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第四章 ‐ 裏切者は誰だ ‐

041話「裏切者は誰だ」

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第41話「裏切者は誰だ」


 ささやかな食事会を終えた後、京子の帰りを待たずしてカスミは歯を磨き、床についた。生まれて初めてのカプセルホテル型ベッドには少々の戸惑いもあったが、サイドの扉とロールカーテンを閉めて一人になると、その静寂さを聞くうちに再びまどろみの中に落ちてしまった。それほどに今日は疲れが溜まっていた。

「月照先生、”夜蜂”の一件についてですが……」
「彼女と話したよ。巌山先生の”個人的な願い”で草の仕事をしていたそうだ」
 と、有澤が答えた。

「直前まで”私の行っていた仕事”と関わりのある事ですか?」

 無間は問う。彼はこの護衛任務にあたる以前は行方不明となっていた門下生の追跡調査の旅に出ていた。今年に入って行方不明となった門下生は6人、安否の確認が取れたのは3名、生きていたのは1名だけで、事件性のない者だった。
 結局、行方不明となった「三虎」の行方は掴めず、「水葉」の方は銀蘭によって死体で回収された。

「いんや、事件性のないものだ」
 有澤は首を振って答えた。

「草といってもねえ、特段何か戦わせていたとかでもない、学校生活の様子を定期的にレポートするのが任務だったと」
「カスミさんの監視ですか」
「そういうわけでもなかったらしい。彼女も、顔は知っていたが直接話した事も無いし、家の場所も知らないと」
「では何の為に?」

「さあ? 意味なんて無いんじゃないか? 強いて言えば――――巌山かれなりの人情じゃないかね。あの子の出身地、家族構成、出身校、入門経緯……調べればその理由が出て来るかもしれないが、どうする」
「いえ、辞めておきます。少なくとも今は」

「そうか。まあ、彼女が自分から話すかもしれないし、それが一番だしね」
 有澤は言った。
「とにかく居合わせたのは偶然だろうね。流星先生にも電話で確認取ったけど、そのままこっちで使ってくれていいと」
「といっても、無段でしょう」
「たった一人、平凡な仕事とはいえ誰にも知られず一年以上任務を遂行し続けた子だ。きっと戦い以外の場所で役立つさ。そうでなくとも……」

「「使えるものは何でも使え」という事ですね」
 無間が、いつかに教わった有澤の教えを口にする。

「そうだ。教育は私と門倉くんがやるさ」
「私も手の空いてる時に手伝いますよ。何が出来るか、性格の傾向もこの目で見ておきたいです」
 と言うと「そうだな、それがいいよ」と有澤も深く頷いた。


 外出していた京子が戻ってきたのはカスミが眠ってすぐの事、二人が「夜蜂」の扱いに関して話していた時だった。
「すみません、遅くなりました」
 そう言うと、京子は今すぐハワイに半月は行けそうな大型スーツケースを抱えて息も絶え絶え五階の休息エリアへ姿を現す。

「こりゃまた……随分持ってきたねえ」
 荷物ケースを見て有澤が目を細めた。有澤と無間は共に休憩エリアの電動マッサージチェアで肩をほぐしている……。それを見て京子もまた目を細める。

「あの子の着替えと、パソコンと、日用品もいくつか……」
「盗む人もいないからロッカー脇に置いときなさい」

「はい、あの子は……」
「とりあえず寝た所だよ」
 と有澤が答え、防音ガラス扉の向こうの就寝カプセルの方を指差す。

「そうですか……ひょっとして二人とも、私を待ってましたか?」
「いや、それほどじゃないけどね。京子さんが帰って来るまでは様子を見ておこうか、と」
「そうでしたか、ありがとうございます。何か他に、報告などありましたら……」
 京子がそう言うと、有澤は無間に目配せする。無間は首を横に振った。
「今すぐに話す事はないかな。京子さんも働き詰めだろう、少し休みなさい」
「そうさせて頂きます」

