平坂アンダーグラウンド

小鳥頼人

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Chapter6:24の境地 ②

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「あら? 仁志さん」
「どうも。田中たなかさん、長谷川はせがわさん」

 二人は仁志さんに気がつくと、こちらまでやってきた。
 ともに茶髪メイクだけど、派手すぎない上品な雰囲気の女性だ。
 けれど、なぜだろう――彼女たちからは、見た目で隠せないほどの黒い何かを感じる。
「仁志さんの知り合いですか?」
「同い年の大学の同級生――いえ、先輩よ」
 仁志さんは一年の浪人と留年を経ているので、同い年の面子は順当に進級していれば大学三年生だ。ストレート入学の学生と比べると、彼女は二年出遅れている。
「あはは、仁志さんは浪人留年してるからねぇ」
「同い年なのに後輩って変な感じー」
 二人は口に手を当てて控えめに微笑むが、なぜだか可愛いとは思えない。
「ねー、その人仁志さんの彼氏?」
 田中だか長谷川だか知らんが、片割れが俺を一瞥いちべつして仁志さんに問う。
「ちが――」
「いいえ。俺は不器用なハードボイルドなので、恋愛にうつつを抜かすことはありません」
 はっきりと俺の口から否定してあげないと説得力がない。
「は、はあ……」
 相手は俺が突如割り込んできたことに怯えたが、すぐに平常に戻った。
「んで仁志さん? 今度はその人をたぶらかそうって魂胆?」
「そんなわけないでしょ! 言いがかりはやめて!」
 女の物言いにいきどおった仁志さんは鋭い眼光で二人を睨みつける。
「言いがかりって、大学でいつもやってるでしょ? 見た目だけ整えて、男を手玉に取るために誘惑して」
 仁志さんが大学を楽しくないと語ってたのはこれが原因か。何度となくいわれのない誹謗中傷を受けて、通学できなくなってしまって単位が取れなかったのか。
「そんなこと考えてないから!」
 彼女は性欲にまみれた男が近づくことを嫌っていると話してくれた。そんな人が尻軽なはずがない。
「ねぇ、仁志さん。だからあなたは大学で浮いて友達ができなくて、不登校がちになって留年しちゃったんだよ」
 片割れが俺をチラリと見やってから、黒い笑みを仁志さんに向ける。
「なにも……なにも、片倉クンの前で暴露しなくても! ひどい!」
 仁志さんは涙声で応戦した。
 俺は彼女の顔は見ない。見られたくない状態だろうから。
 自らが言いたくなくて口をつぐんでいた秘密を第三者からバラされた時ほど不愉快な気持ちになることはそうそうない。
「被害者面はよしてよ。我が身可愛いナルシストちゃん」
「だからあなた、友達がいないのよ」
「顔だって、化粧で綺麗にしてるけど、素顔はどうせ大したことないでしょ」
「何かの拍子にその化けの皮が剥がれればいいのに。性格と一緒でさぞかし醜いんでしょうね」
 二人は畳みかけるように罵詈雑言を並べて仁志さんを攻撃する。
 仁志さんはというと、言われっぱなしで何も言い返さない。いや、言い返せないんだ。
 自分を可愛いとは思ってても、怖いものは怖い。執拗しつように人格攻撃を繰り返されれば、萎縮して反論する気力すらも失ってしまう。
 そんな日常の大学生活なんて、楽しいと思えるはずがない。
 ってか、二人がかりで個人をいびるってどうよ? 男女問わず美しくなくね?
 はぁー。結局面倒は降りかかってくるのね。
 この際だ。このバカ女どもに一矢いっし報いてやりますか。
