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第2章 迷子の仔猫

依頼

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10月25日 AM

 九条の元を訪れ過去へと向かう3日前、門脇と蒼井はあるご夫妻から猫を探して欲しいとの依頼を受け依頼主の元へ向かっていた。

門脇は電車に乗りたくないと言う蒼井をのらりくらりと躱し有無を言わせず連れてきてしまった。

 依頼主の家に到着。単身者用ワンルームの部屋がすっぽりと入る広さのある玄関ホールを抜けると、ゆうに二十畳はある部屋に案内された。そこはなんと猫専用の遊び場だというではないか。金持ちの考えることは庶民にはよく分からない。ペットの猫一匹にこれだけの待遇なのだ。世の中で普通と言われる事や概念は、実は個人によってかなり誤差があるのだろう。

海外との取引で成功していることを象徴するような広い一軒家だった。その中でも日当たりが良くて過ごしやすい部屋を猫の遊び場にしてしまうくらいに、藤原夫妻が猫を大切にしていることが窺える。

周りのことなど全く気にすることもなく、気ままに遊んでいるこの部屋の主である子猫。非常に稀少なターキッシュアンゴラという種類の猫だ。とても賢く順応性が高い猫なのだが反面神経質で繊細な面を持ち合わせている。気に入った相手には気を許すがそうでない場合はとても気難しい、年頃のイイトコのお嬢様のような猫なのだ。人間だとそんな女のこと指して”高飛車”やら”女王様”などと表される。
事実、血統もしっかりしていて海外の上流階級の家で生まれ育ったと依頼主は話していた。

ご夫妻にはとても甘えん坊で会ってすぐに懐いたそうだが、いざ知らない人が来ようものならすぐさま隠れてしまう程に繊細な猫なのだ。高飛車なのに。

そんな猫が急に昨日姿を消してしまった。

突然の出来事にご夫妻はとても心を痛めていた。この家のすぐ隣にはサロンを兼ねている店舗がある。異変は日常の何気ない流れの中で起きた。

 高級感漂う店の従業員から突然お得意様が来たと連絡があった。20分ほどこの広い家に猫1匹だけになる時間があったという。その客は近くに寄ったついでに注文の品を受け取りに来たのだが藤原夫妻と少し話がしたかったのだとか。話も終わり客が帰った後ご主人は店に残った。奥さんは店を従業員とご主人に任せて家に戻るとつい先程まで遊んでいたはずの猫の姿がどこを探しても見当たらなかったというのだ。

猫は部屋から勝手に出ることはできないはずなのに、家中隈無く探しても猫は見つからなかった。

『もしかしたら誘拐されたのかもしれない』と考えたご夫妻は人伝で叔父の事務所に連絡して来た。警察は事件が起きてからでない限り動いてくれないので警察には初めから期待はしていなかったとも話していた。

それに相手は猫である。余程のことがない限り警察が動くことは無いだろう。きっと殆どの警察官はひと目見ただけではこの猫の価値など分からないだろう。

 家や店の目立つ場所やそれ以外の隠れた場所にある防犯カメラは急遽猫用に備え付けられたものではない。海外から貴重な品を輸入したり一時預かったりすることが多い仕事のために元々この家に付けられていたものだった。

犯人はその防犯カメラに映ることもなく一切の痕跡も残さずに猫を攫って行ったのだ。故にこの家によく来る人間、もしくは念入りに調べ上げたプロの仕業なのだろうと思われた。

 屋外の防犯カメラには不審人物が写っていた。しかしそれは元々警戒していた者達の姿でどこからか猫の噂を聞きつけたコレクターの手先だと藤原夫妻は話していた。

門脇がそのコレクターのことを尋ねてみた。

「あんな奴らがこの家に侵入することなんてまず無理だから大丈夫よ。でも家の周りをウロウロされるのは困るのよね」
と奥さんは話していた。
それでも一応探り入れるべきだと蒼井は考えていた。

それ以外で猫に関する話を聞いていると奥さんが犯人の手掛かりになるようなことを話し出した。

「あの子は狭いところが大嫌いで連れ出すためにキャリーケースになんて入れようとしたら、怖がって絶対にその人間を引っ掻くはずだわ」

こんなに広い部屋に住んでいる猫だったらまぁそうだろうと納得できる話だった。

 仮に誘拐された場合を想定しても、目を離してから誘拐するまでの間があまりにも短時間のため麻酔で眠らせることなどはまず無理だと思われる。なぜならその猫はご夫妻と動物の気持ちを考えてくれると評判の獣医以外全く懐いていなかったからだ。たまに店に連れて行くのに従業員には他人行儀な態度らしい。決して猫から従業員に近寄らないし近寄ろうとするとすぐ逃げるのだという。

もし仮に顔を見たことがあっても懐いていなければこの猫はすぐ隠れてしまうので麻酔など打てるはずもない。

それに猫が行方不明になった時、獣医の先生は開業している自分の病院で他の犬の緊急手術をしていたことが確認されている。獣医の先生のアリバイは犬の飼い主さんや看護師など何人にも証明されているのでそれ以外の人間に猫が大人しく連れて行かれるなんてことは、ほぼ無いはずなのだ。

