97 / 139
花枯れた箱庭の中で
愛の在り方
しおりを挟む
私が、ただの村娘でしかなかった頃、聖霊達に出会うよりもずっと前の事だった。
私は、親姉妹から疎まれて育ってきた……私が生を受けた時、産みの母親を殺したから。
私のお産の時は難産で、母はその末に亡くなってしまったらしい。 だから母を心底愛していたという父と、5つ違いの姉2人は、母を殺した私の事を心の底より憎んでいたのだ。
私など貧しい村で働き手が足らぬからと何とか家に置いてもらえていただけであり、だけど、それも飢饉が起きれば終わりを迎えて、私は口減らしのために棄てられた。
誰だって限られた食物を、憎んでいる娘に分け与えるより、腹を空かせて飢えている自分達が少しでも生き長らえる為に喰らうだろう。
喰らうために切り捨てられたと、ただそれだけの事。 切り捨てられる対象が、私だったというだけの事。
父と姉妹のように家族として想い合う事も無くただ淡々と生きてきただけの私だったから、その事実も、死さえも理屈の上では受け入れられた。
だって、持っていない、知らないものなんて渇望し得なかったのだから。
「み…ず……」
期待なんて露ほども無く、刻々と迫る死を待ち続けるだけだった。
それでも身体は正直で、どれだけ心が己の生を諦めようと生き足掻くために糧を望んで、誰かに届くでも無い望みを口にする。 でも、所詮は一つの小さな声など、誰に届くわけも無く、望みは消える筈だった。
そんな一時。
ふと視線の向いた先に、彼らは居た。
小さな光が無数に漂い、何処へ行くでも無くそこに居た。 それはまるで、私を見下ろしているかのようだった。
朦朧とする意識の中、夢と見紛う光達はそこに在り、そして、私の願いを聞き入れた。
日照りが酷く干ばつの広がった大地に、いつ振りかの雨が降ったのだ。
私はそれを、意識よりも先に口内に滴った雨水で悟り、そしてそれを貪欲に啜った。 空に向けて口を開くだけでは足らず、地の窪みに溜まった水をも飲んだ。
渇きが潤い満たされて、やがて動けるようになった私は帰る事にした。
他に行く先も無く、縋る宛ても無かったから、たとえ血の繋がった家族に憎まれているのだとしても、そうする以外に選択肢など有りはしなかったのだから。
父も2人の姉も、私が帰ると驚いていた。
けれど、それで扱いが変わるわけでも無く。 せいぜい、恵みの雨が降ったおかげで大地が潤ったおかげで飢えは薄れて、また働き手が必要になって捨てられる事は無かったというだけだった。
でも、変わった事もあった。
あの時出会った光達は、以降ずっと私の側に居てくれたのだ。
そして度々、私の願いを聞いてくれたあの時のように、恵みを与えてくれるようになった。 日照りなど嘘であったかのように頻繁に雨は降り、干ばつで痩せていた筈の大地にはいつしか作物が実るようになった。
そんな与えられた恵みに感謝をすれば、光達は嬉しそうに舞い踊り、そこで初めて私は愛される事を知ったのだ。
やがて、村の誰かが私の事を豊穣の巫女だなんて言いだして祀られるようになれば、立場はまた大きく変動する。
小さな家の屋根裏から、村で1番立派な建物の1人部屋に。
ボロの薄布から、上等な布の祭事服に。
祀られ、傅かれ。 そして、光達より与えられる恵みを得るたびに崇められた。
そんな日々を繰り返し、今度はどこかの国の王様に求婚された。 私はそれを受け入れて、王様のお妃様になった。
今度の住まいはお城になって、村にいた頃よりも多くの人に傅かれて、私は、とても幸福だった。
知ったばかりの愛。
それを、こんなにも沢山もらったから。 ずっと空っぽで存在さえ気付かなかった欲求は、どんどん膨らみ満たされて、潤っていったのだ。
かつて、愛を知ったばかりだった頃。
光達に初めての愛をもらって、それはとても心地が良くて、空っぽの心が満たされたようでーーーとても、快感だった。
今だからこそ、ここに告白します。
愛を知ってからの私は、誰からも嫌われぬように言葉を繕い、誰からも愛されるように都合良く偽ってばかりの渇愛の化身になっていたのです。 愛されずに育って、愛を知らずに生きてきた頃には無かったそれを、誰からも向けられるように。
……でも、満足する事だけは出来なかった。
だって、私が本当に愛してほしかったのは、父と姉妹。 そして、私が殺してしまった母親だったのだから。
私が豊穣の巫女だなんて村中で祭り上げられている時も、血の繋がった父と姉妹だけは見向きもしなかった。 王様に求婚された時には、彼らは村を出ていった。
残ったのは生まれ育った小さな家と、亡き母の眠る墓石だけ。
愛してほしかった人達は何処かに去り、故に、芽生えた渇愛は多方面に向かっていった。 誰から愛されようとも構わず、愛される事のみを是とした。
やがて、そんな愛もいつしか消え去った。
富めば人の心は豊かになる。 けれど、それは同時に自意識の増長にも繋がる。
始めは豊穣の巫女だとか神秘の王妃だとか持ち上げられていた私の存在は、少しずつ小さくなっていったのだろう。 最後には、私の元に来るのは護衛騎士と当時は賢者の卵だった彼だけになった。
愛してほしかった人達から愛される望みは絶たれ、今度は代用品にも等しい愛を不特定多数より向けられる事を望んだ。 けれどそれさえいつしか廃れ、消えた。
