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第45話 ずっと、気になっていたんだ

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 ヒューゴには、本当のことを言えない。自分ができなかった分、彼のことを支えてあげてほしい。
 そう言ったミラベルの気持ちも、よくわかった。だけどクリスは、それでも頷くことはできなかった。

 まず第一に、これはミラベルは知らないことだが、そもそも自分は本当の恋人ではない。その時点で、彼女の言ってることを叶えるのは無理がある。
 けれど一番大事なのはそこじゃない。例え本当の恋人であっても、きっと答えは変わらなかっただろう。

「ミラベルさん。私はあなたじゃありません。あなたがヒューゴ様の心に傷を負わせた言うのなら、それを埋められるのは、あなたしかいないんです」

 ヒューゴがこの先誰と出会い、どんな想いを育んだとしても、それは今であり未来の話だ。彼の中にある、母親にお金のために売られたという過去は、何も変わらない。

 もちろん、そんな過去の傷も、いずれは乗り越えていけるかもしれない。本当の恋人なら、その手助けだってできるかもしれない。
 だが乗り越えるでなく傷そのものを埋めることができるのなら、きっとその方がいい。そしてそれができるのは、母親であるミラベル本人しかいない。

 何より、こんなにもヒューゴのことを大切に思っているのに、このままではその思いを伝えることもできず、ずっとすれ違ったままだ。どんな理由をつけても、それを認めるなんてしたくなかった。

「お願いします。本当のことを言ってあげてください。あなたはこのままで、何も後悔ないのですか?」
「それは……」

 ミラベルがそうしたように、クリスもまた、頭を下げて頼み込む。
 もしかすると、とんでもなく余計なことをしているのかもしれない。ミラベルが本当のことを話したところで、ヒューゴがそれを受け入れてくれるとは限らない。それでも、僅かでもその可能性があるのなら、それにかけてほしかった。

 だが、彼女の答えを聞くことはできなかった。
 なおも懇願しようとするクリスの言葉は、飛んできた声によって遮られた。

「クリス。いつまでかかっている」

  飛んできた声の主は、ヒューゴだった。

「話すのは少しの時間だけだと言っただろ。それに、彼女の負担になるようなことがあれば、すぐに中止しろともな」

 どうやら詳しい話の内容を聞いたわけではないようだだが、長々と喋り大声で何かを頼み込む姿は、彼からすれば看過できないものとして映ったらしい。

 確かにそれは、その通りかもしれない。ほんの少し前まで監禁されていて、体に傷を負ったところを、さらに追い詰めるかもしれないのだ。クリスも、やり過ぎてしまったかもしれないと思う。
 しかしそれでも、未練はあった。

「だけど……」

 もしかすると、今を逃せば彼女の心を動かすチャンスを永遠に失ってしまうかもしれない。そう思うと、このままやめてしまうのは、あまりにも歯痒い。

「ミラベルさん。本当に何も言わないでいいんですか? 今言えなかったら、ずっとこのままかもしれないんですよ!」

 真実を話すだけなら、クリスの口から伝えることたってできる。だがこれは、ミラベル自身が言わなければ意味がない。彼女の口から、直接ヒューゴに言ってほしかった。
 クリスの言葉を受け、ミラベルの体が、微かに震える。

 だがそこで、事情を知らないヒューゴが困惑しながら、それでも厳しい声で言う。

「何があったか知らんが、これ以上は見過ごしておけんぞ」
「総隊長。でも……でも……」

 ここで諦めたくはない。しかしここまで制止されては、さすがにこのまま続けることはできそうもない。
 もう、頼むことすらできないのか。しかしその時、今度はミラベルの声が響いた。

