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番外編
少し進んだ、或る一夜
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多くの生命が眠る、夜天高くに月の昇る頃。
しかし全ての生命が眠りに落ちた訳ではなく、少なくとも此度の話の舞台であるアリステル王城のとある一室にて、カーテンより灯りの漏れる其処には、醒めたる者もまだ存在している。
……もっともその内情は、まるで甘くなど無いド修羅場であるが。
「………後は俺に任せて、今日はもう帰ってもいいんだぞ。 というか、帰れ」
「……お断りします。 それにそういう事は、終わらない書類の山を終わらせてから言ってください。 ジーク様お一人では絶対に朝までに終わらないと思い、私もこうしてお付き合いしているのですから」
「いや、君はどんなに仕事の目処が立っていようとも最後まで手を出し続けるだろう。 助かってはいるが、同時に帰れ、休めと毎回言っている気がするんだが」
目元に深いクマを作り、その激務から年々低下していく視力に伴って書類仕事用に使用し始めた眼鏡の奥には虚無虚無しく濁った瞳を覗かせながら少しやさぐれた風に、そして何処か刺々しい言葉を放つエリーナ。
それに同じく、目元にこれまた深いクマを刻んで険しい表情に疲労の色を濃く滲ませながら、既に自身がキャパオーバーのくせに普段の通りにエリーナを帰そうとするジーク。
此処にて醒めたる者とは、このように、もはやお約束と化したやり取りを交わしながらも疲労困憊な様子の、連日連夜遅くまで残業中のジークとエリーナの2人の事である。
「まったく、なんでライアス殿はこんな時に限って出張になんて出ているのかしら。 ……でも、彼のは真っ当な仕事だし仕方ないか………なら悪いのは、わざわざ終業直後に急ぎの書類を大量に持ってきた大臣ですね。 期限が明日までのものをギリギリになって投げてこないでほしいわ、本当」
相も変わらず刺々しい言葉を放ちながら、しかし、書類に走らせるペンは的確かつ迅速に。 不機嫌ながらも自身の受け負った仕事は確実に完遂していく辺りはエリーナ自身の根が真面目なのも相まって、もはや労働者としては筋金入りである。
その身の特異性が故に王族の庇護下に入って王城に住まう事となり、そしてジークの秘書官として勤め始めて、はや数年。
今だに終わらぬ帝国とのまるで本格化しない冷戦の時代に、日々激務ばかりが押し寄せる中で彼女の秘書官という職務に対するその姿勢が揺らいだ事などそう多くはない。
けれど、今宵はその姿勢に乱れがあった。 そして、その根本的な要因は、確かに終業直後に急ぎの仕事を持ち込んできた大臣である。
しかし、原因自体はもっと個人単位の話。
それは単純な、他人から苦役を押し付けられたという『怒り』からの感情ではなく、それに伴い楽しみを邪魔されたという、幼子の如き『残念』がる気持ちが根元であった。
というのも……。
「せっかく、明日は久方振りの休暇だと言うのに……。 この日のために、王家御用達の商会から良いお酒を幾らか仕入れましたのに……」
「そればかりは全くだよ。 大臣の奴ら、俺達の関係を邪推して妙な噂で陰口を叩いておきながら、どうしてこういう時だけはこうも間が悪いんだ……」
2人して愚痴り、そして、ため息を漏らす。
何せ、2人してたまの楽しみを邪魔されたのだから、こればかりは不満に思おうとも仕方がない。
たまの楽しみ。
ジークの言うそれは、要は2人で酒を呑み交わす事である。
というのも、エリーナがジークの秘書官の任を拝してからというものの「ジークには『愛人』がいて、それを自室に囲って夜な夜な『何かしら』に勤しんでいる」というような噂話が、王城内でまことしやかに囁かれるようになった。 勿論、噂の『愛人』とはエリーナの事であるのだろう。
もっとも、噂話が広がり始めた当初の時点では噂は噂でしかなく、その実情は2人とも激務に疲れてエリーナが泊まり込みになる事もあったというような、ロマンスの『ロ』の字も無い話ではあったのだ。
