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第一話 刑事、魔法少女と出会う

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 悪意は突然ノックも無しに訪れる。
 だが、どんな悪意に出会おうとも、人生はやり直せると人は言う。
 しかし、悪意にねじ曲げられた人生を真っ直ぐ元に戻すことなど誰にも出来やしない。

 少女が一人歩いている。
 世界がガラスの如く硬化質になる夜、天空の月光が禍々しいほどに美しく地上に降り注ぐ。
 都会のオアシス朧川中央公園。小川を中心に広がるこの公園は、約17㏊の広大な敷地を城壁のような木々に囲まれている。繁華街の喧噪もネオンも阻まれた隔絶された世界。その世界。昼ならば、憩い。夜ならば幻想を抱かせる。
 妖精でも飛び回りそうなほどに現実味が朧になる迷路のような木々の並び。その木々も寒さに耐えつつ萌芽に備え眠っている。その眠りを揺り起こしそうな一筋のぬくもりが編み込まれた冷風が吹き去って行く。
 その風に京人形のように腰まで伸ばしたストレートの髪を靡かせ少女は歩いていく。
 白を基調としたセーラー服の上から羽織に似たような水色のコートを纏っていて、歩くたびに裾から垣間見えるすらりと伸びた足は黒のニーソで艶めかしく、男の目を引きつけずにはいられない。
 カツッカツッとドラムを叩くように小気味良い足音が響く。
 夏の誘蛾灯の如く少女は好意も悪意も惹き付け引き寄せる。
 今も少女の後方に足音を殺し呼吸を抑え死角に潜んで付けていく男が一人。
「あれはいい獲物だ」
 眼光鋭く少女を見つめる男。中年の渋みを纏い、体は中年にありがちな腹が出ていることはなく引き締まっている。トレンチコートを纏い、僅かに腰を落として爪先を常に少女に向けている。男は鼻息を荒くすることもなく息を静かに規則正しく息を整えている。これなら居合いの如く一足で少女に届く。後は時だけ、男は静かに焦らずいつまででも伺う。
 狩りには二種類ある。獲物を見つけ静かに後を付けて機会を伺う、または定めた場所に身を潜めひたすら獲物が通るのを伺う。どちらの方が優れているとかはない、獲物にとっては等しく災難であることに変わりは無い。
 少女が更なる一歩踏み込んだとき、地面が隆起した。いや、地面と一体化して身を潜めていた男が湧き上がる津波の如く少女に襲いかかったのだ。あまりの不意打ちに少女は逃げるどころか知覚する暇すらなかった。
 男は勢いのままに少女の腹にタックルをかます。軽い少女などその衝撃で足が宙に浮いてしまう。そのまま男は少女を脇に抱えると同時に片手で口を塞いでしまう。
「おとなしくしろ。ちょっといいことするだけだ」
 臭い息と共に少女に恐怖を囁く。少女の顔は息の臭さか恐怖になのか歪み、嗜虐心をそそられずにはいられない。
 こうなっては少女に抗う術は、ほぼない。悲鳴を上げることすら出来ず、小道から外れた木々茂る深い闇の方に運ばれていく。
 ばたばたと少女の足だけが虚しく空を蹴るが、その足も小道から消えて少女は完全に闇に飲まれる。
「はあ、はあ」
 男は少女を地面に押さえつけると、待てっを命じられた犬のように鼻息荒く興奮している。木々のカーテンにより、仮に人が通りかかっても見えることは無い。狩りは成功した。後は男の思うがまま、少女を人形のように弄べる。
 服を脱がすか、破こうか。
 それとも、まずは着衣のままでしようか。
 男がこの後のお楽しみに想像を巡らせ夢中になってしまってもしょうが無い。だが、この世界に油断は許されない。いつ何時でも獲物を横取りしようとする敵はいる。
 摺り足で滑るように地面の上を音もなく移動していく男は、少女の体に興奮している男の背後に回ると何の躊躇いもなく脊髄に肘鉄を叩き込んだ。
「ごはっ」
 捕らえられた兎は諦めない最後まで生きる為足掻く。男の拘束が緩んだその一瞬を逃さなかった少女は腕をすり抜け逃れていく。
 先程までは、あれほど注視していた少女に見向きもせず後から来た男は地面に転がる男に告げる。
「警察だ、大人しくしろ。ここ最近の連続強姦殺人の犯人はお前だな。
 まっ違ったとしても強姦未遂でお前を逮捕するがな」
 月が男の顔を照らす。ざっと見30代くらいの中肉中背、顎髭が生えた顔は無骨だが引き締まっている。先程の一撃は確実に脊髄に決まっていた。これで強姦魔が一生半身不随になったとしてもおかしくはないのに、この警官の顔には一切の戸惑いも後悔も浮かんでなかった。冷静に地面にうつ伏す強姦魔の様子を伺っている。
 警官は強姦魔を逮捕すべく用心深く手を伸ばしていく。その手を払い強姦魔が立ち上がると同時に左アッパーを放ってきた。油断してなかったとは言え顎先寸前で躱せたのは僥倖。この幸運に甘えて生きていけほど温い人生は歩んでないとばかりに、カウンターで体を回して右フックを放つ。
 決まった。拳に肋を砕く感触が伝わってくる。これで息をするのも困難になるはずなのに強姦魔は構わず右ストレート放ってくるが、警官は左手で絡めると同時に強姦魔の肘に体重を乗せて腰を落とす。
 ゴキッリ、ぎゃああああ、鈍い音と悲鳴が夜空に響いた。警官は左手を離すと同時に強姦魔の膝に体重の乗せた蹴りを叩き押し込んだ。足が逆方向に曲がり強姦魔は地面に崩れ落ちる。
「ひざがひざが~」
 地面でのたうつ強姦魔、多分これではまともな社会復帰は無理だ。何かしらの障害が残るであろうが、それを見下ろす警官の目に揺らぎ無く、強姦魔が痛みに暴れて体力を消耗しきるのを見定めている。
「今度こそ終わりだな。んっ」
 警官は、ここで少女が遠くに逃げずに、自分と強姦魔の戦いがよく見える近くにいることに気付いた。あの勢いなら、遠くに走り去っているとばかりに思っていたので意外に思った。
「まだいたのか。さっさとここから逃げろ。そして今日のことは忘れろ、間違っても後で署の方に来たりするなよ」
 警官はどこかめんどくさ気に言った。
「いいの? ここまでやったら、被害者とか証人がいないと、おじさんまずいんじゃないの?」
 いくら警官で正しいことをしたとはいえここまでやってしまったのだ、自分の行為が正当であることを証明しなければ後日、新聞・人権団体などなどから徹底的に糾弾される。そう、正しいことをしても報われないのが人生。逆に、ここで見目麗しい少女が涙ながらに警官の行為の正当性を訴えれば、マスコミは一斉に警官をヒーローに祭り上げてくれるだろう。出世だって出来る。そんなこと、10年以上生きて実社会で働いてきた大人だ、直ぐに計算出来る。
「なんだそんなこと気にしていたのか」
 警官はこんな目に合った少女の意外な心遣いに苦笑。
「構わない」
 警官はこともなげに言い切った。
「それよりも下手に残ってマスコミとかに嗅ぎ付けられてみろ、まともに学校も通えなくなるぞ」
 警官は父が娘を叱りつけるように言う。
 日本は加害者の人権は守っても被害者の人権は考慮しない。たとえそれが強姦未遂だとしても面白可笑しく噂をされ、これからの人生を潰される。
「あら、警察なのに優しいのね」
 どこかお気に入りのおもちゃを見つけた猫のような顔で少女は言う。
「ちゃかすな。さっさと行け」
 警官は少女を追い払うように手を振って言う。
「でもおじさん、後ろを向いた方がいいよ」
「なにっ」
 のたうち喚いていたはずの強姦魔はいつの間にか立ち上がっていた。
「痛かったぞ」
 強姦魔は、顔は青ざめ幽鬼のように立っているのがやっとの状態に見える。だが、その目はぎらぎらと怒りに満ち溢れている。
「もう諦めて、大人しく法の裁きを受けろ」
「ふっ」
 強姦魔は小馬鹿にした笑いを浮かべると、一呼吸するうちに体が膨張していき服が破け散った。
「なっ」
 体つきが一回りも二回りも大きくなった強姦魔はボディビルダーも真っ青な隆々たる筋肉を見せつけ、指をポキポキ鳴らし威嚇してきた。
 警官は、そんな虚仮威しより強姦魔が砕けたはずの膝でしっかりと立ち、折れたはずの肘で腕を自在に動かしていることに驚愕した。
「ちっクスリをやってやがるな。この筋肉の異常発達ステロイド系か」
 警官は強姦魔の異常な力をクスリによる副作用だと推測した、現実的な回答である。だが、強姦魔の異常はそれだけで止まらない、手足の爪が肉食獣の如く鋭くなると同時に、額には角らしきものが生えてくる。
 上半身裸で筋骨隆々、更に鋭い牙と爪、何より額からた天に反逆する角、古来より伝わる鬼としか形容出来ないその姿。科学文明に生きる現代人でも悪鬼が蘇ったと思い驚き恐れ畏怖するだろう。
「筋肉の異常発達の影響で瘤が出来たのか。爪は異常成長で説明は付くが・・・」
 この警官は冷静、警戒はしているが恐れることも畏怖することもなくこの現象を解明しようと、余すことなく観察分析する。
「ぐふっ~」
 鬼は吐き気がする息を吐き出すと同時に常人なら腰を抜かすほどの眼力で警官を睨み付けた。だが、警官はそんなことで射竦められたりしない。自然体のままに逆に警官から鬼に話しかける。
「どんなクスリをやったか知らないが、そこまで外観が変わるようなら末期だな。まだ人の話を理解する理性はあるか?」
「その減らず口たいしたもんだよ」
 鬼はいたぶるようにゆっくりと警官に迫っていく。
「理性もあり、筋力強化、痛覚の麻痺。ふっ素手じゃ敵いそうに無いな。銃の携帯許可無理にでも貰っておくべきだったな」
 警官は項垂れ自分の数分後の運命を悲観するように言葉を重く吐き出した。
「今更泣き言・・・」
 惨めな警官の姿に優越感をくすぐられ油断しきった鬼の目に、警官はいつの間にか握りこまれていた暴漢スプレーを吹き付けた。
「ぐわっ」
 鬼が目の痛みに手で押さえたその隙に、目を付けて置いた石を拾うと同時に米神目掛けて力の限り叩き付けた。殺してしまっても可笑しくない一撃に鬼の体がぐらっと揺れる。揺れる脳天に警官は容赦ない追撃の一撃。
 パッカン、鬼の頭蓋骨でなく石の方が割れた。
「!」
 どのくらいの修羅場を潜って培った勘なのか、警官が直ぐさま飛び退いた空間を轟音が過ぎる。
「どんなクスリを使えばそうなるんだよ」
 警官はやってられるかよとばかりに吐き捨てるように言った。
「あれはクスリじゃないわよ」
 掛けられた声に驚いて警官が後ろを見ると少女はまだいた。
「何をやっている早く逃げろ」
 警官は怒鳴った。怒鳴られて一目散に逃げることを期待したが、少女はあろう事か警官に言い返してきた。
「おじさんの方こそ逃げた方がいいんじゃないの」
「残念ならが俺は警官だ。市民をおいて逃げるわけにはいかないんだよ。俺を心配するなら近くの交番にでも逃げて応援を呼んできてくれると助かる」
 怒鳴って駄目なら、冷静に利を説きお願いしてみる。
「まじめなのね。長生き出来ないわよ」
「おじさんなのでね、十分生きたさ」
「面白いわね。逃げてくれることを期待したけどしょうがない。これ以上は無駄に命を捨てることになるわよ。
 後は私に任せて、下がってなさい」
 少女は警官の前に出た。
 この行為に警官は一瞬何が起こったのか理解出来ず、幾多の修羅場を潜った猛者が戦場において、ぽかんとしてしまった。
