公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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花枯れた箱庭の中で

王族の罪

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薄暗い部屋の中、ジークとディーレリアは書を読み進める。
沈黙の中に項を捲る音だけが部屋中に響いて暫く、今度はジークがディーレリアに声を掛けた。

「陛下………いえ、父上」

「なんだ、何か話でもあるのか。 それに、お前が私をそう呼ぶのは珍しいが」

「公務とは関係の無い話ですから」

互いに、手に持つ書から顔を上げる事も無いまま言葉を交わす。
それは公務の関わらない時のこの父子間ではよく見られる光景であった。 けれど別に、互いに興味が無いわけではない。
声を掛ければ返事があり、そのまま言葉を紡げば会話くらいは生まれる。 
ただ、互いに視線は他所を向き、決して交わる事が無いというだけの事だ。

「………俺は、エリーナ嬢に何をしてあげられるのでしょうか」

ジークは、手に持つ書の一節をジッと見つめたまま問い掛ける。

「さてな。 してやりたい事でもしてやればいいのではないかね」

ディーレリアは、ペラペラと書の項をやたらと捲る。 その瞳は書の文章ではなく、何処か別の、虚空を睨み付けていた。
ただ、それでもジークの声にだけは耳を傾けていた。

「ですが、俺は彼女の苦しみも、それを取り除く方法も、慰めるための言葉も分からないのです。 そんな俺の、ただの自己満足に傷心の彼女を付き合わせても……」

「うだうだと下らんな。 そんな選択肢を狭めるだけの想定など、切り捨てればいいだろうに」

ペラペラと項を捲るのに飽きたのかディーレリアは書を閉じて傍に置く。 その意識は虚空から現世へと還り、俯いて書に視線を落とすジークを見やった。
ジークは身じろぎの一つも無く、ただ一点からその視線は動かない。 
それは見つめているというよりも、視線がその位置で留まっているというだけのようで、書の内容さえ超えて、今のジークの思考はエリーナで埋まっていると窺える。
先の否定さえ忘れて、そんな様を晒すジークに呆れつつも、ディーレリアは尚も言葉を続ける。

「お前がうだうだぐずぐずと考え込もうが、それがあの子に伝わるわけでも無し。 ならば、とりあえず思い付きでもなんでもしてやればいいだろう。 それこそ、稚拙な励ましであろうともな」

「………はい」

短く、そして気のないような無機質な返事であった。
けれど、書から顔を上げたジークは、何処か憑き物が落ちたような表情をしていた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


父子の語らいが終わって、また暫く。 
鉄格子の窓から差し込む夕陽は、やがて日照の世界が終わる事を告げていた。
もうすぐ夜の帳が下りて、幽閉棟にて王と王太子、王族2人だけの公務と称された懺悔が始まるのだ。
それは、歴代アリステル王家の血族の長と、その後継者に課せられた、法として定められた誓約。
血族の罪を雪ぐための、懺悔であった。

「そろそろ時間だな」

ディーレリアの言葉と共に、2人で部屋中の蝋燭に火を灯してまわる。
いくら月明かりがあろうとも幽閉棟の一室全てを照らすには月光は薄く、そして吹き抜けの牢部屋であるために熱源の確保も必要であった。
凍える一夜を、暖の取れるものや毛布の一枚も無く過ごす故、少しであっても温もりが必要なのだ。
そもそも、王族の2人がなぜ幽閉棟でそのような苦行を負っているかと言えば、王族と一部の貴族の間でのみ認知されている『古い法』が原因であった。
その法の成り立ちもまた、王族の罪に深く関わる要素なのだ。


遥か昔、多くの小国が誕生しては滅んでいった乱世の頃。 アリステルも、吹けば飛ぶような小国の一つであった。
建国の王は、アリステルを長らえさせようとあらゆる分野に手を伸ばした。 それは、これまで生まれては消えていったどの国の王も頭を悩ませていた、繁栄のための探求でもあった。
アリステルの王はその中でも、当時としてはマストな分野であった『神秘』を広く、そして深く探求していった。
文明の発展と共に衰えていった神秘ではあるが、当時の未発達な環境では、そのように不可思議で不確かなものですら探究の対象であったのだ。
神に伝承、地方に伝わる豊穣の儀式や生贄。
王はアリステルの領土内を探して回り、様々な文化に触れては応用、実践し、しかし悉く失敗した。
けれども王は諦めず、求めて探して……やがて、1人の少女に出会った。