しかし、その噂が流れ始めて数年が経った今。
噂の実情は、少しばかり変化していた。
比率で言えば、嘘が50%、真実が50%といった具合にである。
まず前提として、2人は愛し合っている。
そしてそれは感情の話であり、気持ち以上のものを重ねるような地点にまでは至っていない。 それは偏に、互いに理性の楔のあるが故だ。
立場として、現時点で次期王妃たる王太子妃を婚約者という形でさえ迎えもしていない王太子ジークが、そんな状況で国母となる女性以外の妃を迎える事はあまり好ましくはない。 それは愛人であれ、側妃であれ同じ事である。
それに何より、ジーク自身が1人の男としてエリーナの事を側妃、ましてや噂で囁かれるような愛人としてなど迎え入れたくはなかった。
そしてエリーナも、自身が『愛』という感情のままに流されて、貴族社会的に何の立場も持っていない自身がジークともっと深い関係になる事は彼の評判を下げる行いであると理解しているからこそ、それに何より彼女自身の『過去』が故の後ろめたさから、気持ちより先の『愛』に至る事を拒んでいる。
故にこそ、互いに気持ちを重ねはすれども、その先には至っていない。
2人はまだ、純潔な関係のままであった。
しかし、理性の楔があるとて2人とも人間だ。
当然ながら、それが感情によって覆される事もある。
なにせ、本心では互いに今よりもっと関係を深めたくはあるのだ。 当然、心の内の『愛おしさ』が臨界点に至ったならば、理性などかなぐり捨てて相手を『愛し尽くしたく』もなるだろう。
それはもう、間違えて取り返しの付かなくなってしまう程に。
実際、どうしても感情が理性を上回って我慢出来ない時には、唇を重ね合うくらいの事はしているのだし。
ただ、2人にも立場や考えというものがあり、それ故に『これより先』に至る訳にはいかないのだと分かっているからこそ、ずっと此処止まりの関係性に留まっている。
我慢して、衝動を抑えているのだ。
故にこそ、我慢と衝動を発散して、互いの感情に折り合いを付けなければならない時もある。
そうして、噂のようにエリーナはジークの『愛人』ではないけれど、王太子の私室にて夜中に2人きりで酒を呑み交わして、そうして酒で理性を蕩かしながら、致命的に間違え過ぎない程度に一夜の間違いを犯すのだ。
それが、愛し合いながらも気持ちを交わすより先に進む事の出来ない2人の、ギリギリの妥協点であるのだから。
酒に酔って、酒を言い訳にして、触れ合い唇を重ねて同衾して、しかし其処まで。
あとほんのもう少し理性が蕩けれてしまえば、最後の一線を超えて『間違って』しまって『純潔』でなくなってしまうくらいにギリギリの、一歩手前だ。
そして、今宵は『そう』するつもりだった。
……だと言うのに、現実はこのザマである。 終業直後に期限ギリギリの仕事を持ち込む輩は死すべし。
さりとて仕事で、挙句、明日までと言われてしまえば終わらせざるを得ないのがジークの立場であり、それに追従するエリーナもまた同じように。
いくら不満に思おうとも、立場ある身として仕方のない事。 まあ、此度は大概に理不尽な事ではあるが。
そうして、ようやく仕事を終えたのは夜半過ぎも越えた頃。
エリーナもジークも疲れ切って、これから酒を呑み交わして夜中の秘め事に及ぶなどという気力さえも既に無い。 このままであれば、いつもの如く疲れ切ったエリーナがジークの寝所に寝かされるという流れに留まる事であるのだろう。
実際ジークも、エリーナのために寝所を整え、自らはソファに身を横たえるために準備をしていた。
けれど、
「………ん。 エリーナ……?」
ジークが机に突っ伏し限界らしいエリーナを整えた寝所に横抱きに運び、寝かし付けてその場を去ろうとしたその時。
彼女はそれを拒むように、離れようとするジークの手を取り、シャツを掴んで彼を止めた。
「……お酒、呑まないですか?」
トロンとした目でジークを見上げて、エリーナは縋るように言う。
「今夜はやめておこう。 俺もエリーナも疲れてるし、今から呑んだって酔いが回る頃には日が昇ってしまう。 残念だが、2人で呑むのはまたの機会にしよう」
