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第四章
33:石が生まれてくる理由
しおりを挟む「マリィシャ? 入るぞ」
ノックの後、返事が返ってこないことを不思議に思いながらドアを開ける。やはり疲れて眠ってしまっているのだろうか。音を立てないように部屋に足を踏み入れると、ベッドにこんもりと盛り上がる塊を見つけた。
存在を認識してホッと安堵するのも束の間、くぐもった声が耳に届く。
「ん……っ、う、うぁ……」
頭までかぶせられたブランケットの中からだ。苦しそうなその声に、背筋が凍った。アレクは思わず駆け寄り、ブランケット越しにマリィシャの体を揺さぶった。
「マリィシャ! マリィシャどうしたんだ!」
「ア……レク、ごめ、大丈夫……なんでもないっ……」
顔を出したマリィシャが、絶え絶えにそう答えてくる。とてもなんでもないようには思えない。ドクンドクンと、心臓が嫌な音を立てた。熱があるのか、頬が赤いようにも見え、額に手を当ててみる。
「やあっ……」
マリィシャが高い声を上げ、アレクは思わず手を引っ込めた。触れるだけで、痛みが走るのかもしれない。どうすればいいのか分からず、焦りで額に汗が浮いた。
「マリィシャ、どこか痛むか? 息をちゃんとしてくれ、頼むからっ……」
ブランケット越しでさえ、マリィシャの体が震えているのが分かる。荒い息とくぐもる声は、両親が事故でひどい怪我を負った時のことを思い起こさせた。ぞくりと、全身が総毛立つ。
失うのか? ――マリィシャを。
アレクはぐっと拳を握りしめ、ふるふると首を振った。
「マリィシャ、苦しいかもしれないが、少し我慢してくれ。医師を呼ぶより、こちらから出向いた方が早い」
「ち、ちがっ……アレク、平気、待って……あぁっ……あ」
「こんな状態で何が平気だ! 黙って見ていろというのか!?」
すぐに医師に診せなければいけない。もし流行の病であれば、国にも報告が必要なのだ。何より、こんな形でマリィシャを失うわけにはいかない。
片膝でベッドに乗り上げ、ばさりとブランケットを剥ぎ取って、目を瞠った。
「や……あ、ぁ」
「――マリィシャ、これは……」
マリィシャの体の周りに散らばる、いくつものきらめき。
見開いた目のすぐ下で、今まさに宝石が生まれ落ちた。
「だ……から、平気だって言ったじゃん……もう、せっかく落ち着いたのに、あんたが触るから……っ」
マリィシャの呼吸が落ち着いていく。ややあって自分で体を起こし、乱れた銀の髪を梳いた。頬が赤いのは変わっていないが、深刻な状況ではないのだと見て取れる。
アレクはマリィシャが生んだ宝石をつまみ上げ、以前のサファイアよりも純度が高いことに気がついた。
「お前まさか……ずっとこんな状態だったのか……?」
「えっ? あっ、うん? いや、まあ、ここ最近ていうか、そのっ! ちょっと、止まんなくなることがあってさ」
マリィシャの視線が泳ぐ。
彼が石を生むことをもう不思議には思わなくなったが、実際目の当たりにした回数はそう多くない。初めてこの領に来たあの日と、土砂崩れが起きた日。草木染めのシュマグを贈ったあの日と、そして今日。だがこの分ではもっとたくさん生んでいるに違いない。
マリィシャの顔が赤いのが気にかかる。体に相当の負担がかかっているのではないだろうか。
マリィシャは宝石を生むという種族にもかかわらず、ここ最近まで生めなかったという。体質の問題なのであれば、生む度に無理矢理その質を変えていることになるのだ。
「毎回、こうなのか」
「ん~、今日はちょっと苦しかったかな。でもこれアクアマリンだ、嬉しい。もっと透き通ったら、アレクの目にそっくりなのに」
それなのにマリィシャは、なんでもないように散らばる石を拾い集め、アレクの手にあったアクアマリンをつまみ上げる。色とりどりの石が、マリィシャの手のひらで踊った。
「研磨すればもう少し綺麗になるけど、そんなのできる人いないもんな」
あーあ、とため息を吐きながら、マリィシャはベッドを降りる。傍のチェストにあった箱を開け、その中に生んだ石をしまい込んだようだった。
「あっ、そうだアレク! これも売れないかな? 高級なジュエリーにするのは無理かもしれないけど、ちょっとしたアクセサリーとか、パワーストーンていうヤツ」
マリィシャはその箱を持ったまま振り返る。両手で持たなければいけないほどの箱の中、ぎっしりと石が詰め込まれていた。大小様々、種類も模様も色々だ。知らないうちにこんなに生んでいたというのか。
信じられない気持ちだった。なぜそんなにも明るい声で言えるのか。
「これなら元手もかからないしさ。ちょっと明日持ってってみ――」
「売れるわけがないだろう、こんなもの!」
「え……っ」
思わず腹の底から叫んだ言葉に、マリィシャが息を止めたのが分かる。大きな目がもっと大きく見開かれて、茫然とする様を見た。
「こんな、ものって……そ、そんなふうに言わなくてもいいだろ! そりゃまだ全然綺麗な宝石じゃないけど、アレクだって、最初は石でも何でも売って稼いでこいって言ってたのに!」
やがて潤んでいく瞳に、言うべき言葉を間違えたのだと気がついたが、今度ばかりはマリィシャの案を許可するわけにはいかない。
何も知らずに石を生めなどと言っていた過去の自分が恨めしかった。
「お金、まだ足りないんだろ!? これだって売ったら少しは足しになる!」
「お前が気にするようなことじゃない、いらんと言っているんだ!」
ぼろっと、ついにマリィシャの目から涙がこぼれ落ちる。わなわなと震える手の上、箱の中で石がぶつかり合って音を立てた。頼りなくふるふると震える唇が、「もういい」と拒絶を発する。
「マリィシャ」
「いらないって……あんたにだけは言われたくなかったよ、アレクの馬鹿!」
「話を聞け、マリィシャ!」
くるりと踵を返したマリィシャの腕を掴み、言葉が足りなかったと詫びようとするけれど、聞くことなんかないとばかりに振り払われた。仕方なくもう一度掴み直して、力任せにベッドへと放る。
「あっ……」
その勢いで宝石箱は振り回され、キラキラと光る宝石が、バラバラとあちこちに降り注いだ。
「お前があんなに苦しい思いをして生んだものを、ついでのように売れというのか!? お前の方こそ馬鹿を言うな!」
逃げられないよう腕の横に両手をついて、声を張り上げる。マリィシャの濡れた瞳が、まっすぐに見上げてきた。
「確かに領の資金はまだ全然足りん。だが……石を生む度にあんなふうになるお前は見ていられない。お前の命を削ってまで、金が欲しいとは思わん!」
肩で息をすれば、マリィシャの潤んだ目が大きく見開かれる。
「ア、アレク……俺の体、心配、して……?」
ほんのりと赤らむ頬に、アレクは目を細めた。胸が潰れそうなほどに怖かったあの瞬間の思いを、どう説明してやれば伝わるだろうか。
「生まないでほしい、マリィシャ」
「で、でも俺、何か力に……それにこれは、アレクを」
「お前はそのままで充分に力になってくれている。石を生まないようにすることはできないのか? お前を失うのかと思った私の気持ちも考えてくれ」
その頬を撫で、思っていることを真剣に伝えたつもりだ。自分が口下手であることは自覚しているが、伝わってほしい。
「むっ、無理に決まってるだろそんなの! だ、だいたい俺が石を生むの、アレクのせいじゃないか!」
せめて誠実であろうと告げた言葉に、マリィシャは顔を真っ赤にしてぷいと背けてしまう。
「私のせい? どういうことだ」
わけが分からなくて訊ねれば、ちらりと視線がよこされる。だけどそれはすぐに逸らされて、手のひらで覆われてしまった。マリィシャと名を呼んで促せば、もぞりと身じろぐ。
「忘れてんのかよ、アレク。俺たちリュトスが宝石を生む条件……そんなの、コントロールできるもんならとっくにしてる」
「条、件……?」
手のひらでくぐもる声が耳に届く。アレクは記憶を手繰り寄せて、以前彼が言っていた条件を思い起こした。
ハッとする。
リュトスは、誰かを強く想って石を生む。
マリィシャがアレクのせいだというのなら、それはつまり――。
「マリィシャ、お前……」
アレクは顔を覆っているマリィシャの手を取り、そっと引き剥がす。観念したようによこされた視線に、胸が締め付けられた。
「気づいてなかったんだ、アンタ。これ全部、アレクを想って生まれてきたんだぜ」
長い銀の髪を飾るように、いくつもの宝石が散らばっている。いくつも、いくつも、この踊り子は宝石を生んできたのか。
アレクはマリィシャを半ば茫然と見下ろし、切なげに細められた瞳の奥に、自分の姿が映っているのに気づく。
「好きだよ、アレク。アンタのことが好きだ」
ゆっくりと口にされたその音が、アレクの耳にしっかりと届く。
アレクはたまらずに目を細めて苦笑いをした。
「私は……肝心な時に思い切りというものが足りないのだろうな。お前に先を越された……」
「え? ん、ぅ」
柔らかな唇をそっとついばむ。マリィシャとの口づけはこれが初めてというわけでもないのに、まるで初めて触れたもののように感じられた。
「ア、アレク……?」
なんで……? とでも言うように、触れられた唇をなぞるマリィシャ。アレクはその唇のすぐ傍で、そっと囁いた。
「マリィシャ、このままここで私に愛されていてくれないか」
長く旅をしてきた踊り子に、この領は退屈かもしれないが、これから退屈などないように整えていってみせる。また新たな目的ができてしまったなと、アレクは胸の内で思う。
唇を撫でていたマリィシャの手を取って指を絡めてみれば、恥ずかしそうに頬を染めながらも絡め返してくれる。
嬉しい。
そう呟いたマリィシャの声を、吐息ごと唇の中に閉じ込めた。
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