公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

文字の大きさ
上 下
60 / 139
いつか見た夢の世界で

秩序

しおりを挟む
オルトリン嬢がキリエル嬢に張り倒されるのを見て、俺は「やってしまったか…」と、キリエル嬢に呆れを覚えた。
……まあ、彼女のエリーナ嬢に向けられた熱烈な感情から、こうなる事はある程度想定出来ていた。 
だから良くはないが多少は構わないだろう。 本当に、良くはないが。
そう考えて俺は仕方なく、駆け付けた騎士達に下手人を任せ、肩で息をしてオルトリン嬢を睨み付けるキリエル嬢の肩を抑えて落ち着かせる。

「落ち着け、キリエル嬢。 ここではまだ駄目だと言った筈だろう」

「……っ! すみませんジーク様。 あの顔を見たら、つい………」

平坦な声音でそういうキリエル嬢は、しかし未だにオルトリン嬢を逸らさず、憎々しげに睨み付けている。
対するオルトリン嬢は、突然に頬を叩かれてその場に倒れ込みはしたものの、状況を把握するとすぐに立ち上がってキリエル嬢へと詰め寄った。

「ちょっと貴女! 平民上がりのくせに、このオルトリン侯爵令嬢たる私を叩くなんていい度胸ね!」

「うるさい、この性悪女! 貴女のせいで、お姉様がどんなに辛い思いをしてきたことか!!」

客観的に見れば、突然暴力を振るったキリエル男爵令嬢と正当な文句と怒りをぶつけているオルトリン侯爵令嬢、という構図だ。
確かに、事ここにおいてオルトリン嬢の怒りは真っ当なものだと俺も思う。 
少なくとも、この一件に関しては明らかに、突然殴りかかったキリエル嬢の方が悪い。

「キリエル嬢、君は暫く静かにしているように。 連れのキリエル嬢がすまないね、オルトリン嬢。 叩かれた頬は大丈夫かな?」

ただでさえ、王太子である俺が襲撃を受けてこの場の混乱に拍車がかかっているというのに、これ以上は令嬢同士のキャットファイトで無駄に余計な騒ぎを起こしたくはない。
なので、騒ぎを起こしたキリエル嬢を抑え、暴行の被害者であるオルトリン嬢に心配の言葉をかけて静かにさせる事にした。

「ええ、はい! 大丈夫です。 ただ、そこに居る元平民の小娘の無粋は到底許せませんわ。 観衆の前で恥をかかされましたんですもの、即刻この場より追放し、罰を与えてくださいませ」

「何をいけしゃあしゃあと! だいたい貴女が」

……オルトリン嬢の発言毎に、キリエル嬢はいちいち噛み付かないでほしい。 話が進まない。
しかしまあ、それにしても、キリエル嬢は本当に熱烈である。 
熱烈に、オルトリン嬢を詰っている。 
男爵令嬢が、侯爵令嬢を、詰っている。
字面にしたって、何も知らぬこの場の観衆にしたって、どちらが非常識かと問えば十中八九キリエル嬢を指差す事だろう。
だからこの場で俺が、王太子の外聞を忘れて「いや、キリエル嬢……」と頭を抱えてしまうのも仕方のない事だと思う。
キリエル嬢に協力を申し出てから既に何度も注意して、感情的に事に及ぶなと言い聞かせて、つい数秒前にも静かにするよう言い付けたキリエル嬢が、またオルトリン嬢に食って掛かっているのだから。
立場的にも、階位的にも、キリエル嬢ではオルトリン嬢に敵わない。
はっきり言って、部が悪い。

「……ふん。 これだから、育ちの悪い平民は。 ジーク様の好意でお側に居るだけのくせに図に乗りすぎよ」

案の定、怒りに身を任せたキリエル嬢の弁はいとも容易く跳ね除けられた。
キリエル嬢はその事に余計腹を立ててがなり立てるが、対するオルトリン嬢にはもう構うような素振りも無い。

「ねぇジーク様、なぜこのような小娘をお連れになっているのか存じませんけれど、コレが側にいてはジーク様の品位まで下がってしまいますわ」

「キリエル嬢の無作法については、すまなかったね。 彼女も貴族になって日が浅く、こういった場に不慣れなようだから」

「まあ、ジーク様はお優しくいらっしゃるのね。 あれは無作法さえ過ぎ、無礼というものです。 いくら平民から貴族に成ったとはいえ、所詮は男爵令嬢。 侯爵令嬢たる私にあのような態度は許されませんもの」