「ちょっといいか?」
「なに? あなた関係ないでしょ」
 第三者の介入に、二人は不快そうな表情を向けてきた。
「所詮、俺ぁしがねえ高校中退の十六歳でござんす」
「ガキは引っ込んでてよ!」
「そうはいかねぇ。連れを悪く言われて黙ってられますかってんだ」
 仁志さんを庇うように女子大生二人と対峙する。
「連れ? これが? 冗談でしょ。趣味悪っ」
 相手は仁志さんを指差して嘲笑あざわらう。本性を現しやがったな。そうこなくっちゃ。
「さっきから聞いてりゃたぶらかすとか誘惑とか、全部アンタらの思い込みじゃんか」
「どうせあなたも仁志さんに声をかけられて一緒にいるんでしょ?」
「………………」
 その通りなのでつい押し黙ってしまったが、お、俺のターンはまだ終わっちゃいないぜ!
「すっぴんがあーだこーだは知ったこっちゃないし、それは公共の場では関係ない話だ」
 化粧している人の素顔は家の中とか、完全なプライベートでしかお目にかかる機会はない。それをどうこう言い出すのは化粧の努力を全否定するも同義。
 そもそもの話、お前らは人に文句つけられるすっぴん顔なのか?
「化粧だって、努力して上達して綺麗を維持してるんだ。それに対してアンタらに茶々を入れる資格はないね」
「片倉クン……」
 仁志さんは俺の背中に手を添えてくる。表情は分からないが声からは強張りが薄れていたので安堵する。
「中卒が偉そうに語らないでくれる?」
 はい出た出た。論点をすり替えて俺の弱点を突こうって魂胆ね。
 けど、なぜ俺が自ら高校中退の話をしたと思ってるんだ? イジられても平気だからだよ。
「ましてや否定してさげすむとか、アンタら可愛くねーよ。性格含めても仁志さんの方がずっと可愛いっての」
「私たちより四歳も年下のくせに……!」
 生意気な小僧の物言いに二人は歯軋はぎしりをしてわなわなと身体を震わせている。効いてるな。
「揚げ句の果てには人格まで否定か。醜いよアンタらは」
 俺は二人の顔面を交互に指差してまくしたてる。
「それにアンタらのメイク、変だぞ? 人にイチャモンつける前に鏡で見直せってんだ!」
 二人は顔を真っ赤にしているが、知るかってんだ。そのメイク不自然なんだよ。
「化けの皮が剥がれる? 化け物なのは、アンタらの心でしょ。今絶賛剥がれてるぞ」
 二人は顔をゆがめているが、お前らに被害者ぶる権利はない。
「コイツ、マジキモい! 無理!」
「女の子に対してヒドい!」
「どっちが田中でどっちが長谷川か知らねぇけどさ、ゲスな内面は雰囲気に出てくるぞ。外見で塗り固めてるつもりだろうけど、気づく奴は気づくぜ」
 外見だけ取りつくろって、中身がそれじゃあ仁志さんのこと言えないだろ。ブーメランなんだよ。恥を知れバカ野郎。いや、女だからアマ? なんでもいいんだけどさ。
「ムカつくのなら、お前らも正面から努力して正々堂々と仁志さんに突っかかってみせろや! 女の魅力を磨いて、それ武器に勝負を挑めや!」
 ここで決める勢いで、ドスを利かせた声色こわいろで言い切った。
「そ、そんなこと、あなたに言われなくたって……!」
「……行こう」
 二人はそそくさと俺たちから背を向けて去っていった。
「ふぃ~、ダルかったー」
 ひと仕事を終え、再びベンチにどかっと座った。
「……なに女の前でカッコつけてんのよ」
 隣に仁志さんが座ってきた。
 ……あれ? さっきと違って距離近くね? 肩が触れ合いそうなんですけど。
 彼女はベンチの真ん中に置いてあった買い物袋をわざわざ端に追いやって座ったのだ。

