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選定の儀
選定の儀(7)
しおりを挟む目付きが鋭いせいで顔は怒っているように見えるが、その声は思いのほか淡々としていた。少なくとも脅すような響きは感じられない。
ただ――。かけられた言葉の意味は、よくわからなかった。
聞き間違いじゃなければ、「俺のところに来る気はあるか?」と訊かれた気がする。普通それは、人を欲しているときに言う言葉だろう。
第3王弟殿下は選定の儀には参加しなかったのだから、妾を求めているわけではない。オメガで見た目にも非力そうなユリウスに、騎士として部下になってほしいなどと言うはずもない。だとしたら……。
「侍従として、僕を雇ってくださるということですか?」
ユリウスが導き出した結論に、殿下はわずかに虚を衝かれたような顔をした。
そして、何かを考え込むように、暫し気難しい顔をしていた。
「そのほうがいいなら、それでもかまわない。俺のところが嫌なら、故郷に帰ってもいい。誰か好きな相手がいるのなら、そいつと結婚したらいい」
続く言葉は、ユリウスにとって、更に理解に苦しむものだった。
好きな相手と結婚できるということは、選定の儀の売れ残りオメガが臣下に下賜されるという話は、今年からなくなったということだろうか……。
事情はよくわからないにせよ、故郷に帰っていいのであれば、できれば帰りたかった。
でも、父の後は弟が継ぐことが決まっているし、帰ったら実家のお荷物になることはわかっている。それに、誰かと結婚するにしても、自分が妻を娶って養っていけるとは思えないし、あまり裕福でない家に嫁ぐのも恐い。
貧乏が嫌なのではなく、発情期中はドアも窓も閉めきって部屋の中にいても、多少は匂いが外に漏れ出てしまうのだ。それで使用人に襲われかけたことも何度かある。都のように一戸一戸の家が小さく、隣との距離も近いと、匂いに惑わされた人が押しかけてきそうな気がする。
『番』とやらができれば、匂いが他の人を惑わすことはなくなるらしいが、番になれるのはアルファとオメガだけだ。しかし、宮殿の中ならともかく、市井では、オメガと同様にアルファもまた、滅多に出会うことのできない希少な存在だった。
そう考えると、従者にしてくれるというのは、とてつもなくありがたい話に思えてきた。
「あの……。撲、オメガなので、発情期のとき、ご迷惑をおかけすると思いますが……。間隔が少し不規則なので、予定とずれて急にお休みさせてもらうこともあると思います。それでも大丈夫ですか?」
「かまわない。いてくれるだけでいい」
仕事内容としてはあまり期待されていないということだろうか。
確かに、薬を煎じたり薬膳茶を煎れる以外の家事は全くやったことがないので、自分が侍従としてすぐに役に立てるとも思えない。
でも、だとしたら、なぜ雇ってくれようとするのか。
もしかしたら、第3王弟殿下がオメガ嫌いという噂は、間違っているのかもしれない。
きっと、見た目は怖いけど、売れ残りのオメガに手を差し伸べてくれるような、慈悲深い人なのだろう。
そう思ったら、殿下に対し抱いていた恐れも、霧が晴れるように一気に霧散した。
「あ、あの……、お役に立てるように精一杯頑張りますので、是非とも殿下のもとで働かせてください!」
椅子から降り、直角に体を折ってお辞儀をする。
「『殿下』はいらない。俺に仕えるなら、俺のことは『ライニ』と呼べ。それから、いちいち頭を下げるな」
「あ、はい!」
ユリウスは一度弾かれるように背筋を伸ばし、結局はまた、習い性で頭を下げていた。
「よろしくお願いします。ライニ様」
「同じことを二度言わせるな」
頭を下げていたから、その人の表情は見えなかった。
でも、その声は、心なしか先ほどよりも満足気に聞こえた。
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