82 / 267
〈ダンジョン都市〉編
142. 森を探索しよう 1
しおりを挟む部屋の片付けはのんびりと行った。
着替えを数着ほど収納内に残して、あとはクローゼットと箪笥に仕舞っていく。
書き物机にはお気に入りの本とノート、筆記用具を並べた。引き出しには高価なインク瓶とガラスペンを収納する。
南の街の雑貨屋で買った一輪挿しには庭に咲いていた小花を飾り、ソファ横のミニテーブルに置いた。
白く可憐な草花が部屋を愛らしく彩ってくれて、ナギは満足げに微笑む。
「寝台の天蓋カーテンも南国風の薄布に替えなきゃね」
憧れのお姫さまベッドだけど、実際にはカーテンは引かずに使っていた。
寒い冬には重宝するかもしれないが、この国では今のところ使う予定はあまりなさそうだ。
「……ひょっとして、蚊帳として使うとか? ああ、この別荘には虫は侵入出来ないか」
何気なく屋敷の外壁を鑑定して気付いたのだが、虫除けの効果のある塗料を外壁のみならず、床材までしっかり使っていたのだ。
辺境伯の本邸よりも、よほど丁寧に作られており、やはりこの別荘は特別に建てられた贅沢品なのだなとあらためて思う。
本邸は使用人が大勢いる。
世話をされるには便利かもしれないが、落ち着いて過ごすことは難しい。
隠れ家風に敷地の隅にこの別荘が建てられていたのは、辺境伯夫婦が新婚生活を邪魔されずに楽しむための場所だからだ。
母が使っていた主寝室の本棚に先代の辺境伯夫人の手記があり、祖父が祖母のために建てたと記載があったのだ。
本邸は領主宅らしく無骨だが頑丈な造りの建物で、別荘だけやけに瀟洒なデザインだと思っていたが、なるほどと納得した。
「新婚旅行代わりに、リゾート風の別荘にしたのね、お祖父さま…。使用人も最低限、一人か二人だけ置いて、ふたりきりを満喫できるように、こじんまりとしたお家にして。……なかなか、やるわね」
愛妻家なところが、とても良い。
会ったことはないけれど、祖父への好感度が少し上がる。
スタート地点が低めなのは仕方ない。
あのバカ父を婿に据えたところは、かなりのマイナスなので。
「でも、実際のところ、お母さまがこの別荘にずっと籠っていたのも納得よね。広くて古いだけの本邸よりも、よほど住み心地が良いもの」
動線も良く考えられているため、使用人が少なくても効率よく働けるようになっている。
築数百年の歴史ある建物よりも、築浅の最新鋭の家の方が住みやすいのは当然のこと。
「ここぞとばかりに、便利な魔道具も備え付けられているし、家具はどれも一流の職人作で、美しくて機能的。何よりも、建物全体をカバーする結界の魔道具!」
玄関の内側に備え付けられている結界の魔道具の動力源ーー所謂バッテリーである魔石はかなり大きい。
通常の魔石が小指の爪先ほどの大きさなのと比べ、結界用の魔石は大人の拳ほどの大きさがあった。
ナギでさえ、この魔石に魔力を溜め込むのに丸一日かかるほど。
「状態保存の術式も施されているから、破損や劣化もほとんどない。ほんと、贅沢な隠れ家だわ」
おかげで自分たちも快適に暮らしていけるので、とてもありがたい。北の方角にこっそりと手を合わせて、お礼を伝えておいた。
「寝台のカーテンの発注は藍染屋さんに引き取りに行った時に追加でお願いすれば良いかな。夏用の寝具もその時に買ってこよう」
後は床のひんやりタイルか。
これはタイル屋に既に注文している。
三日後には焼き上がっているらしいので、その頃に取りに行き、自分たちで敷き詰める予定だ。
職人の手に任せた方が出来は良いのだろうけれど、あまり自宅に親しくもない他人を招き入れたくはなかった。
「信用できる、師匠たちやミヤさんなら良いけど、その他の人たちはね…」
精神は大人でも、肉体は成人前の子供なのだ。十才の子供が二人だけで人気の少ない森のそばで暮らしているという情報が街に出回ってしまうのは恐ろしい。
「うん、前世で友人宅のDIYで少し手伝ったことがあるし、タイル屋さんで教えてもらえば、たぶん大丈夫…!」
床一面に敷き詰めるわけではないのだ。
キッチンと寝室の一部、余裕があればバスルームにもひんやりタイルを敷きたい。
「南国でも快適に過ごせるお家にしたいし、がんばろう……」
昼食は冷製スープパスタを作った。
トマトソースとパプリカの彩りも華やかで、口当たりが良い。
しゃきしゃきの夏野菜とぷりぷりの海老との食感も新鮮で、エドはぺろりと平らげた。
メインのキジ肉の串焼きもとても美味しい。海ダンジョンでこっそり製塩した塩は、まろやかな風味で料理の味を引き立ててくれている。
「雑味がないお塩って、こんなに美味しかったんだね」
「だな。串焼きには岩塩がいちばん合うと思っていたが、ナギが作った塩の方が肉の味が引き立っている」
「引退後の選択肢がまた増えちゃった?」
くすくすと笑いながら、ナギはデザートのフルーツゼリーを頬張る。
今日は枇杷ゼリーだ。果肉はそのまま残しているので、食べ応えがある。
「思ったよりも部屋の片付けが早く終わっちゃったね?」
「アイテムバッグに収納していた荷物を移動するだけだったからな……」
「エドはあまり物欲がないから、特に早いよね……」
ナギが無理やり押し付けた衣装を何点かーー辺境伯邸から持ち出した執事服や従僕の衣装などをクローゼットに吊るし、数少ない普段着を箪笥に入れたら、片付けは殆ど終わったらしい。
野営道具や武器、少しの着替えなどはマジックバッグに収納して持ち歩くため、家にはあまり物を置く予定はなさそうだった。
「本やノート、筆記用具も買おうね?」