 おそらくプロの仕業なのだろう。防犯カメラにも何か細工をしてから堂々と猫を連れ出したのだろうか。だがこの広い家の防犯カメラに一つも映らないで猫を連れ出すなんてことは考えられない。それに猫を連れて逃げつつ細工まで全て回収する時間が果たしてあったのだろうか。

そもそもこの家は専属のシステムエンジニアと優秀なAIによって管理されているので防犯カメラに細工などできるはずがないのだ。しかし門脇は何か大切なことを見落としている気がしてならなかった。

 それでも門脇は見付けた時の確認のためにも猫の名前を聞いた。教えてもらった猫の名前はこんな貴重な猫につけるのに相応しい名前なのだろうかと疑ってしまうものだった。

高貴な猫の名前はと言うらしい。 今はまだ幼気な子猫だが成猫になれば4kg程のそこそこ大きくなる猫にである。それに確かあの猫は雄だったはずだ。

ご夫妻は初め凝った名前をつけようととかと呼んでみたと言う。だが猫は見向きもしないどころかピクリとも動かなかったと奥さんは話していた。他の名前にはなんの関心も示さないのに”みいちゃん”と呼んだ時だけ喜んで膝の上に乗って来たのでその名前に決めたというのだ。

膝の上に乗った時が丁度遊びたいタイミングだったのかもしれないし、のどこに猫が気に入る要素があったのかは今となっては皆目見当もつかない。

ちなみにアレクサンダーは第2候補で響きが良いからとご主人の好みだそうだ。第1候補のタンザナイトは言葉の意味が「高貴」「知性」「神秘」と希少なこの猫に相応しい感じなのに猫にはちっとも響かなかったらしい。

他にも名前の候補は幾つかあったそうなのだが他の名前で呼ばれても猫は態となのかと思う位に目線を合わせようともせず、少しも飼い主の相手をすることはなかった。一体どちらが遊んでもらっているのか分からない。

流石に賢い猫と呼ばれるだけのことはあるようで子猫なのに確りとした自我もあるのだろう。賢いと言うよりも猫にしては意志がはっきりしているようだ。

逸れた話を元に戻そう。
みいちゃんはとても希少価値の高い猫である。例えるならマニアなら喉から手が出るほど欲しがるという世界最大と言われたカナリン鉱山のダイヤモンド原石を使った宝飾品のような存在だ。

価値を分かっていて誘拐する方はさぞ気を使ったに違いない。足が付くような真似はするはずがない。手掛かりは多分みいちゃんに引っかかれたであろう傷跡だけだ。それだって憶測に過ぎないし引っ掻かれた場所によってはその傷を隠されてしまう。

加えてその筋を調べてみても裏世界でのオークションが開かれた、若しくは開かれると言う噂は出て来なかった。しかし個人が多数の裏世界の者に依頼を出し、成功した者にのみ報奨金を上乗せして指定したものを秘密裏に手にすると言う話は裏社会ではさほど珍しい話ではない。

中にはマニアと呼ばれる者たちがいて、禁制品を法外な報酬を払ってでも手に入れようと僅かな情報を頼りに目当てのものを物色している。殆どの情報はガセであることが多いが、稀に正しい情報が紛れていたりする。マニアたちはそれを引き当てるために大金を注ぎ込み、また裏で己はガセ情報を流すのだ。

鼬ごっこのような悪党同士の騙し合いは、その世界では騙される奴が悪いらしい。どこかの国でもそんなことを言っていた気がするがそんな世界に生きるのは、普通に生きたい人間は御免被りたいものだ。


 門脇は一通り話を聞いてから藤原夫妻から猫の写真を預かり調査をするが、一向に手掛かりは掴めなかった。
おすまし顔で写った猫の瞳は宝石のように美しい。情報収集のために知らない人間にそれを見せるのは危険を伴う気がした門脇は探偵の勘で『こいつはダメだ』という人間には見せていない。このことも手がかりが少ない一因になっている。猫のあの美しい瞳は新たなる犯罪者を発生させる可能性を否定できないからだ。

 無事猫が帰って来たとしてもそのために猫の存在を不特定多数の人間に知られてしまうことは、また新たに他の犯人によって誘拐される可能性を作ってしまう。そんなことから調査らしい調査ができない状況に陥った門脇は叔父から聞いた不思議な噂を思い出した。



探偵歴の長い叔父のところにはピンからキリまで色々な情報が舞い込んでくる。その叔父に
「面白い情報を手にした。噂は本当だったようだ」と言われたことをこのタイミングで思い出した門脇は自分で自分を褒めたのだった。

それに友人の蒼井がブルーローズのピアニストとして演奏していることは偶然ではなく必然だったのではないかと思えてならなかった。
それに今回は蒼井もご夫妻の話を聞いているのだから関係者には違いないと門脇は勝手に解釈していた。

蒼井には悪いが美しい猫のためだと都合よく自分を言い聞かせ、門脇はこれも必然だと彼を頼ることにしたのだった。






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