アイシャドウの捨て時

浅上秀

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大学生編

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ルリ子は別れを言うと決めたものの、タイミングを失っていた。
今日言おう、今日こそ、と何度も思いつつ、別れの言葉を口にできないまま。
あの雨の日から幾日も過ぎて今日になってしまった。

いつの間にか振り出していた雨音が窓を通して部屋に反響する。
あの日の工藤と榊のことを思いださせるから雨は嫌いになった。
でも今日のマリとサキの様子を見てとうとう決心がついた。

「ばいばい」

メイクボックスから取り出したアイシャドウをゴミ箱に投げ入れる。
ガゴンと鈍い音が部屋に響いた。

そしてそのままカバンからスマホを取り出す。
画面を操作しているとぽたりと垂れた雫が邪魔をする。

震える指のまま工藤に電話をかけた。
ルリ子から工藤には滅多に連絡することはなかった。
いつもルリ子は工藤の予定を気にして遠慮していたのだ。

何回かコール音がしばらく鳴ったあと一瞬の静寂が訪れる。

「はい」

あぁ、工藤の声がする。
彼の声がルリ子の耳に触れたのはいつぶりだろうか。

「今日で、お別れしましょう、今まで…ありがとう」

彼の後ろから女の声がした。
多分、榊の声だろう。
その瞬間、ルリ子は返事を聞く前に画面をタップしてすべてを遮断した。

「はぁ」

短く、大きく、深呼吸した。

勢いをそのままに彼との思い出も捨てたくなった。
工藤の連絡先、写真、携帯に残っているなにもかもを削除する。
一つ消すことにパチンとルリ子の中で泡が弾け、それは目からあふれ出してきた。

「うん、これで、よかったのよ、うん」

自分を納得させるようにルリ子は言い聞かせた。
携帯が空っぽになったところで電源を落とすと、そのままベットに横になった。
身支度を整えたものの、とても外出する気にはなれない。
ルリ子はそのまま眠りの世界に身を投げた。



再び意識を取り戻して部屋の中を見回せば真っ暗だ。
いつの間に日が落ちていたのだろう。
雨はやんでいるようで部屋には静寂が戻っている。

電気をつけてカーテンをしめる。
見回した部屋の中には彼との思い出が点在していた。

「これも捨てなきゃ」

彼から初めてもらったアクセサリー、思い出が増えるたびに写真を丁寧にとじていたアルバム、最近くれた趣味に合わないポーチ。
全部、全部、彼にかかわるものは全て真っ黒のゴミ袋に放り込む。

一週間後の彼の誕生日に渡そうと思っていた腕時計も今では不用品だ。
一瞬、ゴミ袋に入れようかと思ったが、自分で使うことにした。
恋の遺品として。

片づけてすっきりしたはずなのに、なんだか心はすっきりしない。
そんな矛盾した感覚がルリ子を占領したのだった。
それをリセットするためにルリ子は部屋を出てお風呂に入った。



髪を乾かして人心地付いたルリ子は携帯の電源を入れた。

「あらまぁ」

ものすごい数の着信履歴が入っていた。
工藤からだ。

一件、既読をつけずに開くとどういう意味だ、俺は別れないといった内容ばかり。

「未練がましい男は嫌ね」

ルリ子のなかに最後の一欠けらとして残っていた恋心が消え去った瞬間だった。
そうしている間にも工藤から電話がかかってくる。
ため息が漏れる。

「…はい」

「おい、いったい何考えてんだ!勝手に別れるといって電話を切りやがって。俺は絶対に別れないぞ!!」

工藤の怒鳴り声が携帯越しに飛び出してくる。
ルリ子は思わず携帯と耳の距離をあけた。

「だってあなた、私以外に恋人がいらっしゃるでしょう?そうであれば、私はもう必要ないはずよ」

「はぁ?何言ってんだおまえ」

工藤が声を荒げる。
工藤は以前から気が立つと人のことをおまえと呼ぶ癖があり、ルリ子はそれが嫌だった。

「私、見たんです。榊さんとご一緒に仲良くされているところ」

ルリ子はわざとぼかして言った。

「な、なんでそれを…」

工藤が慌てた。

「はぁ…ですので私からお別れを告げるのをお待ちになられていると思ったんです。友人に裏切られていることに気づいていなかった私はさぞ、お二人には滑稽に見えたでしょうね。いつからなの?私を裏切っていらっしゃったのは?まさか最初からかしら?出会ったときから榊さんがあなたの本当の恋人で私をだましていらっしゃった?」

ルリ子は矢継ぎ早に工藤を攻めたてた。
工藤は先ほどのように声を荒げる余裕はなさそうだ。
電話の向こうで言葉を詰まらせている。

「ともかく私とあなたの関係は終わったのです。もう二度と連絡してこないでください」

ルリ子は通話を切った。
そして自分が言った言葉を思い出し、涙があふれ出てきた。

ルリ子はベットに潜り込んで声を押し殺しながら泣いた。

一体いつからルリ子は二人に騙されていたのだろう。
出会ったときにサークル巡りをした時、工藤が話しかけてくれたのは榊にそう促されたからだったのだろうか。
榊もいつから工藤と関係をもっていたのだろうか。

考え出すとキリがない。
蟻地獄のようにどんどんと思考が埋まっていく。
折角、お風呂に入って気分を整えたはずなのに台無しだ。

「夢から覚めたら、すべて忘れてしまえていればいいのに…」




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