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花枯れた箱庭の中で
無力
しおりを挟む今朝、エリーナ嬢と朝食を共にし、そして執務室へと帰ってすぐに、彼女が倒れたと聞いた。
俺が庭園から去ってすぐ後の事らしく、何か彼女の琴線に触れるような事をしてしまったのではないかと自らの言動を顧みた。
話した事と言えば、アリステルの今後や帝国の動向について。
そして、エリーナ嬢にその身の扱いを問われてその身の潔白と国を治める王族の一員としての謝辞を述べただけの筈……けれど、思い返してみればエリーナ嬢はその話を聞いてから、どこか放心気味だったような……。
……あれが、原因だったのだろうか。
きっと自分の処遇が知れず不安に思っているであろうエリーナ嬢を安心させるために、ヤザル被告人の罪状が全て明らかになるまで正式な通告を留められていた判決を教えたというのに、藪蛇だったのか……。
思い付く限り出来る事をして、エリーナ嬢を支えようと思った。
とはいえ、俺の身分は王族の王太子で、普段より政務を務めている。
それだけならば時間も取れようが、今はヤザル被告人が密通していた帝国への対処のために軍部から財務部からと舞い込む書類に忙殺され、会議も日に数件開かれている。
夜中まで拘束される事もあり、俺自身が自由に出来る時間が無いのだ。
だからせめてと、エリーナ嬢と親しくしていたキリエル嬢に協力を仰いだり、王城内で不自由をしないように出来る限り施設を開放した。 最近では、心痛の癒しとなるように妃陛下に頼んで花園の一部の使用許可を取る事も出来た。
……それでも、傷付いたその心を癒すに至らない。
エリーナ嬢は未だ、夜中になると悪夢に魘されていると彼女の御世話をしているキリエル嬢は報告した。
寝言ですらも赦しを乞うているようで、彼女の中で、ヤザル被告人を殺害してしまった事は深い罪の意識となっているように窺える。
いくら正当防衛で、いくら仕方のなかった事だとしても、それでも人1人殺すというのは、それだけ深く心に楔を打つ行いなのだろう。
真面目で融通の利かないエリーナ嬢は、自分が襲われていたというのに、それでも自分の手で命を奪ってしまった事を強く強く悔いてしまっているのだろう。
その想いを、俺には理解出来ない。
俺は人を殺した事も無ければ、エリーナ嬢ほどに自らの罪に対して真正面から向き合えない。
どうすればエリーナ嬢を支えられるかを、俺は知らない。
だからこそ、出来る限りをするしかないのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
昼から真夜中まで続いた、帝国の侵略を想定した軍部強化とアリステルの財政を擦り合わせるための会議は夜中まで続いた。
長い時間、各高官と顔を突き合わせて数字を睨み付け、騎士団の希望や財務の書類に基づいた意見を纏めて、ようやく両者の妥協点を見つけ、ひとまず会議を終える事が出来た。
高官らと別れてから、少し歩きながら考え事をしたくて、執務室までのルートを遠回りする。
その際、騎士団の訓練場前を通り掛かり、灯りの側でまだ訓練に励んでいる騎士の姿を見掛け、しかもそれは知っている顔であったから声を掛けた。
「やあ、アルダレート。 夜遅くまで精が出るな」
「……殿下。 遅くまで御公務、お疲れ様です」
先程まで一心不乱に目の前の的に斬り掛かっていた手を止め、アルダレートはこちらを見る。
いったい、いつからどれくらい剣を振っているのか。 酷く汗に塗れ、けれど眉間に皺を寄せているその瞳に活力は感じられない。
昔からこの男は、落ち込むとただ無心で剣を振るう。 振って、さっさと気持ちを入れ替える。
けれど今回は、そう上手く気持ちを入れ替えられていないらしい。
「また新入り用の的が使い物にならなくなったとレイニードが愚痴っていたぞ。 馬鹿力のアルダレートが容赦無くブン殴ってすぐ的を駄目にするんでオウジサマから言っといてください、とな」
俺もたまに訓練を共にする故、騎士団の面々とは顔見知りだ。
訓練に参加する際、その中で、アルダレートの友人であるという壮年の騎士レイニードによく声を掛けられる事がある。
そんな、騎士団内部で浮いた存在でありながらも、誰に対しても気兼ね無い気の良いオジサンな騎士が深刻な表情でアルダレートの事を相談してきた。
軽い切り口から、唐突に「アルの野郎がおかしい」と普段は茶化すような話し方をする男が、真剣な口調で話すのだ。
そもそも最近は公務が忙し過ぎて、自由時間にはエリーナ嬢の元へ顔を出すだけでも手一杯なので、騎士団に顔を出す事は無かった。
けれどレイニードは、わざわざ俺を待ち伏せてまでアルダレートの事を相談に来た。
一介の騎士が、王族を待ち伏せて声を掛けるなんて不敬を犯してでも知らせに来たのだ。
俺個人としても、友人の様子がおかしいのであれば気にもなる。
「悩みがあるなら聞くぞ。 君がそうなるのは、何かを抱え込んでいる時だからな。 何か……それは、エリーナ嬢の事だろ?」
問えば、アルダレートは剣を取り零した。
カランカランと乾いた音が訓練場に響き、次いで、アルダレートはその場に崩れ落ちた。 それはまるで、糸が切れた人形のように。
「……俺は、またしてもエリーナ様を守れませんでした」
ボソボソと、アルダレートは独白する。
エリーナの騎士と誓いながら、裏腹に誓いを果たせやしなかった事。
それは、エリーナと結び直した最後の誓いさえも。
「あの方の涙を拭うどころか、助ける事さえ出来なかったっ! それに、あまつさえエリーナ様に人を殺す苦しみを……あの、苦しみを、味あわせてしまった。 俺の力及ばず、ほんの小さな、たった一つの誓いさえも、俺は……!!」
「アルダレート……」
嘆き、そして吐き出すような懺悔の言葉だった。
「……ならば、今度こそエリーナ嬢に寄り添ってはやれないか? 彼女の事を理解出来るなら、きっと君こそ、その心を」
「俺には、もうエリーナ様の騎士である資格なんて無いんです。 ……だから、俺には無理ですよ」
精神が不安定なエリーナ嬢の護衛騎士としての役目を誘えば、アルダレートは資格が無いと断ってその場を去っていく。
その友の背を、俺は追う事も声を掛ける事も出来なかった。
後を追って、何をすればいい。
声を掛けて、何を言えばいい。
……本当に、俺には何も分からない。
友の心も、エリーナ嬢の苦しみも、何一つとして分からない。
ただ自らに出来る事を、考え、行うしか、出来はしない。
……それが、誰かの救いとなるとは、限らないのだけれど。
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