公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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辿り至ったこの世界で

記憶喪失

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エリーナが、目を覚ました。
ジークがその報せを聞いたのは、庭園から帰還して直ぐの事。 
彼自身のエリーナを案じる想いと夢の庭園で起きたアイリーンとの一件もあり、未だ眠るエリーナの様子を見に行こうとした、まさにそのタイミングの事であった。

「あ、丁度いいところに! ジーク様も来てください、お姉様が目を覚まされたんです!」

王城勤めの医官の手を引いて走り、そして、曲がり角でジークとぶつかりそうになったサリーは、ジークと目が合うなりそう言った。 
それは、まさにエリーナの元に向かおうとしていた彼にとって実に良い報せであった。
……もちろん、つい先程まで王族の罪と、その結果生み出してしまった怨嗟のなれ果てと対峙して、そしてその最期を見届けてきたジークとしては多少なりとも思うところはある。 
けれど、ずっと眠り、そしてこのままではいずれ死すると言われていたエリーナの目覚めは、彼の切望していた事であり、それが果たされたのだ。

「おお、それは良かった! 俺も、今からエリーナ嬢の元へ向かおうとしていたところだったんだ」

故に、ジークにとって、夢の庭園での出来事は一つの契機であった。
エリーナを捕えていたものを暴き、そしてその結果彼女を救い出せたのだとすれば、それは非常に喜ばしい事。 
……彼女を喪わずに済んだのだと、強く安堵していた。
けれど、エリーナの快復を喜ぶジークとは裏腹に、対するサリーは喜色とは遠い必死な形相を浮かべている。 それは不吉を表すようで、実際サリーがジークに訴えた事実は良くない事態を告げるものであった。

「でも、様子がおかしいのです。 私の事を初対面だなんて言うのです! それに、長い眠りに落ちる直前までの事をまるで覚えていらっしゃらないご様子で……まるで、記憶喪失にでもなってしまわれたようでした」

物事は、そう易々と好転しない。
なぜならば今、一つの困難を終えてまた一つ、エリーナを取り巻く新たな困難が生まれていたのだから。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「まさかジーク殿下がいらっしゃるとは露とも思わず。 このような格好を晒すなど、御前で申し訳ございません……」

走り去って行ったメイドは、結構早く戻ってきた。 ……礼も作法も、ましてやノックの一つさえも無く、ドアを、蹴破らん勢いで開いて。
挙句、息を切らして膝に手をつき中腰になっている医官だという男性の手を引いて部屋に入ってきたかと思えば、その後ろには更にジーク殿下まで連れていたのだ。
あまりにも突然過ぎる出来事にギョッとして、けれどそれを表に出さないように構える事で、内心では必死であった。

「気にする事はない。 一ヶ月も眠ってて、起きたばかりのところに押し掛けたのは俺の方なんだから」

「はい………その、殿下にお尋ねしたく思うのですが」

「言いたい事は分かる。 だが、今は先にあちらの方を……」

チラと横を見て、何故だかジーク殿下は絶句した。
どうしたのかと思ってそちらを見れば、そこには息を切らしてその場にしゃがみ込んでいる医官の男性の姿。 そしてその傍には、先程全速力で部屋を駆け出していったメイドが平然とした顔で立っている。
……つまり、まあ、ここに来るまでにあのメイドに手を引かれて全力疾走に付き合わされたのでしょう。

