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花枯れた箱庭の中で
死を祝い
しおりを挟む空は高く、雲は遠く、ただ独りここに在る私が手を伸ばそうとも届かなくて、ただ流れ行く光景を眺める事しか出来はしない。
今も、昔も、鳥籠の如き場所から自由を羨み、ただ待ち続ける他ないのだ。
「……むかし?」
庭園で1番大きな木に背を預けて空を眺めていた私は、ふと生じた感慨深く懐かしい想いに、首を傾げた。
こうして、今のように空を見上げるのはいつぶりだったか。
そもそも、そのような経験などあったのか。
幼少のみぎりより、母からは玩具にされ、父から見放されないようにと貴族令嬢に相応しい教育にばかり没頭していた。 そんな私は外で遊ぶ事もあまり無くて、いつだって下ばかり向いていた筈なのに。
それに「待ち続ける」だなんて、私はいったい誰を待っているというのだろう。
「おうじさま……?」
少し考えて浮かんだ単語を口にすれば、脳裏には朧げな誰かの姿が浮かび上がる。
誰なのかは窺えず、けれど知らぬ者ではない。
きっと私にとって大事な誰かの筈なのに、誰であったか思い出せない。
むかしむかし、誰かの存在を心待ちにしていた事があった気がする。 会えるその時を待ち侘びて、まだかまだかと日々を過ごしていた。
ずっと独りで寂しくて、共に居てくれる人が欲しくて。 ただ、愛されたくて。
愛が欲しくて望み続け、愛されたくて縋り付いた。
それだけ望んだ誰かだった……気がする。
でも、それではいけないと、私の心が警鐘を鳴らす。 だって、そうして愛を望んだ末路だけは、未だにはっきりと覚えているのだから。
「誰か、来てくれないかしら」
でも、寂しいものは寂しいし、こうして独りぼっちでいる事は、酷く辛くて空虚なもの。
望む事さえ罪であると取り上げられてしまっては、長い長い孤独の時間を過ごす中で希望さえも枯れてしまうだろう。
だから、まるで幼児のように誰か居ないかと求める。
でも誰かとは、誰の事?
囚われている私に、救いの手を差し伸べてくれる事を期待する誰かさえ、今となっては忘れてしまった。 そもそも、元よりそのような存在が居たのかさえも分からない。
「だれか………」
日がな、務めを果たし終えた後には、今のようにぼーっと空を眺める事が多くなったのもそのせいだ。
以前までなら宮の本を漁って人の痕跡でさえ求めていたのに、現実との齟齬を自覚してからはひたすら虚しくなってしまって、代わりに何かをしようという気力さえも削げ落ちた。
無気力ばかりが胸の内に広がって、いつか来る庭師としての終わりの時、お役御免となるその時までずっとこのままなのかと思うと気持ちが沈んだ。
こんな苦行が、あとどれだけ続くのだろう。
そう思い至ってしまえば、心の最後の一線は簡単に決壊してしまった。
「しにたい」
言ってみれば、視界はぐにゃりと歪んでいく。
意識が揺らぐ気配があって、少しずつ自分が消えていく感覚に陥る。
いつか感じた事のあるその感覚は、初めて死んだ時、牢獄での孤独な凍死によく似ていた。 じわじわと、死に近づいていく感覚だ。
寒さに凍え、後悔に塗れ、知らぬ間に命を手放していたと思う。 その時にはまだ、死に方さえも望んでいたような気がする。
生まれ変われたならば家族を作り、家族に見送られながら、温かなベッドの上で満たされたまま逝きたいだなんて。
かつての私は、実に、高望みが過ぎる贅沢を言うものだと、自嘲混じりに吐き捨てる。
だって今の私は、ただ死ねるならそれだけで充分だ。
加えて、この庭園は凍え死んだあの牢獄よりも温かな場所。 その差異だけでも、あの時よりも恵まれている。
何より、死に瀕して尚、次の命を授かってまで自らの死の形を願うだなんて正気の沙汰ではない。
死は一度でいい。 一度であっても苦痛に違いなく、四度も繰り返せば心は壊れる。
本来、生き物は死ねば終わるもの。
死が想定された精神構造などしていないのだから、自らの死を迎えて、その上で生き続けるだなんて矛盾した現実を、精神の脆い人間なんかに受け止めきれる筈が無いのだ。
事実、私は未だに死を恐れながらも死を待ち侘びている。 それは、人が迎えるべき、正しい死の形だ。
死せば終わりと、それだけを望んでいる。
「こんどは、どうかしら……ね」
意識が溶けていく。
眠りにも似た感覚が精神と肉体を支配して、心は虚空を揺蕩っている。
私という個は不定となり、私は私でなくなる。
ただただ、消えていく。
抗いようのない終わりが近付いて、けれど抗う気力も無ければその意味も無く、ただ成り行きを静観する。
薄れ行く自我と意識の中で、今度こそと、そう願う。 今度こそ、●●●●という存在を終わらせてほしい。
……ああ、やはり死はいつだって、目前に迫れば薄気味悪く、そして恐ろしい。
だから、どうか早く過ぎ去ってくれ。
そして、今度こそ。
どうか願わくば、今度こそこの死を、私の最期に……。
そうして私は、心穏やかに、五度目の死を迎えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ああ、今ようやく、あの娘が事切れたか。
本当に、あれは最期の時まで憐れな娘だった。
苦なる運命を背負わされ、重荷を抱えてこの場所にまで導かれた。 死せども迷えども、必ずこの庭園まで辿り着くようにと、命さえも呪われて。
死さえも許されず、やがて導かれ至る場所に娘の救いは無い。
一切の救いが与えられなかった娘が歩んできた道が生半可なものでない事は、我らとて理解している。
ましてや、不変である我らと違って移ろうものである人間には心底苦しかったことであろう。
けれど、あの娘が苦しむ事はもう無い。
娘は死に、我らが悲願はここに成就される。
数百年もの時の果て、ようやくここに再会叶うのだ。
娘よ、お前のおかげだ。
我ら一同、心より、お前の犠牲に感謝しよう。
あの日、我らが愛を喪った時。
我らは、再会の願いを未来に託した。
それを今この時に届けて、その身に宿して芽生えさせる苗床となってくれて、本当にありがとう。
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