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ルドゥテ
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しとしとだった雨の降り方がバチバチへと変わった。
刺さるような雨粒が傘を弾丸で射抜くみたいに落ちてくる。
世界はセピア色。
慌てて店の軒下に避難するも時すでに遅しで、肩から下がずぶ濡れである。
窓に張り付いた水滴は点と線と円で構成されていてまるでカエルの卵みたいであった。
天変地異の影響で雨しか降らなくなってしまったこの島国。
程度の差こそあれ年がら年中雨である。
排水口の排水能力が追いつかずどこもここも水溜り。
コンクリートアスファルトはふやけてしまっているだろう。
私は、湿ってしまった白いコートについた水滴を落とし、ずぶ濡れのタイトスカートを絞り、びちゃびちゃのスニーカーから水を締め出してから、さて、どうしようと考えた。
店は雨宿り客で賑わっていた。
小洒落たカフェだが人間が芋洗いのごとく、居座っている。
私もその芋の一員になるか、このまま濡鼠になるか、と選択を迫られた。
鼠よりは芋となろう。
決心した私はカフェのドアベルを鳴らす。
コーヒー、エスプレッソ、カフェラテ、カフェオレ。チョコレート、ココア、その他というメニュー。
余談だが、カフェオレはコーヒーをミルクで割ったもの、カフェラテとはエスプレッソをスチームミルクで割ったものという違いがある。
それはどうでも良い。
「あの、すみません」
早速声をかけられた。
「有名なフィギュアの方ですよね。サイン下さい」
中年のフィギュアスケートとは縁遠そうな女性だった。
職業柄、である。
こうしてサインの一つもお願いされるうちが花か。
花は枯れてからが観ものなのか。
フィギュア選手を引退し、今はアイスダンスショーをやっている。
こちらはシビアな人気商売で、目の肥えた客を喜ばせるステージ演出も必要とされていた。
今日もそのネタ探しの事で頭がいっぱいである。
カフェ。
丁度良い。
チョコレートドリンクを注文し人混みを掻き分けて奥へと入った。
途中またファンの方に声をかけられたが今はプライベート、no thank you.である。
なんとか二つ空いている席を見つけソファ席の方へ陣取った。
うむ。次の演目が浮かばない。
美女と怪獣、ジャパニーズアニメーション、オペラ、クラシック、ポップミュージック。
ありとあらゆる芸術をとりいれて、それらに手垢をつけてきたのだ。
古いものはもう再利用出来ない。
独創的で魅力的なショーの為に私はプロデュース段階から尽力する。一ダンサーとしても貢献する。
が、頭の中は閑散としていた。
見るべきものもなく、眺めたのはせわしなく動く人々。
傘が壊れた青年が、濡れ鼠で入ってきた。
茶色、黄色、ラクダ色、オレンジブラウンの点が連なるドット柄……とでも言うべきか奇抜な服を着ている。
ドットに雨粒が光を反射させて膨らんだり滲んだり流れたり。
モーツァルトの練習曲のようだった。
一音一音が独立しており主張が激しく、しかし二人と四本の手によって調和を目指すと更に煌めきを増すクラシック。
私は、青年を『洋服の端からクラシックボーイ』と名付け観察することにした。
クラシックボーイはコーヒーを片手にこっちにきた。
私は有名人。声をかけられるかと思いきや会話は「相席いいですか?」「ええ」だけ。
クラシックボーイはハーフのように見え、とても長い睫毛をたたえていた。
睫毛にまで水滴が。
ルドゥテ、フランス語で恐れるという意味だ。
私は静かにクラシックボーイの美しさを恐れていた。
ドットプリントの妙な服を差し引いても彼はビーナスだった。
まぶたにはオレンジのシャドウをぬり、口紅としてモカ色を挿している。
ジュエリーショップで発表されたブラウンダイヤモンドが元は工業用の安いクズダイヤであったように。
しかしその色が今やインドでは野ウサギの目の色と言われ戦士にエネルギーを与えるとされているように。
レトロが一周回って新しいと呼ばれるように。
下剋上があるかもしれない。
クラシックボーイの佇まいには何か畏怖すべき点があった。
チョコレートドリンクに口をつけこわごわとクラシックボーイを観察する。
私にも、ライバルは、いた。
私よりも若くて私よりも才能に溢れているライバル。
クラシックボーイは彼女の影を否応なしに思いださせるのだ。
私が何より大事にしてきたのがフィギュアスケート。スケートを滑っていることが誇りであり、私の存在意義であり、プライドであった。
だが、育ってくる若い芽は早い。
引退してなお心に引っかかるのは、私の時よりも煩い歓声、私には向けられなかった称賛の眼差し、私の舞台の時よりも喜ぶ人が多い事実だった。
つまり例えていうなら妹に先に結婚されてしまった姉の気持ちである。
私は、クラシックボーイと対面して彼の美しさと上品さに傷ついている自分を発見した。
美を前に人は悔しがる。
何故なら自分にはどうしようもない圧倒的な差を見せつけられるから。
外を見るとますます激しく夕立がきたようだ。
この瞬間、スケートショーのステージタイトルが決まった。
「虹を忘れた私たち」
雨を、降らそう。
スケートリンクに。
もやもやの晴れない弱い私たちの自尊心。
氷の上でヒロインを演じるのは私、スポットライトが照らし出すのは私だけ。
その瞬間だけは観客の目を私だけに引き寄せていられる。存分に、降れよ雨。虹を忘れた私たちは雨を喜び雨に泣く。
