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第1章 繰り返す女

どうしても

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 鮫島李花を乗せたハイヤーは役所を出発してから30分程で目的地に到着した。

「お待たせいたしました。この後は如何なさいますか」

「今日はもう帰ってもらって構わないわ、請求はいつものようにお願いね」

「畏まりました」

運転手は形式的に答えるとすぐに車を降りた。そして鮫島李花のいる後部ドアを開いて降車を促した。

「いつもありがとうございます」

角度60度の最敬礼で彼女を送り出し、歩き出すのを確認してから運転席に移動して一旦会社へと帰っていった。鮫島李花は車を降り道なりに10m程歩くと目的の店の前に到着した。


チリィーーーーーーン…………。

来客を知らせるベルの音が鳴ったのを聞いた九条は、広い控室から店へと出ていった。そこには九条が予想していた通りの人物が立っていた。

「いらっしゃいませ、どのようなご用件でしょうか」

「あの、今度は未来へ行きたいんです」
『一刻も早く未来へ行かせなさいよ』

「未来ですか……、ところで先日過去へ行った時に御自身が誓ったことは覚えていらっしゃいますか?」

「誓い?ですか」
『誓い?そんなことした覚えはないわよ、変なこと言わないでくれる』

彼女の表情は言葉通りに歪んでいる。

「ええ、どんな事が起きてもその状況を受け入れると、あなた自身に誓えますか? という誓いです。覚えていますか?」

気の短い鮫島李花は、自分の思うように話が進まないことに段々とイライラが増して行き、いかにも面倒だとでも言いたげな態度で投げ遣りに答えた。

「覚えていないとどうなるんですか?」
『覚えていないものはしょうがないじゃない』

「思い出していただくだけです。できないと言うのなら未来へご案内することはできません」

『いちいち細かい事にうるさいわね、早く未来へ行かせなさいよ』
「ああそうそう思い出したわ。ねえ、思い出したから未来へ行けるんでしょ」

九条に心の声を聞かれていることを知らない鮫島李花の暴言は九条を呆れさせるのに充分過ぎた。彼はこれ以上、彼女に対して情けをかける必要性を感じなかった。

「分かりました」

九条はそう言ってカウンターから出ると部屋の中央まで進んだ。鮫島李花もつられるように九条の近寄ると、すぐに彼女の右側には白い扉が現れた。

「いつの未来へ行きたいのでしょうか」

「一ヶ月後でいいわ」
『明日とかじゃダメなのよ、一ヶ月後よ』

「そうですか、分かりました」

九条の言葉と同時に白い扉が開いた。以前と違い扉が光り輝いていないことに彼女は気づけなかった。

「どうぞ扉の先へお進み下さい、そうだ、一応こちらもお渡ししておきましょう」

鮫島李花は扉を進む前に過去へ行く時に渡されたのと同じようなドッグタグを渡された。タグを受け取ると以前のキラキラとは程遠く、微かに青い光の中を歩いて行った。

未来への扉が消えてしまうと九条はボソッと呟いた。

「今度は支払いのことまで頭が回らなかったんだな、別に良いけど」

その声には呆れと諦めが含まれていた。

「あまりに薄汚い心の声を聞いてしまうと、また人間を嫌いになってしまいそうになるから嫌なんだよな」

九条にしては珍しく独り言をこぼす位に気分を害してしまっていた。それでも自分の役割のためには、これからもそんな薄汚いものに触れなければならないのだという現実を受け入れ、諦めることにした。だが、この先きっと綺麗な心に触れられることを信じた自分を思い出し、その日が来ることを待つことにした。



 鮫島李花が未来への扉を抜けるとそこは家の近くのコンビニの前だった。現在地を確認するとすぐにコンビニの中へと入り奥のスペースへと向かった。

鮫島李花はこの前と同じように世帯全員の住民票を請求した。その端末にある今の日付は11月21日。現在から一ヶ月後の未来へ移動したようだ。

しかし出力された住民票の内容を確認した時点でおかしなことに気がついた。

本城幹彦はこの時点よりも一ヶ月前に憎き美里と離婚させて鮫島李花と婚姻したはずであるのに、彼女の夫の欄には誰の名前もないのだった。それ以前に夫という記載事項さえない。それどころか世帯主は父である鮫島壮一郎のままで、結婚後は鮫島家の別邸の住所にしたはずなのに、住所も変更されていなかった。

 実は本城幹彦は美里との婚姻届を提出する際にとある書類も一緒に提出していた。離婚届不受理申出書。この申請は本来夫婦の片方が勝手に離婚できないようにするために届出するものだが、今回は第三者に勝手に離婚届を提出されないようにするために届け出されていた。

完全に鮫島李花への対策であり、本城が万が一に備えたものだった。その万が一はいとも簡単に起きてしまったが……。


 そんなことを知る由もない鮫島李花は、なぜ何回手続きしても自分の望むようにならないのだろうかと、そんなことばかり考えていた。元来短気な彼女は次第に込み上げてくる怒りを抑えることができなくなりとうとう怒りが口をついて溢れ出てしまった。

