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第一章『変身』
深まる謎
しおりを挟む明慶の問いかけを受け、先程までの喜びの表情を吹き消した番場はサングラスのブリッジを指で持ち上げながら言う。
「あれか。我々は、≪GROW≫と呼んでいる」
「また知らない用語が……」
戸惑う明慶とは対照的に、文哉は特に何も気にしていない様子だ。
番場は謎の怪物についての詳細を話しだした。
「≪GENESIS≫が想像力と創造力の素になっているというのは、さっき説明したね。人々の内に秘められた≪GENESIS≫が乱れ、暴走することによって生みだされる生命体──それが、≪GROW≫だよ」
「……じゃあ、あの画家のおじさんの中からおっきなコウモリの怪物が生まれたってこと?」
「その通り。君は結構、飲み込みが早いな」
「へへ……そうかなぁ?」
照れながら文哉は頭を掻いた。
すると、明慶はさらなる質問を追加した。
「でも、どうして≪GENESIS≫は乱れてしまうんですか?」
良い質問だ、と言いながら番場は答えを紡ぎだす。
「想像力と創造力というものは欲望へと昇華されるものだと、我々はそう解釈している。
あれがしたい、それもしたい、これが欲しい、手に入れたい、なりたい自分でありたい、憧れに近づきたい、理想を叶えたい、さらに、もっともっと……。始めは小さな≪GENESIS≫もそうして膨れ上がっていき、やがて抱えきれない欲望へと成長する。
想像力と創造力が豊かな人間であればあるほど≪GENESIS≫は乱れやすく、≪GROW≫は生みだされやすい。特に芸術分野において欲望は原動力。──君もそうだとは思わないかい?」
文哉の顔をまっすぐ見据えながら番場は問いかけを作った。当の文哉は自分に振られるとは思っていなかったのか、素っ頓狂な声を上げた。
「え、オレ?」
静かに頷いた上で番場はダメ押しする。
「こうしたい、ああしたい、という欲望があるからこそ、君は絵を描いている。……違うかい?」
問われ、文哉は神妙な顔つきになって思わず悩んでしまうのだった。
「うーん……絵を描く理由、かあ……。考えたことなかったけど……楽しいからかなぁ……?」
「だとすれば、楽しいことがしたい、という欲望が君を突き動かしているのだろう」
番場にそう結論付けられても、どこか釈然としない文哉はぼんやりと呟いた。
「そうなのかなあ……。なんか違う気もするけど……」
やれやれ、と首を数回左右に振った番場は開き直るようにして言った。
「……まあ、いいさ」
そして彼は続ける。
「≪GROW≫が生みだされるということは、人々が欲望に飲み込まれているということだ。欲望にまみれた人間たちは傷つけ合い、互いを滅ぼし合う。……そんな愚かな行いを何度も繰り返させはしない。
そうならないようにするには、人間が欲を持たないようにしなくてはいけない。そのために、覚醒した指輪と鍵をすべて回収し、欲望の源となるものを抑え込む。
それが……私の目的だ」
白衣の男の演説を聞いた少年二人は、彼にまばらな拍手を送る。少年のうちの一人、文哉は言う。
「何だかよく分かんないけど、すごいこと考えてるんだね、番場さん」
「理解もせずに拍手していたのかい……」
文哉の天然発言には、流石の番場もジト目になってしまっていた。
ゴホン、と咳払いを落とした上で、気を取り直した番場は告げる。
「君たちには私の目的を果たす手助けをしてもらいたい。文哉。君が覚醒させたもの以外に、残る指輪はあと六つ。対となる七つの鍵も回収しなければならない。長い道のりになるが……協力してもらえるだろうか」
「もちろんだよ!」
番場の懇願に、文哉は屈託のない笑顔で応じた。
あまりにも純粋すぎる少年の瞳を見た番場は、苦笑を浮かべながら冗談混じりに言う。
