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第参章 - 焔魔王は異形の剣と躍る -

032話「敗北」

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『高雅高校防衛戦:18』
第32話「敗北」


 小松崎が死した後、無間は血に塗れ、刃こぼれした「罪滅ツミホロボシ」を片手に、戦闘不能状態の敵や、体育館にまだ残留している敵を一人一人確実に殺害しながら体育館の鉄扉まで歩いていく。

 渡り廊下の更に向こう、一階廊下に裸の少女を抱えた悪漢数名の姿が見えた。彼らはこちらを睨んでいたが、かといって向かってくる様子も無かった。
 無間は挨拶代わりに小松崎の生首を掲げると、それを渡り廊下の上に投げ捨てた。


 もう誰も、体育館に近寄るリスクを冒そうとはしなかった。当初130名で押し掛けたはずのジ・リーヴァーズ襲撃チームはその半数近くが戦闘不能。指揮官であった幹部の風間は斬首され、指揮系統は崩壊。
 戦力を支えていた合気道家の小松崎、雇ったSAT出身の殺し屋など、突出した能力を持つ個人は、今や無惨な骸を晒すだけ。


 体育館や校舎内に散逸する死体の懐に入ったスマートフォンが一斉に鳴った。小松崎が持っていた液晶のひび割れたスマートフォンを手に取り、死体で指紋認証のロックを外す。LINEによる撤収命令が一斉送信されていた。


 お前たちがどこに逃げても必ず追い詰める。一人残らず殺す。


 無間はLINEのグループ通話に処刑宣告のメッセージと共に、切断した小松崎の生首の写真を送信すると、その電源を落とした。


 無間は傍らに転がった首のない死体から学校の鍵を取り返すと、念のために通路側への門を閉鎖しなおす。


 彼は体育館を振り返った。ここにあるのは死体と、男子生徒と、負傷した男性教員だけ。
 学び舎に有るまじき、死と暴力の匂いだけが充満していた。


 事情を問うため、無間が生徒の一人に近づく。全身を血に染めた閻魔の如き姿に生徒は怯え、その場でジャージを暖かく濡らしたが
「怖がらなくていい。君に何もひどいことはしない」
 と、その見た目とは裏腹に、とても穏やかな口調で男子生徒に話しかける。


「女子生徒がここには一人もいない。全員連れていかれたのか?」
 冥府の主が尋ねると男子生徒は首を横に振り、施錠された体育館倉庫を指差す。

 ありがとう、よく頑張ってくれた。無間は生徒の肩を叩いてねぎらうと、体育館倉庫の扉を開ける。

「イヤーッ!」
 扉を開けた瞬間、血に塗れたジャージ姿の少女が飛び出して来て、気合を入れながらナイフで突いてきた。無間は顔色一つ変えず柔道技「支釣込足」によって正面から足を払って転倒させる。

 無間は反射的に”クセ”で、血に塗れた暗黒の刀で少女を斬首しかける……が、間一髪、惨劇の寸前で手が止まる。殺気に当てられた少女の顔が驚愕に変わり、みるみるうちに蒼ざめていくのを見たからだ。


「死ぬか?」
 命が要るかどうか、念のために確認を取ったが、蒼ざめた表情の少女はブンブンと首を横に振る。どうやら本人はまだそれが要るようだが、その可否は彼女の回答次第となるだろう。

「む、無間先生……!? も、ももも申し訳ございません!」

「俺の事を知るお前は何者だ、名乗れ」
 尋ねると少女は顔を蒼くしたまま早口で答える。

「号を「夜蜂ヨバチ」と申します、段位はまだありません。無間先生の噂は常々聞かされておりました……!」

「俺を知っているようだが、月照支部の顔ではないな」
 無間は問いただす。身振り口ぶりからすると”影”の仲間のようだが、有澤師範率いる”月照支部”の一門にこのような少女が居た記憶はない。


「りゅ、流星支部からです」
 少女が名乗った所属は流星支部。号は「流星」、空手出身の黒師範を筆頭とする同門の者たちである。とはいえ、彼らの中でも黒師範などとは無間も親交を持っているが、末端と思しきこの少女の顔までは無間は知らない。言葉だけで疑いが晴れた訳ではなかった。


「この件で流星支部が活動しているとは聞いてない。ここで何をしていた」
 刀を振り下ろす寸前で止めたまま、無間は目線を少女から一切逸らさない。少女は生唾を呑んだ。ここで少しでもふざけた返答をすれば、自身の命は一瞬の内に異形の刀の錆となって消えてしまうだろう、言葉は慎重に選ばなければならなかった。


「いえ、任務自体は月照支部の巌山師範からのものです、わけあって”草”の活動を行っていました……」

「今年の転入生は全員調べたが、お前を知らない」
「転校してきたのは一年前です」
 ……成程、知らない訳だと無間は納得した。今年に入ってからの転入生リストは全員チェックしたが、その前年まではチェック出来ていない。という事なら、彼女は今回のリーヴァーズとの一件とは別の事情でこの学校で一年間も、誰にも知られず潜伏活動を行っていた事になる。偶然というものは世の中あるらしい。


「ならば、巌山師範代が逮捕された一件については知っているな」
 聞くと、夜蜂は「えっ」と小さな声を漏らし、驚きの表情を浮かべた。……どうやら命令を出した巌山本人が警察の手に落ち、現在拘留中の身である事はまだ耳に届いていないようだった。


