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間章 ロワクレスの屋敷で
おくさま
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《ロワクレス視点》
「忙しいところを集まってもらってすまないな」
「お帰りなさいませ、ロワクレス様」
私が声を掛けると、正面ホールに集まった屋敷の面々が一斉に声をあげた。
執事のヨハネスを始め、嬉しそうににこやかな顔を向けてくる。
執事補佐のベクハン。家政長のアニータと配下のメイドが二人。コックのバーンズ、庭師のダム、雑用係の下男一人。
侍従ウルノスとその補佐ワッギムは当主の父も私も屋敷に居ることが少なく、専ら警備のほうを担当しているのが常であった。彼ら総勢十人がこの屋敷の者たちだ。
父の大将軍という肩書で、子爵の身分では小規模なものだったが、十分屋敷の事は回っているので不自由はない。母の別邸ではこの倍以上の使用人がいる。どれだけ仕事があるのだろうといつも不思議に思うが、干渉する気もなかった。
「今日は、みなに伝えたいことがある」
私はシュンを手招いた。
***
それより少し前。
私は王都へ帰還し陛下へ挨拶と報告を申し述べたあと、第二騎士隊を解散させてしばしの休暇を取らせることにした。
西の砦での任務はなかなかの激務であったので、隊員たちは休息が必要だった。
そして、私はシュンを伴って、自分の屋敷に帰った。
「お帰りなさいませ」
ザフォード家の執事であるヨハネスが慇懃に細長い身を折って私を玄関前で出迎えた。
「父は?」
「妾宅かと」
「相変わらずだな」
ヨハネスは無言で頭を深く下げた。艶やかだった濃い灰色の髪にも、良く手入れされている口ひげにも白い物がだいぶ混じっている。
私が生まれる前からこの家の管理を担ってきた。ほとんど家に寄りつかない当主よりも、よっぽどこの屋敷の主に相応しい。
「家の者に申し渡したいことがある。正面ホールに皆を集めてくれ」
「はい。ロワクレス様」
一分の隙もなくびしっと身支度を整えたヨハネスは、私の後をとことことついて来るシュンにちらりと目をやったが、無言で頭を下げた。
先日、いきなり部屋に現れ、私と屋敷を出て行ったシュンにいろいろ不審を感じているだろうが、私から説明があるまで賢明にも推察を控えている。
そして、今、皆を集めて、私の横にシュンを立たせた。屋敷の者たちのいぶかし気な視線や興味津々な視線がシュンに集まる。
黒髪黒い眼の小柄なシュンは、飾りのない簡素な緑色のシャツとズボンを身につけ物怖じすることもなく自然体に立つ。
おそらく様々な危険な任務をこなしてきたのであろう。その経験の故か、まだ少年に見える彼には不似合いなほどの落ち着いた物腰とものに動じない胆力があった。
軍で訓練を受けてきたすっきりと姿勢のいい立ち姿は見栄えが良かった。顔は童顔で、十八歳と聞いても十三歳ほどにしか見えない。目が大きくて、美しいというより可愛い印象が強い。
私は隣に立つシュンを誇らしい気持ちで見惚れた。
――このシュンは私の唯一無二なのだ!