 少女はその背に警官を守ると、白銀に輝く鞭を取り出した。鞭と言っても普通の鞭では
いようで、長さ的には7m弱、中が中空になっている上に表面には数十の穴が空いているのが特徴的だった。鞭の先端と柄の部分の後端にも螺旋が描かれた穴が空いている。
「おい何をやっている。下がれ」
 我に返った警官は少女を止めようと手を伸ばした。
「あなた運がいいわね、私の華麗な旋律を見れるんだから。一生の思い出にしなさい」
 伸ばす手より高く少女は跳んだ、天女の如く高く高く月に届くほどに跳び、鞭を空にぴんっと伸ばした。体操選手ほどの優雅さで着地と同時に少女はターンした。ターンした遠心力で鞭をしならせ新体操のリボンのように自分の体の周りに旋回させた。少女によって旋回する鞭は柄の後端から空気を取り入れ、途中に空いた穴を少女がそっと優しく塞げば。
 月下の元、幻想的な笛の音が響きだした。
 鞭は金属で出来ているようでありながら、その音は竹笛が織りなす優しい柔らかな桃源郷にでも流れる音。その音と音が重なり旋律となる。
 楚々とした月明かりのライトの下、軽やかに少女が舞い踊る。
 ストレートに伸びた髪が清流のように流れ。
 野生の獣のように引き締まった太股が躍動し。
 無駄のない腹筋までのラインが艶めかしく蠢き。
 ガラスの小枝のような指先が波のように鞭の表面を撫でていく。
 その全てが合わさり幻想的な旋律が生み出されていく。
 少女が舞い、幻惑的な旋律が流れる。あらゆる雑音が消え、梢の鼓動、月光の煌めきまでが合唱していく。
 ここは天上の世界か? そう錯覚いや、認識してしまう。
 旋律とこの世を支配する律が重なり共鳴し、今世界が変わる。
「叢雲流、管弦楽 一章 雲上界」
 少女が囀る小鳥のような声で告げたとき、少女の髪は一瞬で銀に輝き、鞭は赤く輝く。
 変化は少女だけで終わらない。木々の梢から道から水蒸気が沸き上がった。白きうねりとなって沸き上がる水蒸気は辺り一面に広がり、まるで雲上の世界に迷い込んだような幻想を抱かせる。
 幻覚か? いや水蒸気が立ちこめ雲のように見えるだけだ。警官は観察し現実的に推察した。問題は何でこんな現象が起きたかと、これにどんな意味があるのかだな。ざっと推察するにあの鞭が何らかの力で水分子との共振を起こし、電子レンジの要領で水を加熱蒸発させた。とするとあの金属の鞭、どこかの兵器産業が生み出した新兵器? そういえばあの強姦魔も今まで出回っているようなクスリの効果とは思えない。もしやブースデットマンを生み出す為のクスリ。
 警官は天恵と共に繋がった気がした。ならばと警官は、次に対処すべく腰を落とし周囲の警戒を始めた。
「なんじゃこりゃ」
 鬼は警官と対照的にこの現象に戸惑いを見せている。
「自分だけが超常の存在とでも思っていた?」
 小馬鹿にした声が響く。足下に広がる雲の上に颯爽と立つ少女、雲上の世界にいるという天女のようであった。
「てめえは何者なんだ」
「知らないのね。いいわ教えてあげる」
 少女は髪をかき上げ名乗りを上げる。
「この世界のあり方を定めた律がある。
 その世界の律から外れたものを魔と呼ぶ。
 旋律を持って世界の律に干渉し魔を狩る存在『旋律士』叢雲むらくも 雪ゆきよ」「旋律士? まあいい。面白い、俺を狩る存在だとでも言うのか」
「そうよ」
「こそこそ痴漢をしていた俺だが、この力に目覚めて以来無敵になった。襲った女は勿論、変に正義感を振りかざして邪魔した男なんぞスルメみたいに引き裂いてきた。俺は生まれ変わったんだ、俺は人間を超えた存在超人になったんだ。そんな俺をそんな細い腕をしたお前が狩るというのか笑わせる」
 鬼はこの現象に戸惑いはするが、依然として叢雲と自分の間にある隔絶した戦力差があると思っている。