「でも、だって……だって、せっかくお休みなのに。 こんな日でなくては、羽目を外せないのに……。 酔っていないと、あなたの臣下として尽くすその見返りを強請るくらいに厚かましくなんて、なれないではないですか………」
頬を赤く染めて、視線をあちこち彷徨わせて、取り乱したように言い訳をするように、それでいて縋るように彼のシャツを掴みながら、エリーナは熱を帯びた視線でジークを見つめる。
それはまるで、お預けをされた仔犬のように。
ここ数年で、このようにエリーナは少しばかり欲を見せるようになった。
始めは、与えられればジークの愛情を素直に受け取るばかりであったが、今となってはエリーナ自身もまたジークに強請る時もある。 彼女も時として、そのように熱に浮かされるのだ。
そんな時、求められればジークはどうしようもなくエリーナが愛おしく感じて、守るべき一線を越えてしまいたくなる。
それでも、今まで間違えて一線を越えてしまうような事が無かったのは、彼が彼女の疵を知っているから。 そしてそれが、暴力や強引な行いに起因するものであると、彼は何となく察していたからだ。
彼の行き過ぎた想いをぶつける事で、彼女の抱える疵痕を抉りたくないから、それで彼女を傷付けたくないから、エリーナとの関係を壊してしまいたくなどないから。
だからジークは理性強く、エリーナの求めるままに、自らも寝所に身を横たえて抱き寄せる。
「……エリーナ。 今夜の俺達は酔っているんだ、そうだろう? だから、仕方がない。 愛するエリーナがこの腕の中に居るんだから、俺はもう離したくない。 だから、寝所を共にしてもおかしくなんてないだろう。 何の事はない……酔ってるんだから、エリーナも俺に強請ったって構わないんだよ」
エリーナのため、彼は言い訳の嘘を一つ吐く。
そうしてジークがそう呟けば、抱かれるエリーナは彼の胸元に顔を埋めて、身を寄せる。
互いの身体の熱が融け合うくらいに。
呼気どころか、心音さえも届くくらいに。
「おやすみ、エリーナ。 よい夢を」
「はい……ん………おやすみなさい、ジーク」
意識を落とす直前に、エリーナはジークに口付ける。
それは、酔って意識の蕩けた時の2人が眠る前にする、純潔な2人の愛の営み。 これより先に進まないための、防波堤。
それに、今宵はそんな心配など無いだろう。
激務を終えて、嘘の言い訳をして、そんな2人にはそれ以上の愛を交わす意味など、もう無いのだから。 疲れたその身で寄り添い合って、呼気も、体温も近くて、それを感じながらただ眠る。
それ以上など、今この時には不要であるのだから。
ーーーこれより先は、まだ先の未来に。
それが、もしかすればあり得るかも知れない未来にあればこそ。
されど、今はただ眠れ。
互いを愛し、互いを感じ、ただ2人とも幸せに眠るのだ。
しかし全ての生命が眠りに落ちた訳ではなく、少なくとも此度の話の舞台であるアリステル王城のとある一室にて、カーテンより灯りの漏れる其処には、醒めたる者もまだ存在している。
……もっともその内情は、まるで甘くなど無いド修羅場であるが。
「………後は俺に任せて、今日はもう帰ってもいいんだぞ。 というか、帰れ」
「……お断りします。 それにそういう事は、終わらない書類の山を終わらせてから言ってください。 ジーク様お一人では絶対に朝までに終わらないと思い、私もこうしてお付き合いしているのですから」
「いや、君はどんなに仕事の目処が立っていようとも最後まで手を出し続けるだろう。 助かってはいるが、同時に帰れ、休めと毎回言っている気がするんだが」
目元に深いクマを作り、その激務から年々低下していく視力に伴って書類仕事用に使用し始めた眼鏡の奥には虚無虚無しく濁った瞳を覗かせながら少しやさぐれた風に、そして何処か刺々しい言葉を放つエリーナ。
それに同じく、目元にこれまた深いクマを刻んで険しい表情に疲労の色を濃く滲ませながら、既に自身がキャパオーバーのくせに普段の通りにエリーナを帰そうとするジーク。
此処にて醒めたる者とは、このように、もはやお約束と化したやり取りを交わしながらも疲労困憊な様子の、連日連夜遅くまで残業中のジークとエリーナの2人の事である。