残ったものは、ただ立派なだけの住まいと飢える事の無い環境だけ。
唯一私を想ってくれる彼はあまり私の元に来れず、護衛騎士達に関してはそれが彼らの仕事であるというだけの事。
渇愛を代用品で埋めようとした末路は、孤独に飼い殺される未来となった。
……どこで間違ってしまったのか。
そう自問しようとも、答えなど浮かばない。
そんな中、王様の命令で私を孕ませるよう命じられた騎士が夜這いに来た。
私を力で抑え込みながら泣いて許しを乞う騎士を、私は抵抗も無く受け入れて、それが私の初めてだった。
渇愛を拗らせ、ただ重ねた肌の感触と身体の内に感じる温もりを感受する一夜。
その果てに、私は子を孕った。
宮医にそう告げられて、暫くの間は浮かれていた。
たとえ王様の謀略であったとしても、この身には新たな命が宿ったのだと。
この子が生まれれば、私はもう独りじゃなくなるのだと、喜んだ。
……でも、その子は流れてしまった。
確かに、この胎の中にいた筈なのに、お腹を撫でれば感じられた我が子の気配は、もうそこには無くなっていた。
「どこで、間違ってしまったの……」
口に出せば、答えは自ずと理解出来た。
授かった命を死なせた者。
……生んでくれた命を、殺した者。
全ては、私の始まりからだった。 間違っていたのは私の存在そのもので、私さえいなければ母も、我が子も、死なずに済んだのだ。
「だったら、私は」
愛されないのも当然だろう。 だって、私はこんなにも罪深い。
なのに渇愛を止められず、死する直前まで唯一私を想ってくれていたかつての思い出に縋り付き、未練たらしく無気力に生きた。
それでも、最期は呆気なく。
1番始めから愛してくれているものがずっと側に居たというのに、愚かしく、心が折れて首を吊った。
ただ、愛されたかった……いいえ、ちょっと違う。
私が愛しいと想う人にこそ、愛されたかった。
そんなよくある渇愛が、今際の際に浮かんだ願望だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「最期の最後まで、本当に私は救いようの無い愚か者だったわ。 ただ愛されたい一心のくせに、愛しいと想う人、だなんて。 求め、与えられるばっかりで、誰かを愛した事なんて一度も無いのにね」
辛辣に、アイリーンは自らをそう評する。
でも、自嘲するその言葉はどこか清々しく、そして一切の憂いさえ感じられない程に穏やかな語り口だった。
「エリーナも、同じだったわ。 生まれた時から愛されなくて、だから愛に飢えていた」
「……そうかもしれません。 彼女は自分の事をあまり話さなかったけど、でもきっと、何かを堪えていたのだと、思います」
ジークの脳裏に浮かぶのは、初めて朝の生徒会室で遭遇した時のエリーナの横顔。
能面のように表情の枯れた顔をしていたというのに、どこか諦観と哀愁の雰囲気を漂わせていた。 まるで、甘い期待の一片でさえもへし折られて、全てを喪くしてしまったように。
それは痛々しく、そして虚しい姿。
……でもジークは、その時見た彼女の横顔が、いつまでも忘れられなかった。
「愛してほしいと望む事を、悪い事だとは思いません。 俺だって、小さな頃は母上と……陛下に構ってほしかった事があります。 でも、俺は王族だから甘えてはならないと躾けられてきて、それでも実の父母が恋しかった。 きっとあの時のエリーナ嬢も、そして貴女も、同じだったのでしょう」
「ええ。 人は寄り合い生きるもの。 独りで生きていくには、この世界は広くて寂し過ぎるから。 でも、きっと私は間違えてしまった。 どうしようもない運命とかじゃなくて、ほんの些細な間違い……人を、正しく愛する事が出来なかった」
仮に愛されずとも、齎される愛を待ち続けて渇望するより、自ら愛を示すべきだった。
人と人とは寄り合い支え合う生き物なれば、愛もまた等しくそうある事は必然である。 『愛される』よりも『愛しあう』事こそが、渇愛に生きた女に必要な要素だったのだ。
故に、アイリーンは間違えた。
死した後になって気付いても時既に遅く、失った命も時間も戻りはしない。 だから後悔ばかりが募り、ここまで引き摺ってきた。
「ジーク君。 貴方に、お願いしたわよね。 全てが終わったら、エリーナの支えになってあげてほしいと」
「はい」
「お願いよ。 あの子を愛してくれとは言わないわ。 でも、私と同じ過ちを繰り返さないように見守っていてあげて。 誰かを愛せるように、エリーナのすぐ傍で」
「はい……俺が必ず、今度こそ、エリーナ嬢を救います。 彼女のために、俺は何も出来なかったから。 だから、絶対に……!」
ジークの答えを聞き届ければ、アイリーンは満足そうに笑みを零した。
エリーナと同じ顔をしているのに、相変わらずその笑顔は似ていない……いいや、きっと違うのだろう。
似ていないのではなく、そのような笑顔を浮かべたエリーナを見た事が無いのだ。
「いつの日か、俺も」
今のアイリーンのような笑顔をエリーナにも。
消えていくアイリーンの姿を見送りながらジークは1人、光の消えゆく庭園の中で、再び決意を固めるのだった。
やがて夢の庭園は、アイリーンの自我が消滅すると同時に、ジーク諸共、完全な暗闇に包まれた。
名を失くした誰かの願望の残骸、その終わり。
それを、空を彷徨う小さな光だけが見届けていて、けれどやっぱり、最後には全てが暗闇の中に消えていったのだった。
私は、親姉妹から疎まれて育ってきた……私が生を受けた時、産みの母親を殺したから。
私のお産の時は難産で、母はその末に亡くなってしまったらしい。 だから母を心底愛していたという父と、5つ違いの姉2人は、母を殺した私の事を心の底より憎んでいたのだ。
私など貧しい村で働き手が足らぬからと何とか家に置いてもらえていただけであり、だけど、それも飢饉が起きれば終わりを迎えて、私は口減らしのために棄てられた。
誰だって限られた食物を、憎んでいる娘に分け与えるより、腹を空かせて飢えている自分達が少しでも生き長らえる為に喰らうだろう。
喰らうために切り捨てられたと、ただそれだけの事。 切り捨てられる対象が、私だったというだけの事。
父と姉妹のように家族として想い合う事も無くただ淡々と生きてきただけの私だったから、その事実も、死さえも理屈の上では受け入れられた。
だって、持っていない、知らないものなんて渇望し得なかったのだから。
「み…ず……」
期待なんて露ほども無く、刻々と迫る死を待ち続けるだけだった。
それでも身体は正直で、どれだけ心が己の生を諦めようと生き足掻くために糧を望んで、誰かに届くでも無い望みを口にする。 でも、所詮は一つの小さな声など、誰に届くわけも無く、望みは消える筈だった。
そんな一時。
ふと視線の向いた先に、彼らは居た。
小さな光が無数に漂い、何処へ行くでも無くそこに居た。 それはまるで、私を見下ろしているかのようだった。
朦朧とする意識の中、夢と見紛う光達はそこに在り、そして、私の願いを聞き入れた。
日照りが酷く干ばつの広がった大地に、いつ振りかの雨が降ったのだ。
私はそれを、意識よりも先に口内に滴った雨水で悟り、そしてそれを貪欲に啜った。 空に向けて口を開くだけでは足らず、地の窪みに溜まった水をも飲んだ。
渇きが潤い満たされて、やがて動けるようになった私は帰る事にした。
他に行く先も無く、縋る宛ても無かったから、たとえ血の繋がった家族に憎まれているのだとしても、そうする以外に選択肢など有りはしなかったのだから。
父も2人の姉も、私が帰ると驚いていた。
けれど、それで扱いが変わるわけでも無く。 せいぜい、恵みの雨が降ったおかげで大地が潤ったおかげで飢えは薄れて、また働き手が必要になって捨てられる事は無かったというだけだった。
でも、変わった事もあった。
あの時出会った光達は、以降ずっと私の側に居てくれたのだ。
そして度々、私の願いを聞いてくれたあの時のように、恵みを与えてくれるようになった。 日照りなど嘘であったかのように頻繁に雨は降り、干ばつで痩せていた筈の大地にはいつしか作物が実るようになった。
そんな与えられた恵みに感謝をすれば、光達は嬉しそうに舞い踊り、そこで初めて私は愛される事を知ったのだ。
やがて、村の誰かが私の事を豊穣の巫女だなんて言いだして祀られるようになれば、立場はまた大きく変動する。
小さな家の屋根裏から、村で1番立派な建物の1人部屋に。
ボロの薄布から、上等な布の祭事服に。
祀られ、傅かれ。 そして、光達より与えられる恵みを得るたびに崇められた。
そんな日々を繰り返し、今度はどこかの国の王様に求婚された。 私はそれを受け入れて、王様のお妃様になった。
今度の住まいはお城になって、村にいた頃よりも多くの人に傅かれて、私は、とても幸福だった。
知ったばかりの愛。
それを、こんなにも沢山もらったから。 ずっと空っぽで存在さえ気付かなかった欲求は、どんどん膨らみ満たされて、潤っていったのだ。
かつて、愛を知ったばかりだった頃。
光達に初めての愛をもらって、それはとても心地が良くて、空っぽの心が満たされたようでーーーとても、快感だった。
今だからこそ、ここに告白します。
愛を知ってからの私は、誰からも嫌われぬように言葉を繕い、誰からも愛されるように都合良く偽ってばかりの渇愛の化身になっていたのです。 愛されずに育って、愛を知らずに生きてきた頃には無かったそれを、誰からも向けられるように。
……でも、満足する事だけは出来なかった。
だって、私が本当に愛してほしかったのは、父と姉妹。 そして、私が殺してしまった母親だったのだから。
私が豊穣の巫女だなんて村中で祭り上げられている時も、血の繋がった父と姉妹だけは見向きもしなかった。 王様に求婚された時には、彼らは村を出ていった。
残ったのは生まれ育った小さな家と、亡き母の眠る墓石だけ。
愛してほしかった人達は何処かに去り、故に、芽生えた渇愛は多方面に向かっていった。 誰から愛されようとも構わず、愛される事のみを是とした。
やがて、そんな愛もいつしか消え去った。
富めば人の心は豊かになる。 けれど、それは同時に自意識の増長にも繋がる。
始めは豊穣の巫女だとか神秘の王妃だとか持ち上げられていた私の存在は、少しずつ小さくなっていったのだろう。 最後には、私の元に来るのは護衛騎士と当時は賢者の卵だった彼だけになった。
愛してほしかった人達から愛される望みは絶たれ、今度は代用品にも等しい愛を不特定多数より向けられる事を望んだ。 けれどそれさえいつしか廃れ、消えた。
