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1日目 人畜無害に生きてきたのに手錠をかけられた話 ②

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 中条巡査から学生証を返してもらうと、
「中条せんぱーい」
 大学の門の中から女性警察官が駆け寄ってきた。
 ショートカットヘアで肉付きのよい小柄な女性だ。目は大きく鼻と口は小さい。
 表情からはあどけなさが残っている印象だけど、年齢いくつだろう。僕と同年代か、下手したら年下にも見える。
平木ひらき巡査」
「わいせつ犯の捜索状況ですが」
「犯人はこの人よ。現行犯でこれから署まで連行するわ」
 僕は犯人ではありませんけどね。
 冤罪の危機なのに、誤認逮捕を意気揚々と得意げな顔で告げる中条巡査を見て僕は呑気のんきにも少しだけ微笑ましくなった。
「わあっ、お手柄ですね! さすがは大卒プロスペクト!」
 平木田巡査は両手をパンッと叩いて満面の笑みを作った。警察官なのにらしくない愛嬌あいきょうのある人だなぁ。
 けれど、とても厳しいと噂の警察学校を出ているのだから、根性や能力はあるのだろう。
「馬鹿なこと言ってないでパトカー回して。私はこの状態だから」
 中条巡査が手錠を掲げてみせると、平木田巡査は首を傾げた。
「なぜそんなことに?」
「この被疑者が逃走してねぇ」
「……その節はすいませんでした」
 凍てつく眼の中条巡査に、僕はただただ頭を下げることしかできない。
 平木田巡査は僕の顔をまじまじと見つめて小首を傾げた。そんなじっくりと見る容姿ではないと思うのですが。
「この被疑者、見た目からは悪いことしなさそうなのに、意外ですねー」
 意外じゃないですよ。あなたの目利き通りですよ。
「人を見た目で判断しては駄目。真犯人を取り逃がす危険性があるんだから」
 僕を誤認逮捕したことによって、真犯人を取り逃がしてますよね。
 ここで中条巡査の視線が平木田巡査から僕へと移った。
「今からあなたの身柄を新鶴しんつる警察署まで連行します。パトカーに乗って頂戴ちょうだい
「ナゼコンナコトニ……」
 僕は心中で嘆きつつも、中条巡査に続いてパトカーの後部座席へと乗り込んだ。
「それでは発車しますねー!」
 平木田巡査の快活な合図でパトカーのタイヤが回転し、走行がはじまった。
「ところで、どうしてわいせつなんて真似したの?」
 警察署まで向かっている最中に、中条巡査が訪ねてきた。
「してません……」
「強情ね」
「事実ですし」
「なら逃げる必要ないでしょ」
「逮捕の恐怖で身体がつい無意識のうちに動いてしまいました」
 危機から退避しようとするのは生物の本能だからね。
「後ろめたいことがないなら堂々と振舞っていれば変に疑われずに済むのよ」
「外見的特徴が一致してる上にアリバイもないんですよ? 無実であっても慌てふためきますよ」
 おまけに立ちションを公然わいせつの現行犯だと勘違いされる始末だし。いやそこについては僕にも非はあるんだけどね。
「お二人は相性が良いんですねぇ」
 運転席から平木田巡査がバックミラー越しに僕と中条巡査のやりとりを興味深そうに眺めている。
「相性というか、犯罪者特有の雰囲気が感じられないのよね」
「そりゃ犯罪者じゃないですからね。当然ですよ」
「雰囲気を隠されると尚更タチが悪いのよ。だからこそ、人は見かけで判断してはいけない」
「見かけ通りの人間ですけど!?」
 これ何回目のやりとりだよ。なにこの堂々巡り。この美人巡査頑固すぎない? 全然話が通じないんですけど。
 平木田巡査は苦笑したものの、それ以上は何も言わなかった。

