句に、真っ先に酔っぱらって大声を張り上げた。

「新人諸君! 恒例のご挨拶ターイムっす! 一人ずつ順番で何か芸を披露するっす! でも、危ないのはだめっすよー! 歌がいいっす。陽気なのを一発!」

 とんでもないことを言い出した。騎士隊員たちも、いいぞー! やれー! と乗ってはしゃぎだす。
 ふらふらと安定しない身体を立ち上がらせて、ブルナグムが全員の視線を集めた。

「新人にはいきなり歌えったって厳しいっすよね。まずは、俺っちが歌うっす」

 おー! いいぞいいぞ! と先輩たちが囃し立てた。

「一番! ブルナグム、歌うっす!」

 大きなどら声を張り上げだす。選んだのは貴族の姫君に身分違いの恋をした貧しい詩人の悲恋の歌。
 こんな曲だったろうか? 私はクラシック曲も流行り歌も縁が薄くてよく判らないが、歌詞と曲調が違いすぎる。
 元気が良くて、まるで闘う戦士を鼓舞する応援歌のようだ。高い音域は声がひっくり返り、がーがーとがなり立てた最後に泣き真似までしてみせた。
 どっと笑いが弾けて、ぺこりとお辞儀をしたブルナグムの背中をいくつもの手が叩いていた。

 店内の雰囲気がぐっと砕けて、後に続く新人騎士の緊張も解れていく。一人一人名乗りながら、恥ずかしそうに歌を披露した。
 こうして一曲歌うだけでも、その人となりが見えてくるものだ。

 内気そうに見えて、歌いだすと堂々として腹が坐っている男。
 おどけた歌を選んだ明るい性格の男は良いムードメーカーになるだろう。
 ごつい体の強面の男が意外に美しい歌を歌いあげ、人の心の機微に長け、繊細な感覚を有していること。
 へらへらして調子が良さそうなたれ目の男は硬い聖歌をしっかりと歌い、見た目と違って生真面目な性格なのだと目を見張った。

「次!」

 ブルナグムの声に我に返る。

「私は、歌えん。歌ったことがないのだ。辞退する」

 きっぱりと断ると、周囲の者たちは視線を外し仕方ないと身を引いた。騎士団に入る前から、私は人々の輪から一歩も二歩も避けられている。私が視線を巡らすと、誰もが目を避け怯えたように顔を引き攣らせるのだ。

『表情のまるでない顔が怖いのよ。貴方の目は凍った鉄のように冷たいのだわ』

 誰が言ったろうか? それでも私にはどうしようもない事だった。別に表情を消そうとしているわけではない。これが普通の私なのだ。

 これで誰も私に歌えとは言うまいと深く座り直した時、同間声が響いた。

「一人だけ歌わないなんて許されないっす! ロワクレス騎士、立って歌うっす!」
「私は歌わん。歌えないのだ」

 ブルナグムを睨みつける。周囲の男たちがざわっと身を引き、私とブルナグムだけがぽつりとその場に残った。

「やめろ。ブル」
「落ち着け。正気に戻れ!」

 周囲からブルナグムに制止の声がかけられる。だが出来上がっているブルナグムは耳も貸さず私の肩を大きな手で掴むと、熟柿臭い息を吹きかけてきた。

「お坊ちゃん、一人だけ恥を掻かねえって法はないっすよ。ほら、立つっす」

 こんな狭く大勢の人間がいる場所で暴れるような大人げない真似はできない。私はうっそりと立ち上がった。
 不愉快な気持ちを隠しもしないで睨んだが、びびっているのは周囲の奴らばかりで、ブルナグム当人は嬉しそうに破顔した。

 ――こいつ、馬鹿だろ。

「曲は何を歌うっすか?」
「私は歌など知らん」
「なら、あれがいいっす。あれ。えーと、なんていったっすかね?」

 人の話を全然聞いていないな。

「『泉に映る二つの月』がいいっす!」

 それはセレナーデではないか。生憎とたまたま知っている曲だった。音楽教師に初めて教わった曲なのだ。ずいぶん練習したが、とうとう合格点をもらえなかった。

 彼女が歌って見せたその曲はとても美しかった。
 空の二つの月が泉に姿を映す静かな夜を歌ったもので、出会いと水に映す不実と別れを嘆きながら切々と尽きぬ慕情を綴っていた。

 心の揺らぎを知らぬ私には今でも歌えそうにない。だが、歌わなければ、いつまでも赤毛の酔漢は解放してくれぬだろう。
  私は覚悟を決めた。
 たかが歌一つ。披露もできぬ腰抜けと思われたくはない。

