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96. 辺境の街
しおりを挟む大森林は広大だ。
知ってはいたけれど、集落を行商しながら渡り歩き、七日目にしてようやく森から抜けることができた。
黄金竜レイの一飛びの距離が、人の足ではそのくらいの距離があったのだ。
最後に立ち寄った、少し大きめの村は人族が多く、狩猟よりも農業に力を入れていた。
獣人たちは冒険者となり、それなりに稼いでいたが、彼らはあまり裕福ではなかった。
野菜や果実を育てているため、食うには困らないが、金はあまり持っておらず、仕方なく物々交換に応じた。
三時間ほど歩けば森を抜け、街道に出る。
街道を西に進めば、ギルドを有した街があると教えてもらった。
ならば、と商品と引き換えに服や靴を譲って貰うことにした。
ダンジョンでドロップしたフード付きのローブを羽織っているが、その下は日本製の服を着ているため、どうしても人の目を惹いてしまうのだ。
なので、村人のお下がりの衣服を着て、ありふれた旅人に擬態することにした。
手に入れた半袖のチュニックと帆布に似た生地で作られた丈夫なズボン、革のショートブーツを装着し、ローブを羽織る。
少しばかり見窄らしいが、Tシャツやデニムパンツ、スニーカー姿でいるよりは怪しまれないだろう。
異世界の服は着心地はあまり良くないが、魔獣素材が使われているため、意外と丈夫だ。特に革製のショートブーツは足に馴染みやすく、森歩きに向いている。
これまでの行商で得た金は金貨二十枚分はあるので、街中で暮らしに困ることはないはずだ。
「日本円で二百万円近くあるからな。しばらくは宿に泊まってのんびりできる」
金銭に困ったら、商業ギルドに加入して、また日銭を稼いでも良いし、ファンタジーの定番、冒険者になるのも面白そうだ。
「シラン国から遠く離れた小さな国だから、召喚勇者の話も流れてきてはいないはず。まぁ、やばそうだったら、レイを呼んで逃げればいいよな」
森を抜けてしばらく進むと、馬車の轍のある道に出た。これが街道か。
思ったよりも狭い道だが、辺境の街ならこんな物かもしれない。
遠くに、石造りの砦のような物が見える。
浮き立つ気持ちを抑えて、のんびり歩いて行くことにした。
◆◇◆
街まであと少しのところで、街道の脇にしゃがみ込んでいる人影に気付いた。
肩に座るコテツがじっと見据えているが、背中の毛を逆立てて警戒する様子もないため、悪意はなさそうだ。
「行き倒れか?」
ぼろぼろのくたびれたローブをかぶった、小柄な人物はぴくりともせず、木の根元に寄り掛かっている。
子供か、小柄な女性か。
少し迷ったが、声を掛けることにした。
近寄って、慎重に話し掛ける。
「おい、あんた。生きているのか? 手助けは必要か?」
「……っ…」
小さく、息を呑んだ気配がある。
ほっそりとした肩が揺れて、弱々しく身動くと、ローブの隙間から銀糸がこぼれ落ちた。
それが見事な銀髪なのだと気付き、あらためて持ち主の顔を覗き込む。
白い顔は泥や血に汚れていたが、淡い水色──アクアマリンの美しい瞳が真っ直ぐに見つめ返してきた。
「……っ、い……」
掠れた声で、懸命に何かを伝えようとしている。
慌てて肩を支えてやり、治癒魔法を掛けてやった。深い傷を負ったようには見えなかったが、ところどころかすり傷が見える。
治癒魔法は疲労も癒すため、少しは元気が戻るだろう。
【アイテムボックス】から水筒代わりの皮袋を取り出すと、少女の口まで運んでやる。
渇いた唇に押し当ててやると、少女は夢中で喉を鳴らしながら水を飲んだ。
顎まで濡らしながら、一息に皮袋の中身を空けると、ようやく肩で息をついた。
「……ふっ、はぁ……」
「落ち着いたか」
「あっ、あっ、あの! ありがとう、ございますっ」
「いい。気にするな。もう痛いところはないな?」
「はい……捻った足首も、痛くないです。これは……?」
「あー……秘密にして欲しいんだが、俺はちょっとだけ治癒魔法が使えるんだ。いちばん簡単なやつな」
「そうなんですね。ありがとうございます」
律儀に頭を下げる少女は、十代半ばほどの年齢だろうか。汚れてはいるが、繊細に整った容貌をしている。
言葉遣いも丁寧で、礼儀正しい。
だからこそ、違和感がある。
「何かあったのか」
「あ……えっと、その、私は冒険者なんですが、採取依頼の最中に魔獣に襲われてしまって……」
「冒険者?」
この、華奢で頼りなげな少女が冒険者とは。
