上 下
13 / 27
第三章

それぞれの重荷

しおりを挟む
「なんなの、あいつ。楓、大丈夫?」
「大丈夫だよ。小川君も、悪気はないと思うんだ」
「悪気がなければいいってもんでもないと思うけど」
「うん。……ま、入って。なに持ってきた?」
「数学と英語」
「あ~、一人でやりたくないやつ」
「そうそう。お邪魔しまーす」

 玄関を上がりながら、佳奈は大声で挨拶をした。中からお母さんが顔を出す。

「佳奈ちゃん、いらっしゃい。久し振り、大きくなったわね」
「あはは、はい。……あの、翔君に挨拶させてもらってもいいですか?」
「もちろんよ。ありがとうね、佳奈ちゃん」
「……いいえ。ずいぶんご無沙汰してしまって」

 佳奈がお母さんに会うのは、翔の葬式に佳奈のお母さんと参列してくれた日以来だから、本当にもうずいぶんになる。
 もちろん佳奈はバレーボール倶楽部に入っていたわけだし、それほど普段から暇があるわけではなかった。だけどそれでも、誕生日とかクリスマスとかには互いの家を行き来するくらいの間柄ではあったんだ。なのにそれが、あの日を境にぱたりと無くなった。
 それはおそらく、私が翔との約束を破ったことで、佳奈をも翔の死に巻き込んでしまったと彼女に負い目を感じているように、佳奈も佳奈で、私をあの日倶楽部に誘ったことに対して負い目を感じているからに違いないと思うのだ。

 今日一緒に勉強しようと私の家に行くことを考えてくれたのは、佳奈も佳奈なりに、あの時に抱えてしまった後悔と向きあいたい気持ちがあったからなのかもしれない。
 正座して、真剣な表情で翔の仏壇に手を合わせる佳奈を見ていると、そんな考えが頭をよぎった。

「それじゃあ佳奈、部屋に行こうか」
「うん」

 佳奈を部屋に案内するのは本当に久し振りで、一瞬小学生時代にタイムスリップしたかのような気分になった。

「あんまり変わってないね。……でも、もうちょっと広い部屋かと思ってた」
「んなわけない。佳奈が大きくなったんだよ」
「ははっ。そりゃそうか」

 まずは数学からと教科書を開いた。

「これさ、問題見ただけで眠くならない?」
「そんなこと言ってたら進まないよ、佳奈。これはさ、こっちの公式あてはめるんだよ」
「えっ? ああ、これ……」
「で、例題のようにやっていくと――ね?」
「楓、すごい」
「すごくない、すごくない。ほかも同じようにやってみよ」
「うーん、分かった」

 私もそれほど人のことは言えないけれど、勉強が嫌いだと宣言するだけあって、佳奈の集中力は酷いものだった。
 一応頼ってもらった手前もあるので、問題に詰まり泣きごとを言う佳奈をなだめすかしてなんとかやる気を出してもらったり、たまには一緒にだらだらしながら時間を過ごした。

「あー、佳奈のおかげで勉強進んだ~」
 バタンと後ろに倒れて伸びをする。

「ほんとかよ」と笑いながら、佳奈も同じように私の隣に寝転んだ。

 ほんの少しだけ言葉が途切れて沈黙が落ちた。佳奈との間では、特に気にすることでもないのだけど。

「あのさ」と、佳奈。
「うん?」
「……なんていうか、ごめんね。今日はありがとう」
「ええっ? なに? 私なんにもしてないよ」
「いいの、私にとってはごめんとありがとうだから」
「そっか、じゃあ私もごめんとありがとう」

 私と佳奈は、顔を見合わせて笑った。
 肝心なことは言わないし言う気もないけど。でも、それでいいと思えた。
 気づいていても、口にされたくない言葉はあるのだ。少なくても私には。

