公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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花枯れた箱庭の中で

アルマの日記

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「呪具、ですか?」

聞き慣れぬ、まるで御伽噺の中に出てきそうな呼び名の品を目の前に出されて、ジークは困惑を隠せずにいた。
もっとも、まともな精神性の人間が、真面目な話の中でそのように巫山戯た品を出されてはそうなる事も致し方ない事。 信じる方が、どうかしているのだから。
けれども、事は呪いや神秘、不可思議な現象を示す言葉ばかりが並ぶ歴史の闇。
胡散臭くとも、秘匿を暴くには縋る他に無い。

「そうとも。 聖霊の祝福を受け、今の時代まで何百年と朽ちぬままに存在し続ける、開祖アルマの怨嗟の声だ」

机の上に投げ出された遺物、『アルマの日記』とは、ベネディック一族が開祖アルマより連綿と受け継いできた一冊の手帳の事。
ベイリン曰く、写本なども一度として行われておらず、数百年も前から朽ちず、劣化せず、そして正真正銘アルマ本人から受け継がれてきた遺物であるという。
先の彼の豹変ぶりも、この日記のせいであるとベイリンは語った。
日記に触れ、怨嗟の声を聞き、その悍ましいまでの執念と怒りの感情に呑まれれば、伝播した感情はベネディックの血に感応して同調意識を生むと言う。
早い話、開祖アルマと同じようにアリステル王家を恨むようになる呪いに囚われるのだ。

「開祖アルマの怨恨の根は、その手帳を読めば分かる。 もっとも、王族の君にとっては耳の痛くなる話だろうが」

「いいえ。 俺には、エリーナ嬢を救うために全てを知る必要がある。 ならば、この日記の内容だって知るべき事でしょう。 ……ですがいいのですか? 我ら王族を恨むアルマ様の日記を、王族である俺に見せてしまって」

「構わないとも。 君の想いはさっきのでよく伝わってきたし、私はベネディック一族である以前に教師だ。 ならば、生徒に教えを請われれば、導いてやるのが道理だろう。 ……それにな、君がベネディックの呪いを解いてくれるのなら、私とて喜ばしい事なのだよ。 何かを永く恨み続けるというのは、人間にはしんどい事なのさ」

そう、ベイリンは力無く笑って、言った。
そして、ベイリンは日記をジークに預けると、学長室を去っていく。

「王族である君がその手帳を手にしている事自体が、開祖アルマの逆鱗に触れる行いのようでね。 ……なんとか堪えてはいるんだが、正直な所、それが不快で堪らない。 すぐにでも取り返してしまいたい程さ。 だから、お邪魔にならないよう退散させてもらうよ」

そう言い残してベイリンは去り、残されたジークは茶を一口啜ってから、日記を開いた。


◆  ◆  ◆  ◆


始まりは、ほんの些細な事だった。
騎士爵を叙任した父が王城へと召し上げられ、警備の任を拝命した。
一代限りとはいえただの平民が王城、それも、かのアリステル繁栄の基盤たる神秘を持つ王妃様の宮を警備する仕事に就けるなど、これほど誉れ高い事はない。
当時は姓すら持たなかった私達一家は、ただ父の出世を喜び、祝った。
母がとびきりのご馳走を作って、私と妹で父に祝いの手紙を送った。
些細で、どこにでも転がっているような、小さな幸福の時。
そんなものが、私達一家の最後の幸福だった。
 