「どうして、どうしてなの!」

唸るような低い声を出した後、彼女にしては珍しく今いる場所が店の中だと気がついた。

今は、未来に来ているのだからあまり不審な態度を人に見られるのは良くない。彼女は出力された住民票を受け取り、端末で代金支払い処理を完了させてから急いで外に出た。

 しかし、一体誰が邪魔をしているのだろうか。彼女の妄想の中ではすでに本城幹彦は自分の夫であり愛し愛される存在になっている。現実には彼に嫌がられることはあっても愛されたことなど一度たりともないのに。

鮫島李花は自分の不正は神棚の遙か彼方の見えないところにまで上げて、書類が受理されない理由を考えた。悪事で人を陥れようとするのならあらゆる可能性を考慮して情報収集をするのは最低限のことである。しかし悪事が成功したかに思えても最終的には己の行動は己に帰ってくるのだ。

 欲に塗れた頭でいくら考えても、自分の計画が成功しない理由など決して分かるはずなどなかった。妄想と現実の区別がつかなくなっている彼女は、その原因を一人の女性に向けた。

「こうなったら、もうあの女には幹彦さんの前から消えてもらわなくてはいけないわ。居場所は調べがついているから、これから私が直々に会いに行ってあげるから覚悟しなさい。幹彦さんの妻に相応しいのは私しかいないんだから」

彼女は物騒なことを口走りながら、ある場所へと向かった。

配車アプリを使って配車を依頼するとすぐにタクシーが来た。

「羽田空港までお願い、急いでちょうだい」

鮫島李花がタクシーへ乗り込むとすぐにタクシーは高速道路へと向かった。幸いにも未来へ来た時間が午前中のまだ早い時間だったこともあり、昼頃の鹿児島行きの便にギリギリだが間に合いそうだった。

 チケットを発券し、急いでチェックインし搭乗ゲートまで進み予約した席に座ることができた。飛行機は定刻通りすぐに離陸した。鹿児島空港までは約1時間30分程で到着するので、鮫島李花はこれからどう行動すれば自然に美里に近づくことができるのか考えた。思い立って勢いで飛行機に乗ってしまったが、この時間を利用して策を練り直すことにした。


 本城幹彦の妻である美里は鹿児島に取材旅行に出ていた。予定では今日は薩摩切子の工房で取材をした後に弟子のフランス人女性と夕食を共にするはずだ。そして明日は観光に行くことになるだろうと鮫島グループの広報部という名の諜報部員から報告を受けていた。優秀な人財を誇る鮫島グループの中でも更に精鋭の彼らに調べさせたのだから間違い無いはずである。

おそらく夕食は宿泊先のホテルのレストランに二人で行くだろう。偶然を装ってそこに現れ一緒に食事を取ることにすればいい…… 。鮫島李花はそんなことを企んでいた。

そのためには、自分もそのホテルに今から宿泊の予約を取らなければならなかった。シーズンオフのこの時期なら、料金が高めの部屋は空いているはずだ。まずはインターネットでホテルの予約専用ページを見て空き状況を確認する。何が起こっても良いようにわざとベッドルームが複数ある広めの部屋を予約した。

例えば薩摩切子の話が聞きたいといって誘い出し、美里が泥酔するまで飲ませる。その後同じ部屋の違うベッドルームで寝かせて密室にする。身の安全を確保してから深夜のホテルを火事にしてしまえば彼女は逃げられない。鮫島李花は逞しい妄想力で美里殺害計画を一瞬で想像していた。

移動に関しては飛行機が到着後に空港バスに乗れば目的地までは乗り換え無しでほぼノンストップで行ける。鮫島李花はそのバスの予約も済ませるとやっと一息をついた。


 鹿児島行きジャンボジェットのスーパーシートに座った快適な空の旅ももうすぐ終わりを告げようとしていた。鮫島李花は鹿児島空港に飛行機が到着するとすぐに空港バスへと飛び乗った。連絡時間が短いこと、それに加えて次のバスの便までは2時間ほど待たなくてはならないため脇目も振らずに猛ダッシュであった。

鮫島グループの役員の出張で海外を希望したのにも関わらず、社長命令で無理やり鹿児島支社に行かされたことがこんな時に役に立ったのだから父には感謝しなくてはならない。

いつも海外旅行に行く時は優雅にファーストクラスに座り、現地でも高級車にしか乗らない彼女の行動からは考えられないような姿だった。今回の旅行は未来へ来たことと同様に突発的な行動だったので荷物は機内持ち込みサイズに収まったことが幸いしたのだろう。

そして空港バスは終点の一つ手前の停留所に到着し、鮫島李花は待っていたホテルの送迎バスに乗り換えた。乗り換えた送迎バスは地方のバスなのにフルオート運転で、尚且つ女性タイプのアシスタントアンドロイドが案内をしていた。

観光地であっても地方の方が人材確保は難しいからだろう。アシスタントアンドロイドの容姿は若く美しいタイプが使われていた。若くて美しいだけでなく余計なことは言わずとても洗練されたスムーズな対応をしていた。生身の人間に疲れた人には癒しになるだろう。都会に疲れた人に癒しを与え心まで掴むこのアンドロイドの対応もホテルの戦略の一つなのかもしれない。

しかしこれからホテルに向かうには少しばかり遅い時間だったこともあり乗客はほんの僅かだった。地方のゆったりとした時間が流れる中で送迎バスのサービスを受けた鮫島李花は束の間の癒しを得るのだった。
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