「止まり木」で一時の安らぎを

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はじまりの時

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「お茶とおやつのお店 止り木」
 そう掲げられた看板をぼうっと眺める。通勤途中の道にできた、そのお店が開いている時間にここを通ったのは初めてかもしれない。おやつなんて言葉を見かけることはめっきりと減って、珍しいなと思ったのは記憶にある。今日ここで足が止まってしまったのはお茶とおやつという言葉から感じる癒しの雰囲気に惹かれてしまったからだろう。
「お茶と、おやつかあ……」
 昔からここにあった古い一軒家を改築したそのお店は新しいけれど新しくなくて、かかっている店名を大書した暖簾もまるで居酒屋か何かのよう。店の前にある葉が赤く染まった大きな桜の木に隠れるような、すりガラスの窓を通して見える明かりはぼんやりとしたオレンジ色で、レトロな雰囲気は何となく今風な感じもするのだけれど。
 入ろうかどうしようか迷って、それでも今の自分の状況的に寄り道するのは気が引けて。歩き出そうとしたところに耳触りの良い声が聞こえた。
「いらっしゃいませ、よろしければ中に」
 立ち止まっていたからか、気を使われてしまったのかもしれない。大丈夫です、と手を振って歩き出そうとして……下を向いていたからか全く動きに気づかないうちに目の前に回り込んできた人にぶつかりそうになって、慌てて立ち止まる。
「顔色が良くないです、少し休憩していかれませんか?」
 少し顔をあげても視界に入るのは、薄水色のエプロンだけ。そのままぐっと首を上向けていくと、日本人らしくない青みがかった目と視線がぶつかった。
「どうぞ、こちらへ」
 長い髪をひとくくりにした恐らくは青年だろう人が柔和な笑みを浮かべ、ぼんやりと顔を眺めるこちらの視線を意に介さない様子で中へと手を差し伸べる。再度断る気力もなく後について店の中へと向かった。
 初めて足を踏み入れた店内は温かな照明の色とあちこちに飾られている昔ながらの玩具が目を引くくらいで、後はテーブルがいくつかと合わせた椅子が置いてあるだけ。椅子の座面がパッチワークで飾られていて、可愛いなあと眺めていると座るように促されて大人しく腰掛ける。かけていたリュックを下すと、ずっしりとした何かから解放されたように感じて大きく息を吐いた。
「少々お待ちください」
 ことん、と置かれたグラスも厚めのガラスが昔風で、徹底しているなあという感想が頭に浮かぶ。あまりの静かさにそのまま目を閉じると、少し眠りかけてしまったのだろう。目の前にお盆が置かれた音に肩がびくりと震えた。
「お待たせ致しました、こちらをどうぞ」
 ふわりと花の香り。厚手の茶碗に注がれた薄茶色はジャスミン茶だろう、もう一つ深めの器が置かれていて、乳白色ののなにかにこげ茶色のシロップがかけられている。
「豆乳プリンです、かかっているのは黒蜜」
 引き寄せされるように手に取った器はほんのりと温かい。プリン、って言っていた筈と器をじっと見ていると、頭上から小さな笑い声が降ってきた。
「あまり体調がよくなさそうだったので、これ以上冷やすよりも温めた方が良いかと思いまして」
 気遣いに感謝して小さく頭を下げ、スプーンを差し入れる。柔らかなひと固まりを切り取り、口へ入れると黒蜜の甘さが最初に来て、その後に豆乳の優しい味わいが広がる。小さく息を吹きかけて啜ったジャスミン茶の花の香りが後に残った甘さを押し流して通り過ぎ、気がつけばまた一口食べたくなってしまう。
「美味しい……」
「有難うございます」
 じっと見られていたことに気づき、頬が赤く染まる。抗議の意味を込めて見上げた視線は柔らかな笑みに流されてしまったようで。
「少し顔色が戻ったようですね、ごゆっくり」
 長髪の青年が店の奥へと入っていく、何となく目で追っていると聞こえてくるのは小さな話し声。
「大丈夫そうなんだな?」
「はい、疲労か睡眠不足か……大きな変調ではなさそうです」
 聞こえた会話にこの店に居たのはあの青年だけではなく、しかもその見知らぬ誰かにも心配をかけてしまっていたのだと理解して赤く染まった頬から血の気が引いていくのが分かった。
(うわ、ヤバい……どうしよう)
 出来るだけ早く食べ終えて、この場を後にするのが良いだろうとせっせとスプーンを動かす。食べ終えたころにはなんだかお腹のあたりがふわりと温かくなっていて、心なしか頭もスッキリしたような。
 さて、支払いをと思っていると奥から青年が戻ってくる。そしてその後ろにもう一人、このような店には似つかわしくないごつめの男が顔を覗かせた。
「お待たせしてしまいましたか、申し訳ございません」
「あ、いえいえ。すっかり長居してしまって……あの、お支払いを」
 財布を取り出すと、青年の方が笑みを浮かべたまま困ったように眉を顰めた。
「お気になさらず……こちらがお誘いしたので」
 そういうわけには、と言いかけた言葉を、人相がよろしくない方の男が遮る。
「こいつが良いって言ってんだからいらねぇよ。その代わり、次は客として来てくれや」
 ハエでも追い払うかのように手を振って断られてしまえば、それ以上粘るわけにもいかない。そういう事なら、と再度例を告げて立ち上がる。
「それなら……ごちそうさまでした、次は必ず」
 店を出ると、リュックを背負い直し歩き出す。何も解決したわけではないが、温まったお腹のせいか先程までよりも心が軽くなっているように感じる自分に現金だなあと苦笑いを浮かべてしまった。
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