「まさか即答とは。こんな怪しい男の言うことを信じるのかい?」
「? 困ってる人を助けるのは当然でしょ?」
まるで、自分の意志に疑いを全く持っていないかのような口振りで文哉は笑っている。
ふと、誰に言うでもなく番場は虚空に向けて呟きを吐いた。
「とんでもないお人好しだねぇ。……いや、この子なら…あるいは……」
すると、明慶が手を挙げた。
「あ、あの、番場さん。もう一つ訊きたいことがあるんですけど……。蝙蝠の≪GROW≫を倒した後に出てきた、あの大きな鏡は何なんですか? それと、その近くにいたあの人のことも……」
「ああ! あの、男の人か女の人かよく分からない人だね。確かに、オレも気になるなぁ。オレが持ってるのと同じ形の指輪してたよね」
文哉のその言葉に、明慶は驚いた様子で、
「え? あの人、女の人じゃないの?」
「えっ、そうなの?」
「うーん……どうなんだろ、違うのかなぁ。僕にはそう見えたんだけど……」
そんな二人の会話を聞いていた番場は静かに語り始める。
「まず、巨大な鏡についてだが……言えることは二つある。一つは、彼女の名前が 加々見 成美ということ。もう一つは……彼女の目的と私の目的とは相容れないということだ」
「「えぇっ!!? あの鏡、人間なの?!」」
驚きのあまり、文哉と明慶は同じ台詞を同時に口にした。
番場は頷きもせずに続ける。
「すまないが、彼女についてはこれ以上話すことはできない。……それと、彼女の近くにいた人物だが……どうやら彼女の手下らしい。人間であることは間違いなさそうだが、性別は残念ながら私でも判別できなかった」
一瞬、息継ぎをしてから、番場は再び言葉を紡ぎだす。
「加々見 成美の手下が着けていた指輪は、文哉の持つ物と同じ≪HEART≫の欠片で間違いない。──残念だが、彼女に先を越されてしまったようだ」
「さっき、番場さんは「指輪と鍵をすべて回収する」って言ってたよね? ……ってことは、その人の持ってる指輪も回収しなくちゃいけないってこと?」
文哉の問いかけに、番場は不敵な笑みを見せつつ答える。
「やはり君は飲み込みが早いねぇ……。その通りだよ。すべての≪HEART≫の欠片は回収しなければならない。すでに誰かの手に渡った物も例外ではない。……いずれ、加々見 成美とその手下とは欠片を巡って争うことになるだろうね」
番場は、まだ青さを残す少年二人に念押しする。
「それでも、私の目的を果たす為に協力してくれるかい?」
一気に不安そうな顔になった明慶とは裏腹に、文哉は何か真剣な顔つきで考え込んでいた。
しばらくの間、悩み続けた結果。何かをひらめいたように明るい表情になって告げる。
「うん。協力するよ。その代わり、指輪と鍵を全部揃えたら……番場さんの知ってること、全部教えてくれる?」
文哉の交渉に、番場は一度、目を見開いたが、すぐにいつも通りの不敵な笑みを取り戻した。
「そうだな……考えておくとしよう」
街の散策を終えた文哉、明慶、番場の三人は、展望台へ帰ってきた。
「今日はありがとう。様々なものに触れられて貴重な体験をさせてもらったよ。君たちのおかげだ」
礼を言う番場の顔は柔らかく綻んでいた。
対し、文哉と明慶はそれぞれの返事を作る。
「どういたしまして!」
「また今度、僕のおすすめスイーツを教えますね!」
笑顔を絶やさないまま、番場は告げる。
「さて、そろそろ解散としようか。二人とも、また会おう」
「うん! またね、番場さん!!」
文哉は白衣の男へ大袈裟にぶんぶん手を振りながら叫んでいた。
踵を返し、少年二人は帰路につく。
彼らは歩きながら、今日の出来事からどうでもいい世間話に至るまで、とりとめもない会話を繰り広げた。
不意に文哉が背後を振り返る。
そこに存在したはずの白衣の男の姿は、完全に消え失せていたのだった。