少女が祈れば乾いた大地に雨が降り、姿の見えぬ何者かに願えば実りが約束される。

それは、王が求め続けた神秘の到達点であった。 故に、王はすぐさま少女を祀り上げ、伴侶として迎え入れようとした。
身寄りの無かった少女もまた、国のためにと自らを望まれれば喜んでそれに応えた。
少女が国のために祈ればそれだけ栄え、豊穣は富を生んだ。 そして、富を元にして国は発展した。
こうして、王の理想としたアリステルの繁栄は成されたのだ。
……けれど、その繁栄の始まりは、同時に、王の退廃の幕開けでもあった。
アリステルは、少女の神秘によって富んでいった。
大地は肥えて作物は実り、民が食うに困る事など一切ありはしない。 
蓄えも十分に潤って、当時、飢えはすれども滅びるまでに至らぬ国々との外交にも回せる程に余剰があった。
アリステルは小国から、外交を通じて領土と民を増やしていく事になる。 吸収した小国も数知れず、いつの間にやら大国へと成り上がっていった。
王妃となった少女を伴侶として僅か十年で、王は大国を纏める長となった。
広大な領土に、多くの臣下と国に住まう民草の頂点となった王。 初めは、自らの興した国を長らえさせようと奔走していた王は、時の勝者となった。
けれど、人の根とは腐るもの。
満たされていないからこそ求め、満たされないからこそ歩みを止めない。 
けれど、王は探究の果てに神秘を手に入れてからの僅かな期間で大国の王にまで昇り詰めた。 
途方もない苦労と途轍もない代償も無く、若くして望みを叶えた王はそれ以降、堕落したのだ。
玉座に踏ん反り返り、際限無く、それこそ湯水の如く湧く富に物を言わせて己が欲望を叶え続けた。
その最たるが、女性関係であった。
何処からか見目の良い女を連れ帰っては側室にして、子を孕ませては次を連れてきた。 最終的には十数人にも及んだ側室の全てを孕ませ、多くの子を成した。
対して、王妃をどうしたかと言えば、城より少し離れた場所に離宮を建て、そこで暮らすように命じた。 王は成熟した華やかな女が好みであったが故、元は孤児の、大人の階位に至らない王妃の貧相な肉体と凡な顔立ちに食指が動かなかったのだ。
伴侶として迎えた王妃の事は、国の繁栄に携わる重要人物であるが故に囲って閉じ込めてしまえば良いと王は考えた。
そうして、王妃を自らの伴侶という鎖に繋いでおいて、王はのうのうと世の春を満喫し続けた。
より多くの富を求めて税収を増やし、その金で女に食に娯楽にと放蕩の限りを尽くした。
国の長がそのような有様では、当然ながら政は回らない。
けれども王は、いくら臣下より忠言を受けても聞く耳を持たなかった。
そんな国を治める上層部が不安定な状況の中である時、アリステルの繁栄に深く関わっていたとされる王妃、神秘を宿した王妃が、離宮にて自害した。 遺書も無く、首を吊っていた紐は裂いたシーツと衝動的な要素が多く見て取れたが、自害の最たる動機は王にあるのだろうと誰もが考えた。
王妃の神秘が無くなって以降、蓄えて尚も余剰があった豊穣は見る影を無くした。
それでも王は王妃を弔う事さえ無く、何一つとしてその欲深い在り方は変わらぬまま。 その堕落しきった思考のままに富を求めて税収を下げる事さえしなかった。
堕落し、怠惰になった王は今の繁栄が永遠であると思い込んでいたのだ………そして、その采配の結果、かつての富を失くした民草の中で飢え死ぬ者が増えていった。
それが、放蕩の王に、堕ちたる愚かな王に、臣下の誰もが失望した瞬間であった。

だからこそ、革命が起きたのも必然である。

王が抱え込んだ側室の生んだ王子の1人が、ある時、愚王に反旗を翻したのだ。
愚王の治世がこれ以上続けば苦しむ民草は増えるばかり。 これまで、どれだけの犠牲が出た事か。
その義憤のままに、王子は王を討ち取った。
王子は英雄として臣下に祀り上げられ、やがて二代目の王となった。
革命は成功し、愚王による暗黒の時代は過ぎ去ったのだ。

