公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

文字の大きさ
上 下
94 / 139
花枯れた箱庭の中で

懐古の憧憬

しおりを挟む
見飽きた光景。
目の前に広がる庭園など、そう称する他に何を言えたものか。 王妃様には申し訳ないが、長く不変の光景に感じ入るものなど、いったい何があろうものか。
そも、この庭園など所詮は贋作に過ぎず、評するに値しない自己満足でしかなく、瞼の裏に浮かぶ光景に及ぶべくもない。
眼を閉じれば、今だってはっきりと思い浮かぶ記憶。
かつて在った王妃様の美しき庭園は、移り変わる季節にその表情を変え、小さき命の変遷に満ちていた。 
芽吹き、咲き、枯れ、朽ち、巡る。
命とは、そうあるもの。 
故に、かの庭園は世界の縮図のようであると王妃様に話せば、彼女は笑って……何かを、言ったのだった。
それは、何であったか……ああ、また忘れてしまった。
もう、どれだけ忘れただろう。 あと、どれだけ彼女との思い出が残っているだろう。 
些細な出来事はとうに思い出せず、彼女の声は記憶の内にさえ残っていない。 
未だ残る記憶は彼女と見た光景と、些細な出来事に微笑む彼女の姿くらいのもの。
それは、出来事から切り取られたほんの一瞬、脳裏に焼き付いた笑みであった筈だ。 それはいったい、いつの事だったか……。
ああ、そうだった。 
思えば、あの日も今の庭園の空模様と同じ天気だった気がする。
確か彼女は宮の中で、誰かが泣いているかのようにシトシトと降り始めた雨空を眺めていたのだった。
雲は薄くて、陽光が透けていて、それはほんの些細な通り雨程度のもの。 
すぐに過ぎ去り、泣き止んだかのように雨は止み、辺り一面を濡らすくらいの雨でしかなかった。 
けれど雲は隙を生まず、直接の陽光だけは庭園を照らし出しはしない。
晴れの日よりは薄暗く、陽光の照る下よりも肌寒い中、それでも、彼女は宮を出ると散歩を始めた。 
その表情は柔らかな笑みも、弾むような無邪気さも無い無表情。 
ただ淡々と歩き、時に立ち止まっては花壇の花に視線を落とす。 それを繰り返して、吐息を一つ漏らしては、また歩く。
そして……そして、その後はどうだったか。
また一つ、思い出を忘れている事に気付いて、記憶の中の彼女と同じく吐息を漏らす。 
思い出を忘れていた事に気付けば、連鎖的にあれはどうかこれはどうかと記憶を探り、しかしその全て、消えてはいないにせよ燻んで色の抜け落ちた写真の如く劣化していた。
そのまま完全に朽ちる時も、きっと近いのだろう。
その事実に、願望はより大きく膨れ上がる。
あぁ……せめて、せめて一目でもいい。
もう一度会いたい。 全てを忘れていつまでも罪を重ね続けるだけの遺物と化すその前に、これまでの罪と犠牲の全てが無駄に終わってしまわないように。
会って、いつかの日に見た筈のあの笑顔を、もう一度だけでも、この目で……。

「うぅ、ああぁぁ……」

日がな、そう願い、祈っていた。
けれど願いは届かぬままに、気付けば数百年。 
それは、いくら嘆き啜り泣こうとも、覆る事の無い現実。 救いも、報いさえも無い、そんな探求の果てであった。
それこそが、かつては賢者とまで呼ばれた男の無様な末路………。

「……泣いているの?」

ーーー漏れ出た嗚咽が、ヒュッと止まった。
その声は、聴き慣れぬもの。
けれども、発せられたその言葉の雰囲気は、よく知るものであった。
背後から足音が近付いて、やがて白い服を着た銀髪の誰かが私を追い抜いて、前方にまわる。 
その誰かは、庭師として居る生贄の少女の姿をしている。 けれども顔を合わせ、その眼を見れば、目の前に立つのが庭師の少女本人でない事は感じ取れた。
それに、この懐かしい気配は……。

「お久し振り。 そういえば貴方と最後に会った日も、こんな曇り空の日だったわね」

ああ、ああ……!
姿形は違えども、そこにいるのは間違いなく、長き探求と願いの果てより、そのずっと先までも私達が待ち望んだ人に相違無かった。
王妃様がーーーアイリーン様が、ようやく私達の元に帰ってきたのだ……!


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


彼は私の手を取り、声無く咽び泣く。
その嗚咽は嗄れていて、握る手は細くて皺くちゃで、彼が生きてきた途方もなく長い年月を如実に感じさせた。 
彼はすごく、変わってしまっていた。
だってアイリーンとしての記憶に残る彼は、普段から固い表情ではあったが、それでも、その心根の如き優しさの滲む柔らかな貌の青年だったのだから。
……年月にして、どれだけの時間であろうか。 
老いた彼の姿は、とうに過ぎ去った時を残酷なまでに示していた。
在りしあの日はとうに遠き昔、今となっては記憶の中にしか存在せず、あの頃になど戻れはしない。 無慈悲にも時は進み続けて先を行き、やがて全ては終わりを迎える。
彼は命の在り方から逸脱する事無く年老いて、けれども命の果てを超えて今の今まで在り続けた。
私は、歪な形で命を渡り歩いてきた。 今のこの身の姿は私自身のものに非ず、故に生者に寄生して此処に在る。
それはどちらも、正しい在り方ではない。
私達は、もうとっくの昔に終わっている、過去の存在なのだ。

「少し、お散歩しましょう。 大丈夫よ、私が車椅子を押すから、お話でもしながらゆっくり歩きましょうか」

けれど、私達が今此処に在る事もまた事実。
たとえ、キコキコと鳴る車椅子を押しながら、昔とは2人ともすっかり変わってしまっていたとしても。 今だけは、隣あって共に庭園を歩いたあの頃のように。
彼の未練は懐古の情。
それさえ満たされず消える事なんて出来ない程に、強い想いを抱いたままで今まで在り続けてきたのだろうから。
だから今は、こうして昔を懐かしむ。
ここまで続いてしまった不当な命を終わらせるために。
今この時だけでも、懐かしきあの頃を求めて。
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです

風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。 婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。 そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!? え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!? ※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。 ※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ

暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】 5歳の時、母が亡くなった。 原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。 そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。 これからは姉と呼ぶようにと言われた。 そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。 母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。 私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。 たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。 でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。 でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ…… 今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。 でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。 私は耐えられなかった。 もうすべてに……… 病が治る見込みだってないのに。 なんて滑稽なのだろう。 もういや…… 誰からも愛されないのも 誰からも必要とされないのも 治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。 気付けば私は家の外に出ていた。 元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。 特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。 私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。 これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

処理中です...