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〈ダンジョン都市〉編

142. 森を探索しよう 1

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 部屋の片付けはのんびりと行った。
 着替えを数着ほど収納内に残して、あとはクローゼットと箪笥に仕舞っていく。
 書き物机にはお気に入りの本とノート、筆記用具を並べた。引き出しには高価なインク瓶とガラスペンを収納する。

 南の街の雑貨屋で買った一輪挿しには庭に咲いていた小花を飾り、ソファ横のミニテーブルに置いた。
 白く可憐な草花が部屋を愛らしく彩ってくれて、ナギは満足げに微笑む。

「寝台の天蓋カーテンも南国風の薄布に替えなきゃね」

 憧れのお姫さまベッドだけど、実際にはカーテンは引かずに使っていた。
 寒い冬には重宝するかもしれないが、この国では今のところ使う予定はあまりなさそうだ。

「……ひょっとして、蚊帳かやとして使うとか? ああ、この別荘には虫は侵入出来ないか」

 何気なく屋敷の外壁を鑑定して気付いたのだが、虫除けの効果のある塗料を外壁のみならず、床材までしっかり使っていたのだ。
 辺境伯の本邸よりも、よほど丁寧に作られており、やはりこの別荘は特別に建てられた贅沢品なのだなとあらためて思う。

 本邸は使用人が大勢いる。
 世話をされるには便利かもしれないが、落ち着いて過ごすことは難しい。
 隠れ家風に敷地の隅にこの別荘が建てられていたのは、辺境伯夫婦が新婚生活を邪魔されずに楽しむための場所だからだ。

 母が使っていた主寝室の本棚に先代の辺境伯夫人の手記があり、祖父が祖母のために建てたと記載があったのだ。
 本邸は領主宅らしく無骨だが頑丈な造りの建物で、別荘だけやけに瀟洒しょうしゃなデザインだと思っていたが、なるほどと納得した。

「新婚旅行代わりに、リゾート風の別荘にしたのね、お祖父さま…。使用人も最低限、一人か二人だけ置いて、ふたりきりを満喫できるように、こじんまりとしたお家にして。……なかなか、やるわね」

 愛妻家なところが、とても良い。
 会ったことはないけれど、祖父への好感度が少し上がる。
 スタート地点が低めなのは仕方ない。
 あのバカ父を婿に据えたところは、かなりのマイナスなので。

「でも、実際のところ、お母さまがこの別荘にずっとこもっていたのも納得よね。広くて古いだけの本邸よりも、よほど住み心地が良いもの」

 動線も良く考えられているため、使用人が少なくても効率よく働けるようになっている。
 築数百年の歴史ある建物よりも、築浅の最新鋭の家の方が住みやすいのは当然のこと。

「ここぞとばかりに、便利な魔道具も備え付けられているし、家具はどれも一流の職人作で、美しくて機能的。何よりも、建物全体をカバーする結界の魔道具!」

 玄関の内側に備え付けられている結界の魔道具の動力源ーー所謂いわゆるバッテリーである魔石はかなり大きい。
 通常の魔石が小指の爪先ほどの大きさなのと比べ、結界用の魔石は大人の拳ほどの大きさがあった。
 ナギでさえ、この魔石に魔力を溜め込むのに丸一日かかるほど。

「状態保存の術式も施されているから、破損や劣化もほとんどない。ほんと、贅沢な隠れ家だわ」

 おかげで自分たちも快適に暮らしていけるので、とてもありがたい。北の方角にこっそりと手を合わせて、お礼を伝えておいた。

「寝台のカーテンの発注は藍染屋さんに引き取りに行った時に追加でお願いすれば良いかな。夏用の寝具もその時に買ってこよう」

 後は床のひんやりタイルか。
 これはタイル屋に既に注文している。
 三日後には焼き上がっているらしいので、その頃に取りに行き、自分たちで敷き詰める予定だ。
 職人の手に任せた方が出来は良いのだろうけれど、あまり自宅に親しくもない他人を招き入れたくはなかった。

「信用できる、師匠たちやミヤさんなら良いけど、その他の人たちはね…」

 精神は大人でも、肉体は成人前の子供なのだ。十才の子供が二人だけで人気ひとけの少ない森のそばで暮らしているという情報が街に出回ってしまうのは恐ろしい。

「うん、前世で友人宅のDIYで少し手伝ったことがあるし、タイル屋さんで教えてもらえば、たぶん大丈夫…!」

 床一面に敷き詰めるわけではないのだ。
 キッチンと寝室の一部、余裕があればバスルームにもひんやりタイルを敷きたい。

「南国でも快適に過ごせるお家にしたいし、がんばろう……」

 

 昼食は冷製スープパスタを作った。
 トマトソースとパプリカの彩りも華やかで、口当たりが良い。
 しゃきしゃきの夏野菜とぷりぷりの海老との食感も新鮮で、エドはぺろりと平らげた。
 メインのキジ肉の串焼きもとても美味しい。海ダンジョンでこっそり製塩した塩は、まろやかな風味で料理の味を引き立ててくれている。
 
「雑味がないお塩って、こんなに美味しかったんだね」
「だな。串焼きには岩塩がいちばん合うと思っていたが、ナギが作った塩の方が肉の味が引き立っている」
「引退後の選択肢がまた増えちゃった?」

 くすくすと笑いながら、ナギはデザートのフルーツゼリーを頬張る。
 今日は枇杷びわゼリーだ。果肉はそのまま残しているので、食べ応えがある。

「思ったよりも部屋の片付けが早く終わっちゃったね?」
「アイテムバッグに収納していた荷物を移動するだけだったからな……」
「エドはあまり物欲がないから、特に早いよね……」

 ナギが無理やり押し付けた衣装を何点かーー辺境伯邸から持ち出した執事服や従僕の衣装などをクローゼットに吊るし、数少ない普段着を箪笥に入れたら、片付けは殆ど終わったらしい。
 野営道具や武器、少しの着替えなどはマジックバッグに収納して持ち歩くため、家にはあまり物を置く予定はなさそうだった。

「本やノート、筆記用具も買おうね?」
「本は図書室にたくさんあるから、今のところは必要ない」

 何か書く予定もないし、と言われて肩を落とす。そういえばそうだった。
 前世の記憶を取り戻す前の彼なら、文字や計算を教えるために必要だったかもしれない。
 だけど、記憶を取り戻したエドは【全言語理解】スキルと【鑑定】スキルを得た。
 前世の記憶アキラのおかげで、そこらの商人も負けないほど、数字に強くなったし。

(文系だった私が教えることがない…)

 理数系出身の前世の記憶があれば、今さらこの世界で学ぶこともないだろう。
 歴史や文学などは学べるだろうが、当のエドにその気がないようで。

「冒険者に必要か?」

 真顔で問われると「ないかな…?」と力無く首を振ることしか出来ない。
 魔法に関する本には興味があるようなので、見つけたら集めようと思う。

「それより、午後の予定だが、森を見て来ないか」
「うーん、森ね……。日が暮れる前には帰って来ることにして、ざっと探索する?」
「そうだな。厄介な魔獣が棲みついていたら困る。早めに確認したい」
「よし、じゃあ今日の午後はそれで」

 着心地の良い普段着から冒険者服に着替えて、ふたりは屋敷から徒歩五分の森へ向かうことにした。

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