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第六章

埋められない穴

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 十時になり、バイトの時間が終了して、私はタイムカードを押し更衣室に向かった。急いで支度をし終えて店外に出ると、牧村君が「お疲れ」と手を上げて傍に来た。 

「牧村君、今日はごめんなさい。こんな遅い時間まで待ってもらっちゃって」

「ん? 何で? 久しぶりにのんびり出来たし、たまには何も考えない時間を作るのも、贅沢な気分で良いもんだぞ?」

「そう……、ね。ありがとう、今日はお店に来てくれて」
「いやー、俺も楽しかったよ。桐子がしっかり働いているところを見られるなんて、新鮮だった」
「いやね、もう」

 明るくカラリと話を進める牧村君のおかげで、私の気持ちも軽くなる。
 最寄りの駅について別れようとすると、「送ってくって言っただろ?」と、私の乗る電車に一緒に乗ってくれた。

「本当に、いいの? 牧村君、帰る時間遅くなっちゃうわよ」

「いいって、いいって。それにしてもお前の方こそ心配だな。こんな遅くまで働くなんて……、帰り、危なくないのか?」

「ええ、大丈夫よ。バイト先から駅までの道も一応大通りだから、あの時間でも車の往来も多いしコンビニもあるから暗くないでしょ? 人通りもまずまずだし。それにほら、私の今住んでいるアパートも駅から歩いて五、六分の場所だし住宅街だから、外灯もちゃんと点いてるのよ」

「……にしてもなぁ」

 牧村君は、未だ口の中でぶつぶつと言っている。
 心配してくれてるのよね。ありがとう。

 電車が着き、駅を出て通りに出た。夜道でも、私が言ったように暗い雰囲気になって無いことを確認し、牧村君はなんとか安心してくれたようだった。

 のんびりと他愛のないことを話しながら歩き、アパートに到着した。

「一度来たきりだし、駅からの道のりまでは知らなかったけど、本当にすぐなんだな」
「そうよ。危なそうな道じゃ無かったでしょ?」
「まあ、そうだけどさ」

 それでも、私も本当は暗い道を歩くのは、未だにちょっぴり怖いと思っている。だけどそれを言うと、心配性の牧村君を余計に心配させてしまうだろうから、敢えて言うのは止めにした。

「牧村君、今日は本当にありがとう。来てくれて、送ってくれて嬉しかったわ」
「ああ。いや、まあ、うん」
「じゃあ……」
「あ、桐子。これ、やる」

 唐突に、牧村君が握った何かをズィッと私の目の前に突き出した。

「これ……?」

 手に取って見てみたけど、なんだか分からなかった。

「防犯ブザーだ。これ、このピンを引き抜くと、恐ろしい大音量が鳴り響くから。変な奴に襲われたときには、躊躇しないで引っこ抜けよ」

「牧村君……」
「じゃあな、お休み!」
「あ、ありがとう牧村君。お休みなさい!」

 手を振って去って行く牧村君に、慌ててお礼を言った。牧村君は振り返って、笑って手を振り駅に向かって歩き出した。

 本当に、私の周りの人たちは、優しい人たちばかりだ。疲れて落ち込んで沈みそうになる心を、様々な形で引き上げてくれる。

 だけど、そのほっこりと温かくなる気持ちの中で、一か所だけポッカリと開いたままになっている穴がある。それは誰がどんなに優しくしてくれても、埋まることのない悲しい穴だ。
 忙しいことで紛らわして、なるべく思い出そうとしないように蓋をしている、大事で大切で切ない思い。

 ……高遠さん。

 高遠さん、今、どうしていますか?
 大好きです。大好きなんです、今も。

『桐子のことは真剣に考えたいから、待っていてくれ』

 瞼を閉じると、あの時の高遠さんの真剣な表情も、心地いい声も、何もかもを思い出すことが出来るのに、高遠さんからの返事は、今もって無い。

 細く長い息を吐いた。

 私には、高遠さんを急かす権利も、私を選んでと訴える権利もない。私にある権利は、ただただ高遠さんが私の下に来てくれることを祈ることだけだ。

 見上げた夜空には、見慣れた丸いお月様。それが段々と滲んできて、私の頬を熱いものが流れていく。

 きっと私は、高遠さんが私の前に現れなくても、ずっとずっと静かに待ち続けているんだろう。
 本当に、そう思った。
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