けれど、そこに至るまでの代償は重過ぎた。
神秘を失くして、永劫と信じられた豊穣も失せた。 
それどころか、飢饉さえも起きた。
富める者は財を削れば生きられたが、元よりさほど富を持たなかった地方の民草の多くは飢えて死んだ。
その死者数は、当時の王家が認知して記録していただけで数万にも及ぶ。 
広大で、神秘との癒着によって肥えていた筈のアリステル王国の領土で、それだけの被害があったのだ。
愚なる王の罪は重く、故に革命を成した王子は、王族を縛るための表に出ない秘なる法を作った。
豊穣を与えてくれた神秘の王妃を自害にまで追い込んだ愚王の罪を、王妃の命日に詫びる事。 詫びて、愚王のような愚を繰り返さないように戒めよ、幽閉棟で懺悔し続けよと定めた。 
それを為せぬは王に非ずとした。
そして弔えども、戒めようとも、精神性の堕ちたる愚王の芽は早々に摘み取れとも……。
二代目の王は他にも、飢饉で亡くなった民の多い土地を中心に教会を建設したりと、愚王の罪を代わりに贖おうとしていた。

血族の贖いは、赦されるまで続いていく。 脈々と受け継がれ、果ても見えぬままに。
故に未だ、血族の懺悔は終わらない。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


祈り、懺悔してどれだけの時が経った事か。
たかだか一晩。 されども、空気の冷えた夜中に、吹き抜けの一室で寝ずの事ともあって消耗は激しかった。
ジークが顔を上げれば、部屋中を照らしていたはずの蝋燭は燃え尽きて、代わりに鉄格子から光が射し込んでいた。 朝日である。 
つまり、一夜の懺悔は無事に終わった。

「朝、ですね……」

「ああ………」

懺悔をしていただけではあるが、消耗しきった2人は会話さえも覚束ない。
定められた法は、王妃の命日を終日幽閉棟で過ごして一睡もする事なく懺悔して夜を明かす事。
今年もまたその務めは果たされ、そして赦される事も無かった。
しかし、王族の罪はまだ晴れずとも、ようやく苦行である年に一度の公務を終えたジークとディーレリアは達成感と共に幽閉棟を去っていく。
両者とも、不眠と疲労から足元さえ覚束ないが、それでもディーレリアは別れ際にジークへ語りかける。

「……なあ、ジークよ。 お前がいざという時に尻込みをする臆病者である事は知っている。 それでも、あの子に勘当の件を伝えるならなるべく早く話してやれ。 彼女とて、今後の身の振り方を考える時間くらい必要だろうからな」

それだけ言うと、ディーレリアは大きな欠伸をしながら帰っていった。
そんなディーレリアの背中を見つめて、ジークは「分かってますよ…」と苦い顔でぼやいて、自らの部屋に向かって歩きだした。
早朝であるから誰かに遭遇する事も無く、すんなり自室に帰る事が出来たジークは、着替える事無くベッドへ身を投げて、そのまま意識を埋没させる。
やがて目覚めると既に真夜中で、軽く湯浴みをしてから食事を摂る。 そして、その日はそのまま再び床に着く。 
1日の間、寝ていただけではあるが、やんごとなき身分であるが故、体調を崩さぬためにもそうした休息が必要なのである。
そうして再び目覚めれば、生活リズムは元に戻る。 
今日は昼にエリーナ嬢の元へ行こうと考えながら普段通りの公務に取り掛かろうとして、執務机にメモが置かれているのに気付いた。
見れば、だいぶ崩れてはいるが、その字はサリーのものであった。
彼女の報せは大体の場合がエリーナの事であるから気になって、メモを読んでーーー愕然とした後に、急いでエリーナの元へと駆け出した。

『お姉様が意識不明で、目を覚ましません。 助けてください』

乱雑に書かれた文字からはサリーの焦りが感じられる。
つまり、サリーにとってそこに書かれている事はそれだけ火急の事態であり、エリーナの危機を強く報せる手紙でもあった。
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