シュンの背に手を回し自分の傍へ引き寄せながら、私は皆に紹介できる喜びで胸が震えるほどだった。
「シュン・カスガだ。私の唯一無二にして生涯の伴侶だ。これからは私と同様に接し、扱ってほしい」
シュンが驚いたように私を振り仰ぐ。
家人たちからも動揺のどよめきが上がった。
私はシュンの肩を抱く手に力をこめた。誰がなんと言おうと、シュンを私の伴侶とすることを覆すつもりはなかった。
同性の婚姻が認められるなら、今すぐにも結婚の式をあげてしまいたい。
私は何とか驚きを押さえようとしているヨハネスに、さらに宣言した。
「そういうわけであるから、私は後継者の資格を失った。この屋敷を出て行こうと思っている」
さらに大きな動揺が湧きおこった。蒼白な顔になったヨハネスが必死の顔になる。
「ろ、ロワクレス様、とりあえずは、ご当主様がお戻りになられるまで、お待ちください。それからでも、決して遅くはありません。私ども一同、シュン様のお世話を誠心誠意勤める所存でございます」
長年尽してくれているヨハネスは、ある意味父以上に私には親しく信頼できる者だった。あまり彼を困らせても大人げない。私はヨハネスの言葉をのむことにした。
「わかった。では、宜しく頼む」
「ありがとうございます。あらためまして、ロワクレス様、シュン様、おめでとうございます。ロワクレス様がシュン様とお巡りなされたこと、心よりお喜び申し上げます」
ヨハネスがシュンに頭を下げる。その言葉には偽りのない慶びの思いがあった。私は彼の気持ちに胸が熱くなる。ヨハネスはいつでもたった独りでいる私を気遣ってくれていたものだった。
「ありがとう、ヨハネス」
言葉が自然に零れた。それを受けて、さらにヨハネスの頭が下がった。涙ぐんでいたかもしれない。
「おめでとうございます! ロワクレス様!」
「おめでとうございます!」
屋敷の者たちも口々に祝いの言葉を掛けてくれた。私は驚いたが、彼らの混じりけのない嬉しそうな顔を見て、自然に顔が綻んで行く。
「わっ! ロワクレス様が笑った!」
さらに驚きの声が上がり、しばし騒然となった。
「な、な、ほんとだっただろ。ロワクレス様が声をあげて笑ったんだって、俺、言ってただろ!」
侍従のウルノスが周りにいる者に主張しているのが聞こえた。
私はなんて温かい人々に囲まれていたのだろう。どうしてそのことにひとつも気づこうとしなかったのだろう。
シュンがいなければ、きっと私はこれからもずっと、このことに気づきもしなかったに違いない。
ヨハネスがみんなを仕事に戻らせると、家政長のアニータを連れてシュンの前にやってきた。
「家政長のアニータです。屋敷のこまごまとした管理を担当するものです」
「アニータです。奥様。ご不自由がありましたら、なんなりとお言いつけください」
四十三歳になった恰幅の良いアニータがシュンに挨拶をした。太った身体に比例するようにおおらかな彼女はこの屋敷の全てを掌握し動かしている。
「お、おくさま?」
シュンが驚きの声を出したが、私は思わずにんまりしてしまった。
奥様、シュンが奥様、そうか、奥様か、なんていい響きだろう。
「ロワクレス様、奥様のお部屋はいかがいたしましょうか?」
アニータに倣ってヨハネスも奥様扱いを始めた。
「うむ。私の部屋でいい。風呂も部屋の備え付けの浴室を使う」
「わかりました。ただちに支度させします。お食事は食堂でよろしいでしょうか?」
「奥様、苦手な食材などございませんか? 奥様、ご好物のものなどがありましたら、おっしゃってください」
これはアニータ。そしてヨハネスも。
「奥様。それでは、これで失礼したしますので、奥様もどうぞお疲れをおいやしくださいますように」
私が喜んでいるのに気が付いているのだろう、盛んに奥様を連発して執事とアニータは去って行った。
まだショックから覚めないのか、呆然としているシュンを抱きかかえる。
「ちょっ! ロワ! 歩けるよ」
「私の奥様、部屋まで連れて行ってあげよう」
「ロワまで!」
