公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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辿り至ったこの世界で

悪夢の夜明け

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ずっと昔から、ただひたすらにその言葉が欲しかった。
愛していると、その一言が。
私に対して非情だった家族に、裏切った私の侍女と、そして……私自身でさえ理由など朧気な程にいつの間にか●していた、ジークから。

「なんで……なんで今、そんな…っ!」

確かに、私は彼に愛して欲しかった。
けれど、なんでこんなにも取り返しの付かないどうしようもない状況で、そんな仕様のない事を今になって言うのか。 
なんで、そんな事を理由にこの場に残ってしまったのか。

「今しか言えないと思ったからな。 ……俺はいつも無力で、今だって両足とも満足に動かせもしない。 君の力になりたいとか守りたいなんて言っておきながら、結局は何も出来ない無力者だった」

「そんな……そんな事ありません! だって、あなたは記憶を失くした私を支えて下さった。 人を殺したこんな血塗れの私の手を離さず、傍に居て下さったでしょう!」

「でもそれだけなんだよ、エリーナ嬢。 俺に出来たのは、ただのそれだけなんだ。 守る事なんて出来ていない。 事実、こうして俺達は殺されかけているんだから。 だからせめて、今も俺は逃げる訳にはいかない。 たとえ俺の命に代えてでも君を守らせてほしいと、無力な俺に虚勢くらいは張らせてくれ」

そう言うとジークは動かない両足の代わりに両膝を付いて片手を上体の支えとして、そしてもう片手を広げて先の私がしたように、私を守る盾となるように立ち塞がった。
その姿はボロボロで、土と血に塗れ、肩で息をしているような満身創痍。
『銃』はおろか、棒切れでほんの少し小突いたくらいで折れてしまいそうな程に脆弱な姿ではあるけれど、それでも、まるで不倒の如く彼は立ち塞がっていた。 
きっと、相当の虚勢を張って其処に居るのだろうに。
それは、何故か。
ああ、思考の内に浮かべるだけとは言えど、言葉に表すには結構気恥ずかしくなる内容なのだけれど……それは偏にーーー愛が故に、であるのだろう。
愛する者を、私を守りたいと、ただその一心。
人の身一つで、簡単に肉を貫き血を噴かせる兵器に抗し得る筈もない。 
けれども、ただ、その想いこそがこの不合理と無意味を成立させている。 
命を、意味無く投げ出させようとしている。
自らの死を認め、命を諦めさせている。
……そんな事はやめてほしいと、逃げてほしいと、言いたかった。
でも、感情のままにそう懇願しようとも、きっとジークは聞き入れてなどくれないのだろう。
だって、先の私も同じだったのだから。
私もまた、合理と実利を秤にかけて、理性的かつ合理性に満ちた判断をしていた。 そのつもりであった。
でも、その行いの本質は、私が思っていた理屈によるものとはきっと違う。
私は……ただ、ジークに生きていてほしかったのだ。 
だって、私もまた、同じように彼の事を●しているのだから。
私がこの●を抱いた理由が、たとえどれだけ不純で、どれだけ傲慢で独りよがりなものであろうと、幾度とこの生命のやり直しを繰り返そうと、今やこの想いは本物だ。 
だから彼に死んでほしくなくて、私もまた命を張っていた。
どうせ叶わぬものだからと、ならばせめて●する彼のためにと命を投げ捨て献身し、その心に僅かでもこの存在を刻めたならばとした。
でも、それはジークも同じだった。 少なくとも、命を張る大元の理由は同じ気持ちによるものだった。
●する人に死んでほしくない。 
互いに、それだけを思って命を捧げるのだ。

「……チッ、クソが。 あァ、胸糞悪りィ。 ンな『ままごと』しやがって、そンなん俺に撃たせんなよクソガキどもがァッ!!」

何故か、いつまでも私達を『銃』で殺さない頭領が、苛立たし気にそう吐き捨てる。 
でも頭領の評する『ままごと』とは、まさしくその通りなのかもしれない。 
なんて無様。 なんて愚か。
生命の終わりに瀕して、ようやく●する人の本当の気持ちを知る事が出来ただなんて。 そんなの、あまりにも遅過ぎるだろう。
ジークは死が近くに迫り、きっと私はまた終われない。
そして、新しい私の生命が、新しく迎える世界では、ジークは今のように私の事を愛してなんてくれないのだろう。 今この時、ジークが私を愛してくれているなんて事はきっと、すごい奇跡の産物なのだろうから。
●し合うには時間は無くて、こんな事はもう二度と望めまい。 
やっと叶った願いなのに、欲するべきでなかった望みの具現だというのに……。

「……守ってもらわなくたって、構わないのですよ」

ならば、せめて。
どうせ全て、死すれば消え失せる幻だ。
もとより、求めるべきでないとした願いだ。
この現実が泡沫の夢であるならば、この想いを伝えるくらいは赦されるだろうと、私は彼の隣に並んだ。 
そうして、彼が広げていた手を下げさせて、代わりに私の指と彼の指を絡ませる。

「あなたが私を守ると言うなら、私だってあなたを守りますから」

満身創痍の彼は、言葉を返すのではなく不思議そうに私の顔を見返してくる。 その表情に、ただ「どうして?」と疑問符を貼り付けて。
愛するが故に死んでほしくないのに、なぜと。
それに対して私は、ほんの少しだけ微笑んで、答えた。

