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第3話:『中央道カーチェイサー』
◆09:ハヤブサとカミキリムシ−1
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トレーラーの速度に強制的に合わせられる形で、『隼』は時速八十キロ程度まで減速させられていた。そのはるか向こうにいるはずのクラウンとの相対距離が離れれば離れるほど、おれと玲沙さんの胸中には焦りが降り積もってゆく。八ヶ岳の麓、昼ならさぞかし美しい夏の緑を堪能出来たであろう中央道の上で、金で雇われた四人のエージェント達は対峙していた。
玲沙さんにしてみればトレーラーを追い抜くのは容易い。だが、当然相手がそれを見過ごしてくれるとは思えない。しかし時間が経てば立つほどこちらは不利になる。進むべきか、待つべきか。
と、そんなおれの逡巡を切り裂いて轟く、鋼鉄の唸り声。おれは咄嗟に視線を上空へ向ける。人間が幾ら速く地を走ろうと、ただ空に動かず在る月を横切って――バイクが宙に舞った。異様な光景に音が消えたような錯覚を覚えた後。後方にどず、と鈍い音。そして、急速に迫り来る硬質のエンジン音。
敵の跨ったバイクが、トレーラーのコンテナに停止した状態から急加速してジャンプ、なおかつ空中でターンを決めながらシフトアップして着地したときには既にこちらを追跡する加速体勢に入っている――おれが今見た光景を第三者的に分析するならそういう事だ。
だがしかし、敵は二人乗り。しかもアレはジャンプに適したモトクロス用なんかじゃ断じて無い。水銀灯を反射して艶めかしく輝く、紅と緑の斑に塗装された車体。小さな頭部状のフロントカウルから突き出す大きな一つ目のヘッドライト。剥き出しの骨格を思わせるフレーム。おれはなぜか南に棲む獰猛なカミキリムシを連想させられた。
YAMAHA XJR1300。
その型番を知る由もなく、考える暇はさらになく。おれ達はたちまち迫り来る新手、フルフェイスヘルメットとライダースーツに身を包んだ二人組との死闘を演じる事となった。
「……っと!」
『カミキリムシ』が突如その釜首をもたげた。前輪を引き上げる、いわゆるウィリー走行という奴だが、おれの目にはまさしく、腹を空かせた虫が獲物を捕食せんとする様に見えた。その前輪で押しつぶすつもりかよっ!?
咄嗟に『隼』は身をかわす。ギロチンさながらの勢いでおれの傍らを落下してゆく前輪。だが、奴らの狙いは最初から直接の攻撃ではなかった。
「くそっ!」
おれは悪態をつく。回避のために体勢を崩した『隼』の隙に漬けこみ、あっという間に『カミキリムシ』が前方に割り込んだのだ。
ラインを塞いだ途端にスピードを落とす『カミキリムシ』。それに衝突されるのを嫌って『隼』もスピードを落とさざるを得ない。
物騒極まりない積荷を路上に放り出したトレーラーがゆっくりと、だが確実に加速してゆく。時速百キロオーバーとはいえ、先程までのおれ達のスピードに比べれば他愛も無いものだ。だが、今の『隼』は、前方を塞いだ『カミキリムシ』に完全にその翼を殺されていた。たちまち、前方へと流れてゆくトレーラー。
『隼』の走行を遮る位置をキープし、時速百キロ未満の速度で車体を小刻みに揺らす『カミキリムシ』。連中の意図がおれ達の足止めに在る事は明確だったが、だからと言って容易に突破させてくれるものでもない。
「このっ……」
『しゃべらないで』
簡潔極まりない玲沙さんの指示の後、怒涛の如くに視界が傾いた。
「……っ」
たちまち彼女の指示の理由を明確に理解する。迂闊に口を開けば舌を噛み千切りかねない。まるで難破船から嵐の海に投げ出されたようなとんでもない左右の揺れ。玲沙さんがアスファルトすれすれどころか皮一枚まで身を乗り出す無謀なまでの体重移動で、右から左からラインを伺う。だが敵もさるもの、巧みにこちらもラインを塞いで、決して前を譲ろうとはしない。
さながら剣豪の鍔迫り合いの如く。甲虫と猛禽は見えない一本の線を巡り火花を散らした。互いの爪を、牙を掻い潜る。ひとたび動作を誤ればたちまち路面に呑まれて消える物騒な狩場で、捕食者達は互いの存在意義をかけて戦い続けた。
相手のドライバーも相当な腕だ。……いや、違うか。不幸にも多くの規格外の人間を見てきたおれにはなんとなくわかる。あれは操縦が上手いのではない。操縦者本人の反射神経と腕力とで無理矢理車体を振りまわしていると言った方が正しい。
『隼』を手足のように使いこなす玲沙さんとはそこが決定的に異なっていた。腕だけなら間違いなく玲沙さんが上だろう。だが悲しいかな、今は体重移動の手伝いも出来ない余計な荷物が彼女の腰にぶら下がっている。
切り返し、加速、急減速。ウィリー。
