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花枯れた箱庭の中で
終わるべき命
しおりを挟む「初代王妃陛下……?」
よく見知った顔で他人行儀にジークの事を「お客様」と呼ぶ目の前の女性は、確かに自らの事を「アイリーン」と名乗った。
それは、かつて愚王によって喪われた神秘の王妃の名前。
王家の原罪、その被害者である。
「貴女、様が……? いやでも! 貴女は……その姿は」
困惑のまま、ジークは疑問を吐露する。
もっとも、無理もない。
なにせジークの前に立つ女性の外見は、彼が救おうと足掻き、求め、そして遂に再会叶ったと思われたエリーナそのもの。
だというのに、彼女は自らを数百年も昔に死した神秘の王妃その人と名乗る。
そんな理解不能の事態、困惑して当然だ。
「本当に、ごめんなさい……」
エリーナの姿をしたアイリーンは、ジークの様子に、申し訳なく眉根を寄せた。
「エリーナは、今は居ないの。 ……深い、眠りに落ちてしまったから……ささ、いらっしゃって、お客様。 おもてなし、と言ってもお茶もお菓子もお出しできないけれど、貴方にお話出来る事ならありますから」
そうしてアイリーンはジークを手招き誘い、煉瓦造りの花壇にハンカチを敷くと、そこに腰掛けた。 ジークもまた、未だ拭えぬ困惑を抱えながらも彼女に倣って向かいの花壇に座る。
そうして花壇と花壇を通路で隔て、2人は向き合うと、先に口を開いたのはアイリーンであった。
「貴方はジーク君、というのでしょう? アリステルの、王族の」
「はい……しかし、なぜ俺の事を?」
「エリーナが気に掛けていた子だもの。 それに、私個人としても昔お世話になった一族の裔だから」
「お世話……」
言われて、ジークの胸中には苦い思いが広がった。
それは彼がアイリーンの言葉を、アリステル王家の罪の弾劾であると捉えたから。 自らが咎められて然るべき罪人の一族であると、そう皮肉られているのだと。
事実、アリステル王家の血族は、今世に至るまで呪われ続けてきた。
そして、目の前の女性はその被害者。
恨み言の一つ二つは当然であると、覚悟した。
「勘違いしないでね? 私は別に、貴方達王族を恨んでなんていません」
そんなジークの心中を察してか、アイリーンは彼に笑いかける。
その笑顔には、ほんの少しの陰がさしていたけれど、それでも、彼女にジークへの敵意や怨恨の感情が無い事は窺えた。
「確かに、あの王様がした事はやり過ぎだったわ。 私を飼い殺して放置するくらいなら私が我慢すればいいだけだけれど、多くの女性に手を出して、挙句、抱きたくないからと何の関係も無い騎士に私を襲わせるだなんて。 ……あの騎士には愛する家族がいたというのに、そんな不貞を犯す事になるなんて、さぞかし辛かったでしょうに」
「申しわけ、ありません……」
「いいえ、貴方が謝る事なんてありません。 だって、悪い事をしたのは貴方じゃなくて、私を娶ったあの王様なのですから。 いくら王様の裔でも、その責を問われる謂れは無いでしょう」
「……王妃陛下は、本当に我ら王族を恨んでいないのですね。 ですが、なぜですか?」
戒めとして、王族の長子として習ってきた話に聞くだけでも、初代アリステル国王の行為は非道に過ぎる。 アイリーンを利用し、貶めて飼い殺そうとしたその所業は、ジークとて、とても擁護など出来はしないものばかり。
ならば、その直接の被害者である彼女は、相応の憎しみを、怒りを覚えていても何ら不思議は無い筈である。
けれど、そんなジークの問いに対して、アイリーンはあっけらかんと答えた。
「ええ、さっきも言ったけど、恨みなんてこれっぽっちも無いわ。 だって、私が怒るとしたら、私に酷い事をした本人である王様に怒るべきだもの。 いくら血の繋がりがある親族相手にだって、直接の関係が無いのに怒ったりしたら、それはただの八つ当たりよ」
至極当然の事、とアイリーンは主張した。
その言葉は実際、道理である。
罪を犯した本人が裁けぬからと身代わりに別の誰かを罰するなど、それはあまりにも理不尽な事だろう。
「でも、そう思えない人だっている。 やり所の無い理不尽な怒りを振り撒いて、関係の無い誰かを傷付けてしまう事だってあるの……それが、この庭園が未だに存在する理由なのでしょう。 私のために怒り、そして再会を願ってくれたあの人達の、想いの結晶なのよ」
本来、叶う筈も無い願いが強烈な未練と怨嗟でもって形作られた箱庭。 いつか願った者が此処に帰るようにと、再会叶うようにと祈る捨てきれない願望と、色褪せながらも記憶に残る微かな思い出の具現。
それこそがこの庭園の正体だと、アイリーンは語る。
ジークも、強い怨嗟と後悔に塗れてその想いを今世にまで残し続ける存在を知っているからこそ、長年王族を呪い続けてきたものの正体を聞けば、成る程と合点が入った。
同時に彼は忸怩たる思いに駆られたものの、対するアイリーンは口元を歪めて首を横に振る。
「けれど、彼らがどれだけ私の事を想ってくれていたとしてもね、私も、あの人だってきっともう死んだ身なのよ。 死者の未練や怨恨で、現実を歪めてはいけないわ。 だから、この庭園の全てを、終わらせてしまわなくてはいけないの」
それは、彼女自身の戒めの言葉でもあった。
意図的でなくとも、その思いに反していようとも、結果としてアイリーンは多くの命を呪い、運命を歪めてきた。
それらは全て元に戻る事は無く、過ぎ去ってしまった、今となっては過去のもの。
取り返しのつかない過ちだった。
だからこそ、今を生きるエリーナを救える術があるのならば、そして、もはや呪いも同然となっている未練を祓えるならば、力を尽くして全てを終わらせたい。 それこそが、アイリーンの意志であった。
「貴方にも、協力してほしいの。 私達の末路と、その結末を見送って。 そして私が消えた後、どうか、この深い眠りから目覚めるエリーナを支えてあげてほしい」
アイリーンは、既に死した過去の人。
そして、死者が生者に出来る事などありはしない。
遺志となった未練を祓う事も、死者の魂を弔う事も、全ては生者の為すべきが理であるからこそ、アイリーンは弔い人を待っていた。
それこそがジークであり、長く続いた因果に決着をつけるべき者。
ジークとしても、望む事であった。
これまで幾人もが犠牲となった王家の呪いを祓い、そして今また呪いによって命を奪われようとしていたエリーナを救う事が出来るのだ。
元より彼は、エリーナを救うために探究し、その果てにこの庭園まで辿り着いた。
ならば、アイリーンの申し出への返答は『是』より他にありはしない。
「分かりました……力の限りを尽くします。 王妃陛下の望みと、エリーナ嬢を救うために、俺が出来る事ならば何でもします」
見出した活路に、ジークは意気込み、覚悟と共に思いの丈を語る。
その姿に、アイリーンはホッと息を吐き、胸を撫で下ろした。
「……ありがとう。 これで、やっと終わらせる事が出来るわ。 長く続いた苦しみと悲しみを、ようやく……」
孤独の悲しみから始まって、これまで悠久の如き時を在ってきたアイリーン。
その憂いも、人にとってはあまりに長くて歪な命も、やっと終わらせられる。
……やっと、終わる。
その喜びにアイリーンは、エリーナと同じ顔だけど、それでもまるで似ていない笑顔を浮かべるのだった。
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