 こうして、僕は人生初となる警察署へと連行された。

    ◆

「わいせつ犯は先ほど捕まったぞ」

 新鶴しんつる警察署のとある取調室とりしらべしつの中。
 僕たちは坂町さかまち警部というワイルドな顔立ちの方から衝撃的な事実を告げられた。
「「えぇっ!?」」
 女性警察官二人がハモって驚いてるけど、えぇっ!? って僕があなたたちに言いたいですよ。
「現行犯逮捕されたと、さっき平木田に連絡しただろ」
 僕、中条巡査、坂町警部が平木田巡査に視線を向けると、彼女は冷や汗を流して、
「あ、あれは蓑田被疑者のことだったんじゃ?」
 目をいて唖然あぜんとしている。
「今日の通報後、再度住宅街で下半身を露出してるところを現行犯逮捕ってオチだ」
 なんて下品で哀れな真犯人なんだ。
「で、でも私が見た時、蓑田被疑者は下半身を露出していて……」
「何度も言ってますが、あれは立ちションしてただけですよ」
 まぁ、誤解を招く品のない行動だったのは反省しなければだけど。
「お前、わいせつを犯していた決定的な証拠は提示できるのか?」
「それは……」
 坂町警部の詰問を受けた中条巡査は口をもごもごさせる。
「証拠もないのにわいせつ犯だと決めつけるのは言語道断だろ」
「お、仰るとおりです……」
 叱責を受けた中条巡査は背中を縮こまらせた。
「つまり、蓑田被疑者は――」
「無実、だったんですね……」
 女性警察官が二人揃って硬直している。
「ほっ……」
 真犯人がアホであっさり捕まってくれたおかげで助かった。
 なにはともあれ、僕の無実が確定して本当によかった。胸を撫で下ろせる。
 けど坂町警部はこれで終わりにする気はなく、女性警察官二人を睨み、
「中条、平木田……巡査が二人揃ってなにやってんだ!」
 ひらづくえを叩いて一喝いっかつした。すさまじい迫力だ。
「そもそも連行する前にその旨を署に連絡しろ! それを怠るから今回のような不始末が起こっちまうんだぞ!」
「「申し訳ございません!」」
 強烈な圧を放つ坂町警部に、二人は勢いよく頭を深く下げた。
 僕の隣の椅子に座っていた中条巡査が立ち上がったものだから、手錠で引っ張られた僕まで立つ羽目になった。
「まぁ、平木田は配属されて間もない高卒新人だから仕方ないんだが」
 平木田巡査は高校新卒巡査とのこと。つまり、まだ十代だ。僕よりも年下。
「それでも私にも責任があります!」
「ふ。その責任感、見どころがあるな」
 坂町警部は笑う。平木田巡査には熱血な一面があるようだ。
「平木田に免じて今回の誤認逮捕は不問にしてやる――俺からはな」
 そう話すと坂町警部は僕に視線を向けた。
「蓑田君、だったか。君はどうなんだ?」
「僕は……」
「誤認逮捕は完全に我々警察の失態だ。君が望めば、中条に処罰を与えることもできるぞ」
 中条巡査を庇うつもりはないのか、それとも誤認逮捕の前では庇えないのか、無表情の坂町警部は淡々と説明する。
「もっとも勾留こうりゅう期間もなく、連行後即日解放なので君に手厚い補償は与えられないけどな」
 女性巡査、特に中条巡査が苦々しい表情で、下唇を噛んで僕を見つめている。まるで罰を待つ子供のようだ。
 僕は怯える中条巡査に笑顔を差し向けた。
「僕は大丈夫ですよ。即逮捕即釈放なので、そこまで被害は受けてませんから」
 正味しょうみ一時間半が消費されたにすぎない。そこまで目くじらを立てる案件ではない。
 わいせつ犯と勘違いされたことも、別に報道されたりしたわけでもないので僕の名誉はそこまで傷ついていない。
 よって、僕から中条巡査に物申すことは何もない。
「――――っ」
 中条巡査は驚いているのか、形のよい目を見開いた。
「……君は優しいな。普通、名誉を傷つけられたら多少なりとも怒るだろう」
 坂町警部は苦笑いをして、鼻から息を吐いた。
「坂町警部がおっしゃった通り勾留こうりゅうすらされてませんし、僕からも不問でお願いします」
「そうか。君は穏やかな人間だな。犯罪から最も縁がなさそうだ」
 そう述べるや否や坂町警部も立ち上がって、
「俺、いや。私からも――蓑田利己さん。この度は我々の不手際でご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」
 僕に深々と頭を下げた。
 この人、威圧的な態度だけど身内に非がある際には素直に謝れる人だった。カッコいいな。
 坂町警部は頭を上げると、眉間にしわを寄せた顔で二人に向き直った。
「お前ら、特に中条は蓑田君のご厚意に甘えることなく、今後は軽率な連行は慎むこと! 次はないと思え!」
「「はいっ!」」
 女性巡査二人が敬礼をする。
「よし、ではこの一件はこれにて閉幕として、いい加減に蓑田君から手錠を外してやれ」
 僕の右手についている手錠を見た坂町警部が、中条巡査に手錠を外すよう指示を出した。
「承知いたしました」
 中条巡査は自身の制服の内ポケットを漁る。
「――――あれ」
 漁るものの、なかなか見つからない。
 制服全てのポケットを探し終えた中条巡査は、