「そうか、立場は大体わかった。色々話すことがあるが……今は脱出が先だ。動けるな?」
 夜蜂は頷くと、無間の血に染まった手によってようやく引き上げられる。体育館倉庫を見ると、怯えた様子の少女が全部で20名ほどここに避難していた。ひどい性的暴行を加えられた様子はなく、皆まだ無事のようだ。

 夜蜂に先導され女子生徒たちが立ち上がる中、体育館倉庫の壁に座り込んだ一人の男の姿を無間は見た。

 それは老用務員の芳野よしのの変わり果てた姿だった。薄緑色の用務員服は腹部と背中が真っ赤に染まり、目を見開いたまま絶命していた。一人の少女が、もはや握り返してくれない彼の手に触れ、彼のために泣いていた。

「用務員さんが学校中の鍵を全て持って、この子と一緒にここに駆け込んできて……これだけ籠城できたのは用務員さんのお陰です。でなければ私達は今頃……」
 夜蜂が経緯を説明すると「そうか、そうだったのか」と冥府の主は呟き、彼の亡骸の前で膝をついた。


「芳野さん」
 無間が彼の名を呼ぶと、その右手に触れた。拳の皮膚が擦り剥けて出血していた。


 なんてことだ。夜蜂が、冥府の主の悲嘆の声を耳に聞いた。
「どうして、どうしてこんなに細い腕で戦ってしまったんですか……」

 芳野の腕は枯れ枝のように細い。到底他人と殺し合いをして良い体躯の者ではなかった。彼が健康のため行っていたラジオ太極拳も、とてもじゃないが戦闘ころしあいに向いた代物ではなかった。彼自身も、その事はきっとわかっていたはずだ。
 だというのに、彼がその拳を握り、凶器を手にした恐ろしい悪党たちに立ち向かってしまった事実は遺体の損傷からして明らかだった。

「私はまだ、あなたから太極拳を習い始めたばかりです。知らない事がまだ沢山あります、用務員の仕事の事や、芳野さんの生き様の事……あなたから教わる事が、もっとあったはずでした」


 ――――どうか、安らかに。


 無間は芳野に別れの言葉を送ると、その瞼をそっと閉じさせてやった。傍にいた女子生徒も一言「おじさん、助けてくれてありがとう」と涙を床に零した。彼がその命と引き換えに守ったものは、とても価値あるものだと無間は信じた。





 ◆




 この日、もうこれ以上戦いは起こらなかった。


 顕教と銀蘭は無事に体育館裏の手薄になっている戦力を撃破し、学校周辺から脱出。夜蜂も体育館倉庫に隠れていた女子生徒たちや負傷した武道部生徒らと共に同じルートから脱出、息を吹き返した来善や田所教員も生徒の手を借り、学校を離れた。

 大きく数を減らした悪漢たちに、校外に逃げる生徒たちを追う余力は無かった。



 撤収命令を受けた悪漢たちで、まだ動けるものは蟻の行列のようにグラウンド側のゲートから脱出する。何人もの悪漢が高雅高校の男女生徒たちを捕虜として抱え、公然と拉致していった。

 地獄に堕ちた少年少女が裸のまま泣き叫び助けを求めるが、悪漢たちが殴りつけたり、スタンガンを押し付けて強引に黙らせた。


 無間はこの光景を校舎屋上から見ていたが、彼一人の力ではどうにもならなかった。

 警察のこの到着の遅さ、恐らくリーヴァーズ側から何らかの不正な働きかけがあったと見るべきだが、それでも恐らくは出動を遅らせるのが関の山、都内の真ん中で起こる事件ともなれば、事件を無かった事にまでは出来るはずもない。
 ともすれば、間もなく警察が銃器対策部隊あたりを伴い、この場所に集団で到着するだろう事が予測出来る。


 ”影”の者たちにとって警察は敵ではない。だが、完全な味方でもない。例えば政治的な働きかけによって、事件の翌日に逮捕状の請求を食い止める事などは出来るだろう。だが、末端警察官が現場判断で行う現行犯逮捕までを防げるものではない。巌山のように現行犯で捕まってしまい、かつ銃器を持っているせいで自体がややこしくなり、拘留が長引くというケースもある。


 この状況下で巌山の二の舞になるわけにはいかない。無間自身、警察の到着前にこの場所から逃げきらねばならなかった。


 それでもわざわざ屋上に登って退却する二勢力を見守っていたのは、自分一人の力ではすべてを守り切れなかった責任感と、悔しさからだった。



 ――――空を見上げると、どこまでも暗い雲が広がっている。
 霧のような雨が無間の頬にかかり、乾きかけた返り血が溶けだしてゆく。それは決して、すべての罪を都合よく洗い流してはくれるものではない。湿気にまみれた霧のような雨は、こびりついたの血肉の生臭さを際立たせるだけだった。


 歌が聴こえた。

 悪漢たちは捕虜の生徒たちを片手に、ミッキーマウスマーチを合唱しながら帰路に向かっていた。


 生ぬるい風が吹くと、少女たちの下着を吊るしたレイプツリーが風になびいた。今日一日、この下着の数だけ少女の未来が奪われた。他にも何人の男子生徒と教員が殺されただろうか。


 ベストは尽くした、最悪の結果も避けたはずだ。カスミを救出し、他にも大勢の生徒を脱出させる事が出来た。
 だが、勝利と呼ぶには犠牲がおぞましすぎる。




 この学校は、もうダメだろう。



 ぬるい風に揺れるレイプツリーは、人間一人がどれほど死力を尽くそうが、おまえには何ひとつ救えやしないと、一人の男の欠陥動物ニンゲンとしての限界を嘲笑っているかのようだった。



第参章『焔魔王は異形の剣と躍る』  終
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