シュンはむすっとした顔になった。それも可笑しくて私は構わずに二階の部屋まで抱っこしたまま連れて行く。
そこはシュンも一度テレポートして来た部屋である。だが、抱っこして入ったせいか、改めて花嫁を連れてきたような喜びを覚えた。
と、急に両頬をむにゅーっと引っ張られる。
「ヒュン、ひゃにひゅりゅ?」
「俺は男だ。奥様じゃない!」
拗ねたように口を尖らせて、私の頬を掴んで目一杯横に引っ張っている。
「いひゃい、ひゃめりょ」
「嬉しそうににたにたしてたぞ、ロワ」
「わひゃった! わひゃった!」
キャラクターが変わりそうだ。シュンは頬を解放すると、私の腕から飛び降りた。私は両頬を撫でた。きっと赤くなっている。
「そう、拗ねるな。私だってお前を女だなんて思っていないし、女の代わりにしようとも思っているわけじゃない」
そっぽを向いて怒りを表明している背に言葉を掛けた。
「ただな、嬉しかったのだ。屋敷の者にとって私の嫁取りは大きな懸念事項だ。仮にも後継ぎと思われているからな。それが、男のお前を奥様と呼んでくれたのだ。この意味が解るか? お前を私の伴侶として認めてくれたということだ。もちろん、反対する者も出るだろう。それでも、執事のヨハネスと家政長のアニータに認めてもらえたということは、私にとって大きい」
背後からシュンの華奢な身体を抱き寄せた。
「あの二人は私が幼い頃からずっと私の傍にいてくれた者たちなんだ。お前の一番の味方になってくれる。私はそれが嬉しかったのだ」
シュンがやっと振り向いて、背伸びをすると私に口づけをしてくれた。
「わかった。ヨハネスやアニータが俺を奥様呼ばわりしても我慢することにする」
「ありがとう、シュン」
私は可愛いシュンを抱きしめる。
「でも、ロワ。あんたは奥様って俺が呼ばれるのを、本気で喜んでたよな?」
「生涯の伴侶なのだ。シュンは私の夫ではあるまい? そうしたら、妻ではないのか?」
「う……、うう。でも、なんか、すっごく抵抗があるんだけど……」
「可愛いな、シュン。奥様だろうが何だろうが、シュンが私の唯一無二で生涯の伴侶であることは変わらないのだ。呼び名などどうでもいいではないか?」
「奥様が定着しちゃうのが、嫌なんだ」
まだ、ぐずぐずと抵抗しようとするシュンが可愛くて、このまま寝台に押し倒したくなってしまったが、そこで扉がノックされる。シュンがぱっと私から離れた。
メイドがお茶を運んできた。アニータの采配なのだろう。
部屋の中央にあるシンプルな白いクロスが掛けられたテーブルの上に、茶器や焼き菓子などが手早く用意された。小さい花瓶にピンクの花まで飾られた。
メイドは支度を終えると、ぐずぐずせずに部屋を出る。侍従も執事もメイドも必要以上に部屋へは入らないし留まらない。私が好まぬからだ。
私は独りで過ごすことを好んでいた。だが、シュンを得て、もはや独りで過ごすことは耐えがたくなってしまった。
シュンが当たり前のように私と自分のカップに茶を注いだ。私が椅子に座ると自然な動作で私の前にカップを置く。
「いい香りだ」
シュンが一口飲んで、嬉しそうに告げた。そう言えば先日来た時は、結局お茶は飲めなかったなと思い出す。侍従のウルノスが床に落とし、私たちも気が急いていた。
私も茶の香りと味を楽しむ。久々にゆったりとする思いだった。西の砦ではこのような良い茶葉も得難かったし、楽しむ時間のゆとりもなかった。
ヨハネスには奥様と認識してもらったが、実際としてシュンの身の振り方をどうしようと思いめぐらす。これからずっと屋敷の中に閉じ込めておくわけにはいかないだろう。例え、私自身がそれを望んでいるとしても。
「なあ、ロワ。俺、この世界の文字を習いたいんだが」
そんな物思いを破ってシュンが話しかけて来た。
「ローファートさんが王都へ戻ってからも、教えに通ってきてもいいって言ってたんだ。あるいは、魔術師統括協会のほうに来てもいいって。リーベック老師からも是非訊ねて来るようにとも言われているんだけど」
私は音を立ててカップを置いた。自分の顔が強張るのを自覚する。
「だめだ! ローファートなんかに教えてもらう必要などない! 協会へも行ってはだめだ!」
「なんでだ? せっかく教えてくれるって言うのに。化学の実験にも付き合うって約束したし」
「文字を教えるのなら、私でもできるぞ?」
「ロワは忙しいじゃないか。城に行っている間、俺、暇だし。早く覚えたいんだ」
「なぜ、そんなに早く文字を覚えたがるんだ?」
「ロワの仕事が手伝えないかと思って。ブルはどう見たって、事務関係は得意そうじゃないぞ。整理も下手だし。ロワもそんなこまごまとしたことやっているほど暇もなさそうだし。あの砦の執務室の机みたら、見当つくよ」
私は言葉に詰まった。確かに私は机上仕事は苦手だ。はっきり言って嫌いだし、向いてもいない。シュンが事務仕事を手伝えるようになれば、確かにいろいろ助かるだろう。ブルナグムも大喜びするに違いない。
そうしたら、シュンを私の補佐に任じてもいい。
そうすれば、シュンと一日中一緒にいられるようにもなる。私の胸が躍った。
「わかった、早急に手配しよう」
「辞書とかあったら、それも貸して欲しいかな。言語体系が把握できれば、たぶんそれほど時間はかからないと思うよ」
「忙しいところを集まってもらってすまないな」
「お帰りなさいませ、ロワクレス様」
私が声を掛けると、正面ホールに集まった屋敷の面々が一斉に声をあげた。
執事のヨハネスを始め、嬉しそうににこやかな顔を向けてくる。
執事補佐のベクハン。家政長のアニータと配下のメイドが二人。コックのバーンズ、庭師のダム、雑用係の下男一人。
侍従ウルノスとその補佐ワッギムは当主の父も私も屋敷に居ることが少なく、専ら警備のほうを担当しているのが常であった。彼ら総勢十人がこの屋敷の者たちだ。
父の大将軍という肩書で、子爵の身分では小規模なものだったが、十分屋敷の事は回っているので不自由はない。母の別邸ではこの倍以上の使用人がいる。どれだけ仕事があるのだろうといつも不思議に思うが、干渉する気もなかった。
「今日は、みなに伝えたいことがある」
私はシュンを手招いた。
***
それより少し前。
私は王都へ帰還し陛下へ挨拶と報告を申し述べたあと、第二騎士隊を解散させてしばしの休暇を取らせることにした。
西の砦での任務はなかなかの激務であったので、隊員たちは休息が必要だった。
そして、私はシュンを伴って、自分の屋敷に帰った。
「お帰りなさいませ」
ザフォード家の執事であるヨハネスが慇懃に細長い身を折って私を玄関前で出迎えた。
「父は?」
「妾宅かと」
「相変わらずだな」
ヨハネスは無言で頭を深く下げた。艶やかだった濃い灰色の髪にも、良く手入れされている口ひげにも白い物がだいぶ混じっている。
私が生まれる前からこの家の管理を担ってきた。ほとんど家に寄りつかない当主よりも、よっぽどこの屋敷の主に相応しい。
「家の者に申し渡したいことがある。正面ホールに皆を集めてくれ」
「はい。ロワクレス様」
一分の隙もなくびしっと身支度を整えたヨハネスは、私の後をとことことついて来るシュンにちらりと目をやったが、無言で頭を下げた。
先日、いきなり部屋に現れ、私と屋敷を出て行ったシュンにいろいろ不審を感じているだろうが、私から説明があるまで賢明にも推察を控えている。
そして、今、皆を集めて、私の横にシュンを立たせた。屋敷の者たちのいぶかし気な視線や興味津々な視線がシュンに集まる。
黒髪黒い眼の小柄なシュンは、飾りのない簡素な緑色のシャツとズボンを身につけ物怖じすることもなく自然体に立つ。
おそらく様々な危険な任務をこなしてきたのであろう。その経験の故か、まだ少年に見える彼には不似合いなほどの落ち着いた物腰とものに動じない胆力があった。
軍で訓練を受けてきたすっきりと姿勢のいい立ち姿は見栄えが良かった。顔は童顔で、十八歳と聞いても十三歳ほどにしか見えない。目が大きくて、美しいというより可愛い印象が強い。
私は隣に立つシュンを誇らしい気持ちで見惚れた。
――このシュンは私の唯一無二なのだ!
