59 / 156
オメガならよかった
釣り合わない、けど
しおりを挟む稲垣は長身の背を丸め、膝の上に置いたコーヒーに視線を落としている。
目の端にその姿を捉えながら、僕一人が淡々と話を続ける。
「僕が高校生の頃に母が亡くなって……、叔父が後見人になってくれたんですが、金銭的には援助をもらえなかったんです……。就職活動も全滅だったから、母のようにとりあえず美容師免許を取ろうと思いました。でも、普通のバイトでは入学金を用意できそうになくて……。お金を稼ぐために、出会い系サイトで知り合った人と会おうとしたんです」
視界の端で、稲垣が動く。こちらに顔を向けたようだった。
昔話の意図をはかりかねているような。そんな戸惑いの眼差しを横顔に感じる。
「日取りを決めて、会う約束までしたんですが……、その直前に今の事務所の専務にスカウトされたんです。チラシのモデルくらいならすぐに仕事を回せるし、モデル代も日払いでくれると聞いて、出会い系の相手との約束はキャンセルしました。メールには、お茶を飲んで話をするだけでいいと書いてありましたけど、実際に会っていたら、もっと大変なことになっていたかもしれません」
言いたいことを全て話し終えて、稲垣のほうに顔を向ける。薄闇に溶け込みかけた瞳と、至近距離で視線が絡み合った。
「結局、何が言いたいんだ?」
稲垣は首をわずかに傾げ、声に懐疑を滲ませる。
「それは僕の黒歴史なので……、話したら諒真さんの安心材料になるかもと思ったのですが……。もちろん、さっきのことは人に話したりはしませんけど……。僕だけが諒真さんの弱みを知っているのは、不安だろうと思ったので」
父親譲りのくっきりとした二重の大きな目が、瞬きを忘れたように、じっとこちらを見つめている。
真っすぐにその視線を受け止めていると。
「俺は既遂でお前は未遂なんだから、全然釣り合わねーだろ」
呆れを感じる声色で、言われた。
「そう……ですよね。でも、それ以外の恥話だと、ただの貧乏自慢になってしまうので……」
マスコミが食いつきそうな話は、他にもあるにはある。僕がオメガだという秘密だ。
でも、それは黒歴史ではなく現在進行系のことなので、さすがに話す勇気はなかった。
「ありがとう。いいよ。充分だ」
薄暗がりの中で、くしゃりと歪められた顔が、なんだか泣き笑いのように見えた。
稲垣は顔を前方に戻し、缶コーヒーのタブを引いた。少しぬるくなっているはずのそれを口元へと運ぶ。
「昔は……、あんな人じゃなかったんだ…………」
缶を膝の上へと戻し、懐かしさの滲む口調で話し出す。今度は、僕が聞き役に徹する番だった。僕も、彼の視線の先――夜の帳の下りた滑り台へと顔を向ける。
1,407
お気に入りに追加
3,465
あなたにおすすめの小説

新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく舞踏会編をはじめましたー!
他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
【完結】僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
⭐︎表紙イラストは針山糸様に描いていただきました

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】可愛いあの子は番にされて、もうオレの手は届かない
天田れおぽん
BL
劣性アルファであるオズワルドは、劣性オメガの幼馴染リアンを伴侶に娶りたいと考えていた。
ある日、仕えている王太子から名前も知らないオメガのうなじを噛んだと告白される。
運命の番と王太子の言う相手が落としていったという髪飾りに、オズワルドは見覚えがあった――――
※他サイトにも掲載中
★⌒*+*⌒★ ☆宣伝☆ ★⌒*+*⌒★
「婚約破棄された不遇令嬢ですが、イケオジ辺境伯と幸せになります!」
が、レジーナブックスさまより発売中です。
どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる