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〈冒険者編〉
209. ただいま
しおりを挟む「ミーシャさん、ただいま!」
緑の蔦に絡まれた煉瓦造りの建物を目にした途端、ナギは駆け出していた。
美しい白銀色の髪をゆったりと編み込んだ女性が庭の手入れをしている。
名前を呼ばれたのは、エルフの女性だ。ゆったりと顔を上げて、翡翠色の瞳を細めながらナギを迎えてくれる。
「おかえりなさい、ナギ」
勢い良く抱きついてきた少女をミーシャは微笑を浮かべて、優しく抱き止めた。
背をぽんぽんと叩く様は、幼子を宥めているようで、目にしたエドが苦笑する。
長命なエルフにとっては、成人前の自分たちなど、きっと幼子同然なのだろう。
「エドもおかえりなさい。何事もなかったのかしら?」
「…………何事、とは」
言葉を濁してしまったのは、仕方ない。
護衛任務中に盗賊を捕まえたのは、何事もなかった範疇に入るのか。
良くあることだと先輩冒険者は笑っていたので、報告は不要?
未発見ダンジョンをナギと二人で見つけたのは、さすがに大事だと思う。
落ち着かなげに視線を揺らすエドを無言で観察し、ミーシャはため息を吐いた。
「何事が、色々とあったようね。詳しく聞くから、家においでなさい」
「はーい。お邪魔します!」
「ナギ……」
「あ、ほらミーシャさんにはお土産を渡さなきゃいけないし?」
「お土産話、楽しみだわ」
にこり、と微笑むミーシャの何とも言えない迫力にエドはこくりと息を呑んだ。
◆◇◆
オレンジに似た柑橘を搾ったジュースをミーシャがグラスに注いでいく。
エドが氷を提供しようと立ち上がりかけたのを、ミーシャは笑顔で制した。
生活魔法でグラスごと冷やし、三人分のジュースをテーブルに並べてくれる。
鮮やかな魔法展開は、さすがナギの師匠。
冷たいジュースで喉を潤したナギがそう言えば、と首を捻る。
「ミーシャさん、宿のお仕事は大丈夫なんですか?」
「ええ。ちょうどルーキーの一人が依頼中に怪我をしてしまって。治るまでの宿代としてお手伝いをお願いしているのよ」
新人冒険者と女性冒険者御用達の宿『妖精の止まり木』では、たまに見かける光景だ。
稼げなかったルーキーや見習い達が採取物や狩った獲物、または労働力で宿代を支払う。
女性一人で宿を切り盛りするミーシャにとっても、悪くない支払い方法なのだ。
「おかげでしばらくはのんびり過ごせる。庭やハーブ畑の世話も捗ったわ。こうして貴方たちとのおしゃべりも楽しめるし」
「えへへ。私も楽しいです」
一ヶ月近く、ダンジョン都市を離れていたのだ。頼れる師匠との再会が、ナギは嬉しくて仕方ないようだった。
「ナギ、土産は渡さなくていいのか?」
「あ、そうだったわね! 実は私たち、護衛任務の後で大森林まで足を運んだんですけど……」
大森林、のフレーズにミーシャの美しいカーブを描く眉がそっと顰められる。
「……大森林に、行ったの? 二人だけで」
「はい! シオの実を使い切ってしまったので、採取しようと思って」
「ああ、シオの実……。それなら仕方がないわね。ダンジョンのかなり下層階か、大森林でしか見かけないもの」
寄せられていたミーシャの眉が和らいだ。
どうやらお説教は免れたようだ。
ほっと胸を撫で下ろすエドの傍らで、ナギがお土産を収納から取り出している。
ひと抱えはある木箱に詰めてあるのは、ハイペリオンダンジョンで手に入れた食材や調味料、レモンの里で買った蜂蜜もあった。
「見て下さい、これ! 食材ダンジョンでゲットしてきたんですよー」
「食材ダンジョン……?」
再びミーシャの眉間にシワが寄せられる。
調味料や珍しい薬草、ハーブの説明に夢中なナギは気付いていない。
「ナギ、未発見ダンジョンのことをちゃんと師匠に報告した方が良い」
そっとエドがナギの脇腹を肘で押しながら耳打ちする。
ナギははっと我に返り、何とも言えない表情を浮かべているミーシャをおそるおそる見上げた。
「えっ、と。その、言い忘れていましたが、大森林の中で偶然、未発見ダンジョンを発見して、その改変に巻き込まれました……」
真っ先に報告すべき「何事」をすっかり忘れていたナギは、敬愛する師匠からたっぷりとお説教を受けた。
◆◇◆
その夜は、久しぶりに『妖精の止まり木』に宿泊することになった。
ミーシャからのお説教が長引いたのと、ダンジョンから帰宅するラヴィルを待っていたら、遅くなったからだ。
せっかくなので、ハイペリオンダンジョンから持ち帰った食材や調味料を使って、ナギが料理の腕を振るうことにしたのだ。
その前に、あらためてお土産を二人に披露している。
「エルフの私でも知らない植物が多い。特にこのヒシオの実とタンサンの実は興味深いわ」
「ふふっ。ミーシャさんもラヴィさんも炭酸ジュース気に入っていましたもんね。このヒシオの実はスープはもちろん、肉や魚とも相性が良いんですよ」
「私はこの宝石みたいな、甘いお菓子が気に入ったわ。キラキラしていて、とっても綺麗」
ラヴィルは自身の瞳の色とそっくりな、ルビー色の琥珀糖をかざしてご機嫌だ。
口の中に放り込んで、その甘さにうっとりと瞳を細めている。
二人の師匠宛のお土産用木箱には、琥珀糖とメープルシロップ、レモン蜂蜜をガラス瓶に移して、詰め込んである。
レモンの里で購入した、臭い消し袋や石鹸、香油もラッピングした。
可愛らしいリボンの切れ端なら、辺境伯邸から持ち出した物がまだ収納に眠っていたので、存分に飾り立てたナギである。
調味料は少し悩んで、醤油と味噌を。この二つなら、あまり料理をしない二人でも使いやすいはずだと考えて。
ミーシャならシオの実をエルフの里でも使っていたようだし、ヒシオの実もレシピを渡せば使いこなせるだろう。
現役冒険者のラヴィルはダンジョンでの野営時、肉料理やスープの調理時に便利なはず。
「他の調味料は良いのか?」
「んー。エドは元日本人以外が、みりんや料理酒、お酢を使いこなせると思う?」
「無理だな。多分、調味料の匂いを嗅いだ途端に顔を背けると思う」
そうなのだ。日本独特の調味料は少しばかり味と匂いに癖がある。
昆布やイリコ出汁が海鮮臭いと受け付けられないと嘆く外国人観光客もいるくらいで。
幸い、師匠たち二人とも魚介類は口に合ったようだが、和風調味料を使いこなすにはハードルが高そうだった。
「しばらくは私たちだけで和食を楽しみましょう」
「そうだな。日本酒と焼酎も二人に見せたら飲み尽くされそうだし、隠しておくのが賢いだろう」
「うん……。エルフとうさぎさんのはずなのに、実は二人ともドワーフだったの? ってくらい飲むもんね……」
そんなわけで、調味料とスパイス類はそっと収納に戻された。代わりに詰め込んだのは、二人とも大好きなフルーツだ。
水蜜桃に黄金林檎、大きくて甘い梨もそっと木箱に添えてある。
「こんなにたくさんのお土産、本当に良いんですか?」
「はい! エドと二人でたくさん採取したので」
「そう……。本当に食材が豊富なダンジョンなのね」
「食材ダンジョンですからね。フロアボスを倒したら、稀少なスパイス類をドロップしましたもん」
「さすが、ナギが見つけただけはあるわね。魔力枯渇寸前まで搾られたでしょう?」
「はい。死ぬかと思いましたよ、もう!」
美味しそうに梨を齧りながら、からかってくるラヴィル。
炭酸ジュースを舐めていたミーシャが難しそうな表情でぽつりと呟いた。
「ハイエルフなみの魔力量を誇るナギが枯渇寸前になるまで搾られた魔力で改変されたダンジョン、ね……」
獣人の鋭い聴覚で聞き取ってしまった、その独り言にエドは神妙な表情を浮かべる。
そう、お詫び転生特典なのか、ナギの魔力量は凄まじい。
その彼女の魔力から作られたダンジョンはどこまでその規模を広げるのか。
百階層を越える規模の上級ダンジョン──否、特級ダンジョンになっている可能性もあるのだ。
出来立ての新規ダンジョンだと油断して足を踏み入れたら、とんでもないしっぺ返しを喰らうかもしれない。
「このレモン蜂蜜は、レモンの里でしか採れない稀少な蜂蜜なんですよ。レモンの花の蜜から作られているので、ほんのりレモンの香りがするでしょう?」
「不思議ね。レモンの果汁ほどキツくなくて、優しい香りだわ。味も良いわね」
「これは……!」
考え込んでいたミーシャの口元に笑顔のナギがスプーンを運ぶ。
レモン蜂蜜を無意識に口に含んだミーシャは、かっと目を見開いた。
「素晴らしいわ……。どこで手に入るのかしら? ダンジョンに向かう途中にある里? 分かった。ナギが見つけた食材ダンジョンの調査には私が同行しましょう」
「ミーシャさんが珍しく早口」
「ナギ……」
「えー? ミーシャばっかり狡いわ。だったら、私も行く! この琥珀糖? それとメープルシロップを手に入れたいもの。大森林内のダンジョンでしょ。きっと美味しい肉もたくさん狩れるでしょうし?」
に、と深紅の瞳を煌めかせてラヴィルが不敵に笑う。
唇の端についたメープルシロップを赤く色付いた舌がぺろりと舐めとった。
甘いお菓子と美味しいお肉が大好物の、最強師匠二人の護衛が、この瞬間に決まった。
頭を抱えるエドの隣で、ナギは頼もしい助っ人をゲット出来たことを喜ぶべきか、ほんの少しだけ迷っていた。
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