上 下
78 / 83
緑への回帰

迫る総理大臣選挙

しおりを挟む
 執務室に戻って来たセレンの表情はかなり複雑な物だった。苦々しい顔をしてはため息を吐き……、そんなことを繰り返している。飄々としていていつも平静な態度を崩さない、そんな大らかな国王だと認識しつつあったカンナは、国王の身に何が起こっているのだろうと不安になった。

 先ほど強面のクラウンが戻って来た時のルウクの表情もただ事では無かったのだ。研修中の己には窺い知れない何かとてつもなく大きな出来事が起きたのかもしれないと、執務室の微妙に変化した雰囲気に戸惑っていた。

 しばらくイライラしていたセレンだが、いつまでも己の感情に振り回されていては業務が滞ってしまうと思い直し、大きく息を吐いた後、地方からの陳情書や大臣から上がって来た書類に目を通し始めた。

 その様子を見たルウクが、セレンにお茶を淹れようと席を立った。

「ルウクさん、お茶を淹れるのですか?」
「ああ、そうだよ」
「あの……、僕……いえ、私が淹れます!」

 こういう仕事は研修生である自分のすべきことだと思ったのだろう。慌てて席を立ち、ルウクに戻ってもらおうとした。
 そんなカンナに、ルウクは昔の自分を思い出し微笑ましく思う。

「良いよ。カンナ、座ってて。ここでは私がお茶を淹れると決まっているんだ。……陛下が、私の淹れるお茶をたいそう気に入ってくれているからね」

 相手が恐縮しないようにと務めて優しく伝えれば、カンナも納得したらしく、「それでは私の出番はないですね」とおとなしく席に戻りルウクのまとめた資料に目を戻した。

「どうぞ、陛下」

 淹れたての紅茶と一緒に、今日は小さなクッキーを3つほど添えて出した。セレンはあまり甘いものを食す方ではないが、だからと言って特別に嫌いと言うわけでは無い。ほんの少しの気分転換にでもなってくれればいいと、ルウクのそう言う思いが込められていた。

「ありがとう。甘いものは久しぶりだな」
「そうですね」

 穏やかに笑うルウクに、セレンが目を細める。

「……もしかしたら、お前との約束が果たせなくなるかもしれない」
「それは……」
「侯爵が私を推薦していた」
「やはりそうでしたか」
「――侯爵だけじゃない。……バサム伯爵や、フリッツまでもが推薦していた」
「え!? フリッツ長官が?」

 フリッツと言えばセレンの異母兄であるシザク王の一番の側近でもあったのだ。当時兄弟仲は悪く、そのころのフリッツは少なからずセレンに対して警戒はしてもあまり良い印象は無かったはずだ。それなのに推薦者として名を連ねているという事は、長い期間をセレンの下に仕えたことで、セレンの本当の人となりを理解したという事なのだろう。

 そう思うと、これが主の意に反している事だと分かってはいても、ルウクの胸は熱い思いでいっぱいになった。

「彼らの名前を見てしまっては、強く否定することが出来なくなってしまってな……」
「……候補者の方々は……? 陛下の他にもいらっしゃいましたか?」

「ああ、他に3人いた。1人は私の知らない名前だったが、他の者達はしっかりした人物だ。きっと誰が成ってもおかしくない面々だろうとは思う」

「――そうですか。それは良かったです」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 それから――、初の総理大臣選挙まで2週間後と迫ったこの日、王宮広場前ではそれぞれの候補者を推す者たちの応援演説が繰り広げられることになっていた。

「陛下、もうそろそろ応援演説の時間になります。お手数ですがご出席のほどよろしくお願いいたします」
「…………」

 30分ほど前に執務室にナイキ侯爵とフリッツが訪れていた。

 数日前からセレンには、候補者の一人として王宮広場前に出てくれるようにと頼んではいたのだが、当のセレンからは「否」とは言われはしなかったが了承するという言葉も貰えていなかった。

 セレンの性格からして、それがどんなに本人にとって嫌な事であろうが、やらねばならないことに関しては我慢して請け負う筋の通った行動をするだろうと推測はされていた。だが今回ばかりは仕事と違う側面があるので、どうしても心配になってしまったのだ。

 2人に仰々しく催促されたセレンは、心底嫌そうな顔をしてため息を吐いた後無言で席を立った。そのセレンの行動にホッとした表情になった侯爵らも席を立ち、セレンの後に続いて執務室を出て行った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

どうぞお好きに

音無砂月
ファンタジー
公爵家に生まれたスカーレット・ミレイユ。 王命で第二王子であるセルフと婚約することになったけれど彼が商家の娘であるシャーベットを囲っているのはとても有名な話だった。そのせいか、なかなか婚約話が進まず、あまり野心のない公爵家にまで縁談話が来てしまった。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

何故、わたくしだけが貴方の事を特別視していると思われるのですか?

ラララキヲ
ファンタジー
王家主催の夜会で婚約者以外の令嬢をエスコートした侯爵令息は、突然自分の婚約者である伯爵令嬢に婚約破棄を宣言した。 それを受けて婚約者の伯爵令嬢は自分の婚約者に聞き返す。 「返事……ですか?わたくしは何を言えばいいのでしょうか?」 侯爵令息の胸に抱かれる子爵令嬢も一緒になって婚約破棄を告げられた令嬢を責め立てる。しかし伯爵令嬢は首を傾げて問返す。 「何故わたくしが嫉妬すると思われるのですか?」 ※この世界の貴族は『完全なピラミッド型』だと思って下さい…… ◇テンプレ婚約破棄モノ。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げています。

処理中です...