「また遊びに来てもいい?」
「もちろんだよ」
「前みたいに、しょっちゅうは来れないけど」
「……うん」

 またほんの少しの沈黙。今度は私がそれを破った。

「期待してるし応援してるからさ」
「……うん」
 佳奈の顔が、くしゃりと歪んだ。

 ねえこれ、本心だからね。
 言葉にはせずに、私は心の中でつぶやいた。

 陽が少し落ちかけている。
 ひと段落というほどの勉強はできなかったけれど、だんだん薄暗くなってきたので佳奈は帰り支度を始めた。

「楽しい時間は、あっという間だね」
「勉強はあんまり捗らなかったけどね」

 二人で顔を見合わせて笑った。
 気配を察したのか、お母さんが奥から顔を覗かせた。

「佳奈ちゃん、もう帰るの?」
「はい、お邪魔しました」
「また来てね」
「……ありがとうございます」

 ほんの少し言葉に詰まった佳奈に、お母さんは優しくほほ笑んだ。

 言葉にできなくても、みんな心の底にそれぞれの重荷が眠っている。
 そしてそれは、なにもかも私がきっかけのものだった。
  
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

雪町フォトグラフ

涼雨 零音(すずさめ れいん)
ライト文芸
北海道上川郡東川町で暮らす高校生の深雪(みゆき)が写真甲子園の本戦出場を目指して奮闘する物語。 メンバーを集めるのに奔走し、写真の腕を磨くのに精進し、数々の問題に直面し、そのたびに沸き上がる名前のわからない感情に翻弄されながら成長していく姿を瑞々しく描いた青春小説。 ※表紙の絵は画家の勅使河原 優さん(@M4Teshigawara)に描いていただきました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

秘密部 〜人々のひみつ〜

ベアりんぐ
ライト文芸
ただひたすらに過ぎてゆく日常の中で、ある出会いが、ある言葉が、いままで見てきた世界を、変えることがある。ある日一つのミスから生まれた出会いから、変な部活動に入ることになり?………ただ漠然と生きていた高校生、相葉真也の「普通」の日常が変わっていく!!非日常系日常物語、開幕です。 01

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

ボイス~常識外れの三人~

Yamato
ライト文芸
29歳の山咲 伸一と30歳の下田 晴美と同級生の尾美 悦子 会社の社員とアルバイト。 北海道の田舎から上京した伸一。 東京生まれで中小企業の社長の娘 晴美。 同じく東京生まれで美人で、スタイルのよい悦子。 伸一は、甲斐性持ち男気溢れる凡庸な風貌。 晴美は、派手で美しい外見で勝気。 悦子はモデルのような顔とスタイルで、遊んでる男は多数いる。 伸一の勤める会社にアルバイトとして入ってきた二人。 晴美は伸一と東京駅でケンカした相手。 最悪な出会いで嫌悪感しかなかった。 しかし、友人の尾美 悦子は伸一に興味を抱く。 それまで遊んでいた悦子は、伸一によって初めて自分が求めていた男性だと知りのめり込む。 一方で、晴美は遊び人である影山 時弘に引っ掛かり、身体だけでなく心もボロボロにされた。 悦子は、晴美をなんとか救おうと試みるが時弘の巧みな話術で挫折する。 伸一の手助けを借りて、なんとか引き離したが晴美は今度は伸一に心を寄せるようになる。 それを知った悦子は晴美と敵対するようになり、伸一の傍を離れないようになった。 絶対に譲らない二人。しかし、どこかで悲しむ心もあった。 どちらかに決めてほしい二人の問い詰めに、伸一は人を愛せない過去の事情により答えられないと話す。 それを知った悦子は驚きの提案を二人にする。 三人の想いはどうなるのか?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

ユメ/うつつ

hana4
ライト文芸
例えばここからが本編だったとしたら、プロローグにも満たない俺らはきっと短く纏められて、誰かの些細な回想シーンの一部でしかないのかもしれない。 もし俺の人生が誰かの創作物だったなら、この記憶も全部、比喩表現なのだろう。 それかこれが夢であるのならば、いつまでも醒めないままでいたかった。

処理中です...