そうと決まったらサヨナラ、クラシックボーイ。私はカフェを後にした。チョコレートドリンクの味を忘れないままに。
刺さるような雨粒が傘を弾丸で射抜くみたいに落ちてくる。
世界はセピア色。
慌てて店の軒下に避難するも時すでに遅しで、肩から下がずぶ濡れである。
窓に張り付いた水滴は点と線と円で構成されていてまるでカエルの卵みたいであった。
天変地異の影響で雨しか降らなくなってしまったこの島国。
程度の差こそあれ年がら年中雨である。
排水口の排水能力が追いつかずどこもここも水溜り。
コンクリートアスファルトはふやけてしまっているだろう。
私は、湿ってしまった白いコートについた水滴を落とし、ずぶ濡れのタイトスカートを絞り、びちゃびちゃのスニーカーから水を締め出してから、さて、どうしようと考えた。
店は雨宿り客で賑わっていた。
小洒落たカフェだが人間が芋洗いのごとく、居座っている。
私もその芋の一員になるか、このまま濡鼠になるか、と選択を迫られた。
鼠よりは芋となろう。
決心した私はカフェのドアベルを鳴らす。
コーヒー、エスプレッソ、カフェラテ、カフェオレ。チョコレート、ココア、その他というメニュー。
余談だが、カフェオレはコーヒーをミルクで割ったもの、カフェラテとはエスプレッソをスチームミルクで割ったものという違いがある。
それはどうでも良い。
「あの、すみません」
早速声をかけられた。
「有名なフィギュアの方ですよね。サイン下さい」
中年のフィギュアスケートとは縁遠そうな女性だった。
職業柄、である。
こうしてサインの一つもお願いされるうちが花か。
花は枯れてからが観ものなのか。
フィギュア選手を引退し、今はアイスダンスショーをやっている。
こちらはシビアな人気商売で、目の肥えた客を喜ばせるステージ演出も必要とされていた。
今日もそのネタ探しの事で頭がいっぱいである。
カフェ。
丁度良い。
チョコレートドリンクを注文し人混みを掻き分けて奥へと入った。
途中またファンの方に声をかけられたが今はプライベート、no thank you.である。
なんとか二つ空いている席を見つけソファ席の方へ陣取った。
うむ。次の演目が浮かばない。
美女と怪獣、ジャパニーズアニメーション、オペラ、クラシック、ポップミュージック。
ありとあらゆる芸術をとりいれて、それらに手垢をつけてきたのだ。
古いものはもう再利用出来ない。
独創的で魅力的なショーの為に私はプロデュース段階から尽力する。一ダンサーとしても貢献する。
が、頭の中は閑散としていた。
見るべきものもなく、眺めたのはせわしなく動く人々。
傘が壊れた青年が、濡れ鼠で入ってきた。
茶色、黄色、ラクダ色、オレンジブラウンの点が連なるドット柄……とでも言うべきか奇抜な服を着ている。
ドットに雨粒が光を反射させて膨らんだり滲んだり流れたり。
モーツァルトの練習曲のようだった。
一音一音が独立しており主張が激しく、しかし二人と四本の手によって調和を目指すと更に煌めきを増すクラシック。
私は、青年を『洋服の端からクラシックボーイ』と名付け観察することにした。
クラシックボーイはコーヒーを片手にこっちにきた。
私は有名人。声をかけられるかと思いきや会話は「相席いいですか?」「ええ」だけ。
クラシックボーイはハーフのように見え、とても長い睫毛をたたえていた。
睫毛にまで水滴が。
ルドゥテ、フランス語で恐れるという意味だ。
私は静かにクラシックボーイの美しさを恐れていた。
ドットプリントの妙な服を差し引いても彼はビーナスだった。
まぶたにはオレンジのシャドウをぬり、口紅としてモカ色を挿している。
ジュエリーショップで発表されたブラウンダイヤモンドが元は工業用の安いクズダイヤであったように。
しかしその色が今やインドでは野ウサギの目の色と言われ戦士にエネルギーを与えるとされているように。
レトロが一周回って新しいと呼ばれるように。
下剋上があるかもしれない。
クラシックボーイの佇まいには何か畏怖すべき点があった。
チョコレートドリンクに口をつけこわごわとクラシックボーイを観察する。
私にも、ライバルは、いた。
私よりも若くて私よりも才能に溢れているライバル。
クラシックボーイは彼女の影を否応なしに思いださせるのだ。
私が何より大事にしてきたのがフィギュアスケート。スケートを滑っていることが誇りであり、私の存在意義であり、プライドであった。
だが、育ってくる若い芽は早い。
引退してなお心に引っかかるのは、私の時よりも煩い歓声、私には向けられなかった称賛の眼差し、私の舞台の時よりも喜ぶ人が多い事実だった。
つまり例えていうなら妹に先に結婚されてしまった姉の気持ちである。
私は、クラシックボーイと対面して彼の美しさと上品さに傷ついている自分を発見した。
美を前に人は悔しがる。
何故なら自分にはどうしようもない圧倒的な差を見せつけられるから。
外を見るとますます激しく夕立がきたようだ。
この瞬間、スケートショーのステージタイトルが決まった。
「虹を忘れた私たち」
雨を、降らそう。
スケートリンクに。
もやもやの晴れない弱い私たちの自尊心。
氷の上でヒロインを演じるのは私、スポットライトが照らし出すのは私だけ。
その瞬間だけは観客の目を私だけに引き寄せていられる。存分に、降れよ雨。虹を忘れた私たちは雨を喜び雨に泣く。
そうと決まったらサヨナラ、クラシックボーイ。私はカフェを後にした。チョコレートドリンクの味を忘れないままに。
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