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26.王様の怒りと嫉妬

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「ギル、おい、やめろって! ギルバート! おまえ、こいつを殺す気か!?」
 ふいに現れたフィルが、ギルバートの腕を掴んだ。
「椿ちゃんが怯えてるだろうが!」
 ギルバートの肩から力が抜ける。
 椿の顔には表情が無く、目を見開いて彼らを見つめていた。
 その表情の無さに胸が痛んだ。
 フィルは顔面を血だらけにしたまま横たわっていたローレンスに肩を貸し、立たせると言った。
「ソサエティには定例会中止の連絡を流しておく。俺はこいつを医務室に連れて行くから、おまえは椿ちゃんを送ってやれ」
 それだけ言うと、フィルはローレンスを抱えるようにして歩きだした。
 友人の冷静さがありがたかった。
 ギルバートは自身を落ち着かせるように深く息をつき、軽く頭を振った。
 本当はすぐにでも椿に駆け寄り、もう大丈夫なのだと抱きしめてやりたい。
 が、その思いとは裏腹に、これ以上怯えさせないように、ゆっくりとした足取りで彼は椿に近づいて行った。
「椿」
 声をかけると椿はのろのろと彼を見上げた。
 土で汚れた右の頬には擦り傷ができていた。
 全身もまた土にまみれ、いつもはさらさらの黒髪はもつれ、乱れて、葉や小枝をまとわりつかせている。
 ローレンスに対する怒りが再びこみあげてきた。
 だが、ギルバートはそれをどうにか抑え込んだ。
 片膝をつき、椿の顔を覗き込む。
「大丈夫か? 立てるか?」
 椿は一瞬言葉の意味がわからなかったようだった。
 座り込んだまま、きょとんとした顔で彼を見つめ、それから無理矢理笑みを浮かべる。
 あどけない、けれども、今にも泣き出しそうな顔。
 何か言おうとしたのだろうか。口を開きかけたが、出てきたのは言葉ではなく涙で、椿はそれを堪えようとするかのように唇を噛んで俯いた。
 小さな体が小刻みに震えている。
 どうしていいのかわからなかった。
「椿……」
 思わず手を伸ばしたとき。
 椿はびくっと震え、反射的にその手から逃げた。
 唖然とした彼に向けられた瞳は怯えきっていて、ギルバートは言い様のないショックを受ける。
 俺にまで怯えるのか?
 ギルバートの表情に気付いたのか、椿は取り繕うように言った。
「て、……手が、汚れますよ。私、泥だらけですから。」
 それから、青ざめた顔に強張った笑みを浮かべる。
「迷惑かけてすみません。ギルバートさん、お忙しいのに。もう、大丈夫ですから。ひとりで帰れます」
 ひどいめにあったくせに、俺の手が汚れるとか、迷惑かけるとかってなんだよ?
 今だってそんなに怖がっているくせに。
 それとも俺に近寄るなとでも?
 そこまで考えてはっとする。
 おまえは拒絶するために微笑むのか。
 今だけじゃない。
 一見、無防備で無邪気な笑顔も、柔らかで静かな微笑みも、全て他者を寄せ付けないためのものだったのではないか。
 震えながらひとりで立とうとしている椿に、彼は何か言いたかった。だが、何を言えばいいのかわからなかった。
「椿!」
 声のした方を見ると、何故か鷹也がそこにいた。
「鷹ちゃん、……どうして……?」
 椿は驚いたように、自分に近づいてくる鷹也を見上げる。
「みんなが知らせてくれた」
「みんな?」
 鷹也は腰をかがめて椿の顔を覗き込むと小さく笑い、くしゃりと椿の髪を撫でた。
「一応、私にも椿と同じ血が流れてるんだぞ」
 椿の瞳が揺れ、次の瞬間、鷹也に抱きついて泣きだした。
 ギルバートにはわからない、おそらく日本語と思われる言葉で、慰めを求める子どものように何事かを訴えながら泣いている。
「ああ、よしよし、どうした? カンピオンにいじめられたか?」
「なっ、俺は……!」
「ち、違う、の、ギルバートさんは助けてくれた、の。でも、ね、」
 そこから先は、再びギルバートには理解できない言葉に変わる。
「すまん、カンピオン。悪いが日本語で会話させてくれ」
 鷹也は椿の背中をあやすように軽く叩きながら言った。
「どうぞ」
 鷹也は礼を言うと、なだめるように椿に話しかけ、乱れた髪を梳きつけた。とても、優しい仕草で。
 ギルバートは苛立ちを感じながら、そんなふたりを見ていた。
 どうして椿を抱きしめているのが鷹也なのだろう。
 俺には手が汚れるだの迷惑かけてすまないだの言っていたくせに、どうして椿は、鷹也にはあんな風に、ためらいもなく甘えるのだろう。
 どうして、俺じゃ駄目なんだ? そんなに俺が怖いか? 優しくしているつもりなのに、それでもまだ足りないのか? どうすればいいんだよ、椿?
 ようやくしゃくりあげる程度になった椿を立たせると、鷹也はスマートフォンで寮に連絡を入れ、車と医者の手配をした。
「さ、椿、帰るぞ」
 英語で声をかけたということは、椿も多少は落ち着いたのだろう。
「カンピオン。いろいろ悪かったな。おかげで助かった。礼を言う」
「いや……。それより、椿、歩けるのか?」
 椿は俯いたまま、消え入りそうな声で答えた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
 それでも、歩き出した椿は右足を引きずるようにしていた。
 ギルバートはふたりが車に乗り込むまで見送った。
「ところで、鷹也。俺はローレンスに本気で腹を立てているんだが」
 椿の隣に座ろうとしていた鷹也は振り向き、冷ややかに笑った。
「奇遇だな、私もだ」
「ということは、いいんだな?」
「陛下の思し召しのままに」
 そう言うと鷹也は車に乗り、ふたりを乗せた車は走り去った。
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