「ご、ご機嫌よう、ご令嬢……。 いやあ、ごふっ……少々、お待ち、くだされ……」

「は、はあ。 いえ、まあ何というか……お疲れ様です」

些か反応に困る医官の様子に、とりあえずメイドを睨め付けて飲み物をお出しするよう指示を出す。
医官は出された茶を一息に流し込むと、咽せたのか数度の咳を漏らした。 けれど、少しは乱れた呼吸も落ち着いたようで、額に滲む汗をハンカチで拭きながら、あのメイドとは違って礼節に則った挨拶をした。
普通は、この医官のように礼節に則った態度こそが仕える者として当然だというのに。 本当に破天荒が過ぎるでしょう、あのメイド。
まあ、とりあえずメイドの処遇は後にまわすとして、今は医官より診察を受ける事が最優先である。
……それにしても、一ヶ月も眠っていたとは。
メイドやジーク殿下に言われてもあまり実感は湧かなかったし、なんならとても信じられるような話ではなかったけれど、鏡に映る痩せ細った自らの姿を見れば納得せざるを得なかった。
しかも医官によれば、長期間眠り続けていた詳しい原因は不明であるというのだ。 
見立てでは身体に何らかしらの変調が兆しさえ見られない事から、ストレスによる不調ではないかとの事。 
そして、現状も特に問題は見られないという事から、経過観察という事で診察は終わった。

「それでは、体調面でおかしな事があればまたお呼びください。 ……その、出来ればその際は、あのメイド以外を寄越してください。 なるべく迅速にお伺いいたしますので」

医官は診察を終えると、私の傍に控える件のメイドにまるで恐ろしいものでも見るかのような視線を向けて後退りながら、急いで退室した。
……医官の気持ちは分からないでもない。 
私とて、このメイドから実害を受ければ同じ反応をすると思う。

「それで、ジーク殿下。 結局このメイドは何なのですか? 私にやけに馴れ馴れしかったりお姉様とか呼んだりしてきて。 私はこのメイドの事なんて、まるで知らないのですけれど」

「何を仰いますかお姉様! つい最近まではずっと行動を共にし、食事にお風呂におはようからおやすみまでずっと一緒だった、貴女の妹分のサリーですよ!」

「ごめんなさい、ちょっと1メートルくらい離れてもらえないかしら」

とりあえず彼女が誰かは分かったけれど、サリーと名乗るメイドの自己紹介にだいぶ引いた。 あと、軽く身の危険を感じたので、私自身もベッドの上で身を引いた。
というか彼女、なんだか目がキマっていて怖いのだけれど!
……まあ、それが示すものが、百合方面の劣情でない事を祈るとして。 少なくとも何らかの強い感情が私への態度の発露となっているのだろうけれど、私にそんな想いを向けられるような覚えは一切無い。 
そもそも、サリーという名を聞いてもピンとくるものが何も浮かばない。
メイドの虚言か、それとも私自身が彼女の事を忘れてしまったのか……。
そう考えて、記憶を漁る。 
そしてその中で、ふと思い至った事があった。

「……あの。 ところで、公爵様はいらっしゃらないのかしら? 一応は、娘が王城に世話になっていて、そして目覚めたのだから、様子を見に来るくらいはしてもいいと思うのですけれど」

私は、ユースクリフ公爵令嬢。 
書類上、そして血縁的にも間違いなく、実に不本意だけれど『あの』公爵の娘で間違いない。
公爵邸でならばいざ知らず、公の場である王城でなら、いくら嫌っている娘であろうとも外聞を気にして出張ってきてもおかしくはないだろう。

「……いや。 ユースクリフ公爵は来ないよ」

けれど、返ってきたのは意外な答え。

「あら、そうですのね」

もっとも、私的にはどちらでも……まあ、強いて言うなら来ない方が気が楽なので別に構わない。 あの公爵がどうしようとも、知った事ではないのだし。
けれど先の、公爵の事を尋ねた際のジーク殿下の様子は少々気になった。
私が眠り続けていたという一ヶ月の事にしたって、彼は何かご存知の様子だったし。

「……それでは、ジーク殿下。 そろそろ、教えていただけませんか? この一ヶ月間の事。 そして、私に仰りたいご様子の何事かを」

どうあれ、私は私自身の事を知るべきなのだ。
たとえそれが、どれだけ不穏な雰囲気を感じ取れるものであろうとも。
それは、まるで覚えの無い記憶を呼び起こす事が出来るかもしれない、一つの契機でもあるのだから。






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