「まったく、なんでライアス殿はこんな時に限って出張になんて出ているのかしら。 ……でも、彼のは真っ当な仕事だし仕方ないか………なら悪いのは、わざわざ終業直後に急ぎの書類を大量に持ってきた大臣ですね。 期限が明日までのものをギリギリになって投げてこないでほしいわ、本当」
相も変わらず刺々しい言葉を放ちながら、しかし、書類に走らせるペンは的確かつ迅速に。 不機嫌ながらも自身の受け負った仕事は確実に完遂していく辺りはエリーナ自身の根が真面目なのも相まって、もはや労働者としては筋金入りである。
その身の特異性が故に王族の庇護下に入って王城に住まう事となり、そしてジークの秘書官として勤め始めて、はや数年。
今だに終わらぬ帝国とのまるで本格化しない冷戦の時代に、日々激務ばかりが押し寄せる中で彼女の秘書官という職務に対するその姿勢が揺らいだ事などそう多くはない。
けれど、今宵はその姿勢に乱れがあった。 そして、その根本的な要因は、確かに終業直後に急ぎの仕事を持ち込んできた大臣である。
しかし、原因自体はもっと個人単位の話。
それは単純な、他人から苦役を押し付けられたという『怒り』からの感情ではなく、それに伴い楽しみを邪魔されたという、幼子の如き『残念』がる気持ちが根元であった。
というのも……。
「せっかく、明日は久方振りの休暇だと言うのに……。 この日のために、王家御用達の商会から良いお酒を幾らか仕入れましたのに……」
「そればかりは全くだよ。 大臣の奴ら、俺達の関係を邪推して妙な噂で陰口を叩いておきながら、どうしてこういう時だけはこうも間が悪いんだ……」
2人して愚痴り、そして、ため息を漏らす。
何せ、2人してたまの楽しみを邪魔されたのだから、こればかりは不満に思おうとも仕方がない。
たまの楽しみ。
ジークの言うそれは、要は2人で酒を呑み交わす事である。
というのも、エリーナがジークの秘書官の任を拝してからというものの「ジークには『愛人』がいて、それを自室に囲って夜な夜な『何かしら』に勤しんでいる」というような噂話が、王城内でまことしやかに囁かれるようになった。 勿論、噂の『愛人』とはエリーナの事であるのだろう。
もっとも、噂話が広がり始めた当初の時点では噂は噂でしかなく、その実情は2人とも激務に疲れてエリーナが泊まり込みになる事もあったというような、ロマンスの『ロ』の字も無い話ではあったのだ。
しかし、その噂が流れ始めて数年が経った今。
噂の実情は、少しばかり変化していた。
比率で言えば、嘘が50%、真実が50%といった具合にである。
まず前提として、2人は愛し合っている。
そしてそれは感情の話であり、気持ち以上のものを重ねるような地点にまでは至っていない。 それは偏に、互いに理性の楔のあるが故だ。
立場として、現時点で次期王妃たる王太子妃を婚約者という形でさえ迎えもしていない王太子ジークが、そんな状況で国母となる女性以外の妃を迎える事はあまり好ましくはない。 それは愛人であれ、側妃であれ同じ事である。
それに何より、ジーク自身が1人の男としてエリーナの事を側妃、ましてや噂で囁かれるような愛人としてなど迎え入れたくはなかった。
そしてエリーナも、自身が『愛』という感情のままに流されて、貴族社会的に何の立場も持っていない自身がジークともっと深い関係になる事は彼の評判を下げる行いであると理解しているからこそ、それに何より彼女自身の『過去』が故の後ろめたさから、気持ちより先の『愛』に至る事を拒んでいる。
故にこそ、互いに気持ちを重ねはすれども、その先には至っていない。
2人はまだ、純潔な関係のままであった。
しかし、理性の楔があるとて2人とも人間だ。
当然ながら、それが感情によって覆される事もある。
なにせ、本心では互いに今よりもっと関係を深めたくはあるのだ。 当然、心の内の『愛おしさ』が臨界点に至ったならば、理性などかなぐり捨てて相手を『愛し尽くしたく』もなるだろう。
それはもう、間違えて取り返しの付かなくなってしまう程に。
実際、どうしても感情が理性を上回って我慢出来ない時には、唇を重ね合うくらいの事はしているのだし。