残ったものは、ただ立派なだけの住まいと飢える事の無い環境だけ。
唯一私を想ってくれる彼はあまり私の元に来れず、護衛騎士達に関してはそれが彼らの仕事であるというだけの事。
渇愛を代用品で埋めようとした末路は、孤独に飼い殺される未来となった。
……どこで間違ってしまったのか。
そう自問しようとも、答えなど浮かばない。
そんな中、王様の命令で私を孕ませるよう命じられた騎士が夜這いに来た。
私を力で抑え込みながら泣いて許しを乞う騎士を、私は抵抗も無く受け入れて、それが私の初めてだった。
渇愛を拗らせ、ただ重ねた肌の感触と身体の内に感じる温もりを感受する一夜。
その果てに、私は子を孕った。
宮医にそう告げられて、暫くの間は浮かれていた。
たとえ王様の謀略であったとしても、この身には新たな命が宿ったのだと。
この子が生まれれば、私はもう独りじゃなくなるのだと、喜んだ。
……でも、その子は流れてしまった。
確かに、この胎の中にいた筈なのに、お腹を撫でれば感じられた我が子の気配は、もうそこには無くなっていた。
「どこで、間違ってしまったの……」
口に出せば、答えは自ずと理解出来た。
授かった命を死なせた者。
……生んでくれた命を、殺した者。
全ては、私の始まりからだった。 間違っていたのは私の存在そのもので、私さえいなければ母も、我が子も、死なずに済んだのだ。
「だったら、私は」
愛されないのも当然だろう。 だって、私はこんなにも罪深い。
なのに渇愛を止められず、死する直前まで唯一私を想ってくれていたかつての思い出に縋り付き、未練たらしく無気力に生きた。
それでも、最期は呆気なく。
1番始めから愛してくれているものがずっと側に居たというのに、愚かしく、心が折れて首を吊った。
ただ、愛されたかった……いいえ、ちょっと違う。
私が愛しいと想う人にこそ、愛されたかった。
そんなよくある渇愛が、今際の際に浮かんだ願望だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「最期の最後まで、本当に私は救いようの無い愚か者だったわ。 ただ愛されたい一心のくせに、愛しいと想う人、だなんて。 求め、与えられるばっかりで、誰かを愛した事なんて一度も無いのにね」
辛辣に、アイリーンは自らをそう評する。
でも、自嘲するその言葉はどこか清々しく、そして一切の憂いさえ感じられない程に穏やかな語り口だった。
「エリーナも、同じだったわ。 生まれた時から愛されなくて、だから愛に飢えていた」
「……そうかもしれません。 彼女は自分の事をあまり話さなかったけど、でもきっと、何かを堪えていたのだと、思います」
ジークの脳裏に浮かぶのは、初めて朝の生徒会室で遭遇した時のエリーナの横顔。
能面のように表情の枯れた顔をしていたというのに、どこか諦観と哀愁の雰囲気を漂わせていた。 まるで、甘い期待の一片でさえもへし折られて、全てを喪くしてしまったように。
それは痛々しく、そして虚しい姿。
……でもジークは、その時見た彼女の横顔が、いつまでも忘れられなかった。
「愛してほしいと望む事を、悪い事だとは思いません。 俺だって、小さな頃は母上と……陛下に構ってほしかった事があります。 でも、俺は王族だから甘えてはならないと躾けられてきて、それでも実の父母が恋しかった。 きっとあの時のエリーナ嬢も、そして貴女も、同じだったのでしょう」
「ええ。 人は寄り合い生きるもの。 独りで生きていくには、この世界は広くて寂し過ぎるから。 でも、きっと私は間違えてしまった。 どうしようもない運命とかじゃなくて、ほんの些細な間違い……人を、正しく愛する事が出来なかった」
仮に愛されずとも、齎される愛を待ち続けて渇望するより、自ら愛を示すべきだった。
人と人とは寄り合い支え合う生き物なれば、愛もまた等しくそうある事は必然である。 『愛される』よりも『愛しあう』事こそが、渇愛に生きた女に必要な要素だったのだ。
故に、アイリーンは間違えた。
死した後になって気付いても時既に遅く、失った命も時間も戻りはしない。 だから後悔ばかりが募り、ここまで引き摺ってきた。
「ジーク君。 貴方に、お願いしたわよね。 全てが終わったら、エリーナの支えになってあげてほしいと」
「はい」
「お願いよ。 あの子を愛してくれとは言わないわ。 でも、私と同じ過ちを繰り返さないように見守っていてあげて。 誰かを愛せるように、エリーナのすぐ傍で」
「はい……俺が必ず、今度こそ、エリーナ嬢を救います。 彼女のために、俺は何も出来なかったから。 だから、絶対に……!」
ジークの答えを聞き届ければ、アイリーンは満足そうに笑みを零した。
エリーナと同じ顔をしているのに、相変わらずその笑顔は似ていない……いいや、きっと違うのだろう。
似ていないのではなく、そのような笑顔を浮かべたエリーナを見た事が無いのだ。
「いつの日か、俺も」
今のアイリーンのような笑顔をエリーナにも。
消えていくアイリーンの姿を見送りながらジークは1人、光の消えゆく庭園の中で、再び決意を固めるのだった。
やがて夢の庭園は、アイリーンの自我が消滅すると同時に、ジーク諸共、完全な暗闇に包まれた。
名を失くした誰かの願望の残骸、その終わり。
それを、空を彷徨う小さな光だけが見届けていて、けれどやっぱり、最後には全てが暗闇の中に消えていったのだった。
13
お気に入りに追加
525
あなたにおすすめの小説
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷
【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。
私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです
風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。
婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。
そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!?
え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!?
※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。
※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。
※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。
選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ
暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】
5歳の時、母が亡くなった。
原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。
そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。
これからは姉と呼ぶようにと言われた。
そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。
母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。
私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。
たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。
でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。
でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ……
今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。
でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。
私は耐えられなかった。
もうすべてに………
病が治る見込みだってないのに。
なんて滑稽なのだろう。
もういや……
誰からも愛されないのも
誰からも必要とされないのも
治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。
気付けば私は家の外に出ていた。
元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。
特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。
私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。
これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
ある王国の王室の物語
朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。
顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。
それから
「承知しました」とだけ言った。
ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。
それからバウンドケーキに手を伸ばした。
カクヨムで公開したものに手を入れたものです。
殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね
さこの
恋愛
恋がしたい。
ウィルフレッド殿下が言った…
それではどうぞ、美しい恋をしてください。
婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました!
話の視点が回毎に変わることがあります。
緩い設定です。二十話程です。
本編+番外編の別視点
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる