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第三章

25:一昨日より、昨日より

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 それから毎日、マリィシャは出稼ぎに向かった。荷車にたくさんのリンゴを乗せて林道を歩き、関所を通って隣の領へ。
 キースともすっかり顔なじみになってしまって、一週間が経つ頃には、特別に通行料の定期券を発行してもらった。
「なあ、アンタの踊りを見てみたいんだが……明日も行くのか? 俺明日休みだから、ちょっと覗いてみようかと思って」
「うん、明日も来るよ! 見てもらえんの嬉しい!」
「キースがマリちゃんの踊り見たがるとはなあ。変わりゃあ変わるもんだ」
「うるせえ」
 照れくさそうにそっぽを向くキースに手を振って、いつものように借りている場所へと移動した。

「よーしマリちゃん、今日も頑張ってくれよ」
「ねーあたしお店の手伝い初めてだけど大丈夫かなぁ?」
「だーいじょうぶだよ、俺ができるんだから、サラの明るい笑顔でお客さん引き込んで! 俺向こうで踊ってくる!」
「えっ、そ、そう? うん頑張る~。マリちゃんも気をつけてね!」
 そんなふうに笑い合いながら、マリィシャは今日も踊る。最初は数人だった見物人が、一人、また一人と増えていく。

「なあに? 踊り子さん? 可愛いねえ」
「あの子一人なんだ、珍しいなあ。どこから来たんだろ」
「あっちで売ってるリンゴ、あの子がオススメしてくれたんだよ。美味しくってさあ」

 道行く人たちのそんな声が聞こえてくる。少しは店の集客につながっているようでよかったと、くるりと回る。腕輪がシャラリと音を立てた。
 踊り終えると、たくさんの拍手が聞こえてくる。ふうっと息を吐いて店の方を見やると、少し人だかりができていた。手伝わなきゃと向かえば、興味深そうに付いてくる人たちが何人か。
「サラ、ごめん手伝うよ。ヘンリーさん、これ試食に出して平気?」
「わ~んマリちゃん良かったあ、たすけて~」
「おう、それならいいぞ。フレッド、帳簿に書いておいてくれ」
「オーケー」
 まだ大勢の客を相手にすることに慣れておらず、上手く手が回らない。今日初めて手伝ってくれたサラは、焦りで余計に疲労しているようだった。マリィシャ自身、物の販売というのはしたことがなくて、手探り状態だ。
 それでも客を捌き、値下げ交渉を回避したり、せがまれて少し踊ったりしていれば、陽が落ちてくる。

「そろそろ引き上げようか。暗くなると危ねえからな」
「すごーい、お金こんなに」
「ありがとなぁ、サラ。助かったよ」
「ううん、あたしも楽しかった」
 一昨日より、昨日より、売上が増えた。労働の対価として分けてもらえたお金と、踊りの見物料としてもらったお金。マリィシャはそれを大事そうに腰の布袋にしまった。

 ――――帰ったらアレクに渡そう。喜んでくれるかな。

 マリィシャはここで稼いだ金を、すべてアレクに渡している。泊めてくれる上に食事まで出してくれるのだから、当然のことだとは思う。だが領の資金繰りのことを考えれば微々たるものだろう。
 ――――もっと、たくさんお金が手に入ればいいんだけどな。アレクの笑った顔、見たい。
 踊りが好きだと言ったあの日見せてくれたような笑顔を、もっと見たい。思い出すと、体が熱くなってくるようだ。
「あ」
 まずい、と瞬時に思った。マリィシャは店のみんなから少し離れたところで、そっと胸のあたりを押さえる。
「ん……っ」
 体の奥がざわつく。何かが這い上がってくるうようなこの感覚には、まだ慣れない。だけど、それの正体は知っていた。
「ん、く、……ぅ」
 漏れ出そうになる声を抑えて、息を呑んだ頃、ころりと手の中に石の感触を覚える。淡い光を放っていたが、周りには気づかれていないようだ。ホッとして手の中を覗くと、そこには青く光るサファイアの欠片。以前より、格段に純度が上がっていた。
「……参るよなあ、これ……」
 マリィシャは肩を竦めて苦笑する。アレクのことを考えると、こうして石が生まれてくる。その理由を探そうとは、もう思わなかった。



「客が増えたのか。このまま常連客になってもらえるといいんだが」
 マリィシャが書いたつたない売上報告書に目を通して、アレクは頷いた。
 報告書と言っても、売り物の種類はリンゴ一つのみ。持っていった数と、試食で出した数、そして残った数。後は金額が書いてあるくらいだ。それも字が上手いとは言えず、整った書類とは言いがたい。
「あとさ、今日も俺の踊り見てくれた人がいたんだ。最前列を陣取ってくれてんの。顔もすぐに覚えたよ」
 今までこんなことはなかった。酒の席に呼ばれて酌をするだけで、踊りなんてマトモに見てもらえなかったのに。「ねえ踊りを見て」と言えば寝室に引きずり込もうとする男たちばかり。たまに女性もいたけれど、どちらにしろ性の対象としてしか見られなかったのだ。
 サンドレイズで初めて、アレクにちゃんと踊りを見てもらえた。見たのだから夜とぎをしろと言ってくることもなくて、感動すら覚えたあの日、ずっと生みたかった石まで生めた。

「そうか。お前は容姿だけでも目を引くが、踊りも綺麗だからな」

 そう言って、アレクはポンと頭を撫でてくれる。その手の温もりが伝わってきて、マリィシャは嬉しくなった。熱くなった頬を両手で押さえる。口角がどうしても上がってしまい、飛び跳ねたい気分だった。
「明日も頑張って稼いでくるからな! ……そういえば何してたんだ? 仕事の邪魔した?」
「お前の騒がしさは今に始まったことじゃないだろう」
 眼鏡の位置を直しながら、アレクは書類をじっと眺めていた。むっと口を尖らせるけれど、何か手伝えることはないだろうか。
「いいから、お前は踊りに集中していろ。お前の踊りにお金を払ってくれる者がいるなら余計にだ」
「あ、う、うん。座長たちにピンハネされないから、なんかすごく多く思える」
「その金で新しい衣装でも買えばいいものを」
「いーよそんなの。今の物でも充分だし。まあ、新しいのも気になるって言えば気になるけどさ。今はそれよりアレクに借りを返さなきゃ」
「借りなら私の方があると言って、……ふむ」
 アレクは何かを言いかけて、マリィシャを振り向きじっと見つめてくる。まっすぐな視線にドキッと胸が鳴ったけれど、アレクの視線の意図は掴めない。アレクはペンを持ったまま何かを考え込んでいたが、ややあって立ち上がってジャケットを羽織った。
「え、どっか行くの?」
「少し出掛けてくる。遅くなると思うから、食事は先に済ませてくれ」
 言いながら、早足で執務室を出て行ってしまう。今から? とかけた声も、アレクには届いていないようだった。マリィシャはぽかんと口を開けたまま、それを見送ってしまう。

 何か思いついたのだろうか。夕食も放ってまでとは、よほど大事と見える。

 執務室で書類とにらめっこしているよりはずっといいなと、マリィシャは笑った。
 彼が何をしようとしているのかは分からないが、少しでも手伝えたらいい。じっと見つめてきた視線に高鳴った心臓は気づかれなかったかなと、アレクの座っていた椅子に腰をかける。
 膝を抱えてそっと目を閉じれば、まだ少し残るアレクの温もりを感じることができた。

 どうか上手くいきますようにと、出掛けていったアレクを想う。

 そんなマリィシャの腕からまたひとつ、ムーンストーンがこぼれ落ちた。


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