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第1章 繰り返す女

ベルの音

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10月20日

 チリンチリーン……。
来客を知らせるベルの音が鳴り響いた。

九条薫は徐に音のする方へと視線を動かし、これから起こるであろう事態に備えた。

「2回か……」

つい口をついて出た言葉に苦笑し、この店の店主である九条薫は長い黒髪をかきあげながら表情を無に戻した。細身で長身それに加えて美しい中性的な顔立ちは、無表情になるとかなりの威圧感を感じさせる。

控室にしては広めの部屋から店へと通じる扉を開き、九条がそこへ足を踏み入れた途端に女が早口で捲し立てるように叫び出した。

「 過去へ行きたいんです、すぐに行きたいんです。一刻も早く過去へ行けるようにして下さい。お願いします」

そこにはサーモンピンクのシンプルなワンピースを着てブランド物と一目でわかるバッグを持ち、肩口で切り揃えられた黒髪ストレートヘアーの女がいた。
見た目は清楚な感じなのに内面から醸し出される雰囲気はドロドロとした影を引き摺るような重たい空気を纏う女だった。

九条薫はその姿を確認し、『あまり関わりたくないな』と思うもののそんな思いは一切表情には出さず一応客として相手をすることにした。

「お金ならいくらでもお支払いします。 1分1秒でも早く過去へ行きたいんです! お願いします!!」

一方的に捲し立てる女の言葉は何かを依頼するものであるはずなのに、そんな言葉とは裏腹に当然のように見下す態度で店主を見据えていた。全くもって人にものを頼む態度ではない。お願いという言葉の意味を知っているのだろうか。

『やはり、どこかの金持ちか何からしいな。金である程度の幸せは買えるかもしれないけど、金で全てが手に入るわけではないのに……』
九条薫の心に漣が起こるものの、沈黙している彼の表情筋に仕事をさせることはできなかった。


表情筋を黙らせている九条薫が店主であるこの店の名はディメンション。ディメンションには次元という意味がある。女が黙ってから一呼吸置いて、店主である九条薫は表情ひとつ変えることなく客の女に告げた。

「どの過去へお繋ぎすればよろしいでしょうか」

九条はその女を見ていた。

 早口で捲し立てる女の名前は、鮫島李香、年齢29歳。人の話を聞く気はまるでなく突然自分の事ばかり話す様子から精神と見た目の年齢には差があるようである。

なんでも女は学生時代、周囲にチヤホヤされていたらしい。大学の学部内といった小さな世界の所謂女王様みたいなものだった。みたいなものであるので、もちろん本物ではない。
しかしそれは鮫島という一族の後ろ盾が多大に関係していた。

鮫島一族は、鮫島グループと言って一昔前は華族であり財閥であった。現在でもその勢力は衰えることはない。表の世界でも裏の世界でもその名を知らない者はいないと言われるほどの強い力を持つ鮫島グループ。敵に回すのは極力避けたい一族である。

鮫島グループ会長は懐深く一本筋の通った気持ちの良い人間だと言われている。かなり頭のキレる人間で人を見る目もあることはあまり知られていない。鮫島李香はその末娘であることを利用してわがまま放題生きてきた。

そんな女にもどうしても思い通りにならないことがあった。

九条薫はゆっくり立ち上がると、カウンター越しに立つ鮫島李花に向かって話し出した。

「過去へ行くにあたり、あなた自身に誓って頂きたいことがあります。どんな事が起きてもその状況を必ず受け入れると、あなた自身に誓えますか?」

「受け入れる? 自分に誓う? 何を言っているの」

「要はどんな結果になろうと自分で起こした行動に責任を持てるか、という事です。あなたに出来ますか?」

それを聞いた鮫島李香は、
『受け入れるって何言ってるのかしらこの人。受け入れるも何も起ったことは変えられないでしょ、馬鹿じゃないのかしらこの人』と心の中のそんな思いを隠しもせずに少しキツめな口調で答えた。

「出来ますよ、当たり前でしょ」

「では、ご自分の言葉に責任を持って下さい。今ならまだ、過去へ行かないという選択肢もありますが、どうされますか?」

問われたことに腹を立てた女はやや食い気味に答えた。

「大丈夫です。過去へ行きます」

「分かりました。望む望まざるに拘らずどんなことが起きても事実として受け入れて下さい」

九条薫はそう言うとある物を女の前に差し出した。

「このドッグタグはここへ戻ってくるための鍵の代わりです。肌身離さず持っていて下さい。決して無くさないように」

そう言われて受け取った銀色のドッグタグは鎖もついていてネックレスになっていた。9桁の数字だけが書いてあるシンプルなもので金属特有の冷やりしたものだった。指紋もつかない特殊加工のものである。数字の上8桁は今日の日付の様だが最後の1は何を表しているのか分からないが鮫島李花はそんなことは気にも止めなかった。

一刻も早く過去へと行きたい鮫島李香。

「もう、過去へ行けるんですか? どうすればいいんですか?」

もう用は済んだとばかりに自分の目的だけを話している。

それでも九条はほんの僅かな感情も表に出さずに話し出した。

「では部屋の中央、丸いテーブルの近くへ移動して下さい。それとお支払いはこちらに帰ってきた時で結構ですので」

鮫島李香は言われた通りに部屋の中央へと移動した。すると、女の左側に白い扉が突然現れた。白い扉はホテルの客室の扉のように向こう側は全く見えない。九条の説明は続く。

「そのタグをドアノブに翳して下さい。そうすればあなたの行きたい過去の時間へと行けます。この場所に帰りたければタグに書いてある数字を声に出して言ってください。現在へ戻ろうと心から願えば扉は現れますから」

そう言われてタグを翳すとドアが開きキラキラ光る青い光のカーテンを抜けるとそこは見覚えのある風景だった。



扉を潜り光のカーテンを抜けると、なぜかそこは鮫島商事の向かい側にあるコーヒーショップの前だった。

「彼は会社に居るかしら。それにここは彼が結婚する前の時間なのかしら? ちゃんと調べないと」

他人の目を気にすることなくボソボソと独り言をこぼしながらコーヒーショップの中へと入っていった。

注文したブレンドコーヒーを飲みながらスマホを出して日付を確認すると、そこには10月20日と表示されていた。電波時計ではないスマホはタイムトラベルに自動対応している訳ではないようだ。
少しがっかりした鮫島李花は、ニュースアプリを開き今いる場所の日付を確認することにした。
すると画面には4月24日と表示されていた。もうすぐゴールデンウィークが来ると見出しにも書いてある。

望み通りの日付に移動できたことにテーブルの上で思わず小さくガッツポーズを作るとホッとしたのかお腹も空いてきたようだった。個人のスマホ端末から席に備え付けてある店のタブレットに買いたい商品の支払い完了データを送り席に商品が来るのを待った。

程なくしてワゴンに乗ったサンドイッチが届いた。受け取ると電子音ではなく人の声が聞こえた。

「ありがとうございます」

モニター越しに作り手である店主の声が笑顔と共に流れるとワゴンは自動運転でカウンターへと帰っていった。
店にとっては経費削減にもなるこの方法は、必要以上に人との触れ合いを求めない客にも受け入れられるようになった。いちいち席を立たなくても良いこともあり数年前から世の中に浸透したシステムだ。

空腹を満たした鮫島李花は手鏡で自分の顔を見てから店を出た。そして人混みに紛れるように目的の人物がいる鮫島商事のビルへと向かって歩きだした。

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