「魔に墜ちた人間はいつも哀れね」
 なぜ超常の力を発揮した少女を筋肉の太さで判断するか。自分が超常の存在になりながらも、常識にまだ囚われる、そんな矛盾に気付かない鬼に叢雲は哀れむ。
「減らず口を。まあいい、これだけの上玉、直ぐには殺さない家に持ち帰ってねっとりたっぷり心が壊れるまで陵辱してやるよ。いや待ちきれないな。この場で服を剥ぎ取り、下着を引き裂き、素っ裸にして犯してやるか」
 強姦魔の下半身は一目見て分かるほどに盛り上がっていた。
「ふう~、楽しい妄想しているところ悪いけど。これが最後のチャンスよ、大人しく降伏なさい。そうすれば結果はどうあれ人間として終われるわよ」
「決定。まずはその生意気な口を嬲ってやる」
 鬼は叢雲に向かって突進した。一気に上がったトップスピードは人間の陸上選手など比較にならない速さ。
「あんた蜘蛛の糸を切ったわよ」
 伸びる鬼の手を雲の上を滑るように動き、くるっと躱す。
「ちょこまかと」
 躱された方に強姦魔は水平に手刀を繰り出した。その連携は拙くとても武道の心得があるように見えなかったが、その膂力が生み出す強引な力業で十分に驚異のスピードが乗っている。
「はっ」
 叢雲は鬼の腕を跳び箱の如く利用して頭上高く舞い上がる。舞い上がった叢雲は体のひねりを加えて回転、その回転力に乗って鞭が螺旋を描いて強姦魔に襲いかかり、あっという間に縛り上げた。
「くっ。こんなもん引き千切ってやる」
「墜ちなさい」
 叢雲が叫ぶと同時に鞭が赫く輝いた。
 ぼっという音と共に強姦魔の体中の水分が一瞬にて沸騰、膨張した水は強姦魔の体中の細胞を内部から破裂させた。水蒸気が立ちこめていく中、強姦魔はドロドロに崩れて汚水となって地面に流れていく。
「因果応報ね」
 叢雲は汚水となった名も知らない強姦魔を一瞥するだけだった。
「おい」
「ひゃああ、なっなによ。急に背後から声を掛けないでよ。びっくりするじゃない」
 戦闘が終わって気が抜けたタイミングで声を掛けられ叢雲が体裁悪そうに振り返ったとき、その手に手錠が掛かった。
「はへ?」
「殺人及び武器所有、未成年者の深夜徘徊諸々の罪で逮捕する。まあ、殺人に関しては過剰かも知れんが正当防衛として擁護してやるから安心しろ」
「えっえっえ~」
 叢雲の叫びが公園に木霊した。
「ちょちょっと、それが命の恩人に対する態度なの? ねえ、頭可笑しいじゃないの」
「別に助けられた記憶は無い」
 警官はきっぱりと言い切った。確かに内心追い詰められていたとはいえ、寸前までの戦い外から見れば押していた。
「何言っているのよ。あんたあのままだったら鬼憑きに殺されていたのよ」
「それがあの実験体の名前なのか」
「実験体?」
 叢雲には警官が何を言っているのか分からない、だが警官にはその戸惑いの顔が誤魔化そうとしているように見えてしまう。
「兎に角、話は署で聞こうか」
 
 都内山手線環状の中央にある朧川区。従来からの繁華街である歌舞伎町等での取り締まりが強化され、逃げるようにその手の店が集まってきて最近になって怪しく栄えだしている。その街の入り口に位置する朧川警察署の一室で叢雲と先程の警官がいた。殺風景な部屋の中、粗末な机を間に挟んで警官と叢雲が向かい合って座っている。
「名前は?」
 警官も一応あの名乗りは聞いている。でもそれが本名であるか不明なので、確認の為尋ねる。ここで偽名を使えば、今度は虚偽申告で罪に問えるとか考えている。
「ふんっ、信じられない。本当に連行された。こんな屈辱初めてよ。普通命の恩人を逮捕する~?」
 叢雲は湧き上がる怒りをそのまま警官にぶつけるだけでなく、小馬鹿にした顔で挑発すらしてくる。煽って警官から手を出させようとでもいうのか?