 息を大きく吸う。
 口を開け、最初のフレーズを声に乗せた。

 私は見くびっていた。
 声に音を乗せるということはこれほど難しいものなのか。

 この曲は楽器で練習したものの、声を出して歌ったことはほとんど覚えがない。まして少年の頃だ。変声期も終えた今の声ではいわゆる歌そのものを歌ったことがなかった。

 考えていた以上に音程もリズムも、思うように自由にならない。頭の中で分かっていたはずの音もフレーズも、実際に声に出すとなるとまるで違ったものになっていく。

 私は冷や汗を流し始めた。とても曲とは言えない代物だ。調子も音階もばらばらに分解し、何を歌っているのか私自身にも分からなくなった。
 それでも私の表情はぴくりとも動いていないだろう。
 不動の姿勢で無表情に、曲とはかけ離れていく言葉の繋がりだけが流れていく。


 店の中はしんと静まり、嫌な緊張が生まれていた。これで、笑ってくれればまだしも、失笑するどころか苦笑する者さえいない。目に入る男たちの顔は強張り、青ざめている。楽しい陽気な雰囲気をすっかりぶち壊してしまったことだけは、私も理解した。

 それでも、セレナーデの一番を歌い切ったことだけは褒めて欲しい。二番を歌う勇気はさすがになかった。

「これでいいな?」

 酔いも醒めたようにどんぐり眼を丸くしているブルナグムにじろりと捨て目をやって、私は踝を返した。その足で店の外へと出ていく。
 やはりこういう場へ出るべきではなかった。私は彼らを緊張させ、委縮させてしまうばかりなのだ。


 夜道を騎士隊宿舎へと戻りかけた時、背後からばたばたと足音が追ってきた。振り返ると、ブルナグムが必死の顔で走ってくる。
 足を止め無言で問うと、同じように足を止めたブルナグムが困ったようにわたわたした。

「そ、その、気落ちしなくっていいっすよ? 慣れてなきゃ、誰でもあんなもんっす」

 慰めようとしているのだろうか?

「そうか」

 短く言葉を返して私は前を向いた。用は済んだ。ブルナグムは店へ戻ればいい。だが、ブルナグムは尚も走って、私の前に回り込んできた。無駄にでかいので、正直邪魔だ。

  奴は冷ややかな私の視線を器用に避けながらも言い募った。

「よ、余計なお節介の真似しちまって悪かったっす。こうなるとは思わなくて……。その、あの……」

  顔を赤くしたり青くしたりしながら、汗を流しつつ、口の端をひくひくと痙攣させて怯え、要領の得ない言葉を挙動不審に綴っていく。

 私は冷めた目でそんな奴を眺めながら、底なしのお人よしだと胸の中で呟いていた。
 触らぬ神に祟りなしと誰もが遠巻きに避けている私に、自分から関わってくるのだから。頼んでもいないのに。

 きっと、隊員たちから孤立している私を少しでも馴染ませようとしたのだろう。私にとっては要らぬ迷惑だったが、ブルナグムの好意は認めてやろう。



 いつしか、ブルナグムは私と隊員たちとの間のパイプの役割をするようになり、気が付けば側にいることが当たり前になっていた。もっとも私と普通に会話できるのは、治療師のロド先生ほか幾人もいないこともあるのだが。

 一年に一度の武術大会で去年に引き続き優勝した二十一歳の時に、第二騎士隊の隊長を拝命した。私はブルナグムを副隊長に任命し……。
 結局、補佐のなり手がいなかったので、ブルナグムが代行するようになり、そのうち誰もがブルナグムを補佐だと思うようになった。私でさえ奴が副隊長だったことを忘れていたくらいだ。シュンが現れるまでは。
 ああ、シュンが来てくれて本当に良かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい

戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。 人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください! チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!! ※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。 番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」 「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824