時が経つにつれ、次第にアリステルは発展し、私達は平穏を謳歌していた。
けれど、父は騎士の仕事が忙しいのか家に帰ってくる事が少なくなり、たまに帰ってきても、どこか窶れた顔で小さく笑うばかり。
団欒の時は一切無く、食事を済ませては一日中眠り、起きれば次の日には仕事に出ていった。
そんなにも騎士の仕事が忙しいのかと、私達は父を心底心配し、何か出来る事はないかと考えた。
疲れている父に無理をさせるわけにはいかないから、ほんの些細な事だけれど、栄養価の高い料理を作ったり、父の寝具を常に清潔に整えたり、父の帰宅に合わせて浴槽の湯が冷めないように火を焚き続けたりした。
他にも思い付く度、手を変え品を変え、父を元気付けるために手を尽くした。
けれど、どれも上手くいかず、父は力無く笑うばかりだった。
そんなある日の夜中、父が顔を青褪めさせて帰ってきた。
母がいくら声を掛けようと、私が呼び止めようと、父は一切を聞き入れないままに部屋へと篭ってしまった。
父の部屋の扉越しからは、嗚咽と懺悔の声だけが聞こえてきた。
いったい、父に何があったと言うのか。
尋ねようとも父は答えず、ならば私達に出来る事は父を支える事だけ。
明日、父と話をしよう、落ち着くまで待とう。
そうして、私達は眠った。
 

朝陽が登って目が覚めて、朝食を作る。
朝市で新鮮な卵を買ってきて、父の好物のスクランブルエッグと厚めのベーコンをたくさん焼いて、父の目覚めを待つ。
けれど、いつまでも父は起きてこなくて、待ちきれなくて妹と共に起こしに行く。
ノックをしても反応は無く、扉を引けば鍵は掛かっていなかった。
父の部屋に入れば、カーテンは閉じられていて薄暗く、昨日のお昼に掃除をした筈の部屋からは、何か鼻を突く匂いがした。
私は、とりあえず換気をしようと窓辺に寄り、カーテンを開けて、次に窓を開けようとしたその時、妹の悲鳴が響いた。
何事かと振り向けば、窓からの光に照らされた部屋の隅、父はそこに居た。
壁に力無くもたれかかり、だらんと垂れた手には赤黒く染まったナイフが握り込まれ、首元も同じように赤黒く濡れていた。
身じろぎの一つも無く、目は虚。
父は、死んでいた。
浅くなる呼吸と震える手足、歪み狭まる視界の中で、滂沱の涙を流して泣き叫ぶ妹を抱き寄せて、私は唇を噛み締めた。


父の死因は、自殺であった。
手にしたナイフで、自らの首元を裂いたのだ。
父の葬儀を終えて、城勤めの騎士であった父の収入が無くなった私達は、時勢も相まって見窄らしく落ちぶれていった。
神秘の王妃様が亡くなり、アリステルより豊穣が失せた。 そのせいで税が重くなり、稼ぎの無い私達はすぐに首が回らなくなった。
母も私も働きに出て、幼い妹を育てながら細々と暮らしていた。
生活は貧しく、父の死を悼む余裕も無い。
家は裕福な平民街の一軒家から、貧民の暮らす平民街の小屋へ。
日々を食うにも困り、税が重くて働けども働けども生活は楽にならない。
どんどん税は重くなり、飢える者や略奪者が現れ始めて、モラルは低下していく。 人を攫い、売り、日銭を稼ぐ者まで現れて、失踪者が増えていく。 
そして、私の妹も、そんな被害者の一人となった。
妹はある日を境に家に帰ってこなくなり、いくら探せども見つからない。 
母は泣き、私は最後まで妹を探し続けた。
……やがて幾日かの後、路地裏にて、変わり果てた妹を見つけた。
身体中の痣と、毟られて一部禿げた頭皮に、服は剥がれて、暴行の跡が見て取れた。
私はボロボロの妹を、父の遺体を発見した時と同じように抱き寄せて、でも、今度は堪え切れずに、大泣きした。


妹の葬儀をしようにもお金が無くて、だから、遺体を燃やしてその灰を壺に納めた。
父の自殺と妹の凄惨な死に母が精神を病んで、働き手が減って、生活はさらに苦しくなっていく。
日銭を稼ぐ日々を繰り返し、何も食べられない日もあった。 
それでも働いて、でも飢えた。
飢えて、飢えて、飢えて、働いて、働いて、働いて、税は重くて、生活は苦しくて、いつ死んでもおかしくなかった。
だから、次は母が死んだ。
3日ぶりにパンが買えたから、急いで帰って、母と食べようと思っていた。
そして帰ってみれば、母は宙に浮いていた。
ぶらり、ぶらりと。


