公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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花枯れた箱庭の中で

盲目

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「……以上が、領地よりの報告となります」

ユースクリフ邸の執務室。
その部屋の主であるユースクリフ公爵である父を前に僕は、以前まで義姉上が請け負っていたという領地運営の中間管理業務の報告書を読み上げていた。
公爵は手に持つ書類から顔を上げる事も、相槌を打つ事もせずに聞き流しているように見えるが、報告書を全て読み終えれば「ああ」と無機質な返事を一つ呟く。 
いつもはそれを合図にして執務室を去るのだが、ここ数日、僕はそれだけで話を終わらせる事はなかった。

「義姉上の勘当を解いては頂けませんか、父上」

公務が関わるとなれば、父ではなく上司と部下の関係である為に「公爵」と呼ぶが、ここから先の話は完全なるお家事情。 故に、この時ばかりは「父上」とこの男の事を呼ぶ。 
……母さんがこの男を愛している以上は、プライベートでは僕も血の繋がった家族として振舞わなければならないから。

「……くどいぞ、マルコ。 アレの処遇は既に決したのだ、覆る事は無い」

眉根を寄せて、ようやく手元の書類から視線を僕に向ける父上は、心底不快そうに言葉を吐く。 「アレ」などと、義姉上の事を苦々しげに口にしながら。
何度説得をしようとも、一切変わる事の無い対応だ。

「しかし今回の一件、義姉上は被害者なのですよ」

「………」

「それに、売国奴が国外へと出る前に止めたとして陛下より厚遇を賜っているとジーク殿下より聞きました。 今ならば、義姉上を戻した方が我が家の益にもなりましょう」

「………」

義姉上が立たされている現在の立ち位置からして処分は不当だと訴えても、陛下の目に掛かっている今ならばユースクリフ公爵家の益となるだろうとメリットを提示しても、父上はその一切を無視して書類へと向かったままだ。
何を言ってもうんともすんとも反応の無い父上に痺れを切らして、領地運営の報告書を執務机に叩きつける。

「いくら父上が義姉上の事を疎ましく思っていらっしゃるといっても、この扱いはあんまりだ! 血の繋がった親としての情は」

「報告が終わったのなら去れ。 そんな無駄話をしている暇など、お前には無いだろう」

食い下がればギロリと睨め付けられて、あまつさえ無駄話と切り捨てられる。
このやり取りも、義姉上が勘当されてからもう何度目の事か。 
普段より、直情的に過ぎると叱られる事が多いので自制を心掛けている僕とて、こればかりは父上に怒りも湧く。 何故、こうも簡単に実の娘を切り捨てられるのかと。
話しても、情に訴えかけても無駄なのだ。 やはりこの男にとって、義姉上は邪魔な存在でしかないんだろう。

「……失礼、しました……ッ!」

なんとか目の前の澄まし顔に手が出そうになるのを抑えて執務室を去る。
こんな所で言っても聞かない奴に構うよりも義姉上の処遇について相談出来る相手の元へ向かう方がよほど建設的だと歩を進め、もう何度話しても無駄だった父上に見切りを付けて、なんとか義姉上を助けられないかと思考を巡らせる。

……たとえ腹違いであっても、たった1人の義姉なのだ。 
絶対に、失ってなるものか。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


マルコは剣術大会のあった日、エリーナとサリーとは別行動をとって、もう一度ジークと接触していた。 
理由は、言わずもがな。 それまでの主張と同様にジークの説得である。
その際ジークから「彼女の事をよく見てやる事だ」と言われた。
それは偏に、義姉上の事をもっと知るべきだという忠告だったのだと、マルコとて今となっては理解している。
けれど当時は、捻くれて考えた挙句に「ボロを出すか見張れ」と言われているのだと捉えた。
どうせ悪辣な本性がより鮮明に晒されるだけだと高を括っていた………けれど、その目で見た現実は、まるで真逆のものだった。
少なくとも、エリーナはマルコが思うほどに悪辣な存在ではなかった。 
いや、なくなっていた、というべきだろう。
ジークに纏わり付き、目障りな程にその邪魔になるような行動を繰り返す様は見られなくなっていた。 
予てより、マルコが険悪に接して牽制していた義姉の姿は既に無く、そこに居たのはすっかりと様変わりして毒気も抜けた勤勉な令嬢の姿だった。
何がエリーナを変えたのかと、当初のマルコは驚愕したものだ。 