大好きなBLゲームの世界に転生したので、最推しの隣に居座り続けます。 〜名も無き君への献身〜

7ズ
BL
 異世界BLゲーム『救済のマリアージュ』。通称:Qマリには、普通のBLゲームには無い闇堕ちルートと言うものが存在していた。  攻略対象の為に手を汚す事さえ厭わない主人公闇堕ちルートは、闇の腐女子の心を掴み、大ヒットした。  そして、そのゲームにハートを打ち抜かれた光の腐女子の中にも闇堕ちルートに最推しを持つ者が居た。  しかし、大規模なファンコミュニティであっても彼女の推しについて好意的に話す者は居ない。  彼女の推しは、攻略対象の養父。ろくでなしで飲んだくれ。表ルートでは事故で命を落とし、闇堕ちルートで主人公によって殺されてしまう。  どのルートでも死の運命が確約されている名も無きキャラクターへ異常な執着と愛情をたった一人で注いでいる孤独な彼女。  ある日、眠りから目覚めたら、彼女はQマリの世界へ幼い少年の姿で転生してしまった。  異常な執着と愛情を現実へと持ち出した彼女は、最推しである養父の設定に秘められた真実を知る事となった。  果たして彼女は、死の運命から彼を救い出す事が出来るのか──? ーーーーーーーーーーーー 狂気的なまでに一途な男(in腐女子)×名無しの訳あり飲兵衛  

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

雪狐 氷の王子は番の黒豹騎士に溺愛される

Noah
BL
【祝・書籍化!!!】令和3年5月11日(木) 読者の皆様のおかげです。ありがとうございます!! 黒猫を庇って派手に死んだら、白いふわもこに転生していた。 死を望むほど過酷な奴隷からスタートの異世界生活。 闇オークションで競り落とされてから獣人の国の王族の養子に。 そこから都合良く幸せになれるはずも無く、様々な問題がショタ(のちに美青年)に降り注ぐ。 BLよりもファンタジー色の方が濃くなってしまいましたが、最後に何とかBLできました(?)… 連載は令和2年12月13日(日)に完結致しました。 拙い部分の目立つ作品ですが、楽しんで頂けたなら幸いです。 Noah

【完結】壊された女神の箱庭ー姫と呼ばれていきなり異世界に連れ去られましたー

秋空花林
BL
「やっと見つけたましたよ。私の姫」  暗闇でよく見えない中、ふに、と柔らかい何かが太陽の口を塞いだ。    この至近距離。  え?俺、今こいつにキスされてるの? 「うわぁぁぁ!何すんだ、この野郎!」  太陽(男)はドンと思いきり相手(男)を突き飛ばした。 「うわぁぁぁー!落ちるー!」 「姫!私の手を掴んで!」 「誰が掴むかよ!この変態!」  このままだと死んじゃう!誰か助けて! ***  男とはぐれて辿り着いた場所は瘴気が蔓延し滅びに向かっている異世界だった。しかも女神の怒りを買って女性が激減した世界。  俺、男なのに…。姫なんて…。  人違いが過ぎるよ!  元の世界に帰る為、謎の男を探す太陽。その中で少年は自分の運命に巡り合うー。 《全七章構成》最終話まで執筆済。投稿ペースはまったりです。 ※注意※固定CPですが、それ以外のキャラとの絡みも出て来ます。 ※ムーンライトノベルズ様でも公開中です。第四章からこちらが先行公開になります。

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

聖女じゃないのに召喚された俺が、執着溺愛系スパダリに翻弄される話

月湖
BL
会社員の都築遥(つづきはるか)は、階段から落ちた女子社員を助けようとした。 その瞬間足元の床が光り、気付けば見知らぬ場所に。 夢で?会ったカミサマ曰く、俺は手違いで地球に生まれてしまった聖女の召還に巻き込まれて異世界に転移してしまったらしい。 目覚めた場所は森の中。 一人でどうしろっていうんだ。 え?関係ない俺を巻き込んだ詫びに色々サービスしてやる? いや、そんなのいらないから今すぐ俺を元居た場所に帰らせろよ。 ほっぽり出された森で確認したのはチート的な魔法の力。 これ絶対やりすぎだろうと言うほどの魔力に自分でビビりながらも使い方を練習し、さすがに人恋しくなって街を目指せば、途中で魔獣にやられたのか死にかけの男に出会ってしまう。 聖女を助けてうっかりこの世界に来てしまった時のことが思わず頭を過ぎるが、見つけてしまったものを放置して死なれても寝覚めが悪いと男の傷を癒し、治した後は俺と違ってこの世界の人間なんだし後はどうにかするだろうと男をの場に置いて去った。 まさか、傷だらけのボロボロだったその男が実は身分がある男だとか、助けた俺を迎えに来るとか俺に求愛するとか、考えるわけない。それこそラノベか。 つーか、迷惑。あっち行け。 R18シーンには※マークを入れます。 なろうさんにも掲載しております https://novel18.syosetu.com/n1585hb/

処理中です...