「法は法だ」
 対処を心得ている警官は表情一つ変えず淡々と答えた。
「あんた絶対モテないわね。普通こんな美少女に助けられたのよ。感謝感激して一生の思い出にする所じゃないの」
「ああ、助けてくれてありがとう。一生恩に着るよ。おかげで、彼奴が本当に連続強姦殺人魔だったのかどうか分からずじまいだ」
 少々頭にきたのか警官は皮肉のスパイスを効かせる。
「なによ、仕方ないじゃない。鬼憑きを普通の人間のように逮捕するなんて不可能よ。
 何よ、あんたそんなに手柄欲しかったの?
 手柄の為には取り逃げして、新たな犠牲者出てもいいっていうの?
 うわっさいて~」
 皮肉如きで閉じる口じゃ無い逆ギレに近い反論を捲し立てる。そして最後の台詞、女子高生? それも可愛い娘に、こんなこと言われたら相当傷つきむかつくだろうが、警官は取り敢えずはキレることも無く落ち着いて言い返す。
「じゃあ聞き返すが、彼奴が全くの別件だったらどうするんだ? 解決したと思って警戒を解いたところで新たな犠牲者が出たらどうするんだ?」
 警官の正論、現場の状況・苦労その他諸々を無視する正論が一番質が悪い。それを知っているからこそ警官は正論で少女を責める。
「彼奴が鬼憑きで人に仇為す存在であることは変わりないわ。別に犯人がいるかどうかなんて関係ない。あれはあそこで退治すべきなのよ。もし別に強姦魔がいるというなら。
 それを見つけて捕まえるのはあなたの仕事よ」
 少女は警官を真っ直ぐ指差した。論点のすり替えどころか、むちゃくちゃなことを言って勢いで責任を警官に投げ返した。
「ふっ。なるほど、一理あるかもしれないな」
 少女に指を指されて警官は少女相手に何をやっているんだと醒めたのもあるが、ここで少女を屈服させたところで、結局は自分が少女が言うように尻ぬぐいをする羽目になることは予想出来た。そう上司が今少女が言ったことと似たような結論をぶつけてくることは確定、無理を通さなければ組織が回らないとはいえ少女と上司が同じというのが、おかしかった。
(無茶を言えるのは上司と嫁の特権か。もっとも嫁は俺にはいないがな)
「へえ~納得するんだ」
 少女は自分の理屈を警官が思いの外あっさりと認めたので拍子抜けした。言ったことを絶体に曲げない男だと決めつけていたからだが、だったら命を救われたときに見逃せよとも思う。
「だが、誰も君に殺人の許可なんか出してない。それについては納得してないぞ」
 事件の責任は自分で取るが、少女がやった事に関しては絶対に責任を取らせる。警官は少女が単独で行ったなんて露程も思ってない。正義の魔法少女なんて信じない。少女に武器を与えあんなことをさせた組織か人物が背後にいるはず、それを突き止めるつもりだ。
「あるわよ。私はね・・・」
「そこまでよ」
 ノックもなく取調室のドアが開けられ女性が堂々と入ってきた。最もこの取り調べ調書を記録する者はいないし、入り口に見張りもいない非公式。警官の胸先三寸でどうにでもなる取り調べだったのである。
「弥生さん」
 弥生と呼ばれた女性は、ショートカットの髪型に、黒系のタイトスカートのスーツを身に付け豊満な体を押さえつけているような感じだった。だが、その女性的な肉体とは裏腹に、表情に柔らかさは無い。
「ノックも無しか礼儀がなってないな。一体・・・」
「公安九九課の如月 弥生警視です」
 如月は会話を断ち切るように、公安に力を込めて言いつつ、身分証を提示した。
「ほう~、てっきりどこかの国の軍需産業でも裏で関わっていると思っていたが、公安だったとはな。お前が裏でこいつを操っていたのか」
「仮にも公安の私に向かって、まるで悪人かのような言い方ですね」
「未成年者に新兵器のテストをさせて殺人をさせているんだ、立派な悪人だろが」
 立ち上がった警官は相手が公安だろうが恐れることなく鼻先まで近づき如月を睨み付ける。
「今ならその言葉聞かなかったことにするわよ」