「それで、その。どうにか逃げることはできたんですけど、荷物を落としてきちゃって……それで……」
しどろもどろになりながら説明している少女の腹が切なく鳴いた。
「………あっ」
「腹がへっているんだな」
頬を染める少女に、なるほどと頷いた。
「ごめんなさい……。丸一日、なんにも食べてなくて。どうにか、ここまで歩いてきたんですけど、お腹が空いて目が回って……」
「分かった。ちょっと待て」
落ち着かせるために、少女の腕の中にコテツを滑り込ませた。
「この子を抱っこしていてくれるか? 食い物を出してやるから」
「は、はいっ! かわいい、ねこさん……」
ぱっと顔を輝かせる少女はとんでもなく可愛らしい。
行き倒れかけていたこの子を見つけたのが自分で良かった、と心底思う。
(ボロボロに汚れていたから、死体と間違われたのか。とにかく、顔を見られずに済んで良かった。こんなに綺麗な子なら、拐われていたかもしれない)
とにかく、まずは食わせてやらなければ。
作り置きのスープを【アイテムボックス】から取り出した。
収納スキルを初めて目にしたのか、少女は水色の瞳を見開いてポカンとしている。
木製のスープボウルに昨夜のポトフの残りをよそい、スプーンと一緒に手渡してやった。
「ほら、食え。火傷しないようにな」
「あ、ありがとう……。あったかい……」
両手でスープボウルを受け取ると、ポトフの香りにうっとりと微笑んで、口をつけた。
一口、スープを飲んでぱっと顔を輝かせると、少女は夢中でポトフを掻き込んだ。
「落ち着け。まだ、たくさんあるから。喉に詰まるぞ?」
「っ、ふぁい…! んっ、おいしい、です……っ!」
二度ほどおかわりを繰り返して、人心地が着いたようで、空のボウルをそっと返された。
「ごちそう、さまでした。すごく、すっっごく美味しかったです……!」
「口に合ったようで良かった。もう満足したのか?」
「はい! おなかいっぱいです!」
ぽっこりと膨らんだお腹を満足そうに撫でている。
「このお礼は必ずお返ししますね!」
「それは別にいいんだが、荷物を全部無くしたんじゃなかったか」
「あっ……」
「採取物は無事なのか?」
「…うう……」
「……それも無いのか」
肩を落とす少女を見下ろして、ため息を吐く。仕方ない。ここまで関わったのなら、責任を取ってもう少し面倒を見てやるか。
「なら、しばらく生活できる分の金は貸してやるから、街への案内を頼めるか? そこの街を拠点にしているんだろ?」
「っ、ハイ! 任せてください、街の案内をします!」
「なら、よろしく。言い忘れていたが、俺はトーマ。行商人だ」
「私はシェラです! 冒険者です!」
「ん、これはコテツ。俺の相棒」
「ニャッ」
「コテツくんですね! よろしく、私はシェラですっ」
笑顔でコテツの前脚をにぎにぎしている。さりげなく肉球を堪能しているあたり、かなりの猫好きのようだ。
シェラは街に近付くと深くフードをかぶり、その見事な銀髪を隠した。
さすがにそのくらいの警戒心はあるのか。顔を汚しているのも、容姿を誤魔化すためなのだろう。
街の入り口は簡易の砦のようで、門番が立っている。
「身分証は?」
「私は冒険者です」
シェラは首にかけていたネックレスを引き出して、門番に見せている。ドッグタグみたいだ。あれが冒険者ギルドの登録証か。
俺は身分証が無いので、街へ入るための通行税を払う。銀貨三枚。
街を出入りするごとに三万円を支払うのは痛いので、ギルドにはなるべく早く登録しようと思う。
「トーマさん! ここがブレイユの街です! 大きいでしょう?」
シェラに手を引かれて街を歩く。
入ってすぐは畑が続き、粗末な小屋が建っていたが、しばらく歩くと街らしい風景に変わった。
煉瓦と木組みの建物が立ち並び、オレンジ色の屋根が目に鮮やかだ。
まるで絵本から飛び出したような、可愛らしい街並みに気分が浮き立ってくる。
(まるで、おとぎの国だな。ドイツのローテンブルクにちょっと似ているかも)
街を歩くのも人族と獣人が半々か。
今のところエルフらしき種族は見当たらないが、冒険者風の装いの者は獣人が多く占めていた。
「人気の宿はすぐに埋まってしまうから、先に宿を取った方がいいです」
そっと袖を引きながら、シェラが教えてくれた。
「清潔で、安全な宿がいい。できれば、食事が美味しいと嬉しいな」
「……トーマさんて、良いとこの坊ちゃんなんですか?」
否定はしないでおいた。
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