公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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花枯れた箱庭の中で

おいで

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「……いあれ、む…いあ…。 愚………リス……の血に……………」

それは、地の底より響くような、嗄れた老人の声であった。
時は流れ、歳を重ね、皺くちゃの顔になって今にも枯れてしまいそうな程に痩せ細った老人は、前にもこの場所に顔を見せた、泣き虫の男………であったと思う。
人の姿は移ろうもので、我らにとって些細な時の流れであっさりと変わってしまう故に、ああまで変貌してはまるで判りはしない。
けれど、今となっては人に見捨てられて朽ちかけているこの場所に訪れて涙を流すような人間など、あの泣き虫男以外には見当がつかなかった。
嗄れて、喉に痰でも絡まるのか時に詰まる言葉を口にしている。 前来た時は泣きながらもスラスラと言葉を並べていたというのに、移ろう種族である人間は、実に難儀な生き物である。
しかし、男は見れば見るほど、以前来た時と何もかもが違う。
目が隠れる程に伸びた前髪は見る影も無く禿げ上がり、張りのあった瑞々しい肌は触れれば崩れ落ちそうな枯れ葉の如く。 
偶に前髪の隙間から覗き見えていた瞳は光彩を失って、見えているやらいないなら。
我らが愛を抱えて連れて行った力強い腕も足腰も衰えて、今や枝木が如くポキリと簡単に折れてしまいそうな程に細い。 
だからか、男は今、動く椅子に座っている。 道具に頼らねば動く事さえままならぬ程、生き物として衰えていた。
人の生は短く、朽ち果てる時は少しずつ枯れていく。 
対して、終わる種族である人間とは違い、我らはこの世の理の種。 故に感じる気配によれば、この男は今まさしく死にかけている。 
死を前にした、一つの命だった。
死とは、よくある事象。
人は死ぬものであり、その命は短く、そして死を恐れるもの。

「侵させは……せぬ……。 あやつら……に、この場所を、踏み躙らせて、なるものか」

それは、いつかの誓いの言葉の延長だった。
死を目前に、それでも男は我らが愛だけを見ていた。 まるで自らの事など、どうでもいいと、老いた男は未だ情熱を燃やしている。
しかし、その朽ちかけている身体で、天へと召されかけている魂で、この男に何ができようか。
既に、我らが愛の住まいであったこの宮は何度も、好色な人の王が連れ帰った娘を囲うための仮宿のように扱われてきた。 何度も何度も、入れ替わり立ち替わり違う女が住まうようになったが、そのどれも、我らが愛には遠く及ばない者ばかりだった。
けれど、所詮は世界の理の種でしかない非力な我らは抵抗も出来ず、せいぜい庭園の花々を絶やさぬようにするのが関の山で、結局、誓いなど何一つ果たせてはいなかった。
それは、この男とて同じであろう。
我らが愛が還るその時まで庭園を守ると誓っておきながら、結局は人の王を止められなかったのだから。
我らと男は、揃いも揃って無能者であった。
片や、力無き人。 
片や、人の世に介せぬ世の理の種。
あの時、大切なものを守るには、我らと男とではあまりにも力不足だったのだ。

「ああ……お前、達。 力を、私に……今こそ奴らに………」

ただ、無力であったあの頃と違ったのは、男が人間と我らの境界に介する存在になっていたという事。
そして今、我らの力を求めた。
現世を生きる人間が、決して交わる事の無かった者が、我らを呼んだのだ。

呼ばれたのなら、応えよう。
望まれたのなら、祝福しよう。

所詮は座興。 
我らが愛にまた巡り会うその時までの、ほんの些細な暇潰しのようなもの。
……しかし、我らとて、我らが愛を虐げていた者どもの事は腹に据えかねていた。 ならば今こそ、我らが愛を死に追いやったその罪を、償わせよう。


呪いあれ、報いあれ。
かの血筋、愚なる王の血族に呪いあれ。
アリステル王家の血が絶えるその時まで、孫子の先の、ずっと末までも報いを受けよ。
その罪深い血の果てに、次は貴様らが枯れるといい。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


夢に見たのは、悲しい呪いの声だった。

目が覚めて、机に突っ伏す姿で眠っていた私は、体勢悪く眠っていた結果痛む身体を伸びをして関節の鳴る音と共にほぐしながら、直前まで見ていた夢を思い返す。
いつも見る、私が殺したあの男の悪夢とは違う夢。
時たま見る、知らない誰かの嘆きの夢。
正体不明の語り部と、車椅子に乗った老人。
それらは揃って、アリステル王家への呪詛を囁いていた。
愚なる王、好色の王。 
血族全てに呪いあれ。
以前、似たような話を何処かで目にした記憶がある。
それは確か、エイリーン学園の図書館で、私の生の繰り返しを止める方法を模索するために色々な本に手を付けていた時だったか。

机の上をチラと見れば、そこには私が昨夜まで目を通していた書籍がある。
最近では、深緑の宮と石碑について調べるために王城の図書館を利用して調べ物ばかりしている。
時には夜遅くまで貸し出された本の字をなぞる事も多く、故にサリーが「夜更かしは厳禁です!」と私をベッドへと押し込むのだけれど、サリーが去った頃合いを見計らって、非常用のランプを使ってこっそりと本を読んでいる。
どうやら昨日は、そのまま寝落ちしてしまったらしい。
寝る時間を割いても、深緑の宮と石碑についてわかった事などそう多くはない。
故に、今日もまたあの場所へと向かい、胸の何処からか湧いてくる探究心のままに図書館で本を漁るのだ。
……その時、学園で一度だけ読んだ、あの本も探してみようかしら。
などと、今日の予定を考えていれば、扉が勢いよく開いて、大きな声と共にサリーが入ってきた。

「お姉様、朝ですよ! 今朝は卵が良い具合に半熟に焼けたので急がないと固まってしまい……お姉様、頬に何か痕が付いてますよ? どうかなさったのでーーー」

「おはよう、キリエル嬢。 ……痕? あ」

言われて鏡を見てみれば、頬にはくっきりと痕が付いていた。
何の痕かと問われれば、それは机に突っ伏して寝た時に付くそれである。
そして、サリーが視線を向ける机を見れば、そこにはオイルの切れたランプと開かれた本が置かれている。

「お姉様………また、夜更かししましたね?」

状況証拠が揃っている故、言い訳など無意味である。
つまりまあ、そうなると、次にはお説教が待っているわけである。

その後、ガミガミと私を叱るサリーのお説教はそこそこ長く続いた。
いつの間にやら、お説教は私の髪や肌のケアがどうのという話に変わっていたけれど、それらも全て、私は知らぬ間にとっていた正座の姿勢で甘んじて受け入れた。
今のお説教モードのサリーの状態が、異国の表現にある『オカンゾクセイ』というものかしら、などと胡乱な事を考えていればそれが伝わったのかサリーは最後にこう告げた。

「反省、してませんね? では、ちゃんと寝なくなってしまうので、夜中はランプと本は没収します!」

言われて反論しようとすれば、ジトリと睨まれたので黙るしかなかった。
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