 どちらかと言わなくても強面の警官に睨まれて、如月は一歩も引かない目を逸らさないどころか、睨み返してくる。こうなれば眼力、精神力勝負。
「やだね。俺たち公僕の存在理由は何だ? 威張ることか。違うだろ普段威張っているのは、こういう子供達を守る為だろ。なのに子供達に殺しをさせているとはどういうこったっ」
 バンっと怒りのままに机を叩き、公安という権力を笠にした威圧を吹き飛ばした。
「犬鉄いぬがね 徹てつ、噂と違って青臭いことを言うのね」
 鉄面皮だった如月の顔に僅かながらの緩みが生まれた。
「ほう~俺を知っているのか」
 犬鉄は名前を知られていたことに内心驚いた。調べてから来たか、用意周到な女だと警戒レベルを上げた。
「ええ、知っているわよ。犬鉄警部。てっきり手柄が欲しいだけのゲスかと思っていたわ」
「手柄が欲しいのは否定しないぜ。手柄が無きゃ組織で俺みたいなのが生きていくことは出来ないからな。だが、それが俺が警官をする理由じゃない」
 ゲスなのも手柄が欲しいのも認めるが、それが目的であることは認めない。犬鉄はそんな男だった。
「まあ、あなたの哲学はこの際どうでもいいです。彼女を渡しなさい。これは命令です。警官である以上命令には絶対のはずです」
 縦社会である警察において階級が一つ違うだけで隔絶した差が生まれる。
「そんなんでハイそうですかと言うのは新人くらいだ。納得出来るか」
「納得する必要はないわ。従いなさい」
「大体あのジャンキーは何なんだ? どんなクスリを使えばあんなに成るんだよ」
「知る必要はないわ」
「それにあの武器、人間をシチューの具のようにドロドロにしたぞ」
「知る必要ないわ」
「取り付く島も無しか。ならこちらも彼女渡せないぜ」
「命令に逆らう気?」
「いやいや、確かにあんたは公安で階級が上のようだが、俺の直属の上司じゃ無い。直接命令を聞く謂われはないな」
「なんだとっ」
「俺だってあんたと同じ階級の上の者から命令されている。撤回させたきゃ、俺の上に言って貰おうか」
「その言葉、後悔するぞ。人が穏便にしようと思っていれば調子に乗って、お灸が必要なようね」
 如月がすっと腰を落としてきたのを犬鉄は見逃さなかった。
「おや~力尽く。警察署で警官に手を出して無事に済むと思ってます」
 挑発しつつも犬鉄はさり気なく足を椅子の脚に引っかけた。いざ始まったら、椅子を如月に向かって蹴り飛ばす積もりだ。
「逆だ。警察署で警官だ、揉み消すのは簡単さ」
「そりゃいいこと聞いたぜ。やって見ろよ」
 犬鉄も腹を決めた。事も無げに言い切る如月に腹がたった。揉み消される痛みを逆に教えてやると腹に力を込めた。
 視線と視線が絡み合い、じりじりと如月が摺り足で間合いを詰め、犬鉄は椅子を蹴り上げるタイミングを慎重に計っている。
 犬鉄と如月、互いの発するプレッシャーで空気が圧縮されていき、風景さえ歪んで見え出す極値。
「やめなさい。この馬鹿」
 ぱっこんと犬鉄の頭が後頭部がはたかれた。
「へっ」
 振り返ればおかんの如く怒り顔の叢雲がいた。
「いい大人が何やっているのよ。あんたそれでも警官!! 私のことを心配する前に自分がしっかりしなさいよ、まったく」
「てっ・・・」
 叢雲は犬鉄の口に人差し指を当てて塞いだ。
「私のことを心配しているようだけど、私は私のしていることをちゃんと理解しているわ。だから、もういいのよ」
「お前は自分のしていることに本当に納得しているのか?」
 犬鉄は叢雲の目を真っ直ぐ見据えて問いを重ねた。
「当たり前じゃない」
 一点の曇り無い水晶のように言い切った。その目には信念が宿っているのを犬鉄は感じ取った。だが犬神は確証を得る為、更に剔るように質問をしていく。
「何だから分からない兵器で人を殺したんだぞ」
「元人よ。彼の自我は魔に飲まれていた。まあ、あなたはそれを言ったところで納得しないんでしょうね。ならハッキリと言って上げる。例えあいつが人だとしても、あいつを一日野放しにすれば、それだけ罪の無い人が悲しむことになるわ。なら私は、迷わず罪の無い人の方を選ぶわ。両方救うなんて余裕残念ながら私には無いわ」
