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9【side.ノア】――タケル/灰
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しおりを挟むペットボトルのスポーツドリンクを手に振り返ると、リビングでキャリーケースを広げるタケルが目に入った。持参した日用品やジャージ類をしまい込んでいる。その姿が、オレを犯してすぐ家を出て行ったパスカルと重なった。全身がすっと冷たくなる。
「お前なにしてんだよ」
「帰り支度だが」
「そんなことくらい見れば分かる!」
「どうしたんだ?」
「ヤるだけヤってさっさと帰るのか? オレはもう用済みってことかよ」
「そんなことを考えるわけないだろう!」
思いがけず大きな声が飛んできたため、驚きでびくっと震えた。タケルの表情が申し訳なさそうに歪む。
「怒鳴ったりしてすまない。用済みなどと……そんな酷い表現をされるとは思わなかった」
「……だって、ついさっきヤり終わったばっかじゃん。シャワーのあとソッコー帰り支度してさ。感じ悪くね?」
「自分の家に帰ろうとしていたわけじゃなくて、昨日の仕事がまだ少し残っているんだ。これから学校へ向かう」
「……なら先に仕事って言えよ」
「説明不足だったな。嫌な思いをさせて申し訳なかった」
「オレ腹が減ったから。昼メシくらい付き合う時間ないのかよ」
「……その程度なら構わない。お言葉に甘えて僕もいただこう」
「じゃあ肉うどん作ってやるよ」
「君は身体が痛むだろう。作るなら僕が」
「別にいい。オレ、料理好きだから」
「しかし……何か集中できることが欲しい」
「……やっぱ落ち着かないのかよ。また興奮してる?」
「……いや、大丈夫だ。僕は仕事させてもらうことにしよう。代わりに食後の片付けは僕がやる」
タケルはテーブルにノートパソコンを広げ作業を始めた。時折そちらに目を向けつつ昼食の支度を進める。
タケルが泊まりに来た日。
夕食を共にしていた時間、あいつはこう言った。
〝僕ではエリック先生の代わりになれないか?〟
〝僕にもエリック先生と同じくらい親しみを持ってくれると嬉しい〟
あのときはまだシャンプーを使っていなかった。あれは性欲に押し負けての発言じゃない。
タケルはアニキ不在の間、オレの兄代わりを務めることを喜ばしく思っていたのだろう。我慢できず手を出したことはシャンプーのせいだとしても。あいつの心はずっとオレに……。
昼食を終えたあと、玄関までタケルを見送った。ドアの前で振り返ったタケルに名前を呼ばれる。
「やはり僕は君でなければ駄目だ。ノア以外の人など考えられない。いつか君の心も僕にくれないか」
「……そんなこと言われても困る」
「君の求める人がエリック先生だということは重々承知している。だが僕の入る隙も僅かにできたのではないかと……今は少しだけ期待している」
「……自意識過剰じゃね?」
「金曜の君ならば『お前の入る隙なんてどこにもない』と突き放したのではないか?」
……返事ができない。
何故だろう。
自分でもよく分からない。
「今日のノアは、金曜の君とは違って見える。ほんの少しだが僕のことを慕ってくれたように感じる」
「……だから、自意識過剰だって」
「すまない、これ以上押しつけがましいことは言わないでおく。今は僕の想いを……心から君を愛する気持ち、君の全てが欲しいという願い。この二点を心の片隅にでも置いてくれればいい」
「……仕方ねーな。たまには思い出してやるよ」
「今日はゆっくり休んでくれ。もし痛みが酷くなるようだったら――」
「もう痛くねーよっ! 恥ずかしいからいちいち言うな!」
「……ではまた明日、学校で」
玄関のドアが閉まると風呂場へ向かった。浴室内の台に乗っている、紫色のシャンプーボトル。
もう必要ない。
今度こそ捨てよう。
ポンプ部分をひねって取り外し、中身を排水溝へ流すつもりだったのだが。ボトルからポンプを引き抜いた瞬間、花畑のような香りが立ち上った。
咄嗟にポンプを戻す。
ダメだ。
こんな作業をしていたらまた興奮してしまう。
ボトルに金属の類は使われていなかったため、このままゴミ箱へ放り込むことにした。もうこんなもので性欲を掻き立てられるのはゴメンだ。
悲惨な幼少期。
誰にも愛されなかったオレ。
ようやく手に入れた、アニキという大切な家族。
そのうちオレはアニキに恋をして。
でも……。
オレのことを「愛してる」と言ってくれたヤツはタケルが初めてだ。それもあんな情熱的に真っ直ぐ……。
オレ……アニキの前でいつもと同じように振る舞えるかな。この三日間、あまりにもいろんなことが起きすぎた。
「……ごめんアニキ。なんかオレ、心がぐちゃぐちゃだ」
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