一人になった。
家には私と、灰になった母と妹の入った壺。
もう、どうでもよかった。
生きている意味も無くなった。
死ねばいいのかな、死ねば楽になれるのかな。
死ねば、家族に会えるのかな………。
どうして、こんなになってしまったんだろうと考える。 
父が自殺したから、父が騎士になったから、父が王城に勤めるようになったから、王城に勤め始めてから父がおかしくなっていったから。
だれのせいで、だれのせいで………。

それは、アリステル王家のせいさ。

私の疑問に答える声があった。
それは、聞いたことのある声。 
その声は、続けてこう言った。
愚なる王家への復讐のため、君の力を貸しておくれ。
手を差し伸べられて、私は、師の手を取った。


師は、私達一家がまだ騎士爵にあって裕福だった頃に、私を才ある者として目を掛けて下さった、アリステルの賢者様だ。
師曰く、アリステルの豊穣が失せたのは神秘の王妃様が亡くなったからで、その原因は王家にあり、私の父は愚王の謀略に利用されたというのだ。
愚王は色情魔で、多くの女を侍らせている。
しかし、好みではなかったという理由だけで、アリステルの発展に大きく貢献している王妃様を蔑ろにし、そのくせ、王妃様の神秘を受け継いだ子を欲しがったという。
そこで愚王は、自らが王妃様と閨を共にするのではなく、他の男の種で孕ませ、神秘を宿した子を産ませ、その子供を永遠に飼い殺そうと画策した。
王妃様が不貞を働いて、他所の男の子供を身籠れば、王妃様に情をかける必要もなくなると、宮の警備に当たっている騎士に王妃様を襲わせたのだ。
王妃様を襲う警備の騎士、というのが私の父だった。 家族がどうなってもいいのかと愚王に脅され、仕方なくの事であったという。
師に時期を問えば、それは丁度、父の様子がおかしくなり始めた頃の事であった。
王妃が孕むまで繰り返せ、逆らえば家族を極刑に処すことも出来るのだぞと脅されれば、一介の騎士でしかない父に逆らえる筈もない。
やがて、王妃様は父の子を孕んだ。
けれど、その子は流れて、心を病んだ王妃様は自殺をなさった。 
私の母と同じように、首を吊っての自殺だったという。


あの時の父の様子と、自殺の原因に、ようやく合点がいった。
父は、母を愛していた。 
夫婦として、愛し合っていたのだ。
だからこそ、母を裏切るような行いと、騎士の道に外れた外道の行いに顔向けが出来なかったのだろう。  
そして、自らのせいで王妃様が自殺したと気に病んで、私達に合わせる顔も無くなって、全てを命をもって償ったのだ。
私は、愚なるアリステルの王を、心の底から呪った。
くだらない怠惰と情欲のせいで、私の家族は死んでいった。
到底、赦せる筈も無い。
師の計画に手を貸そう。 
そして、奴らアリステルを永遠に呪ってやる。
どれだけの年月、どれだけの犠牲を払おうと、必ずやアリステルに報いを受けさせてやる。


◆  ◆  ◆  ◆


それは、日記というよりも、アルマ自身の記憶のようであった。
まるで感情が流れ込んでくるかの如く、日記の一節一節を読む度に、ジークの脳裏には書かれた事象が鮮やかに映し出された。
その内容は、彼が幽閉棟で知ったそれよりも余程酷く、そして罪深いものであった。 呪われても仕方がないし、王家を永遠に赦せないのも納得がいく。
本来の目的も忘れ、より明確に記された王家の罪に打ち拉がれていた。

「赦してくれ……どうか、どうか………」

『アルマの日記』は、心を蝕む呪具。
暗く深い怨恨と、アリステルを呪うアルマの遺志は、自らの血筋でさえ呪うもの。
なれば、怨恨の対象など、より悍ましい呪いで呑み込むのだ。
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