 丁度、二人のマッサージチェアが時間で止まった。立ち上がった二名はリクライニングチェアにもたれかかる京子に挨拶する。彼女は目に見えて疲れた様子だった。

「丁度いいな。では、我々はこれで。おやすみなさい京子さん」
「お疲れさまです」
「おやすみなさい、二人とも」
 そう言って京子はチェアの上で瞼を閉じた。卜部 京子の長い一日はようやく終わりを告げたのだ。


 休息エリアを抜けてエレベーター前まで歩くと、有澤の後ろに続く無間がその口を開いた。
「月照先生、お時間はありますか」
「うむ、どうした」
「お話したい事が……」
「二人で話した方がいいか」
「今はまだ」
「わかった、8階でいいかな」
 無間が「はい」と答えるのを聞いて、有澤が8階へのボタンを押した。




 8階まで上がると、エレベーター近くの紙コップ自販機で0円の飲み物を確保した二人は、有澤の個人生活領域へと足を踏み入れる。別に本籍地のはずでないが、影の月照支部を統率する彼はほとんどこの場所に住んでいる。

 実際このビルは便利だ、ベッドも電気も冷蔵庫もインターネットもあり、シャワーも、それどころかトレーニングエリアや食堂もある。
 それでも不足があれば? ――――ここは世界に誇る大都市の中心部、建物を一歩出れば眠らぬ街、東京が広がっているではないか。ビルの中だけで満足できなければスーパー銭湯でも、コンビニでも、レストランでも、居酒屋でも、大体何でもある。近くのチェーンビジネスホテルは”影”の息がかかっているから、高級ホテル並みのサービスまではいかないものの会員証一つでそこそこの寝床に無料宿泊だってできる。そのため自宅が県外にある者で、一向に家に帰ろうとしないものは有澤一人に留まらない。

 二人は向かい合うようにしてソファーに腰かけ、有澤はのり塩ポテトチップスまで彼の菓子棚から持ってきた。

「それで話というのは……」
「リーヴァーズの活動の事です。あの時、報告を躊躇っていた内容が」
「言ってくれ」

 すると、真剣な表情で無間が告げた。
「単刀直入に言います、奥伝技「地獄門」が盗まれました」
「確かか」
 それを聞いた瞬間に有澤――――月照師範の目つきが鋭くなった。


「間違いありません。攻撃手順、急所狙いの連続攻撃……あれは地獄門そのものです、4手目まで実際に受けましたが、断じてあれは他流派の技ではありません。それを使った本人も教わった技である事を白状しました」

「盗まれた「地獄門」はどの程度のレベルだった」
「地獄門は……幸い不完全です。コピーしきれていません」
 無間が質問に答えると、月照はこう述べた。
「奥義を”使える”という事と、”使いこなせる”の間には命よりも深い差がある」

 月照師範が持論を述べる。奥伝技、すなわち奥義というものは漫画やアニメの必殺技とは違う。いくら奥義だの秘伝だのを目にしても、ただ”使える”だけでは実戦に耐える程の技とはならない。それどころか大技の乱用はかえって自滅に繋がるだろう。


「仰る通りです。”使えるだけ”の地獄門は、地獄門とは呼びきれません」
 無間も月照の論を多いに支持する立場にあるが、彼は「ですが」と言葉を続ける。
「使い手は合気道師範クラスの強敵でした。彼があと一年、地獄門を徹底研究していた場合、手がつけられなくなっていた恐れも……」
 無間は自分が殺した合気道家の事を思い出す。彼は外道だったが、その性分とは無関係に強く、才能があり、しかも若かった。対峙した段階で相当に危険な実力の持ち主だったとはいえ、長生きしていればその危険性はより増していただろう。今の内に若い芽を摘んだ事は正解だったと思う。


 月照師範は紙コップのアイスコーヒーを口に含むと、おどけた表情でこんな話を持ちだすのだ。
「昔のさ……「地獄門を独学で完成させちゃった事件」覚えてるかい」
 無間は頷くと、共有する思い出を振り返る。

「よく覚えています。月照先生と私がCIAまで教えに行った時の話ですね。夜陰流を習っていた職員の一人が突然私に「地獄門」に酷似した技を使った……」

「そうそう。それでその場で尋問になったんだけど……なんか結局、誰からも奥伝を教わった形跡が無くて、彼も「独学で編み出した」との一点張りだったから諦めたんだよね。CIA職員ならしょうがないかって……どうせ常人が覚えられる技でもないし」

 「拡張エクスパンション古武術」こと「E-MAYRシステム」として欧米の特殊部隊や諜報機関にも教伝されている夜陰流の技術であるが、同じく闇の世界に近しいプロ中のプロに技術を指導していると、そういう面白いレアケースにも時たま遭遇するわけだ……もっとも、十数年に1人ぐらいの割合ではあるが。

 懐かしいなと月照は笑い、無間もそうですねと瞳に暗い虚無を浮かべながら口元に笑みを浮かべる。だがそれもすぐにお互い消え、無間は真剣な表情で言った。

「……ただ、CIA職員が自力で編み出すのとはわけが違います。相手は力の使い方さえ自分でわかっていないような連中です、私や月照先生ならまだ片手で捌けるレベルですが、不完全版地獄門でも並の者ならあれで殺されます。
 ただ人を殺すだけならばあの技は要りません、銃を使えば済みます、だというのに、わざわざあんなものを……意図も読み切れません」

「そうだね……犯罪者に渡ってはならない技だ。これはかなり重い事態だ、本部道場にも報告しなければならないだろう。不完全版地獄門を広めているものについての情報は」

 すると、無間はこう言った。
「「三虎ミトラ」……そう名乗る者が教えていると」
 有澤の表情はやはり歪み、渋柿を食ったかのように顔全体にしわを深くした。
「そう言ったのか?」

「はい。そのため相談に」
 月照はしばらく沈黙した後、深刻な表情でこのように言う。

「三虎は我々の支部の行方不明者だ。捜索に出ていた君が一番良く知っているが……」
「明らかに”おかしい”です」
 無間がすぐに異を唱えた。月照も”おかしい”の言葉の意味する所がすぐにわかった。

「そうだ、おかしい。第一に、三虎は我々を裏切るとは人物だったと思えない、第二に……」

「人柄の問題ではありません。彼は「地獄門」を知らない、”使えない”」
 口を挟んで無間がキッパリ言い切った。
「そうだ、三虎の段位は表初段だった。奥伝はおろか、初伝を修了して黒帯を巻いたばかり……自分で使えない技を教えられるはずがない」


 号は【三虎ミトラ】、本名は真蔵マクラ カケル、失踪はもう二か月も前のこと。彼は確かに影の一党の月照支部に所属していた者で、その技術を盗む事が可能な立場にあるが……それらは入口の技に限る。

 三虎はまだ影の仲間に加わって比較的日が浅く、奥伝に触れる事を許可される地位にない。そのような技があるという存在自体を知らないはずだ。犯人が三虎だったとする場合、知るはずのない奥伝技を他人に教えられるはずは無かった。

「無間君、これは君にしか頼めない」
「わかっています」

「私に少し時間をくれ、こちらの方でも準備を整える。……「三虎」を名乗る者……外道に影を売った盗賊の正体を割り出せ」
「捕まえるべきですか」

 確認を取ると、月照師範は「よせやい」と顔をしかめてこう言った。

「最低でも相手は奥伝技を使う。そんな相手に手加減など出来るものか。君が一番それをわかっているはずだ」
「私はそれを「必要と思っていない」だけです」
 無間が言うと「同じ事さ」と月照が答える。
「やれそうならばだが……その時は問答無用で殺せ。責任は私が負う」
 月照の命令に無間は黙って頷く。二人の暗い瞳の奥には、怒りと殺意の情が確かに宿っていた。
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