「当然でしょう? だってーーー私も、あなたの事を愛していますから」

そう告白して、ほんの少し重ねる程度の、口付けを落とす。
大胆だっただろうかと、してから思った。
まあでも、いいでしょう。 
どうせもうすぐ終わる生命の、もうすぐやり直す世界のほんの些細な出来事だ。
私の記憶以外の全てから抹消される、観測不能な有り得たかもしれない幸福な夢だ。
なら、両想いなのだから、それくらいは。
………さて、夢の時間はこれまで。
望みは叶った。 満足した。
この奇跡の生に、もう思い残す事も無い。
夜の帳が下りるように、生命の落陽を受け入れよう。
眼前には、殺すための道具でもって私達を殺そうとしている悪漢が一人。 
逃げられもせず、私とジークは殺される。
けれど、さっさと殺さずに最後まで私の幸福のひと時を許してくれたのは、意外だった。 
それくらいの良心は、彼にもあったのだろう。
けれど、それはただの慈悲である。 このまま逃してもらおうだなんて、期待はしない。
先までの甘い空気は既に無く、この場を支配するのは獲物を狩る殺意と、直前にまで近付く死の匂いのみ。
それを受け入れる覚悟は、私もジークもとうに出来ている。 
後は、その時が来るのをただ待つのみ。


頭領が『銃』を構える。
その様を見届けると、私は目を閉じて、死を待つ。
夜風の音と、土に混じった血の匂い。 
後は、隣に居るジークの、繋いだ手の感触と体温を感じていた。

今生は、思ったよりも安心して逝けそうね。

そう思いながら、瞼の裏の暗闇の中で、大きな発射音が響くのを聞いた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


先ずは一つ、銃声が響く。
それと同時にエリーナは、己の死を確信した。 
しかし、そこには確かな死の感覚さえありはせず、ただ自覚の伴わない終わりを脳裏に浮かべるだけであった。
なにせ、エリーナにとっての死とは、終わりと同時に始まりでもあるのだ。 
自らの死を迎えると同時に、新たな生命で新たな世界が始まる。 そして、新たな世界で数度目の朝を迎える。
それが、エリーナが経験してきた死の形。
故に、痛みを感じる間も無く即死して、今の自分はあの始まりの朝に回帰しているのだろうかと、そう思っていた。
……けれど、それにしては妙である。
死んで生命をやり直して回帰したにしては、彼女の身体中を苛むチリチリと少しずつ焼けるような痛みは消え去らず、土と血の匂いは未だ鼻腔を刺激し、指を絡めて握るジークの手の温度も感触も全てがそのまま残っているのだ。
どうしたのかと、エリーナは疑問を浮かべる。
しかし、次いで一発、二発、三発と銃声が響くと、そこでようやく自らの状況を確かに認識出来た。 まだ、死んでいないのだと。
そして、銃声の全ては、エリーナ達には届かないままに別の場所を撃ったようであった。
ならば、2人は死んでいない。
エリーナとジークは、共に生きているのだ。
その事を、2人は驚愕と共に顔を合わせて見つめ合いながら、触れ合いながら認識する。 互いに、血が通い、体温のある生きた人間であるのだと。
しかし、頭領は確かにさっき、2人を殺そうと発砲した。
実際に発砲音は響いたし、引き金も弾かれた。
ならば、なぜ? そう思いながら、2人が前方を見やれば、その視線の先には血溜まりに倒れている男の死体があった。
それは、ついさっきまで絶対的優位から2人を射殺しようとした頭領。 その、両手の指が弾けて砕け、エリーナによって刺された腹部の他に、新たに頭部に銃弾三発分の穴が空いた、死体である。
その様に、2人は唖然と頭領だったそれを見やる。
何故かと、突然の状況に疑問を浮かべながら。
助かったのかと、気が抜けながら。
ついでに腰も抜かしながら、ただポカンと互いに顔を合わせていた。
どれくらいそうしていたから定かではないが、やがてその場に馬が地を蹴る音が届き始めた。 それもたかが一頭程度のものではなく、一個小隊クラスの数が、一斉に駆けているくらいの音である。

「王国騎士団……」

ジークがそう呟いた。
アリステルにおいて、王都内部でそれだけの馬を走らせる事の出来る集団はそれくらいのものである故、そう考えたのだろう。 そして、それは事実その通りである。
市井に出たまま行方不明となった王太子ジークと、その庇護下にあるエリーナの捜索に、彼らを含めた四部隊が、一晩中王都内を駆け回っていたのだ。
そうして今、一つ部隊の騎士達が到達した。
未だ、此処は脅威が潜む悪人達の巣窟である廃屋敷の敷地内。 けれど、王国騎士団が現れたならば、もう心配は要らないだろう。
あまりにも遅すぎる参上ではあるけれど、ようやく危機は脱したのだから。
故に、馬達の足音は、2人にとって夜明けを告げる鶏の声とも同義に響いた。
長い長い悪夢の夜が、ようやく明けたのだと。
だから、抜けた腰に加えて緊張の糸まで切れた2人は、唐突に襲ってきた睡魔に抗う間も無く意識を飛ばしてしまうのだった。

ずっと、繋いでいた手の指を絡めたままに。

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