 ――――と、そこでどこからか視線を感じた。
「………………?」
 周囲を見渡すも、不審な者はいなかった。気のせいか。

「どうかした?」
「いえ、なんでも」
「片倉クン、本当にありがとね」
「それはいいんですけど、近くないですか?」
 仁志さんは俺に身を寄せるように座っている。大人っぽい良い香りがする。
「なによ、嫌なわけ?」
 形の良い唇を尖らせて抗議される。不覚にも可愛いです。
「仁志さん相手なら、嫌どころか役得ですらありますけど……」
 しかしながら、俺はハードボイルドな男なのだ。かのようなアクションは俺の下半身によろしくない。大変よろしくないぞ。
 煩悩ぼんのうあらがっていると、仁志さんが俺の目を真っ直ぐに見つめて口を開いた。

「遥風、って呼んで」
「えっ」

「巧祐クンには、遥風って呼んでほしいな」
 おねだりをする言い回しで仁志さんははにかんだ。
 心なしか彼女の顔が赤い気がするが、きっと夏の暑さのせいだろう。
「は、遥風さん……」
「うんっ。巧祐クンだけ、特別だぞっ」
 白い歯が全開の満面の笑みはとても眩しかった。
 でもまぁ、ここで変な勘違いを起こさないところが、俺がハードボイルドたる所以ゆえんだ。
「さっき、男は性的な目でばかり見てくるから嫌って言ってましたよね?」
「うん」
 内面を見ずに下心だけで近づく男とは付き合いたくないと。
「どうして、俺には自ら話しかけたんですか?」
 俺の疑問に遥風さんは唇に指を当てて少しだけ考えた。
「巧祐クンには、年頃の男子特有の性へのギラつきを感じなかったんだよね」
「男として魅力がないならそうはっきり言ってください」
「そうは思ってないから! さっきだって彼女たちにガツンと言ってくれたし、カ、カッコ良かったよ……」
 遥風さんは慌てて手をぶんぶんして否定してくれるが、そこまで必死にならなくても……。
「それはどうも……」
「――失望した?」
「え?」
 慌てふためいたと思ったら、今度は不安そうに見つめてきた。感情が忙しい人だ。
「最初偉そうに振る舞ってたのに、本当は、臆病で自分に自信がなくて、大学にも通えない有り様で……そんなダメな本性を、巧祐クンには知られたくなかった」
 彼女がひた隠そうとした部分だ。それをあのバカども、平然と喋りやがって。
 けど、考えようによってはそのおかげで彼女に対して親密感を抱けたとも言えよう。
「失望? まさか。人は弱くもろい生き物ですから。むしろ、パッと見すかした人が見せる意外な弱みというか、一面にはそそられるまであります」
 グッとくるとは話が違うけれど、大多数の人間は何かしらのコンプレックスや苦手分野がある。それを共有できるのは、お互い心を開き合えている証だと思う。
「人は弱いから何かにすがるんです。すがることで諦めずに頑張れるなら、それでいいじゃないですか」
 弱さを無理して隠し通さなくても、誰かと共有して支え合えるならば。
「仮に頑張ることを諦めたとしても、間違いだとは思いませんし」
 逃げるが勝ちではないが、諦めも自分が納得して決断した結果ならばうれえる必要などない。
 ――――あれ? これ俺自身に言ってる気がしてきた。
「なら、さ……」
 遥風さんは顔は向けずに視線だけ俺によこして遠慮がちに口を開いた。
「巧祐クンをり所にしても、いい?」
「当然です。どうせ暇人ですから、何かあれば頼ってください」
 俺の気持ちを伝えると、遥風さんは目を細めて微笑んで、
「――あたし、これからはちゃんと大学通うよ」
 姿勢を正して、意を決したのかそう宣言した。瞳には覚悟の色がにじんでいる。
「最初からそうしてくださいよ」
 憎まれ口を叩いてみるが、嫌な顔はされない。
「巧祐クンのように、あたしの味方でいてくれる人がいれば、頑張れる」
「俺は大学までは行けませんから、頑張って大学でも友達作ってくださいね」
 ぼっちよりも友達がいた方が大学生活だって楽しいに決まってる。
「はぁ。巧祐クンと同年代だったらなー。毎日一緒に大学通えたのに」
「四六時中俺を束縛するおつもりで?」
 彼女は不満げだったが、ひらめいたとばかりに髪を揺らして、
「そうだ。高認取って飛び級してよ」
 俺の抗議を無視してとんでもないことをのたまった。
「無茶言わないでくださいよ!?」
 高等学校卒業程度認定試験、通称高認は十六歳から受験資格はあるが、資格の効力が発揮されるのは満十八歳の誕生日の翌日からだから、飛び級などできるわけがない。
 それ以前に遥風さんのためだけに平坂大学に入るほど、俺は遥風さんに人生捧げてないからね?
「恋人でもないのに、そこまではしませんよ」
「なぁーんだ。残念」
 遥風さんはあははと笑うと、バッグからスマホを取り出した。
「ねぇ。よかったらだけど」
 上目遣いで、
「連絡先、交換しよ?」
「……いいですよ」
 ねだるように提案してきたものだから、ドキッとしてしまった。魔性の女か。
 連絡先を交換し、俺は買い物袋を持って遥風さんと別れた。

「――――巧祐クンが相手なら、彼女になってあげてもイイかなっ♪」

 それは風のささやき。
 風に乗って流れ去った言葉が俺の耳に届くことはなかった。

    ◎

 公園から出てから気づいたことが一つ。
「アイス、溶けてもうた……」
 アイスが完全に溶けて箱から液体が漏れ出ていた。
 やっちまいましたわー。マジ絶句。
 冷食も無事かどうか怪しいし、母さんからの大目玉は確定だ。
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