ただ、2人にも立場や考えというものがあり、それ故に『これより先』に至る訳にはいかないのだと分かっているからこそ、ずっと此処止まりの関係性に留まっている。
我慢して、衝動を抑えているのだ。
故にこそ、我慢と衝動を発散して、互いの感情に折り合いを付けなければならない時もある。
そうして、噂のようにエリーナはジークの『愛人』ではないけれど、王太子の私室にて夜中に2人きりで酒を呑み交わして、そうして酒で理性を蕩かしながら、致命的に間違え過ぎない程度に一夜の間違いを犯すのだ。
それが、愛し合いながらも気持ちを交わすより先に進む事の出来ない2人の、ギリギリの妥協点であるのだから。
酒に酔って、酒を言い訳にして、触れ合い唇を重ねて同衾して、しかし其処まで。
あとほんのもう少し理性が蕩けれてしまえば、最後の一線を超えて『間違って』しまって『純潔』でなくなってしまうくらいにギリギリの、一歩手前だ。
そして、今宵は『そう』するつもりだった。
……だと言うのに、現実はこのザマである。 終業直後に期限ギリギリの仕事を持ち込む輩は死すべし。
さりとて仕事で、挙句、明日までと言われてしまえば終わらせざるを得ないのがジークの立場であり、それに追従するエリーナもまた同じように。
いくら不満に思おうとも、立場ある身として仕方のない事。 まあ、此度は大概に理不尽な事ではあるが。
そうして、ようやく仕事を終えたのは夜半過ぎも越えた頃。
エリーナもジークも疲れ切って、これから酒を呑み交わして夜中の秘め事に及ぶなどという気力さえも既に無い。 このままであれば、いつもの如く疲れ切ったエリーナがジークの寝所に寝かされるという流れに留まる事であるのだろう。
実際ジークも、エリーナのために寝所を整え、自らはソファに身を横たえるために準備をしていた。
けれど、
「………ん。 エリーナ……?」
ジークが机に突っ伏し限界らしいエリーナを整えた寝所に横抱きに運び、寝かし付けてその場を去ろうとしたその時。
彼女はそれを拒むように、離れようとするジークの手を取り、シャツを掴んで彼を止めた。
「……お酒、呑まないですか?」
トロンとした目でジークを見上げて、エリーナは縋るように言う。
「今夜はやめておこう。 俺もエリーナも疲れてるし、今から呑んだって酔いが回る頃には日が昇ってしまう。 残念だが、2人で呑むのはまたの機会にしよう」
「でも、だって……だって、せっかくお休みなのに。 こんな日でなくては、羽目を外せないのに……。 酔っていないと、あなたの臣下として尽くすその見返りを強請るくらいに厚かましくなんて、なれないではないですか………」
頬を赤く染めて、視線をあちこち彷徨わせて、取り乱したように言い訳をするように、それでいて縋るように彼のシャツを掴みながら、エリーナは熱を帯びた視線でジークを見つめる。
それはまるで、お預けをされた仔犬のように。
ここ数年で、このようにエリーナは少しばかり欲を見せるようになった。
始めは、与えられればジークの愛情を素直に受け取るばかりであったが、今となってはエリーナ自身もまたジークに強請る時もある。 彼女も時として、そのように熱に浮かされるのだ。
そんな時、求められればジークはどうしようもなくエリーナが愛おしく感じて、守るべき一線を越えてしまいたくなる。
それでも、今まで間違えて一線を越えてしまうような事が無かったのは、彼が彼女の疵を知っているから。 そしてそれが、暴力や強引な行いに起因するものであると、彼は何となく察していたからだ。
彼の行き過ぎた想いをぶつける事で、彼女の抱える疵痕を抉りたくないから、それで彼女を傷付けたくないから、エリーナとの関係を壊してしまいたくなどないから。
だからジークは理性強く、エリーナの求めるままに、自らも寝所に身を横たえて抱き寄せる。
「……エリーナ。 今夜の俺達は酔っているんだ、そうだろう? だから、仕方がない。 愛するエリーナがこの腕の中に居るんだから、俺はもう離したくない。 だから、寝所を共にしてもおかしくなんてないだろう。 何の事はない……酔ってるんだから、エリーナも俺に強請ったって構わないんだよ」