オルトリン嬢の言葉は正しく、階級社会である貴族の世界において、爵位の差とは最も重要視される事柄だ。
作法は常識、無礼は罪。 
そんな、貴族の『当たり前』を果たせないキリエル嬢よりも、オルトリン嬢の主張に義があるのは客観的に見ても当然である。
それを分かっているからこそ、オルトリン嬢はキリエル嬢に応じない。 そのまま無視して、俺へとその意識を向けてきた。

「ところでジーク様。 今宵のパーティーにパートナーとしてお連れになられたエリーナ様は如何なさいましたのでしょう。 もしや、いらっしゃらないのですか? ならば、私を連れ立ってくださいませんか?」

そう言って、オルトリン嬢は俺の手を取って上目遣いで見つめてくる。 そうした要求をする事もまた、貴族の世界では自然な流れであり、道理だ。 
キリエル嬢が張り倒した事により、オルトリン嬢は頰を赤く腫らして床に倒れ込むだなんて醜態を晒す事になった。 
対して、言葉の上とはいえキリエル嬢は俺の連れであり、罪を受け入れて謝罪までしている。
だからこそ、オルトリン嬢の真の狙いが如何あれ、俺に対して何かを要求出来るだけの材料は揃っている訳だ。

「俺にはパートナーが居るのだが。 相手を放っておいて君をエスコートしろと?」

「うふふ、嫌ですわジーク様。 パートナーなど今はどこにも居ないではありませんか。 それに私、先程会場から出て行くエリーナ様の姿を偶然目撃しましたの。 急いでいる様子でしたので声は掛けられませんでしたが、きっと火矢が飛んできたのが怖くて逃げ出したのではないかと思いますわ。 そんな臆病者がジーク様のパートナーでは障りもありましょうし、私ならば逃げるような真似は致しませんもの。 ご安心して連れ立っていただければ」

何ともまあ……朗らかに笑いながら、丁寧な言葉で毒を吐くものだ。
平然とエリーナ嬢を悪し様に言うオルトリン嬢に、表情を繕うだけの労力すら削がれかねない勢いで自らの機嫌が悪くなっていくのを感じる。
エリーナ嬢は、火矢が飛んできた時には臆する事無く、毅然と俺をその場から非難させる指示を出した。 
いくら俺でも、足元に火矢が着弾して平静でいられるほど太い神経はしていない。 それに比べて、あの時のエリーナ嬢は、自らの使命を果たすのみに全神経を注いでいた。
そんなエリーナ嬢が、普段から無理をしてまで自らの為すべき事を遂行する使命感の塊のような人物が、それを放棄して逃げ出すなどありはしないだろう。
それを、何ともまあ、エリーナ嬢を馬鹿にしている発言だ。 心底、気分が悪い。
だからこそ、返事など一つだけだ。

「断らせてもらう。 エリーナ嬢が逃げる筈など無い。 だから、俺はその帰りを待つ事にするよ」

命を狙われ、襲撃を受け、その上で尚続行していくパーティーの中で、最も避けるべき事態は俺が命を散らす事。
毒殺未遂に暗殺者の襲撃と、既に命を落としかねない事態があったのだ。 第3、第4の命の危機的事態が起こってもおかしくはない。
だからこそ、俺は騎士達の集まる比較的安全なこのパーティー会場を離れる訳にはいかない。 
油断して、会場を出た先で暗殺されてはこれまでの苦労が水の泡となるし、何よりも、これまで協力してくれた王城の部外者であり俺のパートナーであるエリーナ嬢の献身さえも無駄にしてしまう。
俺は、殺されてやる訳にはいかない。
かと言って、何もしない訳ではない。
俺は俺に出来るだけの事をするのみだ。

「キリエル嬢、予定変更だ。 慈悲をかけてやる事も無い」

だからまずは、後回しにしようと思っていた事から解消しよう。 
貴族社会は階級社会。 下の者が上の者に仇なすような真似は許されない。
だからこそ、自らの爵位より上の者を虐げた愚か者にも正当な裁きが必要だろう。 
穏便に済ませてやる程の慈悲などもう無い。
貴族としての秩序を乱し、あまつさえさらに侮辱を重ねるなど、到底許せる事では無いのだから。
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです

風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。 婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。 そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!? え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!? ※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。 ※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ

暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】 5歳の時、母が亡くなった。 原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。 そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。 これからは姉と呼ぶようにと言われた。 そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。 母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。 私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。 たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。 でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。 でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ…… 今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。 でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。 私は耐えられなかった。 もうすべてに……… 病が治る見込みだってないのに。 なんて滑稽なのだろう。 もういや…… 誰からも愛されないのも 誰からも必要とされないのも 治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。 気付けば私は家の外に出ていた。 元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。 特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。 私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。 これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

処理中です...