韮崎ICの看板が過ぎ去る。車線を変え、速度を変えながら続けられた現代の早駆けは、既に距離にして二十キロに達しようとしていた。無言のまま極限まで集中を高め、アスファルト上にある蜘蛛の糸のような理想のラインを辿る玲沙さんにおれがしてやれる事は、余計な計算要素を増やさないよう、せいぜいしっかりしがみついて荷重に徹する事だけだった。
玲沙さんにしてみればトレーラーを追い抜くのは容易い。だが、当然相手がそれを見過ごしてくれるとは思えない。しかし時間が経てば立つほどこちらは不利になる。進むべきか、待つべきか。
と、そんなおれの逡巡を切り裂いて轟く、鋼鉄の唸り声。おれは咄嗟に視線を上空へ向ける。人間が幾ら速く地を走ろうと、ただ空に動かず在る月を横切って――バイクが宙に舞った。異様な光景に音が消えたような錯覚を覚えた後。後方にどず、と鈍い音。そして、急速に迫り来る硬質のエンジン音。
敵の跨ったバイクが、トレーラーのコンテナに停止した状態から急加速してジャンプ、なおかつ空中でターンを決めながらシフトアップして着地したときには既にこちらを追跡する加速体勢に入っている――おれが今見た光景を第三者的に分析するならそういう事だ。
だがしかし、敵は二人乗り。しかもアレはジャンプに適したモトクロス用なんかじゃ断じて無い。水銀灯を反射して艶めかしく輝く、紅と緑の斑に塗装された車体。小さな頭部状のフロントカウルから突き出す大きな一つ目のヘッドライト。剥き出しの骨格を思わせるフレーム。おれはなぜか南に棲む獰猛なカミキリムシを連想させられた。
YAMAHA XJR1300。
その型番を知る由もなく、考える暇はさらになく。おれ達はたちまち迫り来る新手、フルフェイスヘルメットとライダースーツに身を包んだ二人組との死闘を演じる事となった。
「……っと!」
『カミキリムシ』が突如その釜首をもたげた。前輪を引き上げる、いわゆるウィリー走行という奴だが、おれの目にはまさしく、腹を空かせた虫が獲物を捕食せんとする様に見えた。その前輪で押しつぶすつもりかよっ!?
咄嗟に『隼』は身をかわす。ギロチンさながらの勢いでおれの傍らを落下してゆく前輪。だが、奴らの狙いは最初から直接の攻撃ではなかった。
「くそっ!」
おれは悪態をつく。回避のために体勢を崩した『隼』の隙に漬けこみ、あっという間に『カミキリムシ』が前方に割り込んだのだ。
ラインを塞いだ途端にスピードを落とす『カミキリムシ』。それに衝突されるのを嫌って『隼』もスピードを落とさざるを得ない。
物騒極まりない積荷を路上に放り出したトレーラーがゆっくりと、だが確実に加速してゆく。時速百キロオーバーとはいえ、先程までのおれ達のスピードに比べれば他愛も無いものだ。だが、今の『隼』は、前方を塞いだ『カミキリムシ』に完全にその翼を殺されていた。たちまち、前方へと流れてゆくトレーラー。
『隼』の走行を遮る位置をキープし、時速百キロ未満の速度で車体を小刻みに揺らす『カミキリムシ』。連中の意図がおれ達の足止めに在る事は明確だったが、だからと言って容易に突破させてくれるものでもない。
「このっ……」
『しゃべらないで』
簡潔極まりない玲沙さんの指示の後、怒涛の如くに視界が傾いた。
「……っ」
たちまち彼女の指示の理由を明確に理解する。迂闊に口を開けば舌を噛み千切りかねない。まるで難破船から嵐の海に投げ出されたようなとんでもない左右の揺れ。玲沙さんがアスファルトすれすれどころか皮一枚まで身を乗り出す無謀なまでの体重移動で、右から左からラインを伺う。だが敵もさるもの、巧みにこちらもラインを塞いで、決して前を譲ろうとはしない。
さながら剣豪の鍔迫り合いの如く。甲虫と猛禽は見えない一本の線を巡り火花を散らした。互いの爪を、牙を掻い潜る。ひとたび動作を誤ればたちまち路面に呑まれて消える物騒な狩場で、捕食者達は互いの存在意義をかけて戦い続けた。
相手のドライバーも相当な腕だ。……いや、違うか。不幸にも多くの規格外の人間を見てきたおれにはなんとなくわかる。あれは操縦が上手いのではない。操縦者本人の反射神経と腕力とで無理矢理車体を振りまわしていると言った方が正しい。
『隼』を手足のように使いこなす玲沙さんとはそこが決定的に異なっていた。腕だけなら間違いなく玲沙さんが上だろう。だが悲しいかな、今は体重移動の手伝いも出来ない余計な荷物が彼女の腰にぶら下がっている。
切り返し、加速、急減速。ウィリー。
韮崎ICの看板が過ぎ去る。車線を変え、速度を変えながら続けられた現代の早駆けは、既に距離にして二十キロに達しようとしていた。無言のまま極限まで集中を高め、アスファルト上にある蜘蛛の糸のような理想のラインを辿る玲沙さんにおれがしてやれる事は、余計な計算要素を増やさないよう、せいぜいしっかりしがみついて荷重に徹する事だけだった。
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