シュンの背に手を回し自分の傍へ引き寄せながら、私は皆に紹介できる喜びで胸が震えるほどだった。
「シュン・カスガだ。私の唯一無二にして生涯の伴侶だ。これからは私と同様に接し、扱ってほしい」
シュンが驚いたように私を振り仰ぐ。
家人たちからも動揺のどよめきが上がった。
私はシュンの肩を抱く手に力をこめた。誰がなんと言おうと、シュンを私の伴侶とすることを覆すつもりはなかった。
同性の婚姻が認められるなら、今すぐにも結婚の式をあげてしまいたい。
私は何とか驚きを押さえようとしているヨハネスに、さらに宣言した。
「そういうわけであるから、私は後継者の資格を失った。この屋敷を出て行こうと思っている」
さらに大きな動揺が湧きおこった。蒼白な顔になったヨハネスが必死の顔になる。
「ろ、ロワクレス様、とりあえずは、ご当主様がお戻りになられるまで、お待ちください。それからでも、決して遅くはありません。私ども一同、シュン様のお世話を誠心誠意勤める所存でございます」
長年尽してくれているヨハネスは、ある意味父以上に私には親しく信頼できる者だった。あまり彼を困らせても大人げない。私はヨハネスの言葉をのむことにした。
「わかった。では、宜しく頼む」
「ありがとうございます。あらためまして、ロワクレス様、シュン様、おめでとうございます。ロワクレス様がシュン様とお巡りなされたこと、心よりお喜び申し上げます」
ヨハネスがシュンに頭を下げる。その言葉には偽りのない慶びの思いがあった。私は彼の気持ちに胸が熱くなる。ヨハネスはいつでもたった独りでいる私を気遣ってくれていたものだった。
「ありがとう、ヨハネス」
言葉が自然に零れた。それを受けて、さらにヨハネスの頭が下がった。涙ぐんでいたかもしれない。
「おめでとうございます! ロワクレス様!」
「おめでとうございます!」
屋敷の者たちも口々に祝いの言葉を掛けてくれた。私は驚いたが、彼らの混じりけのない嬉しそうな顔を見て、自然に顔が綻んで行く。
「わっ! ロワクレス様が笑った!」
さらに驚きの声が上がり、しばし騒然となった。
「な、な、ほんとだっただろ。ロワクレス様が声をあげて笑ったんだって、俺、言ってただろ!」
侍従のウルノスが周りにいる者に主張しているのが聞こえた。
私はなんて温かい人々に囲まれていたのだろう。どうしてそのことにひとつも気づこうとしなかったのだろう。
シュンがいなければ、きっと私はこれからもずっと、このことに気づきもしなかったに違いない。
ヨハネスがみんなを仕事に戻らせると、家政長のアニータを連れてシュンの前にやってきた。
「家政長のアニータです。屋敷のこまごまとした管理を担当するものです」
「アニータです。奥様。ご不自由がありましたら、なんなりとお言いつけください」
四十三歳になった恰幅の良いアニータがシュンに挨拶をした。太った身体に比例するようにおおらかな彼女はこの屋敷の全てを掌握し動かしている。
「お、おくさま?」
シュンが驚きの声を出したが、私は思わずにんまりしてしまった。
奥様、シュンが奥様、そうか、奥様か、なんていい響きだろう。
「ロワクレス様、奥様のお部屋はいかがいたしましょうか?」
アニータに倣ってヨハネスも奥様扱いを始めた。
「うむ。私の部屋でいい。風呂も部屋の備え付けの浴室を使う」
「わかりました。ただちに支度させします。お食事は食堂でよろしいでしょうか?」
「奥様、苦手な食材などございませんか? 奥様、ご好物のものなどがありましたら、おっしゃってください」
これはアニータ。そしてヨハネスも。
「奥様。それでは、これで失礼したしますので、奥様もどうぞお疲れをおいやしくださいますように」
私が喜んでいるのに気が付いているのだろう、盛んに奥様を連発して執事とアニータは去って行った。
まだショックから覚めないのか、呆然としているシュンを抱きかかえる。
「ちょっ! ロワ! 歩けるよ」
「私の奥様、部屋まで連れて行ってあげよう」
「ロワまで!」
シュンはむすっとした顔になった。それも可笑しくて私は構わずに二階の部屋まで抱っこしたまま連れて行く。
そこはシュンも一度テレポートして来た部屋である。だが、抱っこして入ったせいか、改めて花嫁を連れてきたような喜びを覚えた。
と、急に両頬をむにゅーっと引っ張られる。
「ヒュン、ひゃにひゅりゅ?」
「俺は男だ。奥様じゃない!」
拗ねたように口を尖らせて、私の頬を掴んで目一杯横に引っ張っている。
「いひゃい、ひゃめりょ」
「嬉しそうににたにたしてたぞ、ロワ」
「わひゃった! わひゃった!」