 踊らされたり、強制されている訳で無く、自分のしていることをしっかりと自覚して公的機関の下で活動している。
「そうか。なら余計なお世話だったかな」
 犬鉄は少女を一方的に子供扱いしていた自分を少し恥じた。彼女もまた自分と同じ責任を背負っている法側の人間だった。年が問題では無いのだ。
 まあ、それでもこんな子供を戦わせることをよしとは思えないし納得も出来ないが、ここで安易に少女に戦うのを辞めろとは言わない。それは意味が無いし、資格も無い。やるべきこと、それは警官である自分が頑張って子供が戦わなくて済む社会にすること。
「もういいかしら。後犬鉄警部、今日のことは他言無用よ」
 如月は犬鉄が納得したタイミングを見計らって言ってきた。
「報告書にはどう書けば良いので?」
 叢雲のことはよしとしたが、やはり上から目線の公安はむかつくので、犬鉄は嫌みをまぶして問いかけた。
「今日は何もなかったことにしなさい」
「おいおい、それじゃ俺はこれからも冬の夜の公園に張り込むことになるかよ。もう犯人は出ないってのにやってられないぜ」
 逮捕出来なかったので裏は取れないが、犬鉄はあの男が連続強姦殺人事件の犯人だと思っている。つもりもう事件は解決してしまったのだ。
「そんなこと知りません。自分で何とかしなさい」
 如月はにべもなく言い切った。
「ほう~いいんだな。今日のことは何も無かったことにすれば、自分で何とかして」
 犬鉄はそう念を押した。
「どうせ迷宮入りする事件、好きにしなさい」
 犬鉄に出来ることなど大して無いと如月は思っている。それでも何とかしなければならない犬鉄の事情も多少如月は知っている。この事件、元々犬鉄の事が気に入らない上司が嫌がらせで押しつけた事件。期限内に解決出来なければ、全ての責任を被ってスケープゴートになって貰うことになっている。とはいえ、強姦魔は、叢雲によって溶解してしまい、その正体を突き止めるための物証は残っていない。公安の関わりを明かさなければ、この事件は今後再発しないことで自然消滅していくしか無い迷宮事件なのだ。
「言質は取ったぜ。俺の邪魔はするなよ」
「しないわよ。あなたが無事事件を解決することを祈っているわ」
「ああ、けりは付ける。そうでなきゃ、残された者が救われない」
 被害者の仇は取った。新しい被害者も出ない。でも、それだけじゃ残された家族等はいつまでも取り残されてしまう。家族等が進む為、何らかの結末が必要なのだ。
 如月は、少しだけこの男に協力してもいい気になったが、それは個人の感想。公人としては今後彼に関わることは出来ない。
「行くわよ叢雲」
 会話は終わったと如月は犬鉄に背を向けた。
「じゃあね。私の為に本気で怒ってくれたこと、嫌いじゃないわよ」
 叢雲は先程までとは違う親しみが感じられる笑顔を見せた。
「ダンディな俺に惚れたか」
「ば~か」
 叢雲はアカンベーをすると如月と共に去って行った。
「ふう~、明日から忙しいな」
 犬鉄は吐き出すように言いつつ椅子に座り込んだ。

 数日後、連続強姦殺人魔の犯人が判明し日本中のワイドショーを騒がせることになった。自分でモンタージュ写真を作り、公園を中心に聞き込みを続け犯人の正体を突き止めた犬鉄の執念の結果である。
 発表された時点で犯人は既に逃亡を図ったことになっており、全国手配がされている。その追跡は犬鉄に事件を押しつけた上司が総責任者ということになっている。部下の手柄を奪った積もりでいるらしいが、どうなることやら。
 犬鉄は語る。
「これで残された者も一区切り付く。後は立ち直ることを祈るのみだ」
 やるべきことをやり終えた犬鉄は、新たなる事件へと向かっていく。
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