「待って!」

 その一言を発してから、ミラベルはハッとしたように口元を押さえる。もしかすると、今のは無意識のうちに出たものなのかもしれない。

 少しの間、ミラベルは何も喋らず、じっと沈黙を続ける。
 だがそれから、口元を覆っていた手をゆっくりと外すと、絞り出すようなか細い声で、ヒューゴに向かって言う。

「違うんです。その人は、私に大事なことを教えようとしてくれたんです。とても……とても大事なことを……」

  一言紡ぐ度、ミラベルの体の震えが少しずつ大きくなる。だが彼女は自らの体を押さえつけ、今度はもっとハッキリと告げた。

「お願いします。私の話を聞いてくれませんか」
「話?」

 ヒューゴには、何のことだか見当もつかないだろう。だがクリスにはわかった。ようやく、本当のことを告げる決心をしてくれたのだと。

「私からもお願いします。どうか、この人の聞いてください」
「あ……ああ」

 ヒューゴは戸惑いながら、それでも二人の真剣な表情を見て、すぐに頷く。

 これでもう、クリスにできることは何もない。あとは、うまくいくよう祈るだけだ。

 どうか二人の気持ちが、少しでも通じ合いますようにと。










 「なあ。隊長、何を話しているんだ?」

 押収作業を続けていたキーロンが、遠目にヒューゴとミラベルの二人を見ながら聞いてくる。
 それに対するクリスの返事はこれだ。

「さあ、なんでしょうね」

 隠しているわけじゃない。本当に、わからないのだ。
 あの後すぐ、ミラベルはヒューゴに、自分があなたの母親だと告げていた。ヒューゴは目を丸くしたが、クリスが知っているのはそこまでだ。これ以上は、二人だけでじっくり話してほしい。そう思い、早々にその場を離れ、今に至る。

「ただ、少し長い話になるかもしれません」

 真実を話して、それですぐに何もかも良くなるなんて思わない。全てを知ったヒューゴが、それでも許せないと思ったら、それまでかもしれない。
 だけど、今よりほんの少しでいいから良くなってほしい。そんな風に思いながら、二人に背を向けた。
 だが……

「作業の進捗はどうなってる。時間をかけても構わんから、徹底的に調べ尽くせ」

 すぐ後ろで、そのヒューゴの声がした。しかも、完全に仕事の状態に切り替わっている。

「総隊長、話はどうしたんですか!?」

 二人きりにしてから、まだほんの数分しか経ってない。どんな会話をしたのかは知らないが、いくらなんでも短すぎやしないだろうか。

「さっきも言ったように、彼女はケガ人だ。それを、俺個人の事情のために拘束しておけるわけがないだろう」
「そんな……」

 確かに、ヒューゴの言っていることは間違いではない。だがそれなら、親子としての話はいったいどんな形で終わったのか。
 知りたくはあるが、軽々しく聞くのは躊躇われた。
 だがそこで、ヒューゴはさらに続けた。

「やるべきことが一段落ついたら、見舞いに行く。じっくり話をするのは、それからだ」
「えっ──それじゃあ?」
「あの人が、どんな思いで俺を預けたかは聞いた。だが、すぐには受け止めきれなくてな。一度気持ちを落ち着かせて、それからまた話をしようと思う。長い話になるだろうから、ちゃんと時間をとってやりたいんだ」

 ヒューゴがあの真実を聞いて、どんな風に思ったかはわからない。もしかすると、本人もまだ明確な思いなど抱けていないのかもしれない。
 だがそれを話すヒューゴは、どこか晴れやかに見えた。

 そして、ポツリと呟く。

「ずっと、気になっていたんだ」
「えっ?」
「俺がアスターの家に渡された時、あの人は金のためだと言って、俺を置いていった。だが最後にこっちを振り返った時、泣いているように見えた」

 どうしてそんなことになったのか。なんて、ミラベルの真意を思えば、考えなくてもわかる。
 これが、我が子との永遠の別れになるかもしれないのだ。泣きそうになるのも無理はない。

 だが、それを知らなかったヒューゴにとっては、そうではなかった。

「だが、それを思い出すにつれ、こうも思った。もしかするとあれは、俺自身が勝手にそう思い込んでいるだけなんじゃないか。弱い自分が作り上げた幻じゃないかってな」

 それこそが悲しい思い込みだ。それでも、真実を確かめる術のなかったヒューゴには、そんな答えを出せぬ疑問を抱き続けるしかなかった。
 だが、それももう終わりだ。

「お前のおかげで、ようやく答えがわかった。ありがとな」

 言われて、胸がカッと熱くなる。
 どうしてそんなことになったのかはわからない。だがヒューゴの抱えていたものが軽くなったことが、自分にその手伝いができたことが、たまらなく嬉しい。

 そう思った時だった。

 急にヒューゴが近づいてきたかと思うと、グイッと引き寄せられ、まるで包み込むように手を後ろに回される。

「えっ……?」

 一瞬、何が起こったかわからず、それからようやく、自分が抱きしめられていることに気づく。

「そ、総隊長!?」

 いったいぜんたい、何がどうなっているのか。どうしてこんなことをしているのか、わけがわからず、目を白黒させる。
 そんなクリスの耳元で、ヒューゴはそっと囁く。

「本当は、事件を全部片付けてから言うつもりだったんだけどな……」
「な、何をですか?」
「クリス、よくぞ無事でいてくれた。よかった。本当によかった」

 再び、クリスの胸が、それに体中が熱くなる。
 心臓がうるさいくらいに音を立て、それがヒューゴにも聞こえているのではないかと思うと、途端に恥ずかしくなる。

 だが沈めようにも、それからしばらくの間胸の高鳴りは収まることなく、激しい音を立てたままだった。
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