「本は図書室にたくさんあるから、今のところは必要ない」
何か書く予定もないし、と言われて肩を落とす。そういえばそうだった。
前世の記憶を取り戻す前の彼なら、文字や計算を教えるために必要だったかもしれない。
だけど、記憶を取り戻したエドは【全言語理解】スキルと【鑑定】スキルを得た。
前世の記憶のおかげで、そこらの商人も負けないほど、数字に強くなったし。
(文系だった私が教えることがない…)
理数系出身の前世の記憶があれば、今さらこの世界で学ぶこともないだろう。
歴史や文学などは学べるだろうが、当のエドにその気がないようで。
「冒険者に必要か?」
真顔で問われると「ないかな…?」と力無く首を振ることしか出来ない。
魔法に関する本には興味があるようなので、見つけたら集めようと思う。
「それより、午後の予定だが、森を見て来ないか」
「うーん、森ね……。日が暮れる前には帰って来ることにして、ざっと探索する?」
「そうだな。厄介な魔獣が棲みついていたら困る。早めに確認したい」
「よし、じゃあ今日の午後はそれで」
着心地の良い普段着から冒険者服に着替えて、ふたりは屋敷から徒歩五分の森へ向かうことにした。
590
お気に入りに追加
14,865
あなたにおすすめの小説
後妻の条件を出したら……
しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。
格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。
だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。
しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
僕は勇者ポチ!! 〜異世界はもふもふがいっぱい?〜
ありぽん
ファンタジー
僕の名前はポチ!
えと、柴犬っていう種類の犬なんだって。隣の家のネコ先生のタマ先生がそう言ってたよ。
僕の家族は同じ犬じゃなくて、人間っていう種族で、お兄ちゃんの優也お兄ちゃん(24歳)と、僕の弟の聖也(2歳)。違う種族だけど家族なんだ。これもタマ先生に教えてもらったんだ。
それでね僕いつもみたいに、聖也と部屋で遊んでたの。タマ先生も一緒に。優也お兄ちゃんはご飯作ってて。
そしたらいきなり僕達のことを、とっても眩しい光が包んで。僕聖也を守ろうとしたんだ。優也お兄ちゃんもすぐに僕達の所に来てくれて。でもね…。
あれ? ここ何処?
これは柴犬ポチと兄弟、そしてタマ先生の物語。
*基本、柴犬ポチ視点で物語は進みます。
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。
彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。
それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。
そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。
公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。
そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。
「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」
こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。
彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。
同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。
前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています
矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜
――『偽聖女を処刑しろっ!』
民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。
何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。
人々の歓声に包まれながら私は処刑された。
そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。
――持たなければ、失うこともない。
だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。
『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』
基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。
※この作品の設定は架空のものです。
※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。
※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。