「か、鍵が――ない……」

 先ほどの平木田巡査同様、顔に冷や汗を浮かべて言い放った。
「エッ!?」
 では、僕と中条巡査を縛る手錠はいかにして外すのでしょうか?
「お前、手錠の鍵紛失したのか!?」
 さすがの坂町警部も慌てている。
「…………はい」
 中条巡査はチーンと効果音が出そうなポーズで項垂うなだれた。
「誤認逮捕の上に手錠の鍵まで紛失するとは……」
 坂町警部は左手で両目を覆って分かりやすく呆れている。
「……なんかすいません。全部僕が悪いです」
 僕が唐突に頭を下げると、警察官三人が呆気あっけに取られた表情で僕を見てきた。
「僕が紛らわしい行動を取ってしまったせいで、巡査さんたちを混乱させてしまいました」
 そもそも僕が立ちションなんて卑しい行動を起こさなければ、今の事態は発生しなかったんだ。
「そこを見抜いて正しい判断をするのが警察の仕事だからな」
 坂町警部は中条巡査を睨むけど、僕にだって落ち度はある。
「職質されて逃亡もしました。疑われてしかるべきです。ご迷惑をおかけしました」
 自分でも何を言ってるんだろうと思う。だって僕は被害者だぞ。
 けれど、この美人巡査の顔を歪ませたくないと思ってしまった。
 単なるカッコつけ、なのだろう。
「君の想いは伝わった。だが、これからどうするかが問題だ」
 坂町警部は腕を組んで渋い顔をする。その視線は僕と中条巡査を縛る手錠に向けられている。
「その手錠はちと特殊な構造でな。今現在合鍵もないし、ピッキングでこじ開けることも不可能。頑丈な素材でできてるから破壊もできない」
「合鍵の作成を依頼したとして、完成まではどのくらいかかりますか?」
 中条巡査が質問すると坂町警部は顔をしかめた。
「一週間前後だ」
 坂町警部の言葉に、僕と中条巡査の顔は青くなった。開いた口も塞がらない。
「それまで、僕と中条巡査はずっとこのままってことですよね?」
「……そうなるな」
「ごめんなさい、蓑田君! 私のせいで、とんでもないことになっちゃって」
 別に中条巡査のミスを責めているわけではない。それはいいんだけど――
「僕、これからどうしたらいいですか?」
 本来なら解放されて帰宅するぞって流れになるけど、今の僕には右手を縛る呪いの装備がついている。中条巡査から離れられない。
 ……あれ? 意味深感が出る表現だな。
 頭の中で他の表現方法を探していると――

「――蓑田君は、私が責任を持って預かります!」

 口に手を当てて考え込んでいた中条巡査が高らかにそう宣言した。
「「「えっ?」」」
 当然、僕は驚いた。平木田巡査や坂町警部も同様に驚いている。
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