エリーナのため、彼は言い訳の嘘を一つ吐く。
そうしてジークがそう呟けば、抱かれるエリーナは彼の胸元に顔を埋めて、身を寄せる。
互いの身体の熱が融け合うくらいに。
呼気どころか、心音さえも届くくらいに。
「おやすみ、エリーナ。 よい夢を」
「はい……ん………おやすみなさい、ジーク」
意識を落とす直前に、エリーナはジークに口付ける。
それは、酔って意識の蕩けた時の2人が眠る前にする、純潔な2人の愛の営み。 これより先に進まないための、防波堤。
それに、今宵はそんな心配など無いだろう。
激務を終えて、嘘の言い訳をして、そんな2人にはそれ以上の愛を交わす意味など、もう無いのだから。 疲れたその身で寄り添い合って、呼気も、体温も近くて、それを感じながらただ眠る。
それ以上など、今この時には不要であるのだから。
ーーーこれより先は、まだ先の未来に。
それが、もしかすればあり得るかも知れない未来にあればこそ。
されど、今はただ眠れ。
互いを愛し、互いを感じ、ただ2人とも幸せに眠るのだ。
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例の存在が絡むから難しいけれど、前公爵にはヤラカシの影響を知って、虚脱状態になって欲しい。
サリーが今にも御百度参りしそうな気もする静けさも怖いけれど
アリーの存在も謎が多くて。前公爵がエリーナ様排除の為に報告をさせていた、ということなら
葛藤があって然るべきだと思われるので。
マルコ様、お母様を守るために尽くしてきて、お疲れ様。
少しずつでも、本当の家族になれる新たな繋がりが作れますように。
色々と問題を抱えている人ではあるけれど、いま、ひどく孤独に思えてしまって。
感想をいただきありがとうございました!
番外編の話については私の趣味全開で『日常の延長上で愛し合い、しかし、行くところまで行っていない』というギリギリのラインにもどかしさと今後の想像の余地を残してあれやこれやと読者側が妄想に浸れる話にしました。
全体的な話としてはまだまだ回収していない部分の方が多いですが、後半部で出来得る限り、私の書ける限りを尽くしていきたいと思っています。
最後に、これまで感想を多くいただきまして本当にありがとうございました。 すごく、創作の上で励みになりました。
いつ連載を始められるか分かりませんが、上げられるようになった時に後半部もお読みいただけますと幸いです。
更新ありがとうございます。
サリーも平常運転、さらに殿下がご自身の気持ちを改めて伝えて下さって、悲願が叶ったか、と思ったら。
辺境ゆかりで、恐ろしいまでの残虐さを持つダークホース登場と。
「本当のお父様」は、お元気なのでしょうか。ゾワっ。
残り僅かとのことで、喜ばしいと共に、さみしくも感じていますが、引き続き宜しくお願い申し上げます。
感想をいただきありがとうございます。
ヤバい奴には、相応の理由もあるのでしょう。 そこも、多分ものすごく時間はかかると思いますがいつか回収したいなー、と思っています。
数えで本編の残りが片手の指で足る程の話数となりまして、それに伴って出来る限り年内での完走を目指して頑張りますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。
あと本編終了後には一話だけ番外で筆者の好きな萌えシチュしたいだけの控えめなイチャ話を書く予定なので、そちらも楽しみにしていただければと思います。
二人が助かって、想いを伝えあえてよかったです!
過去のエリーナがようやく報われましたね。
後はエピローグのみなんですね。少し寂しいですが、最後まで読ませていただきます。
感想をいただきありがとうございます。
筆者としてもようやくここまで書き切れて、あとはこのお話の完走まで数話と言ったところまで来れて安心しています。
あとほんの数話ですが、今後のために必要な要素を交えつつ頑張って書いていきますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。