「ただいま」
「もぉ! 遅いよ!!」
崇嶺が帰宅すると、妹の花彩が文句を言いながらも出迎えてくれた。崇嶺は謝罪の言葉を紡ぎだす。
「すまない、遅くなってしまったな。先に食べてくれていてよかったのに」
「私はお兄ちゃんと一緒がいいのっ!」
“ブラコン”という単語が頭をよぎるが、深く考えない方がいい。考えたら負けだ。
席にはすでに料理が並べられ、セッティングは完璧という感じだった。妹は本当に自分との食事を楽しみにしてくれていたようだ。
世話が焼けるやつだな、と思いつつも、崇嶺にとって悪い気はしないのだった。
花彩は兄を急かすように言う。
「ささっ、早く食べようよ!」
兄妹二人は席に着いた。今晩のメニューは、花彩お手製のビーフシチューだ。
崇嶺は静かに目を閉じ、両手を合わせて言う。
「いただきます」
「いっただきま~す!!」
兄がシチューへ手をつけるより先に、花彩はがっついた。余程の空腹で我慢しきれなかったのだろう。
崇嶺はそんなことを考えながら、ゆっくりとシチューを口にした。
肉は柔らかくて、よく煮込まれているし、野菜もしっかりと甘味が出ている。
崇嶺は口元が緩むのを感じつつ、妹へと告げる。
「花彩、また料理の腕を上げたな」
照れたようにはにかんで言う。
「えへへ。そりゃ私だもん!」
自信満々に笑う妹の顔を見ていると、自然と崇嶺の顔にも笑みが零れた。
シチューを食べ終えた後、少し休憩を挟んだ上で崇嶺は花彩に言った。
「ところで、花彩。前に見せてもらったクラス写真、もう一度見せてもらえないか?」
花彩は不思議そうに首を傾げる。
「何、突然? まー、いーけど。ちょっと待ってて」
そう言って一旦、花彩は自室へ向かった。そして、すぐさま戻ってきて一枚の写真を兄に見せる。
「これよ」
花彩が入学時に撮ったクラスの集合写真だ。花彩たち一年一組の生徒全員と担任教師が写っている。そんな写真の中には夕方会った二人の男子生徒も写っていた。崇嶺は写真の中の男子生徒のうち一人を指で示しながら、花彩に問いかける。
「この子はどんな子か分かるか? 普段の様子でも何でもいいんだが」
「その子は中野 文哉くんっていうんだけど、基本、変? っていうか天然? な子で、休み時間中、何かずっと絵を描いてて……あ、でもでも、その絵はすっごい上手なの!」
「そうなのか。じゃあ、この子の方は?」
崇嶺が今度は文哉の近くに写っている男子生徒を指で示した。花彩は兄の問いに再び答える。
「その子は、渡橋 明慶くん。なんとなく、可愛い、って感じの子でお菓子が大好きなんだって。いつも食べてて、そういえば、この間は休み時間にポテチ食べてたなぁ」
「なるほど」
「てか、なんでそんなこと訊くの? もしかして、中野くんと渡橋くん、事件に巻き込まれたりとか?」
心配そうな顔で尋ねる妹の言葉を、兄は即座に否定する。
「いや……そういうわけじゃないんだが、街で見かけたから少し気になってな」
どこかで見たことがあると思ったが……やはり花彩のクラスメイトだったか。
崇嶺はそう考えながらも、しかし、分からないことがあった。
あのとき、すれ違ったのは三人。うち二人は妹のクラスメイトだとして、残る白衣の男に関しては依然不明なままだ。
そこで、崇嶺は妹に問いかける。
「もう一つ聞きたいんだが……物理か化学の教師で白衣を着てサングラスをかけた男の人はいないか?」
「いないよ。物理化学の先生は、みんなケッコー地味な感じだもん」
花彩は即答を返してきた。崇嶺は続ける。
「なら、保健室の先生は?」
「女の先生だよ」
だったら、あの男は何者だったんだ……?
謎がまた次の謎を呼び、何も解決もできぬまま、さらに深まっていくばかりだった。
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