マルコの行動指針は単純で、実に些細なものであった。
これまで苦しんできた母親を守りたい。 そんな、どこにでも転がっていそうな家族愛であった。
けれどその根幹には、多方面へと向けられた強い嫌悪感が根付いている。

未婚でありながら身籠った母を罵り捨てようとした生家の子爵家。
他者を見下し踏み付けて自己顕示欲を満たす毒虫のような貴族共。
母から普通の子爵令嬢としての幸福を奪い傷付けたユースクリフ公爵家の亡き夫人イザベラと、母を孕ませたくせに何年も苦境に置いていた父のアルフォンス。

貴族社会の深淵と、母を苦しめた者共の事を憎んでいるのだ。
そんな憎々しい者共にこれ以上は母を傷付けられてたまるものかと、過剰な程に警戒心を強く持っていた。 
その思いは盾ではなく、他者を牽制する矛のように攻撃的なもの。
そして、その最たる矛先がイザベラとアルフォンスの一人娘でユースクリフ公爵令嬢のエリーナであった。
蛙の子は蛙と短絡的な思考ではないが、所詮は貴族、所詮は母を苦しめた奴らの子。 
そうして、実態を知る事も無く切って捨て、敵と認定した。
母にはエリーナに近付かないよう注意し、自らもまた能動的に近寄る事はしない。 けれど、たまに鉢合わせる事があれば舐められまいとして高圧的な態度を心掛けた。
弱みを見せれば呑まれる。 貴族社会とは、そういう弱肉強食の世界なのだとマルコは捉えていた。
それは事実で、けれどもエリーナの事に関しては違った。
エリーナが階段から突き落とされたあの日、その傷付いた姿を見て自らの思い違いを悔やんだ。 調べれば調べる程、エリーナが幼い頃から共に居るという侍女から話を聞く程に、マルコは自らの義姉は寂しい人なのだと確信を深めていった。 
そんな、半分だけでも血が繋がった義姉に対して、自分は何をしていたのかと罪悪感も覚えた。
あの父は、母を苦しめる要因を作りながらさらにもう1人、実の娘さえも不幸にしていたのかと義憤に駆られた。
ただでさえ父が、母に会いに子爵家へこっそりと訪れていた頃だって実の父だと言う男の事をそうだと認められなかったというのに、こんな冷血な男が血の繋がった実父だなどともう思いたくもなかった。

父上はもう駄目だ、僕が何とかして義姉上の助けにならなければ。

自らの父を見限ったマルコは、その一心で何か手はないかと模索する。
幸いにして、エリーナは王城に貴賓として置かれている。 其処であればすぐに放逐されるような事も、ましてや粗末に扱われる事もないだろう。
エリーナを救う手立てを整えるならば今が好機なのだ。
その決意のまま、マルコは相談相手たるジークに会いに登城する。
先の父とのやり取りに苛立ってか、その足取りはあまりにも荒々しく、先へ先へと急いていた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


直情的なマルコは、頭に血が昇ると視野が狭まる悪癖がある。
何度も何度も、父であるアルフォンスや義姉のエリーナより注意を受けたそれは生まれ持った特性であり、故にそう易々と治るものではない。
実際この時も、登城してからジークの執務室までの廊下を駆ける事はしないが競歩の如き早足で進んでいた。 当然、周囲の様子など気に掛ける余裕も無い。
故に、今しがた擦れ違った令嬢の姿さえも、彼の意識の内に認識される事は無い。
対する令嬢は、早足で過ぎ去って行くマルコを見やるも、すぐに興味をなくしてゆるりと歩を進める。
その姿は優雅で、気品に満ち、そして顔には隠しきれない愉悦の笑みを浮かべていた。
この世の春を謳歌するように朗らかな、腹の内に毒を持つ虫であった。
そんな毒虫は、奈落に堕ちた虫を踏み付けるために今ここに居る。 
それは偏に、嘲笑うため。
その時を思えば、毒虫の心は実に昂った。
憐れな憐れな、羽根をもがれて堕ちた虫は最期にどんな醜態を晒すのかと想像しながら、毒虫はまた、愉悦に震えた。
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