キャラクターが変わりそうだ。シュンは頬を解放すると、私の腕から飛び降りた。私は両頬を撫でた。きっと赤くなっている。
「そう、拗ねるな。私だってお前を女だなんて思っていないし、女の代わりにしようとも思っているわけじゃない」
そっぽを向いて怒りを表明している背に言葉を掛けた。
「ただな、嬉しかったのだ。屋敷の者にとって私の嫁取りは大きな懸念事項だ。仮にも後継ぎと思われているからな。それが、男のお前を奥様と呼んでくれたのだ。この意味が解るか? お前を私の伴侶として認めてくれたということだ。もちろん、反対する者も出るだろう。それでも、執事のヨハネスと家政長のアニータに認めてもらえたということは、私にとって大きい」
背後からシュンの華奢な身体を抱き寄せた。
「あの二人は私が幼い頃からずっと私の傍にいてくれた者たちなんだ。お前の一番の味方になってくれる。私はそれが嬉しかったのだ」
シュンがやっと振り向いて、背伸びをすると私に口づけをしてくれた。
「わかった。ヨハネスやアニータが俺を奥様呼ばわりしても我慢することにする」
「ありがとう、シュン」
私は可愛いシュンを抱きしめる。
「でも、ロワ。あんたは奥様って俺が呼ばれるのを、本気で喜んでたよな?」
「生涯の伴侶なのだ。シュンは私の夫ではあるまい? そうしたら、妻ではないのか?」
「う……、うう。でも、なんか、すっごく抵抗があるんだけど……」
「可愛いな、シュン。奥様だろうが何だろうが、シュンが私の唯一無二で生涯の伴侶であることは変わらないのだ。呼び名などどうでもいいではないか?」
「奥様が定着しちゃうのが、嫌なんだ」
まだ、ぐずぐずと抵抗しようとするシュンが可愛くて、このまま寝台に押し倒したくなってしまったが、そこで扉がノックされる。シュンがぱっと私から離れた。
メイドがお茶を運んできた。アニータの采配なのだろう。
部屋の中央にあるシンプルな白いクロスが掛けられたテーブルの上に、茶器や焼き菓子などが手早く用意された。小さい花瓶にピンクの花まで飾られた。
メイドは支度を終えると、ぐずぐずせずに部屋を出る。侍従も執事もメイドも必要以上に部屋へは入らないし留まらない。私が好まぬからだ。
私は独りで過ごすことを好んでいた。だが、シュンを得て、もはや独りで過ごすことは耐えがたくなってしまった。
シュンが当たり前のように私と自分のカップに茶を注いだ。私が椅子に座ると自然な動作で私の前にカップを置く。
「いい香りだ」
シュンが一口飲んで、嬉しそうに告げた。そう言えば先日来た時は、結局お茶は飲めなかったなと思い出す。侍従のウルノスが床に落とし、私たちも気が急いていた。
私も茶の香りと味を楽しむ。久々にゆったりとする思いだった。西の砦ではこのような良い茶葉も得難かったし、楽しむ時間のゆとりもなかった。
ヨハネスには奥様と認識してもらったが、実際としてシュンの身の振り方をどうしようと思いめぐらす。これからずっと屋敷の中に閉じ込めておくわけにはいかないだろう。例え、私自身がそれを望んでいるとしても。
「なあ、ロワ。俺、この世界の文字を習いたいんだが」
そんな物思いを破ってシュンが話しかけて来た。
「ローファートさんが王都へ戻ってからも、教えに通ってきてもいいって言ってたんだ。あるいは、魔術師統括協会のほうに来てもいいって。リーベック老師からも是非訊ねて来るようにとも言われているんだけど」
私は音を立ててカップを置いた。自分の顔が強張るのを自覚する。
「だめだ! ローファートなんかに教えてもらう必要などない! 協会へも行ってはだめだ!」
「なんでだ? せっかく教えてくれるって言うのに。化学の実験にも付き合うって約束したし」
「文字を教えるのなら、私でもできるぞ?」
「ロワは忙しいじゃないか。城に行っている間、俺、暇だし。早く覚えたいんだ」
「なぜ、そんなに早く文字を覚えたがるんだ?」
「ロワの仕事が手伝えないかと思って。ブルはどう見たって、事務関係は得意そうじゃないぞ。整理も下手だし。ロワもそんなこまごまとしたことやっているほど暇もなさそうだし。あの砦の執務室の机みたら、見当つくよ」
私は言葉に詰まった。確かに私は机上仕事は苦手だ。はっきり言って嫌いだし、向いてもいない。シュンが事務仕事を手伝えるようになれば、確かにいろいろ助かるだろう。ブルナグムも大喜びするに違いない。
そうしたら、シュンを私の補佐に任じてもいい。
そうすれば、シュンと一日中一緒にいられるようにもなる。私の胸が躍った。
「わかった、早急に手配しよう」
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